プロレタリア的聖人君子づくり主義の克服

 私は、反スタ運動を担う者や党員になる者は、一切のブルジョア的汚物を除去し、なんの欠陥もない人間にならなければならないのだ、というイメージをかつてから抱いていた。それは、黒田寛一の書物や「解放」を読んだり、「革マル派」の者から話を聞いたりしたことから抱いたのだと思う。私も、組織成員になるには、自分自身の性格などの内面、趣味、興味、感性などを、ブルジョア社会に生まれ生きてきて身についたもの=汚物として綺麗に除去しなければ、革命的共産主義者にはなれないし、「革マル派」の成員にはなれない・なってはいけない、と思っていた。完璧な人間、完璧なプロレタリアにならなければいけない、というイメージだ。こういうことを人間変革だと思っていた。こういう考えを持っていた私は、新たな組織成員として職場の組合員をオルグするというときにも、オルグ対象をそのような人間に変革することをしなければならないと考えていた。これはまさに、二〇二三年前半における私の若いメンバーとの向かい方に全面的に出ていたと思う。
 これらのことについて、先輩同志と私の間で討論したことを再生産しながら書いていく。
 先輩同志は「左翼フラクションを創造するために」という文章で、「自分の職場に党細胞を創造するためには、自分自身をあらゆる方面において全人間的にたかめなければならない。共産主義的人間としてたかめなければならない。これは、なお残存している小ブルジョア的なものをなくすとか、何か弱さや欠陥を克服するとか、また変な癖をかえるというようなこととかとは異なる、という気が私にはするのである。弱さや欠陥や癖はあってもいい、問題はそれを超えるかたちで自分のあらゆる能力をたかめることである、と私は思うのである。自分のいろいろな能力に凸凹があっていいわけである。凸凹がありつつ、そのすべての能力を格段にたかめることが必要なのである。職場に党細胞を創造するための端緒的な組織形態をなすグループを創造するときには、組織的な論議をとおして自己を変革した自分が一人でやるのであり、誰も直接に手伝うことはできない。そうなしうるだけの能力を自分自身が獲得しなければならない」、と書いているのだが、私はこれを読んで衝撃を受けた。共産主義的人間とはどういう人間であるべきか、という私のイメージとは違うことを先輩同志は提起していたからだ。先輩同志の言っているような人間では革命的共産主義者にはなれないし、批判される対象ではないか、と思っていた。
 この先輩同志の文章への感想で私は、「先輩同志の考えを読んで私は「そうなのか、そういう感じでいいのか」と思いました。このような受けとめで良いのかはわからないけれども。若いメンバーのオルグでも「彼にはちゃんと学習してもらってから」とか、ビラとかでも「ちゃんと作ってから組合役員らに見せよう」とか、グループのメンバーとすべき人たちを会議に呼ぶのも「ちゃんと条件が整って提起する話もちゃんと揃えてから」と考える私からすると、共産主義的人間に自己を高めるにあたっても、弱さ、欠陥、癖なども一掃しておかなければならないというように構えていたと思います。なにか完全な状態にしてからでないと次のことや先のことをすべきではないように感覚していたのだと思います」と書いた。さらに「先輩同志が書いたこのあたりのことは、黒田寛一も本や講演で語っているのでしょうか?」と私は書いたのだが、私は先輩同志の考えと黒田寛一の考え(「革マル派」の考え)に違いを感じた。
 これにたいし先輩同志は「このあたりの私の考えは、黒田寛一と相当違うと思います。違うということは、わが探究派でいろいろ論議し、『実践と場所』をも検討して、自覚してきたことです。黒田寛一は、欠陥や癖、これを規定している人間的資質をかえろ、と言います。そんなどころの話じゃない、職場で一人でわが組織をつくろうとすれば、自分に欠陥や癖や凸凹があっても、自分のあらゆる能力を飛躍的にたかめなければ始まらないじゃないか、というのが私の考えです。こう考えて、相次いで本を書き、職場で管理者とたたかってきたのです。向上心あるのみです。この向上心が、自己変革=自己否定の立場です。現在の自己を超えるのですから。死ぬまで向上心です」、と返答した。「欠陥や癖、これを規定している人間的資質をかえろ」、私のイメージはまさにこれだった。こういうことを、共産主義的人間・「革マル派」に結集する者に求められているのだ、と思っていた。かつて、こういう考えにたいして私は、なかなか難しいことだと感じながらも、それはおかしい考えだと感覚することもなく批判することもなく、この基準から外れているのであろう行動や考えをまだこの己が保持していることへの罪悪感や、仲間を裏切っていることになっているのではないかという罪の意識のような思いを抱いていたこともあった。共産主義的人間になるということは、世俗的なものを一切絶ち、どこかの僧のように修行するのと同じようなイメージを私は抱いていた。先輩同志は「君の自己変革の考え方・組織建設の考え方は、資質変革主義的な組織建設の仕方によってつくられたものと言えます。そして、それは、黒田寛一の組織建設の考え方にもとづいてつくられたものと言えます。五無人間をなおせ、というものがそれです。そして、これは『実践と場所』につらぬかれているものです。日本人としての礼儀や感性を重んじるものです。こういうものをその根底から克服する必要がある、と私は考えます。そういう大きな問題です」、と指摘した。私は、先輩同志が明らかにしている「日本人としての礼儀や感性を重んじるもの」という指摘を読んで、これは根深い思想問題だったのか、そういうことだったのか、革命的労働者党を建設するためにわれわれはこれを克服しなければならない、と感じた。
 人間的資質を変えることが自己変革だと思っていた私からすると、先輩同志が言う「この向上心が、自己変革=自己否定の立場です」という考えは衝撃だった。先輩同志は「今のおのれを超えようとしているでしょ、こうこうこういう人間に自分自身を飛躍させようと決意してるでしょ、それが自己否定の立場と言えると思うけど」と、どこかの論議で話していた。私は、この先輩同志の考えを聞いて、なにかつっかえていたものを取り払って前進できるような感覚を抱いた。先輩同志は、「職場で一人でわが組織をつくろうとすれば、自分に欠陥や癖や凸凹があっても、自分のあらゆる能力を飛躍的にたかめなければ始まらないじゃないか」と書いているが、私も「まさにその通り、なにも始まらない」と強く思った。黒田寛一の「人間的資質を変えろ」という考えは、修行僧や信者に求めるようなことであり、つまり、現実を変革するのだ、われわれ労働者の社会を創るのだ、まわりの労働者をどしどしオルグっていくのだ、という実践的な感じがしない。人間的資質を変えろ、ということを追求しても、具体的に自分が職場でどうやって運動をつくるのか・組織をつくるのか、職場のまわりの労働者はどんなことに苦しみ・しんどくなっていて、その労働者はどんなことを考え・どんなことを内面に抱いているのか、というほうへ自分の分析や実践が向くことはないと感じる。そういう意味で私は黒田寛一の求めている「人間的資質をかえろ」ではなにも「始まらない」と思った。
 先輩同志は、自身の本でも書いているように、実際に自分が賃金労働者として職場でまわりの労働者と論議し、経営側とたたかってきた。このことをふりかえった先輩同志は「向上心あるのみです」と述べている。こういう自己変革=自己否定の立場に立って先輩同志が実践してきた職場でのたたかいに触れ、私は自分の職場においてもこういう立場やかまえで実践していけばいいのだ、たたかいをつくっていけばよいのだ、とイメージが湧き、私自身、向上心を持って、つまり自己変革=自己否定の立場にたってたたかっていけるぞ、と感じ、そうやってたたかっていこう、と決意した。こういうことで私は、前進できるような感覚を抱いたのだ。
 私は「「資質変革主義的」と先輩同志は表現していますが、こういう考え・姿勢をおのれ自身だけではなく、オルグ対象、もう少し絞って言うと、自分のグループの成員にすべき相手にたいしても求めてしまうことになる、と私は思いました。いっしょに会議をやっているメンバーとして若いメンバーにかかわるときも、私は「資質変革主義的」に彼にかかわっていたといま思います。ゆえに、彼と学習をしないといけない、ということが前面に出ていたと思います」と書いた。まさに私は、オルグ対象と何らかの文献を読み合わせて学習しちゃんと思想的なことをつかませ、また、ブルジョア的汚物を除去させなければ、というかかわり方をしていた。共産主義的な思想をつかみ、また人間的資質を変えさせなければ、われわれの組織の一員にはなれないし、そうすることが彼を飛躍させることだと思っていた。だから私はこうふりかえって書いた。「さらに言うと、若いメンバーと論議して反応がよかったことを報告した会議において、先輩同志が、若いメンバーを構成員にして左翼フラクションを創造しよう、と提起した時、私はびっくりしました。つまり、「資質の変革」をした人、「資質の変革」をしつつある人などを左翼フラクションのメンバーとするのだ、と私はイメージしていたので、まだ「資質の変革」をやっていない人をフラクションメンバーにするという提起を聞いてびっくりしたのです。私からすると思いもしない提起でした」、と。人間的資質を変えさせた人間を集めて、職場の左翼フラクションを創造するのだ、というのではいつまでたっても職場でわれわれの組織を創造することはできないし、現に「革マル派」はこういうことで職場に組織や運動をつくれずに破綻していったのだ、と思う。
 私は、このプロレタリア的聖人君子づくりとでもいえる傾向を克服することを決意して、職場での闘いをくりひろげ、左翼フラクションを創造してきたのである。
          (2024年4月16日   真弓海斗)