〝〇〇〟はどこへいった?(その1)――「組織哲学」

 Where have all the flowers gone ?

 

 その昔、Where have all the flowers gone ? というフォークソングアメリカから発信され、全世界的にヒット、〝世界一有名な反戦歌〟といわれました。あのベトナム戦争の真っ只中でした。日本語題はもちろん「花はどこへいった?」。
 私が今とりあげるのは、〝花〟という言葉は全くそぐわない〝シンボル〟たちです。(怒りと悲しみなしには語れない話であることは同じかも知れませんが。)それでも「花はどこへいった?」という美しい歌を引き合いにだすのは、それが When will they ever learn ? という問いで結ばれているからです。〝いったいいつになったらその愚かさに気づくのか?〟――私はこの言葉を「革マル派」〇人組に支配される組織成員たちにとどけたい。

 

 革マル派建設の「絶対的基礎」としての「組織哲学」!?

 

 「革マル派」〇人組指導部が打ち出したものの、ほどなく行方不明となったシンボルの第一は「組織哲学」である。その理論的組織的意味を、わが探究派は当時、間髪を入れず暴き出した。

 

 「革マル派現指導部の変質・腐敗はとどまることを知らない。彼らは、二〇二〇年一二月[訂正 →二〇一九年一二月]の政治集会を機に、突如として「組織哲学」なるシンボルを打ち出した。――「われわれの組織哲学をつらぬこう!」と称して、「〈私が組織であり、組織が私である〉、このことを自覚するのみならず感覚にまで高めることにすべての同志が努力する。それが、わが組織を労働者階級の真の前衛党として打ち鍛えてゆくための絶対的基礎をなす。」(『新世紀』三〇五号 三八頁)――というわけである。「組織哲学」なるものは、その後も紙誌上で繰り返し叫ばれている。ここに革マル派現指導部の面々の追い詰められた心境が赤裸々に映し出されているではないか。
 そもそも同志黒田を先頭にしてわれわれが打ち鍛えてきた反スターリン主義の「組織論」ではなく、「組織哲学」なるものをことさらに打ち出したのは、なぜなのか。それは、彼ら現指導部が組織内思想闘争の官僚的抑圧と反対派の追放=「分派の禁止」に象徴されるおのれの組織支配を、反スターリン主義の組織論によっては決して正当化し基礎づけることができないことを意識せざるをえないだけではなく、その真実が発覚することを何よりも恐れているからである。同時にまた、彼らの没理論的で官僚主義的な組織指導の結果として生みだされている現革マル派組織の空洞化と瓦解の進展に脅え、組織諸成員たちをつなぎとめるために躍起となっているからである。……(『コロナ危機との闘い』一三〇~一三一頁)

 

 消えた「組織哲学」

 

  「革マル派」指導部が、組織内思想闘争そのものを忌避し恐れていること、組織成員たちになんとか組織への帰属意識をもたせたいと願望していることを示すものが「組織哲学」なる新たなシンボルであったといえる。ところが「革マル派」指導部は、その大事な大事な「組織哲学」を半年もたたずに隠蔽したのである!
 それは、わが探究派の『コロナ危機との闘い』の刊行によってその本質を的確に暴き出されてしまったからだけではない。わが探究派の革命的な思想闘争に直撃されて追い詰められた「革マル派」指導部が、新たな、そして最後の延命策を打ち出したことを意味するのである。このことについてもわれわれは、的確に暴き出しておいた。

 

 「しかし、その「組織哲学」も昨今は鳴りをひそめている。俗人化した官僚どもに支配された現存党組織をあがめ奉るのでは、さすがに胡散臭いというわけで、同志黒田を神格化し、組織諸成員は彼に「率い」られ「導か」れる存在としておのれを意識し、ともにこの組織=「黒田寛一の後継者」を守っていこう、というわけである。」(『コロナ危機の超克』所収「革マル派の終焉」一五八頁)

 

 「組織哲学」隠蔽の意味

 

 「革マル派」指導部(〇人組)は、同志黒田を神格化することによっておのれの共産主義者としての主体性の喪失を事実上自認し、それにふさわしく革マル派組織を〈黒田教〉信徒集団へと変質させたのであった。彼らがみずから鳴り物入りで打ち出した「組織哲学」をにわかに隠匿したのは、このような組織的変質の一表現である。
 それと同時に、革マル主義者としての確信も矜持も失った彼らは、運動上・組織上の危機に直面するたびに、組織成員たちを操作するための新しいシンボルのようなものを打ち出すことを習い性とするに至っている。そしてまさに、その都度にうちだすシンボルの反革マル主義的本質をわが探究派によって暴き出される毎に、コッソリと引っ込め誤魔化すということを、もはや常套手段とするにいたった。「組織哲学」の場合にもそうであるが、彼ら〇人組は、彼らの延命願望のこもったシンボルをうちだしては引っ込め・隠匿するという行為を繰り返さざるをえない羽目に追い込まれているのである。われわれは、彼らの自己保存本能にもとづくそのような行為を、今後一つ一つ暴き出していくであろう。

 

 腐敗した「革マル派」〇人組指導部を打倒しよう!

 

 「革マル派」〇人組指導部の支配のもとで苦悩する仲間たちよ!このような腐敗を許さず、〇人組指導部を打倒し、日本反スターリン主義運動の再生をかちとろうではないか。わが探究派とともに闘おう!

(なお、『黒田寛一著作集』刊行をもって、〈黒田教団〉への変質を完成させた革マル派を、われわれは「革マル派」と表記する。その変質そのものを暴き出した『コロナ危機の超克』所収の「革マル派の終焉」をぜひ検討していただきたい。)
    (二〇二一年八月二四日 椿原清孝)