第1弾 2013年の革マル派中央指導部への松代秀樹の批判文書

 二〇一三年の革マル派中央指導部への私の批判文書  松代秀樹

 【二〇一三年に私が執筆した党(革マル派)中央指導部への批判文書の原本を発見した。当時、私は中央指導部の変質を弾劾し、この弾劾の文書を、「或るサービス労働にたずさわる一パート労働者」からの投稿というかたちで「解放」紙上に掲載することを要求したのであった。党中央指導部は、この文書を無視抹殺し、私には何の返答もしなかった。その文書をここに公表する。――2021年6月9日 松代秀樹】

 


 わが組織のおそるべき変質の進行

 「解放」2286号がいまきた。8面論文「公務労働についての一考察」(山野井克浩)を読んだ。わが組織の変質はすさまじい。公務労働・教育労働・医療労働・サービス労働などにかんするわが組織の理論的追求の一切を否定しさるとは!! いまだに自己批判せず自説を堅持しているとおもわれる講演者Aさんにたいする山野井論文の筆者の疑問・批判はすべて正当である。「戸籍管理労働」「都市計画の策定にたずさわる労働」などの例をあげられて、山野井論文の筆者は少しばかり動揺してしまったようだが、これらの諸労働にかんしても他の公務労働と経済的構造はまったく同じである。あらゆる公務サービスにかんして、住民は「権力行政的」に・これを買うことをおしつけられている(直接に代金としてとられる額をこえる部分は税金というかたちでとられる)のであって、買うのも買わないのも自由というかたちで販売されているわけではない。Aさんの提起につらぬかれているものは、公務(労働)にかんする国家論的アプローチと公務労働にかんする経済学的アプローチとの構造的把握の欠如、経済学の無知である。そして組織指導部一体となったところの、自分たちの変質の無自覚、いやひらきなおり・批判の意図的無視であり、自己過信・自己絶対化である。

   2013・9・21

          或るサービス労働にたずさわる一パート労働者

 


 上の文書の公表を、当時の革マル派中央指導部の変質をあばきだす第一弾とし、彼らの変質を明らかにする諸文書を、五弾にわたって、本ブログに掲載する。

 上の文書は、党中央指導部の公務労働にかんする理解が、公務労働を、行政サービス商品を生産する労働として、したがって剰余価値を生みだす労働として、直接的生産過程における搾取との類推において、経済学的に解明することと、公務(労働)を、ブルジョア的共同事務を遂行するものとして、国家論的に解明することとを対立させ、前者を、これに後者を対置することによって否定するものとなっている、ということをつきだしたものである。
 公務労働をめぐるわが探究派内でのこの間の論議をとおして、次の諸文書を検討することが必要である、ということを、われわれは自覚した。①二〇一三年の中央指導部への私の批判文書、②二〇一三年に「解放」紙上に掲載された山野井克浩署名の「公務労働についての一考察」という論文、③一九八三年に『共産主義者』第八六号に掲載された笠置高男署名の「教育労働の経済学的考察」という論文、④『革マル派 五十年の軌跡』第四巻に収録されている同志黒田寛一の「公務あるいは行政サービス労働について」というレジメ(これは一九八〇年代前半に執筆されたものとおもわれる)である。
 これらの諸文書を今日的に検討することをとおしてわれわれがつかみとりうることは、二〇一二~二〇一三年当時の革マル派中央指導部が、④の同志黒田のレジメを利用して③の笠置論文を否定するというかたちで、――すでに実質上組織外に追放していた――笠置高男という筆名で一九八三年に論文を発表したところの私=松代秀樹の理論的および組織的な影響力を断つ、というように策動した、ということである。すなわち、中央指導部が、同志黒田の権威を政治的に活用して、笠置論文の筆者である私の組織内での政治的=組織的抹殺を狙った、ということである。
 山野井論文の筆者は、中央指導部のこのような政治的意図は知らないで、自分自身が理論的に追求してきたところの・公務労働をふくむサービス労働の経済学的解明のわが革マル派の伝統を守り継承すべきであることを主張したのだ、とおもわれる。中央指導部は、このような反論が出てきたことに自己保身して、山野井論文の筆者の頭を撹乱するようなことをやりながら、この山野井論文の「解放」掲載をもって論争の終息をはかり、それ以降、自分たちは頬かむりして沈黙を守っているのだ、と推察される。
 二〇一三年当時、私は、山野井論文からおしはかりうるかぎりでの中央指導部の変質を弾劾した。


 われわれは、いま、第一弾として、①の文書を公表した。
 第二弾として、②の論文をこのブログに掲載する。
 第三弾として、③の論文をこのブログに掲載する。
 第四弾として、二〇一二~二〇一三年の党中央指導部の策動を、④の同志黒田のレジメにはらまれている一定の限界との関係においてあばきだし批判する文書を、私が執筆し、これをこのブログで公表する。
 第五弾として、当時の党中央指導部の公務労働にかんする見解は、日本共産党系の学者である・芝田進午に依拠したものであることを明らかにした文書を、私が執筆し、これをこのブログで公表する。
       (2021年6月9日   松代秀樹)