また逃げるか! 「革マル派」官僚

 反「探究派」の狂信的大フィーバー


 

 「解放 」第2732~33合併号(2022年8月29日付)に、「革マル派」官僚は「第3回 われわれはスパイ集団=北井一味を許さない!」なる駄文(「座談会」形式)を打ち出した。よせばよいのに、元々あるかないかの「革マル派」の社会的評価も、まともな組織成員たちのわずかな〝信頼〟をも吹き飛ばすような、下劣な狂態を曝け出した。彼らはみずからが打ち出した「糸色」=〝内閣情報調査室か米CIAの末端の諜報員〟というドグマを答えとして、すべてを展開するという逆立ちアクロバットを演じて見せたのである! このドグマさえあれば、わが探究派をいかようにも罵ることが出来る、というわけである。しかも、わざわざ「座談会」の形式で繰り広げられた狂態は、「北井」や「椿原」にたいする個人攻撃にも満ち満ちている。「糸色=スパイ」・反「北井」「椿原」――彼らの諸発言は、すべてこの中心を回る、ゴミの旋風のようなものである。ありとあらゆる虚偽と欺瞞を、虚偽を敷衍(ふえん)した話を、繰り返し繰り返し唱えて、組織成員たちの判断力を麻痺させ、その頭脳に刷り込む、というやり方は、「組織哲学」の時にも、「パンデミック恐慌」の時にも彼らが繰り返してきた手法ではあるが、いまやその比ではない。それは、現「革マル派」のお家芸とでもいうべきものとなっている――まさにナチス流! それが自分で自分の首を絞めるような行為であるにも関わらず、彼らはそれでも我慢できないほど〝必死〟なのである。
 わざわざ言っておいてあげたではないか。――「われわれを何かと誹謗することはできよう。やりたいようにやればよい。それだけならまだしも彼らの品性の悪さを自己暴露するだけのことである。」(「探究派公式ブログ」8月23日付)
 組織をあげての反「探究派」・反「北井」「椿原」の大フィーバーによって、彼らは何を実現しようとしているのか!
 何のことはない、彼らの「生命線」=「糸色=スパイ」説の破綻を隠蔽し、この「糸色=スパイ」説によって辛くも支えられている「反革命北井一味」」という虚構を維持するためにのみ彼らは苦心惨憺しているのである!それだけのための妄言の数々につきあうほど、われわれはヒマでもないし愚かでもない、ということは、宣告しておいたではないか!

 

 「糸色=スパイ」説の破綻の取り繕い

 

 それにしても、あっけない破綻であった。サモサモらしいことを有ること無いことあげつらった挙げ句に、なんの根拠もなくデッチ上げた自説を、彼らは〝糸色は反論していない→スパイだということを本人が認めた〟などという子供だましの屁理屈で基礎づけようとしたのであった。こういう屁理屈以外の根拠はなにもないことを、自己暴露したのである。
 だが、それでは彼らの虚偽があからさまになる。繰り返し巻き返し、組織成員たちに刷り込むほかないというわけだ。〝答えから問題を解く〟式の結果解釈主義的思考を残している組織成員たちにはそれが一番有効だ、と思うほどに彼らは、組織成員たちを馬鹿にしていると同時に、そのわずかな反逆をさえ恐れてもいる。
 「糸色=スパイ」説の捏造をステップとした「北井一味」=「反革命」の烙印――これこそは、今日の「革マル派」の腐敗と転落を鮮やかに示す記念碑となった。だが、既に二〇一六年の時点で、彼らはこのような計略を練っていたのである!

 

 2016年には既に
   「スパイに操られる北井」説を考案していた!

 

 二〇一六年のある日、組織内で変質した指導部と闘っていた私は、「革マル派」指導部のHから申し入れられて、面談した。奇妙なことであった。(今日から言えば、この男は、二〇一二年末の、一種のクーデタで党の最高指導部になりあがった連中の一人である。)
 重要なことは、この時にこの男が同志北井の著作を持参していたことである。二〇一四年九月二〇日付で同志北井が西田書店から二冊の著作を公刊していたのである(『商品経済の廃絶』および『レーニンの格闘』)。
 男は言った。――「(北井は)金がないはずだから、こんな本を出せるはずがない。善意を装った第三者に、資金を援助され、操られているに違いない」と。
 事実は全く逆である。同志北井は、二〇〇八年以来の長時間のパート労働と持ち前の吝嗇(りんしょく)生活スタイルで蓄えた資金で著作を公刊したのである。だが、これでは金銭的負担が大きすぎる。引き続いて諸著作を刊行する計画をたてていた同志北井は、なんと、自身で「組版ファイル」を作成し、わずかな費用で出版する技術と方策を体得したのである! ――詳しくは『危機 現代へのマルクス主義の貫徹』(創造ブックス 二〇一五年十一月一日発行)の「この本を制作する私の電脳的諸作業」(六三頁~)を見られたい。(なお、「創造ブックス」とは彼個人のブランドであり、この時以降、彼はおのれの住所・電話番号・Eメールアドレスを社会的に公表して、執筆・出版活動をつづけた。「創造ブックス」での刊行は十六冊に及ぶ。)

 この同志北井の活動は、まさに革命家としての主体的確信と信念にもとづいて初めて可能となったものである。
 もとより「革マル派」最高指導部の座に胡坐をかき、精神的にも堕落しきった連中には、そのようなことが到底理解不能であったことには間違いない。だが、私と面談したHが、「北井は誰かに操られている」などと吹き込もうとした根拠は、それだけではない。

 

 トラウマとなった〝水木章子の乱〟

 

 同志北井は二〇一四年刊行の著作では、二〇〇八年以降に、彼が党中央に宛てたが完全に黙殺された意見書で既に示していた諸論文を公表した。一つをあげよう。「中国の政治経済構造の変質」(前掲『商品経済の廃絶』所収。なお創造ブックス刊『ロシア革命の教訓』(二〇一七年三月刊行)の「中国の政治経済構造を分析するために」(一〇頁~)は同じ論文である。いずれも「二〇〇六年草稿、二〇〇九年三月改稿」。)

 この論文において同志北井は、鄧小平のいわゆる「南巡講話」(一九九二年)を区切りとして中国経済スターリン主義的計画経済から国家資本主義経済へと転換したことを明らかにした。この論文は、同志黒田の死後に革マル派組織内で大いにもてはやされた「スターリン主義負の遺産の超克」論(葉室真郷が主導)に代わって、党中央が打ち出した「中国=ネオ・スターリン主義」論の誤謬を明らかにするものであった。明らかに当時の革マル派官僚たちは、この著作に打ちのめされた。このことを示す論文が、後に『革マル派五〇年の軌跡』第四巻(二〇一六年十一月)に掲載された「「市場社会主義」中国の反人民性」という「水木章子」署名の論文である。この論文を一読すれば、筆者が「ネオ・スターリン主義」という用語自体は残しているものの、同志北井の著作に学んで執筆したことが、歴然としていたのである! しかも、である。「水木章子」は、二〇一三年に当時の党中央指導部に懇願されて「スターリン主義負の遺産」論を否定し、「中国=ネオ・スターリン主義」論を打ち出した張本人だったのだから。そしてこれ以降は、「水木章子」の名で中国問題に関する論文が出されることはなくなった。代わりに中国経済に関する論文を書いた諸君の低水準と錯乱は、目を覆うばかりである。

 この一事が物語るように、同志北井の諸著作にたいして「革マル派」指導部の面々はとても太刀打ちできない、という〝確信〟を抱いたと言って良い。(そうでないというのなら、答えてみよ! ――ただの一度でも、同志北井のどの論文についてでも、彼らが批判論文を書いたことがあるか! いうまでもないことである。)
 そしてまさにこのことこそが、彼らが同志北井と理論的に論争しなくて済む方策を探し求めた根拠なのだ! 彼らは、同志北井の批判から逃げ、理論的に対応することだけは避けたい、という一心で屁理屈を探した。「北井は、善意を装った外部の人間に操られて反組織的な行動をとっている」という帰結は、まさに他にないものであった! このような予行演習の〝成果〟を生かして、このたびは「糸色望」に〝善意を装った悪意の第三者〟の白羽の矢をたてたのだ! なんと卑劣な! 「糸色」氏にとっては、迷惑至極であろう。

 

 革マル派」官僚は悪質な自己正当化をやめよ!

 

 「糸色=スパイ」説など、元々子供だましの屁理屈でしかない。しかも、そのような屁理屈によってしか、わが探究派の思想の弾丸から身をかわし自己を正当化するほかないのが、今日の「革マル派」官僚たちである。それが邪道でしかないことは、よほど頭脳と性根がおかしくなった人間以外にはすぐわかることだ。われわれはお前たちの狂態につきあうほど、お人好しではない。
 われわれは、堂々と王道をゆく。現「革マル派」指導部の腐敗を理論的・組織論的に徹底的に暴きだし続けるであろう。万に一つでも反論できるのであれば、やってみよ。

 「革マル派」官僚どもの支配のもとで苦闘する、なお革マル主義者としての矜恃をもつ仲間たちよ!
  「革マル派」現指導部を打倒しよう!
  (二〇二二年八月二六日 椿原清孝)