1956年の同志黒田――それはいかに論じられてはならないか。 『新世紀』287号「〈暗黒の二十一世紀〉を覆す革命的拠点を構築せよ」批判

  この『新世紀』287号所収の「〈暗黒の二十一世紀〉を覆す革命的拠点を構築せよ」(以下「構築せよ」と略する)は今日の「革マル派」指導部の腐敗が凝縮されているように私は感じる。いや、今日神官と化している「革マル派」官僚どもによる党組織の同志黒田崇拝への誘導=宗教集団化の追求のはじまりではないかと思う。反スターリン主義運動の「原始創造」を場所的に創造すると称してはいるが、同志黒田を神格化しその権威を利用して下部党員の上に君臨しているにすぎない彼らにそれができるわけがない。何のために56年の黒田の思想的展開を追体験するのか、ここからして狂っているからである。この論文では彼ら神官どもの反スターリン主義運動の【原点の破壊】を明らかにするとともに、56年の同志黒田の転回について自分なりに考えたことを書いておきたい。

 

1. 場所的立場の欠損=客観主義

 冒頭からダメである。
 「われわれは、本年、ロシア革命一〇〇周年を迎えた。一九一七年十月にレーニントロツキーボルシェビキに指導されたソビエトの労働者・農民の英雄的にして偉大なたたかいによって、ロシアのプロレタリア革命が実現された。だがしかし、この革命ロシアは、マルクス・レーニン主義を全世界プロレタリアートを裏切ったスターリンの手によって変質させられた。そしてスターリン主義ソ連邦は、一九九一年に〈アンチ革命〉ゴルバチョフ一派の手によって無惨にも崩壊させられ、その醜悪きわまりない歴史を閉じた。全世界の労働者階級の砦たるロシアのプロレタリア国家がスターリン主義者によって簒奪され、このゆえに必然的に崩壊した。まさにこのゆえに、ロシア革命から一〇〇年、そしてソ連邦崩壊から四半世紀の現代世界は、いまだに資本の鉄鎖から解放されざる労働者・人民の悲惨によって覆い尽くされているのである」(4~5頁)。
 まず、筆者はこのようにソ連邦崩壊までの歴史的過程をダラダラと語っているが、この文章のどこにアメリカをはじめとした帝国主義権力者どもや中国・ロシアの権力者どもによって、世界の労働者・人民が戦争と貧困に叩き込まれている現代世界に対する憤激があるというのだろうか? 同志黒田は『資本論以後百年』で語っている。
 「『資本論』というかの厖大な著作は、ただたんに、資本制生産様式とそれに照応する生産諸関係の本質を法則的に解明した単なる科学ではない。まさしく資本制生産様式の転覆、資本制生産関係の変革のために、かの『資本論』は書かれているのである。にもかかわらず、『資本論』以後一〇〇年の現時点においてわれわれは、なお、資本主義の最高発展段階としての帝国主義の世界に実存し、資本の鉄鎖のもとにあみこまれているわけである。かかる現実に対する明確な認識から、われわれは出発しなければならない。そればかりではない。一九一七年のロシア革命によって実現された社会主義ソ連邦は、スターリン主義的変質を遂げている。それは、マルクスレーニンが思いえがいた社会主義とはまったく似て非なるものとして存在しているのである。それは、ひとり現代ソ連邦にかぎられない。東ヨーロッパにおける、またアジアにおける、いわゆる『社会主義国』なるものは、マルクスレーニンが理論的に明らかにした社会主義社会やプロレタリアート独裁国家とは、まったく似て非なるものとして実存している。これが『資本論』以後一〇〇年の今日の歴史的現実なのである。まさにこのような歴史的現実の生きた直感から出発しなければならない。われわれは『資本論』発刊一〇〇周年を“記念”することではなくして、われわれがおかれているまさにかかる歴史的現実にたいする憤激から出発しなければならない。われわれは、一九六七年を、『資本論』以後一〇〇年目の現時点においてすらマルクスが思い描いた全世界のプロレタリアートの自己解放の実現がなしえていない、というこの歴史的現実にたいする憤激を組織化する時点たらしめなければならない」
 ロシア革命を記念するにせよ、56年のハンガリア革命を記念するにせよ、われわれは場所的立場に立たなければならないのだ。自らが置かれている現在の場所を変革するという実践的立場に立ってこそ、マルクスレーニン、そして黒田の学問的苦闘や格闘を現代を生きる己のうちにはじめて再生産することができるのだ。
 それにしても「スターリン主義ソ連邦は……このゆえに必然的に崩壊した」とか「まさにこのゆえに、ロシア革命から一〇〇年、そしてソ連邦崩壊から四半世紀の現代世界は、いまだに資本の鉄鎖から解放されざる労働者・人民の悲惨によって覆い尽くされているのである。」とは何だ! 何が「必然的に崩壊した」だ! 何が「このゆえに」だ! われわれはスターリン主義ソ連邦を打倒し第二革命を実現して真実の労働者国家につくり変えることができなかったのだ! このように捉えることは、反スターリン主義運動の使命からして当然のことではないか! われわれの使命は全世界のプロレタリアートの解放である! 全世界の労働者人民が資本の鉄鎖から解放されていないのは、反スターリン主義運動の力が未だに微弱だからだ! この現実に対する憤激から出発しなければはじまらない。場所的立場に立つとはそういうことだ。「革命的拠点を構築」する以前的に筆者自身が崩れているではないか。筆者にとって「いまだに資本の鉄鎖から解放されざる労働者・人民の悲惨」とは、ただ筆者の目の前に転がっているにすぎないのである。
 次の文章も同様である。
 「アメリカ、ヨーロッパ、日本において現代資本主義が再末期の姿をさらけだしているにもかかわらずその延命が許されているのはいったいなにゆえか。まさにそれは、ひとえにスターリン主義ソ連邦を崩壊させ〈革命ロシア〉を埋葬したゴルバチョフ一派どもの反革命的大罪、そして全世界のスターリン主義党の総転向によってもたらされたプロレタリア解放闘争の死滅のゆえなのだ」。
 「全世界のプロレタリアートの未来を切りひらく道は、全世界のプロレタリアートが現在的に〈血塗られたスターリン主義〉と主体的に対決し・その反マルクス主義的本質に目覚め、もって反スターリニズムの運動に起ちあがることによってのみ切りひらかれる」(6~7頁)。
 図式化するならばこの筆者はこのように考えていると言えよう。
 スターリン主義の崩壊→(必然的過程)
 反スターリン主義運動の道→(発展過程)
 (つづめて言うとこういうことだ。「わが党は唯一の前衛党なのだから、世界の労働者・人民はわが党のもとに集まれ!」)
二者択一的に筆者は頭を回していると言える。現時点において必要なのは、ソ連邦における第二革命を実現できなかったことにふまえ、ソ連邦崩壊後の転向スターリニスト党に指導された修正資本主義的な階級闘争をのりこえながら、彼らを革命的に解体するために奮闘することではないのか? 国際階級闘争の場に内在するわけでもなく、どこか高いところから国際階級闘争の法則性のようなものを論じているにすぎないのがこの筆者なのである。

 

2. 同志黒田の神格化

 「わが日本反スターリン主義運動は、一九五六年十月に勃発したハンガリー革命とこれへのソ連官僚の血の弾圧にたいして、世界でただ一人共産主義者としての主体性』をかけて対決した同志・黒田寛一によって創造された」(7頁)。
 筆者は一九七六年に発刊された二冊のハンガリア革命資料集を一度も読んだことがないようだ。このハンガリア動乱は国際共産主義運動に極めて深刻な影響を与えた。例を挙げるならば、アメリ共産党はこの事件の評価をめぐって分裂し、既存共産党内からもこのソ連軍の蛮行に対する非難を行う者が続出した。ユーゴスラビアのチトーはこの弾圧を必要悪として容認したが、カルデリは権力者としての立場からではあるがこの蛮行を弾劾した。第四インターは当然のことながら、弾劾の声明を発表した。国際共産主義運動がこのように大動揺に陥っているときに、日本においてはほとんど弾劾の声が起こらなかった。日本共産党クレムリンの声明をオウム返しにするだけで、弾劾の声を上げたのは黒田を除けば高知聡などの少数の人々しかいなかった。日本においてはトロツキズムの伝統は全くなかったからである。
 こういうなかで、同志黒田は日本においてハンガリア革命と対決したのである。特筆されるべきなのは、トロツキズムの伝統がない日本において黒田がそれまで培ってきた唯物論者としての主体性を貫徹する形においてハンガリア動乱と対決し、さらに俗流トロツキストとの対決を通じて革命的マルクス主義の立場を獲得することにより世界に冠たる反スターリン主義運動を開始したということだ。「構築せよ」にはこれらのことは何一つ出てこない。ハンガリア動乱との対決の「質」こそが問題なのである。
 同志黒田を神格化することによって、ここでは何が問題になるか。それは五六年の黒田の格闘を追体験することにより、反スターリン主義運動の原始創造をわがものとする。いいかえるならば、一人一人が五六年の黒田になって反スターリン主義運動を一人からでも創造する立場に立つ。このことがすっぽり抜け落ちることなのである。つまり、筆者は反スターリン主義運動の六〇年以上の成果に安住し、その上に立ってすべてを評論しているにすぎないのだ。いや、黒田を神格化することによって、官僚化した己の権威づけをもうこのときからすでに開始しているというべきである。
 「第二章 ロシア革命一〇〇周年と現代世界」にはスターリン主義者の歴史的犯罪と五六年以降の革マル派のそれに対するたたかいが歴史主義的に展開されている。これは黒田を神格化するための道具立てにすぎない。スターリン主義の歴史的犯罪について述べたければ、それについてのみ述べればよい。革マル派がそのときどきにおいてこのようにたたかってきたと論じたところで、ソ連スターリン主義官僚専制国家を打倒し第二革命を実現できなかったということは変わらない。反スターリン主義運動のこれまでの成果に安住しているからこそ、こういう論じ方になるのである。

 

3. ご都合主義的な56年の同志黒田の論じ方

 「第三章 わが反スターリン主義運動の原始創造を!」で筆者は56年の同志黒田について論じている。ここでの最大の特徴は『スターリン主義批判の基礎』の「組織と人間」の内容に一切触れていないことである。このことは今日の「革マル派」指導部の腐敗を語る上で、極めて象徴的なことであると言える。
 56年に入り、三浦つとむから「今死ぬのはよしなさい。近々大変なことが起こる!」と聞かされたあとに世界を揺るがす大ニュースとなったのが、スターリン死後の党内権力抗争を勝ち抜いたフルシチョフ一派が行ったソ連共産党第二〇回大会報告であった。この『スターリン主義批判の基礎』の「組織と人間」で、スターリンによる自己に対する個人崇拝の煽りたてと大粛清に象徴される政策上の誤謬をフルシチョフ=ミコヤンが「スターリン個人」の問題にのみ帰着させて非難していることを黒田は満腔の怒りを込めて弾劾した。
 「個人崇拝の傾向がうまれたということは、ただたんに崇拝される個人にだけ責任を帰すべきではない。むしろ、そういう傾向を勇敢にたちきることができなかった党組織そのものの責任こそが重大なのである。党組織そのものに欠陥があったからこそ、民主集中制がうしなわれ、党内闘争が排除され、党指導の家父長制がうまれ、党指導者の専制が正当化され、またそうすることで必然的に党指導者への物神崇拝が生まれたのだ―ということこそが重大なのである。党と党指導の構造そのものが問題にされなければならないのである。過去の誤謬をすべてスターリン個人とその崇拝に帰着させることほど、主体的でないやり方はない。それは裏返しの個人崇拝というべきであろう。『スターリン批判』を同時に党組織そのものの自己批判として、党員としてのおのれ自身の誤りの自己批判としてうちだすことが、なによりも大切なのである。そうでなければ、スターリン批判ではなく、たんなるスターリン非難となってしまうのだ。これは、退廃した共産主義者のやるべきことで、真のボルシェヴィストのやるべきことではない。」
 「もともと共産党の指導者はたんなる専政的独裁者ではなく、まさしく党組織の中核であるべきである。一指導者の誤謬と欠陥は、そのまま党組織全体の誤謬と欠陥にほかならず、後者の集中的な表現が前者にほかならないからである。専政的な一指導者が存在するということは、組織をになう個々人の人格とその尊厳が無視されていることを象徴するものである。ブルジョア政党やプチ・ブル政党ならともかく、いやしくもマルクス・レーニン主義武装したプロレタリア党においては、指導者と党、個人と組織、個人と主体は分離されてはならないし、また分離されるべきではない。けだし、プロレタリア革命の実現と社会主義建設をめざす共産党は、個人における全と個の分裂ばかりではなく、社会と個人との分裂、したがって階級対立そのものの徹底的な変革を目標とするのだからである。」
 「だからして、個人と組織との関係、党と指導者との関係は、まずもってマルクス・レーニン主義をおのれの世界観的支柱となす共産主義者共産主義者としての自覚にかかわる問題でなければならない。それは、『歴史における個人の役割』とか『歴史における人民大衆の役割』とかというような客体的かつ機能的な問題では決してないのだ。人民大衆と組織にたいする強い責任感と、階級的利害を貫徹するための自己犠牲的な精神を、つねに発揮しうるような個人となることこそが、まずもって大切なのである。そういう共産主義者としての自覚をもたないからこそ、党や組織をおのれの権力拡張のための手段として利用する非共産主義的な共産主義者があらわれたりするのである。もちろん、こういう『共産主義者』が組織のなかにあらわれるということは、同時に組織全体に欠陥があることをいみする。プロレタリア党においては、個人と組織、党と指導者とは、本質的には相即すべきはずのものだからである。創造的な党内闘争と鉄の規律、下からの批判と相互批判と自己批判こそが、理論上・実践上の対立やくいちがいを解決し、この相即を保証するのである。」
 「組織の強さの問題は、ただたんに鉄の規律の問題につきるのではない。それは、直接には、階級的にめざめ、組織をおのれの実存的支柱となす共産主義者ひとりひとりの自覚にかかわる問題である。けだし共産主義者としての主体的自覚のないところには、組織への参加も、組織活動も、本来ありえないからである。革命的実践を有効にみちびくための客観情勢の科学的認識や的確な判断も、こういう主体的根拠なしには、決して正しくなしえないのである。」
 まさにフルシチョフ=ミコヤン報告を共産主義者としての主体性の欠如であると激しく弾劾し、同時に前衛党のあるべき姿を明らかにしたのが同志黒田である。黒田は思ったに違いない。「労働者階級の前衛党であるべきソ連共産党がおかしくなっている!」と。だからこそそこまでソ連共産党がおかしくなっている根拠はなんなのか・すなわちスターリン主義とはなんなのかということを明らかにすることが黒田の課題になったのである。この黒田の追求がすっぽり抜け落ちているのは一体なにごとなのか? 「共産主義者の主体性」を黒田がどのようにして確立したのかを何も語らずに「世界でただ一人」「共産主義者としての主体性をかけて」という言葉を乱発するのは黒田を侮辱する行為ではなかろうか。すでに述べたようにそれは黒田を神格化するためにのみ使われているからである。
 (それにしても、今挙げた黒田の文章は今日の「革マル派」指導部の腐敗をそのまま照らし出しているではないか。彼らは「解放」諸論文への理論上の疑問や批判を一切無視抹殺し、党指導部に対する批判には官僚主義的恫喝で答えた。そればかりではない。18年には、今日探究派に結集している同志たちに暴言を吐きまくった最高指導部の一員○○の問題をまさしく彼個人の問題とし、最高指導部の責任は一切回避したうえで、彼を切り捨てたのだ。『スターリン主義批判の基礎』の内容にまったく触れないのは、すでに「革マル派」指導部が変質していたからなのであり、これに触れることは、ただちに官僚化していた自分たち指導部のことが問題にされると直感して忌避したに違いないのだ)。

 

4. 56年の同志黒田

 筆者は言う。「ハンガリー事件の勃発と同時に、わが黒田が決然たる態度をとりえたのはなぜか、それは、黒田において、スターリン主義の反マルクス主義的本質についての自覚がかちとられつつあったからにほかならない」「わが黒田は、一九五六年七月に対馬の『クレムリンの神話』を読んだことを契機として、ソ連邦の「スターリン社会」が社会主義ではないことを自覚し、スターリン主義の本質についての革命的理論的・かつ社会科学的探究に踏み出しつつあった」と。ここで言われていることはそれほどまちがってはいない。問題は次の文章である。
 「同時にそれまでの己を『哲学的には反スターリンであっても政治的にはスターリン主義の枠内にあった』と潔く断を下し、〈スターリン主義の超克〉をみずからの自己変革の闘いとして追求しつつあった。まさにそれゆえに黒田は、起ちあがったハンガリー労働者・人民の立場にたって、クレムリン官僚を弾劾したのである」
 ここでの問題は、ハンガリー動乱勃発までの、あるいはその後の(これについては後述する)黒田が陥ったニヒリズムについて何も語られていないことである。筆者は「もちろん、若き黒田が反スターリン主義の革命家として生き抜くという決断を下すには、『ほんの短い時間』であれ『薄暮の世界のなかでの……揺らぎ』があったと黒田じしんが記している。」と書きながら「しかしいまを生きるわれわれにとって大切なことは、黒田の決断、命がけの飛躍に学ぶ、いやわがものにするということだ。」としてこの問題を等閑に伏してしまっている。だが、それでは黒田のいう「命がけの飛躍」(もともとは太田竜が黒田を揶揄した言葉)を説明できない。
 「ところで、ハンガリア事件にたいしてこのような態度をぼく自身がとりえたということの前提となっているものは、対馬忠行の『クレムリンの神話』による思想変革であった。この本におさめられている諸論文は『スターリン批判』以前に書かれたものであって、そこではスターリン主義批判のための『社会主義』論=『労働証書の価値論的解明』が展開されている。スターリン主義そのもの、その政治経済的本質について、したがってこんにちのソ連邦の性格について、当時のぼくは理論的に未追求であり、その意味で依然スターリン主義者であった。『平和擁護運動』や『民族独立運動』をプロレタリア階級闘争の観点から位置づけ批判していた左翼スターリン主義者であった。だから、対馬忠行によるマルクスの『社会主義』論の解説を媒介として、スターリン主義者としての自分自身に決定的な打撃をあたえなければならなかった。スターリン主義批判は、こうして哲学の分野から社会科学の分野にまで拡大されていった。だが同時に、うちひらかれた新しい地平によこたわる学問的課題は、それ自体としても、あまりにも大きかった。しかも、漠としたおのれの視力は、追求されるべき学問的課題をますます茫漠たらしめ、そして結局においてつねに最後にのこるただの一点をめぐってしか思索は旋回しないようになってしまった。こうして必然的にスターリン主義にたいする政治経済学的批判への烈々たる意志は、次第に白濁の絶望へとふたたびひきもどされていった。」
 ここにソ連邦の政治経済的構造の解明をやるという烈々たる熱情に湧き立っているにもかかわらず、視力悪化のためにそれができない黒田の苦悩が赤裸々に表明されている。このような主体がハンガリー革命が勃発したときにそれを無条件で支持したのである。これが黒田がそれまでの反スターリン哲学者から反スターリン主義の革命家に飛躍するうえでの〈本質的転換〉であると私は考える。だが、黒田が「死んで生きた」と表現したところのものはその後のことではないかと私は思っている。どういうことか?
 確かに同志黒田は、ハンガリー革命勃発の報を聞いてそれを無条件に支持した。たとえソ連邦の政治経済構造が解明できなくても、スターリン主義に抗して立ち上がったハンガリーの勤労人民の立場に即座に立った。だが、そこでただちに黒田が反スターリン主義運動の創造を決意したかというとそうではない。
 「スターリン批判以後」という本に収録されている最初の論文に「『スターリン批判』とマルクス主義哲学」という論文がある。この論文の意味を考えることが黒田が反スターリン主義運動の創造を決断する「命がけの飛躍」を考えるカギになる。この論文、内容を読むと『スターリン主義批判の基礎』とあまり内容は変わらない。私は昔ある仲間から「この(論文を書いていた)ときの私は暗いんですよ」と同志黒田が語っていたことを聞かされたことがある。「このときの私は暗い」? いったいどういうことなのか? それはそのどき何が起こっていたのかを考えると明らかになる。ハンガリア革命へのソ連軍の第二次介入がその年の11月1日に始まっていたのだ(論文の日付は11月3日)。このソ連軍第二次介入によってハンガリア革命は徹底的に蹂躙され、決起した何万ものハンガリー勤労人民が血の海に沈められた。そしてクレムリン傀儡のカダール政権がでっち上げられたのである。「このときの私は暗い」と黒田が語っていたということは彼が再び「白濁の絶望」に引き戻されたことを意味する。
 だが!
 「でも『スターリン主義批判の基礎』などの若い読者が二人、三人と私のまわりに集まり始めたこと-、この事実はどんなに私を力づけてくれたことでしょう。五六年も暮におしつまってから、ようやくトロツキー耳学問がはじまったのでした。私自身の過去にふまえて、自己批判的に前進するために。……こうして「スターリン主義批判のたそがれ」(「現代における平和と革命」第二章の前半部分)を書き、スターリン主義者としてのこれまでの私自身を克服する第一歩をふみだしたようなわけです」(黒田寛一初期セレクション【上巻】「原水爆問題と私」。
 ここで同志黒田がトロツキーの『裏切られた革命』を耳読したことが決定的に重要である。ここではスターリン主義の本質=一国社会主義の虚偽が暴露されているからである。「スターリン主義のたそがれ」はこのことにふまえて書かれており、黒田が反スターリン主義運動を創造する決意を固める礎になったのは間違いない。私は思う。このときにタンクで蹂躙されたハンガリー勤労人民の魂がのりうつったのだ、と。スターリン主義者に牛耳られた国際共産主義運動は「非スターリン化」を求めて立ち上がったハンガリー勤労人民を血の海に沈めるまでにおかしくなっており、真実の前衛党を創造しスターリン主義を打倒しなければ全世界の労働者階級の解放はありえない。このような確信を黒田は獲得した。そうして反スターリン主義運動の創造を決意したのだ。これが現実的転換であるといえる。
 その後、同志黒田は太田竜、内田英世らと日本トロツキスト連盟(第4インター日本支部準備会)を結成し反スターリン主義運動を開始するに至る(その後、黒田が太田竜や西京司らの俗流トロツキストとの対決を通じて革命的マルクス主義の立場を獲得し、諸同志らとともに革共同第一次、第二次分裂をかちとったことについてはここでは割愛する。『革命的マルクス主義とは何か』所収の「後進国の優位性」その他を参照されたい)。

 

 いままで、自分がこれまで学習し、先輩諸同志に教えてもらって自分なりの56年の同志黒田の苦闘と飛躍について語ってみた。まだまだ不十分なところはあるだろう。だがしかし、「構築せよ」の筆者は’76年に出版された二冊の「ハンガリア革命資料集」も『革命的マルクス主義とは何か』所収の「後進国の優位性」も読んでいるとはまったく思えない。よくもこれで’56年の黒田を語れるものだ! 反スターリン主義運動の「原点」を打ち固めるとは反スタ運動を担っているおのれ自身が’56年の黒田にわが身を移し入れてその苦闘を追体験することにほかならない。なぜそうするのか? すでに述べたようにおのれ自身が’56年の黒田になり、自分一人からでも反スターリン主義運動を創造する決意を打ち固めるためなのだ! 「革マル派」神官どもよ! お前たちにそういう気概がひとかけらでもあるのか? ゼロだろう。「世界でただ一人」という言葉をバカの一つ覚えのごとく乱発し、黒田を神格化するにすぎないということは、「神」に祭り上げた同志黒田をかくれ蓑にして、官僚としての自己に安住するおのれを権威づけるためなのだ。そのような邪な目的のために’56年の黒田を利用するのは同志黒田への冒涜以外のなんであろうか!
 以上述べてきたように「構築せよ」は反スターリン主義運動の「原点」の確認に何らなっていない。いや、それは「原点」の破壊である。変質したおのれの甲羅に似せて’56年の同志黒田を語っているだけである。反スターリン主義運動の再創造はこのように堕落した神官どもを壊滅的に批判することからはじめなければならない。いまだに「革マル派」の内部にいる組織成員諸君。神官どもへの幻想を断ち、わが探究派とともにたたかおう!

 

※なお、この「構築せよ」の黒田礼賛のトーンは『黒田寛一著作集』に付された「プロレタリア解放のために全生涯を捧げた黒田寛一」の内容(「コロナ危機の超克」『革マル派の終焉』参照)にそっくりである。この「構築せよ」の筆者はこの「プロレタリア解放のために全生涯を捧げた黒田寛一」の筆者によって指導されたと思われる。このころから同志黒田の神格化=党組織の黒田信仰の宗教集団化の追求が、今日神官と化している「革マル派」最高指導部によって行われていたということである。
         (2021年4月3日 穂良田信汰)

われわれは内部思想闘争をどのように展開すべきなのか  第6回  われわれ自身の思想性・組織性・人間性を全面的にたかめなければならない

 5 われわれ自身の思想性・組織性・人間性を全面的にたかめなければならない

 

 わが組織を形態的にも実体的にも強化し確立していくための闘いにおいて、組織諸成員を思想的にも組織的にも人間的にも変革していくことの諸困難を打開するために、組織成員の組織成員としての資質を変革していかなければならない、ということが提起された。この提起にのっとって、われわれは、組織指導部を担うメンバーのなかにうみだされた指導者意識といったものを克服するための闘いを執拗におしすすめてきた。
 けれども、さまざまな・このような闘いにおいて、組織成員の組織成員としての資質を規定しているところの彼の人間的土台、この人間的土台の変革にやや重点をおきすぎる、という問題性もまた、この闘いのなかには部分的にはらまれていた、ということを、われわれは今日的に捉えかえさなければならない。


 組織成員の、感性や情緒がとぼしいという傾向を打開するために、音楽を聴いたり小説や詩を読んだりすることを促す、ということは必要なことではある。私も、おのれの感性的な欠損を克服するために、そのように努力してきた。
 けれども、組織成員としての感性を豊かにすることは、同志との相互変革的な思想闘争を全霊をかけておこない、同志を変革するとともに自分自身もまた殻を破りえたことに喜びを感じ、同志としての同一性と信頼をたかめえたことを体感すること、このことにおいて真になしうるのだといわなければならない。
 このような思想闘争は、われわれが、同志とのあいだでくいちがいやわだかまりやまた相手への否定感を感じた問題にかんして、どこでどのように行き違いが生じたのか、あるいは否定感を抱いたのか、ということを明らかにするために、過去の会話や文書のやり取りやまた過去的な組織的現実に立ち戻って、その現実の認識を――自分をさらけだすと同時に相手に食いさがって――つきあわせ、相互に相手の理解を深めることを基礎にして実現することができるのである。
 このように泥まみれになって同志との思想闘争をおこなう、このような資質を獲得することとして、組織成員の組織成員としての資質の変革はなしとげられなければならない。


 同志黒田寛一が組織を牽引し、彼が実践的・組織的・理論的の諸問題を理論的に解明することに他の組織成員たちが依存しているかぎりにおいて、組織的連携の悪さというような・組織成員の組織成員としての資質上の欠陥に力点をおくかたちで組織成員の変革を追求することは、破綻をあらわにしなかった。組織が変な方向にいかないように、同志黒田が引っ張っていってくれていたからである。

  だが、これでは、同志黒田寛一亡きあとには、たちまちのうちに組織は反スターリン主義組織でなくなってしまうのである。同志黒田のように・わが組織が直面する実践的・組織的・理論的の諸問題を理論的に解明するだけの理論的=論理的・組織的・人間的の諸能力をもった組織成員が育っていないからである。自分の頭で考える組織成員が育っていないからである。

 

  われわれは、わが組織を形態的にも実体的にも強化し確立するために、組織諸成員を実践的にも思想的にも組織的にも人間的にもトータルにたかめるための思想闘争をねばり強くおこなうのでなければならない。
 組織成員の組織成員としての資質を変革するための組織的闘いにかんして言うならば、まさに、原田のような人物を根本からたたきなおす闘いというかたちで、われわれはこれを実現しなければならない。
 黒田寛一・あるいは・彼を神輿に乗せてかつぐ自分たちを批判する者は、どんな屁理屈をこねてでもやっつけて排斥する、というような資質を、組織成員としての資質のゆがみとしてあばきだし、その人物を変革するために思想的=組織的にたたかうことが、肝要なのである。自分の頭では現実を何ら分析することなく、他者が分析した内容を紹介し解釈することをもって、あるいはまた、自分にとって都合の良い報告をしてくれたメンバーの言を文章としてつづることをもって、現実の分析にとって替える、というゆがみを、組織成員としての思想上および資質上の問題としてとりあげ、その変革を促すことが必要なのである。
 原田を名のる人物を見るならば、われわれは、組織成員の組織成員としての資質としてどのような問題をとりあげるべきなのか、ということがおのずから明らかとなるのである。


 われわれは、彼に見られる組織成員としての資質のゆがみの変革をふくめて、われわれ自身を実践的にも思想的にも組織的にも人間的にも全面的に変革し鍛えあげていくために奮闘するのでなければならない。(この連載はここで終わり)
       (2020年10月27日   松代秀樹)

われわれは内部思想闘争をどのように展開すべきなのか  第5回  組織成員についてのイメージを壊しつくりかえていかなければならない

   4 組織成員についてのイメージを壊しつくりかえていかなければならない

 

 組織指導者は、偏向や誤謬をおかした組織成員から、彼が諸活動の現実をどのように認識しているのかということや、彼が何をどう考えているのかということを、なお聞きだしえていないことに気づくためには、自分自身が彼について抱いていた従来のイメージを壊しつくりかえることを意志しなければならない。この意志が弱いばあいに、いま・この場で偏向や誤謬をおかした組織成員を、彼について自己が従来から抱いていたイメージにもとづいておしはかり、これをもって彼の分析としてしまう、ということがあったからである。
 ここに言う組織成員にかんするイメージは、或る人物のうわさ話を聞いてその人の表情を思いうかべるとか、音楽を聴くと風景が浮かんでくるとかというような、具象的なものの表象とは異なる。それは、理論的=論理的なイメージというべきものである。

 

 或る組織成員の傾向にかんして存在論主義的イメージ主義というように特徴づけたとしよう。このばあいに、彼がもつイメージとは、何らかのものについての具象的なイメージではない。それは、一つの原理的なものを設定し、この原理からの存在論的展開を壮大なイメージとして描く、というようなものである。これは、理論的=論理的イメージというべきものである。
 これと同様に、われわれが組織成員についてのイメージを浮かべる、と言うばあいには、彼の組織活動や思想性・組織性についてのそれであり、彼がこれまでにおかした数々の失敗やきわめて特徴的な歪みのある活動の仕方などがイメージとして浮かんでくる、というようなものである。これは、失敗したときの彼の顔が浮かぶというようなものでもなければ、彼の失敗にかんする言語的に表現された文章が浮かぶというようなものでもない。そういうものではなく、彼の失敗や活動の仕方にかんしての・おのれの内に蓄積された概念的把握が一挙にまるごとのものとして――内言語でもってあらわされることもなく――浮かぶ、というようなものであり、これを他の同志に話すときには、丸めた毛糸をほぐしていくように言語的に表現していく、となるわけである。

 われわれは、対象的現実を分析したり、この現実を変革するためのわれわれの実践の指針を構想したりするときには、瞬時に、おのれの内に蓄積された概念的把握をもって考え、これをつみかさねるかたちで推論していくのではないか、と私はおもうのである。このときにわれわれのうちに浮かぶものを、理論的=論理的なイメージというように私は表現したのである。


 われわれは、これまで、感性が豊かではなくなかなか具象的なイメージがわかない組織成員にたいして、イメージを浮かべる訓練をするように促してきた。私もまた、そのように促されたひとりであった。
 けれども、私がいまここに言う理論的=論理的イメージにかんしては、論議されてこなかった。私は、いろいろと考えてきて、われわれは、ともにたたかってきている同志と組織的に論議するときには、彼についておのれが抱いている理論的=論理的なイメージを、いま場所的に、壊しつくりかえていくことが重要である、と考えるのである。
 組織成員についておのれが抱いている理論的=論理的イメージは、文章として言語的に対象化されたものとは異なるがゆえに、おのれの内で固定的な固着化したものになっていることを自覚するのは大変なことなのである。


 これを壊しつくりかえていくためには、われわれはあくまでも、行為的現在において、彼の諸活動と彼自身を、その物質的基礎をなす組織的現実および階級情勢との関係において、場所的に分析することが肝要なのである。
       (2020年10月27日   松代秀樹)

われわれは内部思想闘争をどのように展開すべきなのか  第4回   組織的諸活動の認識につねにたちかえりつつ組織的に論議すべきである

     3 組織的諸活動の認識につねにたちかえりつつ組織的に論議すべきである

 上にのべてきたことを教訓化するならば、われわれは、わが組織および組織諸成員の思想的・組織的・人間的の同一性をたかめていくためには、組織会議および個別的な論議において、われわれが組織的にくりひろげた諸活動の認識につねにたちかえり、組織諸成員のその認識をつきあわせ、それを組織的に集約し、その諸活動の全体構造を明らかにするとともに、その認識上の組織的同一性を創造すること、このことを基礎にするかたちで組織的に論議しなければならない、ということである。
 われわれは、組織として同一性を創造することを基礎にして組織的闘いをくりひろげるのであり、組織諸成員はその一端を担うのであるからして、組織的にくりひろげられた組織的闘いの現実は、この現実にかんする組織諸成員のそれぞれの認識をつきあわせ集約することを基礎にしてはじめて、これをわれわれは明らかにすることができるのである。


 唯物論の立場にたつわれわれは、このような組織的な論議を基礎にして、われわれの組織的闘いの現実そのものを認識するのであり、この認識にかんしての組織的同一性を創造するのである。
 このことをわれわれは、「組織的闘いの□B〔□のなかにBを書く。シカクノビーと読む。物質的現実をさす。ここでは組織的闘いの現実をさす〕の思惟的再生産についての組織的同一性を創造する」とよんできたのである。口頭で会話するときには、簡単に「□Bを確定する」と言い表してきたのである。


 だが、このことを組織的に実現することはなまやさしいことではないのである。すでにのべてきたように、偏向や誤謬をおかしたとつきだされた組織成員を批判する組織成員たちがおこなったところの現実の思惟的再生産の内容がただしいものとして、組織的に普遍化されたことが多々あったからである。


 このような傾向を突破することが、われわれの組織的課題をなすのである。
       (2020年10月27日   松代秀樹)

われわれは内部思想闘争をどのように展開すべきなのか  第3回    対立する組織成員の双方から、諸活動の現実の認識を聞かなければならない

 2 対立する組織成員の双方から、諸活動の現実の認識を聞かなければならない

 

 上にのべてきたことは、組織の諸機関や単位組織において組織成員間の対立が発生したときには、組織指導者は、その双方から、相手への批判を聞かなければならない、ということでもある。


 組織が組織として組織的にとりくんだ組織的な諸活動の総括において、しばしば組織成員間の対立が発生した。
 組織指導者は、当該組織の組織会議に参加したのではないばあいには、対立する組織成員のどちらかから最初に報告をうけた。危機意識を強く持った組織成員の方が急いで・生起した組織的事態を組織指導者に報告しようとすることにも規定されるのであるが、組織指導者は、最初に聞いた組織成員からの報告の内容でもって、生起した事態の像を描くことがあった。このようにして自己のうちにつくりだしたもう一方の側の組織成員にたいする批判の内容にもとづいて、組織指導者が、当該の組織成員と話すにさいして彼への批判からはじめた、ということがあった。こうすることによって、批判されたその組織成員は、何について何を言われているのかわからず、言われている言葉だけは反映しても、そうしたのがおかしいと言われているのか、そうしていないじゃないかと言われているのかがわからず、いま言われているずっと以前のところで、自分のどの言動をどう認識してこういうことが言われているのかと頭をまわし、何か言われていることが深刻なので〝ちょっと待ってください〟とさえも口をはさめない、となってしまった。相手のこの態度を見て、組織指導者は、相手への自己の批判の内容を何ら疑うことなく、この内容を組織的に普遍化した。
 こうして、組織全体としても、最初に組織指導者に報告した組織成員による・生起した組織的事態の思惟的再生産の内容が、生起した組織的事態の組織的な思惟的再生産として、この内容を基礎にするかたちで組織的論議がなされた。

 

 今日からふりかえるならば、このような、一方の組織成員の側からする・事態の思惟的再生産は一面的なものであった、といわなければならない。他方の側の組織成員が、事態をどのように認識しているのか、そして彼がどのように考えているのかを、彼自身から聞きだし、組織的に明らかにしえてはいないからである。


 すべての組織成員は、組織討議の場の空気を読みそれに合わせる、というのではなく、他方の側の組織成員から事態についての再生産と考えを聞きだしえていないことに気づき、それを明らかにするための論議をおこなわなければならない。論議の流れに抗して発言することは大変であるけれども、そうしなければならない。


 ここに言う・他方の側の組織成員は、同志たちからつきつけられる・事実の思惟的再生産の内容とおのれのそれとの違いに耐えられなくなって抗弁する、ということにとどまるのではなく、他のすべての同志を相手にしてでも、生起した組織的事態にかんするおのれの認識の内容を明らかにして組織的に論議しなければならない。


 このような論議を保障することが、わが組織の生命線をなす、と私は考える。
       (2020年10月27日   松代秀樹)

 

われわれは内部思想闘争をどのように展開すべきなのか  第2回 問題だと思う相手と直接に討論しなければならない

二 組織討議はいかにあるべきか


  1 問題だと思う相手と直接に討論しなければならない

 

 同志黒田をかついだ組織指導者たちの政治主義的ふるまい固有の問題については、ここではふれない。まともにおこなわれた組織論議にはらまれている問題を組織建設論的および認識論的にえぐりだすことが、ここでの課題である。


 組織指導者は、何か問題があると自分が感じている相手である同志にかんして、他の同志からの報告をもとにして自己のうちにつくりだした当該の同志の諸活動や思想性および組織性についての認識をそのままにするかたちで、その同志を批判してはならない。だから、その批判の内容の当該の同志への伝達を他の同志に頼むにとどめてはならない。
 もちろん、組織指導者は、個別的にあるいは組織論議において、さまざまな同志たちから報告をうけて論議するのであるからして、その場でいろいろと聞きだし自己の判断をのべるのは当然のことであり、そうしなければならない。問題は、その場にはいない・組織指導部を構成する同志の組織指導や諸活動にかんして、その場の同志(たち)から批判がだされたり不満や反発が表明されたりしたときのことである。そのときには、組織指導者は、十分に論議して・だされた問題を切開したうえで、問題となった指導的同志と直接に討論しなければならない。その指導的同志の問題は、組織指導部そのものの問題なのだからである。
 直接的なことがらとしても、当該の指導的同志が、自己の組織指導や諸活動にかんして、したがって同時に、自己が指導した同志たちや自己が諸活動をくりひろげた場にかんして、どのように認識しているのかということは、彼に指導された同志たちや彼の諸活動を見聞きした同志たちから報告を聞いただけではわからないのである。聞いた内容は、一方の側からの認識ということになるのである。それを聞くことは重要なことなのであるが、同時に、その指導的同志が諸活動の現実をどのように認識しているのかを、彼自身から聞くことが肝要なのである。
 これは、あたりまえのことである。だが、このあたりまえのことを自己に貫徹するのは大変なのである。


 また、組織指導者に報告し論議した組織成員は、それによって得た内容を錦の御旗にして、自己が批判や不満や反発を抱いている指導的同志にたちむかってはならない。あくまでも彼は、その論議によって得た内容をおのれ自身の主体的な判断にねりあげ、相手の指導的同志と討論しなければならない。これもまた、あたりまえのことである。


 さらに、組織指導者は、自分への批判や不満や反発をもらした同志がいたということを、他の同志から聞いたときに、それによって得た認識をそのままにして、当該の同志を批判してはならない。あるいはまた、組織指導者は、同志から自分への批判を直接にうけたときに、その同志についてこれまで持っていた認識をそのままにし・その認識にもとづいて、その同志を逆に批判してはならない。伝え聞いたのであれ直接に聞いたのであれ、その同志の批判を、その物質的基礎との関係においてふりかえり考察しなければならないのである。その同志の批判を鏡として、自分自身がどのように組織的に論議し指導したのか、ということをふりかえらなければならない。かつてとは異なる〈いま・ここ〉という組織的現実と階級情勢のもとで、自分へのその同志の批判が提起されているのだからである。


 他面では同時に、組織指導者に疑問や批判をもったときには、組織成員は、勇気をふりしぼって、それを提起しなければならない。これはたやすいことではない。だが、そうしなければ、わが反スターリン主義組織を反スターリン主義組織として創造し確立することはできないのである。私は、いま、その拠点をおのれ自身に創造するために、この文章を書いているのである。
       (2020年10月27日   松代秀樹)

 

われわれは内部思想闘争をどのように展開すべきなのか 第1回            「古モンゴロイド」をめぐる論議の不思議

 われわれは内部思想闘争をどのように展開すべきなのか


 一 「古モンゴロイド」をめぐる論議の不思議


  批判はなされていた!

 

 同志黒田寛一が『実践と場所』全三巻のいろいろな箇所において、古モンゴロイドといった人類の形態を想定した展開、すなわち、約三十万年前に日本列島に住みついた古モンゴロイドが今日の日本人の祖先となった、という論述をおこない、これに反する研究を紹介している本を読んでも、彼のこのイメージが変わらなかった、ということについて、私は別の名前で、二年余り前に論じた(『現代の超克』)。これを組織論議におきかえたばあいには、きわめて大きな問題となる、と私は考えたからである。
 だが、事態はそれにとどまるものではなかった。
 私は、その論述を本として出版したあとに、同志黒田の古モンゴロイド想定説にたいする批判がすでに出ている、ということを、探究派の同志たちから教えられた。
 そうすると、『実践と場所』第三巻の末尾にある「附記」は、その批判への同志黒田の返答をなす、ということになる。
 その「附記」は次のものである。
 「三人種への分化を約十四万年前としたのであるが、瀬名英明・太田成男著『ミトコンドリアと生きる』(角川書店)の研究によれば間違いであることが確認されうる。こうした新しい研究から学ぶことは今後の私の課題である。」(第三巻、八一三頁)
 同志黒田のこの反省は、きわめてわかりにくいものである。自分にたいしてどのような批判がなされたのかの紹介も、その批判に自分がどう答えるのかの展開もないからである。
 しかも、この「附記」そのものの内容が意味不明なのである。ネグロイド(黒人)・モンゴロイド黄色人種)・コーカソイド(白人)という三人種への分化を約十四万年前としたのであるならば、約三十万年前に日本列島に住みついた古モンゴロイドとはいったい何者なのか、ということになるのである。古モンゴロイドが日本列島で三人種に分化したのか、ということになってしまうのである。また、そうであるならば、古モンゴロイドは日本人の祖先であるばかりではなく、現存する全人類の祖先である、ということになってしまうのである。
 だから、「附記」の反省は、これを本文での展開との関係においてとらえかえすならば、論理的に成り立たないものなのである。
 このことはともかくとして、古モンゴロイド想定説への批判は、「唯圓」という匿名の人物が、こぶし文庫の本に挟まれている「場」に投稿したものであった。「場」の第16号(二〇〇〇年一〇月一六日刊)に掲載されている「『実践と場所』第一巻について」という表題の文章が、それである。
 唯圓は次のように書いている。
 「五五六頁「ヤポネシアに約三〇万年前から住み着いた古モンゴロイドが…縄紋…」および五五八頁「ネアンデルタール人が…クロマニヨン人に発達」というのは、一昔前の定説だがすでに否定されていることをご存じか。縄文人弥生人などの旧新モンゴロイドを含む現生人類(クロマニヨン人=新人)のmt-DNAの面での共通祖先は一五万年前のアフリカに発し、一〇万年前、各地に拡散、ネアンデルタール人旧人)が最終氷河期の厳寒を乗り越えられずに絶滅した後に入れ替わった、つまり日本列島に三〇万年前にヒトがいたとしてもそれは断絶種で縄文人の祖先ではない、ということ。「…クロマニヨン人に発達」のようないわば連続的発展観ともいうべき現象論は、KKが予言したような、初期の柴谷篤弘(『現代唯物論の探究』三八一頁)を先頭とする実体論的遺伝学の勃興によって突破されています。予言者にその的中の報告をお返しする、という目明きなら誰でも可能な責務を果たす者が近辺に誰もいない、ことこそが「不運」(二〇一頁)というべきか。いやいや、「おのれの内に潜在する『仏性』」(二一四頁)をば偉大な存在のうちに実在化してしまい自ら眠り込まされてしまう、つまり自分の頭では何も考えない、ようになってしまう、という宗教的自己疎外、この本書の目玉の実例を見てとるべきなのでしょうか。」
 唯圓は、『実践と場所』第二巻についても同様の批判を、「場」第18号に寄せているのであるが、それを引用するまでもないであろう。
 唯圓のこの批判は正しい。この批判が正しい、ということは、『ミトコンドリアと生きる』という本一冊を読めば、たちどころにわかる。
 それにもかかわらず、同志黒田が、三十万年前の古モンゴロイドを想定する自説を否定しなかったばかりではなく、唯圓の批判の内容も、読んだ本の内容も紹介しなかったことは、私には不思議なのである。
 この古モンゴロイドをめぐる論議の推移の不思議さは、これに尽きない。唯圓のこの文章の後半には少々いやったらしいものが露骨ににじみだしていることに激昂したのか、組織指導者とおぼしき人物が、黒田への批判者は何が何でもやっつける、という一心で、唯圓への反論を書いているからである。このような人物を、黒田のエピゴーネンとか、黒田のちょうちん持ちとかと言ってしまうと、同志黒田を汚すことになってしまう。このような人物は、黒田を神輿に乗せてかつぐ人物、神輿かつぎというべきであろう。

 

  黒田への批判者はやっつけろ、という焦燥感と気負い

 

 「場」第17号(二〇〇一年一月二〇日刊)に、「東京 会社員 原田耕一 58歳」を名のる人物の「『場』16号の唯圓氏の投稿に応えて」という投稿が載っている。この人物は、その文体と内容からして、いまは神官となっている・革マル派の指導的メンバーである、と推断しうる。
 原田は言う。
 「唯圓氏はミトコンドリア・イヴ説が今厳しい試練にあることをご存じか。mtDNAから分岐年代を算出する分子時計法は、「すべての動物で分子変化速度は一定」なる仮説を大前提にしている。だがこの仮説は古生物学の示す答と悉く矛盾している。根本が動揺し始めたのである。この事態はそもそも諸学の協同なしに人類史研究の前進はないことを示している。ところが唯圓氏は、颯爽と登場した新説を鵜呑みにしこれを振りかざして「黒田は旧い」と息巻くのだ。黒田氏が新旧諸説に論及する時常に「とされる」と表現するその意味さえ無視して。知識の洪水に溺れた「答人間」の浅はかと言わずして何と言うべきか!」
 いさましい。だが、論理と中身は空疎である。いや、ここにつらぬかれているのは、論点をすりかえて相手をたたく政治主義である。
 唯圓は、ミトコンドリア・イヴ説に依拠して、約三十万年まえの古モンゴロイドという人類の形態が日本人の祖先であるとする同志黒田の説を批判しているわけである。この唯圓を批判するためには、前者が誤謬であり、後者が正しい、ということを明らかにしなければならない。ところが、原田は、このような理論的=論理的作業を何らおこなっていないのである。
 もう何十年も前から、現生人類(ホモサピエンス)がどのようにうみだされたのかにかんして、二つの説が対立してきた。その一つは、世界の各地で同時多発的に原人からホモサピエンスがうみだされた、とする説である。もう一つは、アフリカで原人からホモサピエンスがうみだされ、その一部がアフリカを出て(第二の出アフリカ)東西に分かれながら世界各地にひろがった、とする説である。人体の化石の分析をとおして後者の説が有力になりつつあったのであるが、現代人のミトコンドリアのDNAの変異の研究がすすむことによって、現代のもろもろの人びとの祖先は一つに収斂される、ということが明らかにされたのである。ここに、後者の説は、実体論的に基礎づけられたのである。このことが、現代人はひとりのアフリカ女性から生まれた、というように象徴的に言い表された。これが、ミトコンドリア・イヴ説である。このような内容を、ミトコンドリア・イヴ説の実体的内実面とよぼう。
 さらにチンパンジーなどをも含めてミトコンドリアのDNAの変異の研究がすすんで、「人類および類人猿のミトコンドリアDNAの塩基置換速度は一定である」という仮説のもとに、現代人の祖先が一つに収斂される時期は、約十四万年前である、ということが、一九九〇年代に明らかにされたのである。これを、ミトコンドリア・イヴ説の年代測定面とよぼう。(新説は、この年代測定値にかんしてだけであって、ホモサピエンスのアフリカ起源説は、ずうーと以前からある。)
 原田が、仮説が成立しない、と言っているのは、この後者の側面たる年代測定の仕方に批判を加えただけのものであって、その基礎となる実体的内実面にかんしては、言及さえも、いや主張の紹介さえもしていないのである。
 このような批判は、まじめな学問的なものではなく、何か因縁をつけて相手をたたく、という政治主義的なものなのである。
 しかも、その年代測定面にかんしてからが、原田の批判は噴飯ものである。私は知らないのであるが、たとえ古生物学において原田の言うような研究があるのだとしても、そうである。人類の発生と進化の年代測定にかかわるミトコンドリアDNAの変異の研究は、人類と類人猿にかんするものであり、せいぜい千数百万年さかのぼるにすぎない。その研究において前提とされた分子変化の速度が、何億年も前に生存した古生物に妥当するはずがない。それは理論の適用範囲を超えるのである。太陽からの光線や紫外線やまた宇宙線の状況も違えば、大気や海の組成も違うのであり、生物個体やその細胞内のDNAの状況も、その生物が陸上で生活していたのか海で生存していたのかも、異なるのである。
 原田の主張は、理論とその物質的基礎、理論とその適用範囲、或る規定とそれが妥当する物質的現実ということを無視した非唯物論なのである。
 さらには、原田は、黒田の文章には「とされる」がくっついているではないか、と言う。たしかに、学者の見解や研究を紹介するときには、同志黒田はその文章の末尾を「とされる」というようにしめくくっている。だが、約三十万年前に日本列島に住みついた古モンゴロイドが日本人となった、というように論じるときには、同志黒田は、「とされる」という語を付加してはいないのである。これは、同志黒田の独自的見解だからである。このようなことを主張している学者はいないからである。ホモサピエンスの世界各地での同時多発説を主張する学者といえども、約三十万年前に生存していたのは原人である、と認識しているのであって、この時期の人類の形態を、ホモサピエンスという種のなかの一人種をあらわす「古モンゴロイド」とよぶことはないからである。
 原田は、話をすりかえたのである。唯圓は同志黒田の独自的見解を批判したのであったが、原田は、これを、黒田による学者たちの諸説の紹介の問題にすりかえたのである。原田は、徹頭徹尾、政治主義なのである。
 こうした諸問題の根源は、原田が唯物論の立場にたっていないことにある。問題になっているのは、現代の人類がどのようにしてうみだされたのかということであり、人類の進化というこの過去的現実をわれわれが分析することにある。だが、原田は、この過去的現実を決して自分の頭で分析しないのである。分析することを避けるのである。彼は、この現実の分析を、学者たちの諸説の紹介にすりかえるのである。
 原田は、唯圓にたいして、「知識の洪水に溺れた」と言う。とんでもない。唯圓の文章展開から推察するに、彼はたいして知識をもってはいない。わずかの知識を自分で再構成して、現代の人類の祖先はアフリカで生まれたのだ、というように、過去的現実を自分の頭で分析しているだけのことである。
 われわれは、過去的現実を直接に見ることはできない。人体の化石の研究や現代のもろもろの人びとのミトコンドリアのDNAの研究というような、学者たちの研究の諸成果を批判的に検討し再構成することをとおして、われわれは、過去的現実を、こうであった、というように概念的に把握するのである。われわれは、学者たちの研究の諸成果の批判的検討というかたちにおいて、現代の人びとからその起源へと、下向的に分析し=歴史的に反省するのである。われわれは、現代の人びとの起源を明らかにするという問題意識をもって、人類はこれに先行する動物からうみだされ・かつ人類として進化してきたのだ、というわれわれがすでに獲得している存在論的把握にもとづいて・この進化の物質的過程を分析する、というように分析対象を措定して、この物質的対象を分析するのである。
 われわれは、学者たちの研究の諸成果を知識として自分のものとするのではないのである。「知識の洪水」などというのは、知識の平面でしか物事を考えない者のたわごとである。黒田は文章の末尾に「とされる」をくっつけているのだ、などと誇らしげに言うのは、他者が分析した内容をなぞることをもって自己の論文としてきた者の、自己意識の表出である。こうした言辞は、われわれがいま直面している現実であれ、いまはもう過去となった現実であれ、自分の頭で分析することを意志しない者の他者非難である。
 このような人物が組織指導者として組織を指導すると大変なことになるのである。

 

  自分たちを批判した組織成員の排斥

 

 原田を名のる人物のような組織指導者たちは、同志黒田寛一が、限られた指導的メンバーのなかのさらにごく限られたメンバーとしか会えない身体的状況になって以降には、同志黒田の意を推察し、自分の汲んだ同志黒田の意を組織内に貫徹することを、組織的主体性であると考え、そのような組織指導をおこなってきた。
 組織指導部が同志黒田の出した方針を指導部のものとして組織会議で提起したときに、別の組織会議で、同志黒田が出したものであるとは知らずにその方針に反対した組織成員がいた、という報告を受けた指導的メンバーは、「あいつには組織的感覚がない。組織性がない。この方針は同志黒田が出したことはすぐにわかることじゃないか。そういうことも感覚せずに、この方針に反対するとは何だ」、と吐き捨てるようにつぶやいたほどであった。
 このような組織指導は、指導的メンバーたちが、同志黒田の意を推察しそれに従う、というかたちでおのれを律し、自分たちの出した方針に反対したり自分たちを批判したりする組織成員を、同志黒田の名において断罪し排斥するものである。
 このばあいに、指導的メンバーたちは、同志黒田や自分たちを批判した組織成員にたいして、そのメンバーの何らかの欠陥を見つけ出し・あるいは・こしらえあげ、そこを突く、というかたちでの批判をおこなったのである。そのメンバーの主張をトータルにつかみとり、この全体を、その物質的基礎との関係において考察する、ということを何らおこなわなかったのである。
 指導的メンバーたちは、問題だと自分たちがみなした組織成員にかんしては、彼の組織活動をグロテスクに描きあげた。
 当該の組織成員が遂行した諸活動は、彼の属する単位組織が組織として組織的にとりくんだ組織的闘いの一端を彼が担ったものである。したがって、彼を批判するためには、この組織的闘いの全体と彼の諸活動を、この組織的闘いが展開された場との関係において、われわれは思惟的に再生産しなければならない。このことをわれわれは、「□B〔□のなかにBを書く。シカクノビーと読む。物質的銀実をさす。ここでは組織的闘いの現実をさす〕を思惟的に再生産する」とか「□Bを確定する」とかとよんできた。「確定する」という表現をとったのは、組織的な諸活動はつねにかならず組織が組織として組織的にとりくんだものなのであるからして、諸組織および組織諸成員がどのように組織的に論議し、それぞれのメンバーがどのように活動したのかの全体構造を、組織的に論議してそれぞれのメンバーの認識をつきあわせ組織的に集約するというかたちで、明らかにしなければならなかったからである。
 自分たちを批判したメンバーを同志黒田の名において断罪した指導的メンバーたちは、組織的に遂行された諸活動のこのような組織的な思惟的再生産を決しておこなわなかったのである。
 彼らは、自分たちが批判したい相手である組織成員に不満や反発を抱いている組織成員からだけ事情聴取をおこなったのである。そして、このようにして聞きだした内容を事実そのものとみなして、これを相手にぶつけて断罪し、そして組織的に普遍化したのである。
 彼らは、相手から、相手が諸活動の現実をどのように認識しているのかを聞こうともしなかっただけではなく、このメンバーに不満や反発をいだいている組織成員を批判している他の組織成員からは事情聴取を、すなわち彼らが自分たちの諸活動の現実をどのように把握しているのかを彼らから聞くための論議を、決しておこなわなかったのである。
 このやり方は、原田が、現生人類がどのようにしてうみだされたのかの歴史的過程を自分自身では何ら分析しようとはしないばかりではなく、この過去的現実には何らの関心をも抱かず、どこからか引っ張りだしてきた古生物学者の研究なるものをもって唯圓を断罪したのと同じである。
 同一人物の、組織的に遂行された諸活動を問題にするさいのやり方と思考法が、学問的課題にかんして問題にするさいのそれとは無関係だ、ということはありえない。むしろ、前者の組織的諸活動を分析する思考法と他者断罪の仕方が、後者の学問的問題にも貫徹された、というべきであろう。
 同志黒田をかついだ自分たちを批判する者を排斥する指導的メンバーたちの根本問題は、彼らが唯物論的立場にたっていないことにある。組織が組織的にとりくんだ組織的闘いの現実そのものには何ら関心をいだかず、自分たちを批判する組織成員に不満や反発をいだいているメンバーたちの言にのみ耳をかたむけ、聞き取ったその内容を事実そのものとして実在化する、というのが彼らなのだからである。
 われわれは、ここから、組織討議にかんする教訓をみちびきださなければならない。
       (2020年10月27日   松代秀樹)