われわれは内部思想闘争をどのように展開すべきなのか  第6回  われわれ自身の思想性・組織性・人間性を全面的にたかめなければならない

 5 われわれ自身の思想性・組織性・人間性を全面的にたかめなければならない

 

 わが組織を形態的にも実体的にも強化し確立していくための闘いにおいて、組織諸成員を思想的にも組織的にも人間的にも変革していくことの諸困難を打開するために、組織成員の組織成員としての資質を変革していかなければならない、ということが提起された。この提起にのっとって、われわれは、組織指導部を担うメンバーのなかにうみだされた指導者意識といったものを克服するための闘いを執拗におしすすめてきた。
 けれども、さまざまな・このような闘いにおいて、組織成員の組織成員としての資質を規定しているところの彼の人間的土台、この人間的土台の変革にやや重点をおきすぎる、という問題性もまた、この闘いのなかには部分的にはらまれていた、ということを、われわれは今日的に捉えかえさなければならない。


 組織成員の、感性や情緒がとぼしいという傾向を打開するために、音楽を聴いたり小説や詩を読んだりすることを促す、ということは必要なことではある。私も、おのれの感性的な欠損を克服するために、そのように努力してきた。
 けれども、組織成員としての感性を豊かにすることは、同志との相互変革的な思想闘争を全霊をかけておこない、同志を変革するとともに自分自身もまた殻を破りえたことに喜びを感じ、同志としての同一性と信頼をたかめえたことを体感すること、このことにおいて真になしうるのだといわなければならない。
 このような思想闘争は、われわれが、同志とのあいだでくいちがいやわだかまりやまた相手への否定感を感じた問題にかんして、どこでどのように行き違いが生じたのか、あるいは否定感を抱いたのか、ということを明らかにするために、過去の会話や文書のやり取りやまた過去的な組織的現実に立ち戻って、その現実の認識を――自分をさらけだすと同時に相手に食いさがって――つきあわせ、相互に相手の理解を深めることを基礎にして実現することができるのである。
 このように泥まみれになって同志との思想闘争をおこなう、このような資質を獲得することとして、組織成員の組織成員としての資質の変革はなしとげられなければならない。


 同志黒田寛一が組織を牽引し、彼が実践的・組織的・理論的の諸問題を理論的に解明することに他の組織成員たちが依存しているかぎりにおいて、組織的連携の悪さというような・組織成員の組織成員としての資質上の欠陥に力点をおくかたちで組織成員の変革を追求することは、破綻をあらわにしなかった。組織が変な方向にいかないように、同志黒田が引っ張っていってくれていたからである。

  だが、これでは、同志黒田寛一亡きあとには、たちまちのうちに組織は反スターリン主義組織でなくなってしまうのである。同志黒田のように・わが組織が直面する実践的・組織的・理論的の諸問題を理論的に解明するだけの理論的=論理的・組織的・人間的の諸能力をもった組織成員が育っていないからである。自分の頭で考える組織成員が育っていないからである。

 

  われわれは、わが組織を形態的にも実体的にも強化し確立するために、組織諸成員を実践的にも思想的にも組織的にも人間的にもトータルにたかめるための思想闘争をねばり強くおこなうのでなければならない。
 組織成員の組織成員としての資質を変革するための組織的闘いにかんして言うならば、まさに、原田のような人物を根本からたたきなおす闘いというかたちで、われわれはこれを実現しなければならない。
 黒田寛一・あるいは・彼を神輿に乗せてかつぐ自分たちを批判する者は、どんな屁理屈をこねてでもやっつけて排斥する、というような資質を、組織成員としての資質のゆがみとしてあばきだし、その人物を変革するために思想的=組織的にたたかうことが、肝要なのである。自分の頭では現実を何ら分析することなく、他者が分析した内容を紹介し解釈することをもって、あるいはまた、自分にとって都合の良い報告をしてくれたメンバーの言を文章としてつづることをもって、現実の分析にとって替える、というゆがみを、組織成員としての思想上および資質上の問題としてとりあげ、その変革を促すことが必要なのである。
 原田を名のる人物を見るならば、われわれは、組織成員の組織成員としての資質としてどのような問題をとりあげるべきなのか、ということがおのずから明らかとなるのである。


 われわれは、彼に見られる組織成員としての資質のゆがみの変革をふくめて、われわれ自身を実践的にも思想的にも組織的にも人間的にも全面的に変革し鍛えあげていくために奮闘するのでなければならない。(この連載はここで終わり)
       (2020年10月27日   松代秀樹)