1956年の同志黒田――それはいかに論じられてはならないか。 『新世紀』287号「〈暗黒の二十一世紀〉を覆す革命的拠点を構築せよ」批判

  この『新世紀』287号所収の「〈暗黒の二十一世紀〉を覆す革命的拠点を構築せよ」(以下「構築せよ」と略する)は今日の「革マル派」指導部の腐敗が凝縮されているように私は感じる。いや、今日神官と化している「革マル派」官僚どもによる党組織の同志黒田崇拝への誘導=宗教集団化の追求のはじまりではないかと思う。反スターリン主義運動の「原始創造」を場所的に創造すると称してはいるが、同志黒田を神格化しその権威を利用して下部党員の上に君臨しているにすぎない彼らにそれができるわけがない。何のために56年の黒田の思想的展開を追体験するのか、ここからして狂っているからである。この論文では彼ら神官どもの反スターリン主義運動の【原点の破壊】を明らかにするとともに、56年の同志黒田の転回について自分なりに考えたことを書いておきたい。

 

1. 場所的立場の欠損=客観主義

 冒頭からダメである。
 「われわれは、本年、ロシア革命一〇〇周年を迎えた。一九一七年十月にレーニントロツキーボルシェビキに指導されたソビエトの労働者・農民の英雄的にして偉大なたたかいによって、ロシアのプロレタリア革命が実現された。だがしかし、この革命ロシアは、マルクス・レーニン主義を全世界プロレタリアートを裏切ったスターリンの手によって変質させられた。そしてスターリン主義ソ連邦は、一九九一年に〈アンチ革命〉ゴルバチョフ一派の手によって無惨にも崩壊させられ、その醜悪きわまりない歴史を閉じた。全世界の労働者階級の砦たるロシアのプロレタリア国家がスターリン主義者によって簒奪され、このゆえに必然的に崩壊した。まさにこのゆえに、ロシア革命から一〇〇年、そしてソ連邦崩壊から四半世紀の現代世界は、いまだに資本の鉄鎖から解放されざる労働者・人民の悲惨によって覆い尽くされているのである」(4~5頁)。
 まず、筆者はこのようにソ連邦崩壊までの歴史的過程をダラダラと語っているが、この文章のどこにアメリカをはじめとした帝国主義権力者どもや中国・ロシアの権力者どもによって、世界の労働者・人民が戦争と貧困に叩き込まれている現代世界に対する憤激があるというのだろうか? 同志黒田は『資本論以後百年』で語っている。
 「『資本論』というかの厖大な著作は、ただたんに、資本制生産様式とそれに照応する生産諸関係の本質を法則的に解明した単なる科学ではない。まさしく資本制生産様式の転覆、資本制生産関係の変革のために、かの『資本論』は書かれているのである。にもかかわらず、『資本論』以後一〇〇年の現時点においてわれわれは、なお、資本主義の最高発展段階としての帝国主義の世界に実存し、資本の鉄鎖のもとにあみこまれているわけである。かかる現実に対する明確な認識から、われわれは出発しなければならない。そればかりではない。一九一七年のロシア革命によって実現された社会主義ソ連邦は、スターリン主義的変質を遂げている。それは、マルクスレーニンが思いえがいた社会主義とはまったく似て非なるものとして存在しているのである。それは、ひとり現代ソ連邦にかぎられない。東ヨーロッパにおける、またアジアにおける、いわゆる『社会主義国』なるものは、マルクスレーニンが理論的に明らかにした社会主義社会やプロレタリアート独裁国家とは、まったく似て非なるものとして実存している。これが『資本論』以後一〇〇年の今日の歴史的現実なのである。まさにこのような歴史的現実の生きた直感から出発しなければならない。われわれは『資本論』発刊一〇〇周年を“記念”することではなくして、われわれがおかれているまさにかかる歴史的現実にたいする憤激から出発しなければならない。われわれは、一九六七年を、『資本論』以後一〇〇年目の現時点においてすらマルクスが思い描いた全世界のプロレタリアートの自己解放の実現がなしえていない、というこの歴史的現実にたいする憤激を組織化する時点たらしめなければならない」
 ロシア革命を記念するにせよ、56年のハンガリア革命を記念するにせよ、われわれは場所的立場に立たなければならないのだ。自らが置かれている現在の場所を変革するという実践的立場に立ってこそ、マルクスレーニン、そして黒田の学問的苦闘や格闘を現代を生きる己のうちにはじめて再生産することができるのだ。
 それにしても「スターリン主義ソ連邦は……このゆえに必然的に崩壊した」とか「まさにこのゆえに、ロシア革命から一〇〇年、そしてソ連邦崩壊から四半世紀の現代世界は、いまだに資本の鉄鎖から解放されざる労働者・人民の悲惨によって覆い尽くされているのである。」とは何だ! 何が「必然的に崩壊した」だ! 何が「このゆえに」だ! われわれはスターリン主義ソ連邦を打倒し第二革命を実現して真実の労働者国家につくり変えることができなかったのだ! このように捉えることは、反スターリン主義運動の使命からして当然のことではないか! われわれの使命は全世界のプロレタリアートの解放である! 全世界の労働者人民が資本の鉄鎖から解放されていないのは、反スターリン主義運動の力が未だに微弱だからだ! この現実に対する憤激から出発しなければはじまらない。場所的立場に立つとはそういうことだ。「革命的拠点を構築」する以前的に筆者自身が崩れているではないか。筆者にとって「いまだに資本の鉄鎖から解放されざる労働者・人民の悲惨」とは、ただ筆者の目の前に転がっているにすぎないのである。
 次の文章も同様である。
 「アメリカ、ヨーロッパ、日本において現代資本主義が再末期の姿をさらけだしているにもかかわらずその延命が許されているのはいったいなにゆえか。まさにそれは、ひとえにスターリン主義ソ連邦を崩壊させ〈革命ロシア〉を埋葬したゴルバチョフ一派どもの反革命的大罪、そして全世界のスターリン主義党の総転向によってもたらされたプロレタリア解放闘争の死滅のゆえなのだ」。
 「全世界のプロレタリアートの未来を切りひらく道は、全世界のプロレタリアートが現在的に〈血塗られたスターリン主義〉と主体的に対決し・その反マルクス主義的本質に目覚め、もって反スターリニズムの運動に起ちあがることによってのみ切りひらかれる」(6~7頁)。
 図式化するならばこの筆者はこのように考えていると言えよう。
 スターリン主義の崩壊→(必然的過程)
 反スターリン主義運動の道→(発展過程)
 (つづめて言うとこういうことだ。「わが党は唯一の前衛党なのだから、世界の労働者・人民はわが党のもとに集まれ!」)
二者択一的に筆者は頭を回していると言える。現時点において必要なのは、ソ連邦における第二革命を実現できなかったことにふまえ、ソ連邦崩壊後の転向スターリニスト党に指導された修正資本主義的な階級闘争をのりこえながら、彼らを革命的に解体するために奮闘することではないのか? 国際階級闘争の場に内在するわけでもなく、どこか高いところから国際階級闘争の法則性のようなものを論じているにすぎないのがこの筆者なのである。

 

2. 同志黒田の神格化

 「わが日本反スターリン主義運動は、一九五六年十月に勃発したハンガリー革命とこれへのソ連官僚の血の弾圧にたいして、世界でただ一人共産主義者としての主体性』をかけて対決した同志・黒田寛一によって創造された」(7頁)。
 筆者は一九七六年に発刊された二冊のハンガリア革命資料集を一度も読んだことがないようだ。このハンガリア動乱は国際共産主義運動に極めて深刻な影響を与えた。例を挙げるならば、アメリ共産党はこの事件の評価をめぐって分裂し、既存共産党内からもこのソ連軍の蛮行に対する非難を行う者が続出した。ユーゴスラビアのチトーはこの弾圧を必要悪として容認したが、カルデリは権力者としての立場からではあるがこの蛮行を弾劾した。第四インターは当然のことながら、弾劾の声明を発表した。国際共産主義運動がこのように大動揺に陥っているときに、日本においてはほとんど弾劾の声が起こらなかった。日本共産党クレムリンの声明をオウム返しにするだけで、弾劾の声を上げたのは黒田を除けば高知聡などの少数の人々しかいなかった。日本においてはトロツキズムの伝統は全くなかったからである。
 こういうなかで、同志黒田は日本においてハンガリア革命と対決したのである。特筆されるべきなのは、トロツキズムの伝統がない日本において黒田がそれまで培ってきた唯物論者としての主体性を貫徹する形においてハンガリア動乱と対決し、さらに俗流トロツキストとの対決を通じて革命的マルクス主義の立場を獲得することにより世界に冠たる反スターリン主義運動を開始したということだ。「構築せよ」にはこれらのことは何一つ出てこない。ハンガリア動乱との対決の「質」こそが問題なのである。
 同志黒田を神格化することによって、ここでは何が問題になるか。それは五六年の黒田の格闘を追体験することにより、反スターリン主義運動の原始創造をわがものとする。いいかえるならば、一人一人が五六年の黒田になって反スターリン主義運動を一人からでも創造する立場に立つ。このことがすっぽり抜け落ちることなのである。つまり、筆者は反スターリン主義運動の六〇年以上の成果に安住し、その上に立ってすべてを評論しているにすぎないのだ。いや、黒田を神格化することによって、官僚化した己の権威づけをもうこのときからすでに開始しているというべきである。
 「第二章 ロシア革命一〇〇周年と現代世界」にはスターリン主義者の歴史的犯罪と五六年以降の革マル派のそれに対するたたかいが歴史主義的に展開されている。これは黒田を神格化するための道具立てにすぎない。スターリン主義の歴史的犯罪について述べたければ、それについてのみ述べればよい。革マル派がそのときどきにおいてこのようにたたかってきたと論じたところで、ソ連スターリン主義官僚専制国家を打倒し第二革命を実現できなかったということは変わらない。反スターリン主義運動のこれまでの成果に安住しているからこそ、こういう論じ方になるのである。

 

3. ご都合主義的な56年の同志黒田の論じ方

 「第三章 わが反スターリン主義運動の原始創造を!」で筆者は56年の同志黒田について論じている。ここでの最大の特徴は『スターリン主義批判の基礎』の「組織と人間」の内容に一切触れていないことである。このことは今日の「革マル派」指導部の腐敗を語る上で、極めて象徴的なことであると言える。
 56年に入り、三浦つとむから「今死ぬのはよしなさい。近々大変なことが起こる!」と聞かされたあとに世界を揺るがす大ニュースとなったのが、スターリン死後の党内権力抗争を勝ち抜いたフルシチョフ一派が行ったソ連共産党第二〇回大会報告であった。この『スターリン主義批判の基礎』の「組織と人間」で、スターリンによる自己に対する個人崇拝の煽りたてと大粛清に象徴される政策上の誤謬をフルシチョフ=ミコヤンが「スターリン個人」の問題にのみ帰着させて非難していることを黒田は満腔の怒りを込めて弾劾した。
 「個人崇拝の傾向がうまれたということは、ただたんに崇拝される個人にだけ責任を帰すべきではない。むしろ、そういう傾向を勇敢にたちきることができなかった党組織そのものの責任こそが重大なのである。党組織そのものに欠陥があったからこそ、民主集中制がうしなわれ、党内闘争が排除され、党指導の家父長制がうまれ、党指導者の専制が正当化され、またそうすることで必然的に党指導者への物神崇拝が生まれたのだ―ということこそが重大なのである。党と党指導の構造そのものが問題にされなければならないのである。過去の誤謬をすべてスターリン個人とその崇拝に帰着させることほど、主体的でないやり方はない。それは裏返しの個人崇拝というべきであろう。『スターリン批判』を同時に党組織そのものの自己批判として、党員としてのおのれ自身の誤りの自己批判としてうちだすことが、なによりも大切なのである。そうでなければ、スターリン批判ではなく、たんなるスターリン非難となってしまうのだ。これは、退廃した共産主義者のやるべきことで、真のボルシェヴィストのやるべきことではない。」
 「もともと共産党の指導者はたんなる専政的独裁者ではなく、まさしく党組織の中核であるべきである。一指導者の誤謬と欠陥は、そのまま党組織全体の誤謬と欠陥にほかならず、後者の集中的な表現が前者にほかならないからである。専政的な一指導者が存在するということは、組織をになう個々人の人格とその尊厳が無視されていることを象徴するものである。ブルジョア政党やプチ・ブル政党ならともかく、いやしくもマルクス・レーニン主義武装したプロレタリア党においては、指導者と党、個人と組織、個人と主体は分離されてはならないし、また分離されるべきではない。けだし、プロレタリア革命の実現と社会主義建設をめざす共産党は、個人における全と個の分裂ばかりではなく、社会と個人との分裂、したがって階級対立そのものの徹底的な変革を目標とするのだからである。」
 「だからして、個人と組織との関係、党と指導者との関係は、まずもってマルクス・レーニン主義をおのれの世界観的支柱となす共産主義者共産主義者としての自覚にかかわる問題でなければならない。それは、『歴史における個人の役割』とか『歴史における人民大衆の役割』とかというような客体的かつ機能的な問題では決してないのだ。人民大衆と組織にたいする強い責任感と、階級的利害を貫徹するための自己犠牲的な精神を、つねに発揮しうるような個人となることこそが、まずもって大切なのである。そういう共産主義者としての自覚をもたないからこそ、党や組織をおのれの権力拡張のための手段として利用する非共産主義的な共産主義者があらわれたりするのである。もちろん、こういう『共産主義者』が組織のなかにあらわれるということは、同時に組織全体に欠陥があることをいみする。プロレタリア党においては、個人と組織、党と指導者とは、本質的には相即すべきはずのものだからである。創造的な党内闘争と鉄の規律、下からの批判と相互批判と自己批判こそが、理論上・実践上の対立やくいちがいを解決し、この相即を保証するのである。」
 「組織の強さの問題は、ただたんに鉄の規律の問題につきるのではない。それは、直接には、階級的にめざめ、組織をおのれの実存的支柱となす共産主義者ひとりひとりの自覚にかかわる問題である。けだし共産主義者としての主体的自覚のないところには、組織への参加も、組織活動も、本来ありえないからである。革命的実践を有効にみちびくための客観情勢の科学的認識や的確な判断も、こういう主体的根拠なしには、決して正しくなしえないのである。」
 まさにフルシチョフ=ミコヤン報告を共産主義者としての主体性の欠如であると激しく弾劾し、同時に前衛党のあるべき姿を明らかにしたのが同志黒田である。黒田は思ったに違いない。「労働者階級の前衛党であるべきソ連共産党がおかしくなっている!」と。だからこそそこまでソ連共産党がおかしくなっている根拠はなんなのか・すなわちスターリン主義とはなんなのかということを明らかにすることが黒田の課題になったのである。この黒田の追求がすっぽり抜け落ちているのは一体なにごとなのか? 「共産主義者の主体性」を黒田がどのようにして確立したのかを何も語らずに「世界でただ一人」「共産主義者としての主体性をかけて」という言葉を乱発するのは黒田を侮辱する行為ではなかろうか。すでに述べたようにそれは黒田を神格化するためにのみ使われているからである。
 (それにしても、今挙げた黒田の文章は今日の「革マル派」指導部の腐敗をそのまま照らし出しているではないか。彼らは「解放」諸論文への理論上の疑問や批判を一切無視抹殺し、党指導部に対する批判には官僚主義的恫喝で答えた。そればかりではない。18年には、今日探究派に結集している同志たちに暴言を吐きまくった最高指導部の一員○○の問題をまさしく彼個人の問題とし、最高指導部の責任は一切回避したうえで、彼を切り捨てたのだ。『スターリン主義批判の基礎』の内容にまったく触れないのは、すでに「革マル派」指導部が変質していたからなのであり、これに触れることは、ただちに官僚化していた自分たち指導部のことが問題にされると直感して忌避したに違いないのだ)。

 

4. 56年の同志黒田

 筆者は言う。「ハンガリー事件の勃発と同時に、わが黒田が決然たる態度をとりえたのはなぜか、それは、黒田において、スターリン主義の反マルクス主義的本質についての自覚がかちとられつつあったからにほかならない」「わが黒田は、一九五六年七月に対馬の『クレムリンの神話』を読んだことを契機として、ソ連邦の「スターリン社会」が社会主義ではないことを自覚し、スターリン主義の本質についての革命的理論的・かつ社会科学的探究に踏み出しつつあった」と。ここで言われていることはそれほどまちがってはいない。問題は次の文章である。
 「同時にそれまでの己を『哲学的には反スターリンであっても政治的にはスターリン主義の枠内にあった』と潔く断を下し、〈スターリン主義の超克〉をみずからの自己変革の闘いとして追求しつつあった。まさにそれゆえに黒田は、起ちあがったハンガリー労働者・人民の立場にたって、クレムリン官僚を弾劾したのである」
 ここでの問題は、ハンガリー動乱勃発までの、あるいはその後の(これについては後述する)黒田が陥ったニヒリズムについて何も語られていないことである。筆者は「もちろん、若き黒田が反スターリン主義の革命家として生き抜くという決断を下すには、『ほんの短い時間』であれ『薄暮の世界のなかでの……揺らぎ』があったと黒田じしんが記している。」と書きながら「しかしいまを生きるわれわれにとって大切なことは、黒田の決断、命がけの飛躍に学ぶ、いやわがものにするということだ。」としてこの問題を等閑に伏してしまっている。だが、それでは黒田のいう「命がけの飛躍」(もともとは太田竜が黒田を揶揄した言葉)を説明できない。
 「ところで、ハンガリア事件にたいしてこのような態度をぼく自身がとりえたということの前提となっているものは、対馬忠行の『クレムリンの神話』による思想変革であった。この本におさめられている諸論文は『スターリン批判』以前に書かれたものであって、そこではスターリン主義批判のための『社会主義』論=『労働証書の価値論的解明』が展開されている。スターリン主義そのもの、その政治経済的本質について、したがってこんにちのソ連邦の性格について、当時のぼくは理論的に未追求であり、その意味で依然スターリン主義者であった。『平和擁護運動』や『民族独立運動』をプロレタリア階級闘争の観点から位置づけ批判していた左翼スターリン主義者であった。だから、対馬忠行によるマルクスの『社会主義』論の解説を媒介として、スターリン主義者としての自分自身に決定的な打撃をあたえなければならなかった。スターリン主義批判は、こうして哲学の分野から社会科学の分野にまで拡大されていった。だが同時に、うちひらかれた新しい地平によこたわる学問的課題は、それ自体としても、あまりにも大きかった。しかも、漠としたおのれの視力は、追求されるべき学問的課題をますます茫漠たらしめ、そして結局においてつねに最後にのこるただの一点をめぐってしか思索は旋回しないようになってしまった。こうして必然的にスターリン主義にたいする政治経済学的批判への烈々たる意志は、次第に白濁の絶望へとふたたびひきもどされていった。」
 ここにソ連邦の政治経済的構造の解明をやるという烈々たる熱情に湧き立っているにもかかわらず、視力悪化のためにそれができない黒田の苦悩が赤裸々に表明されている。このような主体がハンガリー革命が勃発したときにそれを無条件で支持したのである。これが黒田がそれまでの反スターリン哲学者から反スターリン主義の革命家に飛躍するうえでの〈本質的転換〉であると私は考える。だが、黒田が「死んで生きた」と表現したところのものはその後のことではないかと私は思っている。どういうことか?
 確かに同志黒田は、ハンガリー革命勃発の報を聞いてそれを無条件に支持した。たとえソ連邦の政治経済構造が解明できなくても、スターリン主義に抗して立ち上がったハンガリーの勤労人民の立場に即座に立った。だが、そこでただちに黒田が反スターリン主義運動の創造を決意したかというとそうではない。
 「スターリン批判以後」という本に収録されている最初の論文に「『スターリン批判』とマルクス主義哲学」という論文がある。この論文の意味を考えることが黒田が反スターリン主義運動の創造を決断する「命がけの飛躍」を考えるカギになる。この論文、内容を読むと『スターリン主義批判の基礎』とあまり内容は変わらない。私は昔ある仲間から「この(論文を書いていた)ときの私は暗いんですよ」と同志黒田が語っていたことを聞かされたことがある。「このときの私は暗い」? いったいどういうことなのか? それはそのどき何が起こっていたのかを考えると明らかになる。ハンガリア革命へのソ連軍の第二次介入がその年の11月1日に始まっていたのだ(論文の日付は11月3日)。このソ連軍第二次介入によってハンガリア革命は徹底的に蹂躙され、決起した何万ものハンガリー勤労人民が血の海に沈められた。そしてクレムリン傀儡のカダール政権がでっち上げられたのである。「このときの私は暗い」と黒田が語っていたということは彼が再び「白濁の絶望」に引き戻されたことを意味する。
 だが!
 「でも『スターリン主義批判の基礎』などの若い読者が二人、三人と私のまわりに集まり始めたこと-、この事実はどんなに私を力づけてくれたことでしょう。五六年も暮におしつまってから、ようやくトロツキー耳学問がはじまったのでした。私自身の過去にふまえて、自己批判的に前進するために。……こうして「スターリン主義批判のたそがれ」(「現代における平和と革命」第二章の前半部分)を書き、スターリン主義者としてのこれまでの私自身を克服する第一歩をふみだしたようなわけです」(黒田寛一初期セレクション【上巻】「原水爆問題と私」。
 ここで同志黒田がトロツキーの『裏切られた革命』を耳読したことが決定的に重要である。ここではスターリン主義の本質=一国社会主義の虚偽が暴露されているからである。「スターリン主義のたそがれ」はこのことにふまえて書かれており、黒田が反スターリン主義運動を創造する決意を固める礎になったのは間違いない。私は思う。このときにタンクで蹂躙されたハンガリー勤労人民の魂がのりうつったのだ、と。スターリン主義者に牛耳られた国際共産主義運動は「非スターリン化」を求めて立ち上がったハンガリー勤労人民を血の海に沈めるまでにおかしくなっており、真実の前衛党を創造しスターリン主義を打倒しなければ全世界の労働者階級の解放はありえない。このような確信を黒田は獲得した。そうして反スターリン主義運動の創造を決意したのだ。これが現実的転換であるといえる。
 その後、同志黒田は太田竜、内田英世らと日本トロツキスト連盟(第4インター日本支部準備会)を結成し反スターリン主義運動を開始するに至る(その後、黒田が太田竜や西京司らの俗流トロツキストとの対決を通じて革命的マルクス主義の立場を獲得し、諸同志らとともに革共同第一次、第二次分裂をかちとったことについてはここでは割愛する。『革命的マルクス主義とは何か』所収の「後進国の優位性」その他を参照されたい)。

 

 いままで、自分がこれまで学習し、先輩諸同志に教えてもらって自分なりの56年の同志黒田の苦闘と飛躍について語ってみた。まだまだ不十分なところはあるだろう。だがしかし、「構築せよ」の筆者は’76年に出版された二冊の「ハンガリア革命資料集」も『革命的マルクス主義とは何か』所収の「後進国の優位性」も読んでいるとはまったく思えない。よくもこれで’56年の黒田を語れるものだ! 反スターリン主義運動の「原点」を打ち固めるとは反スタ運動を担っているおのれ自身が’56年の黒田にわが身を移し入れてその苦闘を追体験することにほかならない。なぜそうするのか? すでに述べたようにおのれ自身が’56年の黒田になり、自分一人からでも反スターリン主義運動を創造する決意を打ち固めるためなのだ! 「革マル派」神官どもよ! お前たちにそういう気概がひとかけらでもあるのか? ゼロだろう。「世界でただ一人」という言葉をバカの一つ覚えのごとく乱発し、黒田を神格化するにすぎないということは、「神」に祭り上げた同志黒田をかくれ蓑にして、官僚としての自己に安住するおのれを権威づけるためなのだ。そのような邪な目的のために’56年の黒田を利用するのは同志黒田への冒涜以外のなんであろうか!
 以上述べてきたように「構築せよ」は反スターリン主義運動の「原点」の確認に何らなっていない。いや、それは「原点」の破壊である。変質したおのれの甲羅に似せて’56年の同志黒田を語っているだけである。反スターリン主義運動の再創造はこのように堕落した神官どもを壊滅的に批判することからはじめなければならない。いまだに「革マル派」の内部にいる組織成員諸君。神官どもへの幻想を断ち、わが探究派とともにたたかおう!

 

※なお、この「構築せよ」の黒田礼賛のトーンは『黒田寛一著作集』に付された「プロレタリア解放のために全生涯を捧げた黒田寛一」の内容(「コロナ危機の超克」『革マル派の終焉』参照)にそっくりである。この「構築せよ」の筆者はこの「プロレタリア解放のために全生涯を捧げた黒田寛一」の筆者によって指導されたと思われる。このころから同志黒田の神格化=党組織の黒田信仰の宗教集団化の追求が、今日神官と化している「革マル派」最高指導部によって行われていたということである。
         (2021年4月3日 穂良田信汰)