「前原茂雄」、その嘘の深層

 問題に〝踏み込んで〟馬脚をあらわす

 

 「前原」は、デマシリーズ第七、八回で松代秀樹著『松崎明黒田寛一』に何とか〝対抗〟しようとし、〝蛮勇〟をふるって具体的な問題に踏み込んだ。「9.20スローガン」問題、および「カチカチ山」問題についてである。だがその大ウソは、同志松代の「前原茂雄の動揺とそのおし隠し」論文(当ブログ一一月一三日付)や同志小倉力の「「カチカチ山」の真実――〝語るに落ち〟た「前原茂雄」」(当ブログ一一月二八日)等で完膚なきまでに暴きだされた。同志松代を先頭にして、「前原」のデマを逆手にとって、さらに当時の諸問題を究明し教訓化する諸論文を次々と送り出している。言うまでもなく、かつての国鉄・JRの革命的労働者組織が大挙して革マル派を離脱したという決定的破綻を教訓化するという実践的=場所的立場に立脚して。同志松代のブログ――「「革マル派」中央官僚が遂に対応できなかったものは何か――黒田寛一松崎明へのこの批判は正しいか」(一二月二日)、「今日的に考察すれば、松崎明への「ケルン主義」という批判は、彼の実践をつかんだものといえるのか」(一二月三日)、「松崎明が思想闘争を日和った相手は誰なのか?黒田寛一ではないのか」(一二月五日)をご覧頂きたい。
 「前原」の嘘はこれらだけではない。既に当ブログ一一月二二日の「冷厳な歴史的事実に「前原茂雄」はなぜ口を閉ざすのか」(小倉力)などでも指摘されたように、嘘に嘘を重ねている。なぜこれほどまでに嘘を重ねるのか?

 

  〝黒田=無謬〟神話へのしがみつき

 

 もちろん、「解放」紙上での「探究派=反革命」という規定から始まった、この恥も外聞も無い嘘の連鎖は、「革マル派」中央官僚たちが、下部組織諸成員たちが『松崎明黒田寛一』を読むことも、それに触れることをも阻止するための策略の一表現ではある。彼らはそれを死ぬほど恐れているのである! 彼らのデマキャンペーンは、同書や同志松代の諸著作を店頭販売している書店にたいするSNS上での悪辣な攻撃――さすがのツイッター社も警告を発して削除を求め、彼らもおずおずとその削除要求に従わざるをえなかったほどのそれ――と表裏一体なのである。
 彼らが国鉄・JR労働者組織の全面的脱退の事実を隠し、その教訓化をあくまで拒むのはなぜなのか。それらに下部組織諸成員の目が向くことさえ恐れるのはなぜなのか。

 それは、この問題を問題として俎上に載せ、その教訓化をはかることが、同志黒田の組織指導者としての組織的実践そのものにふれることとなるからである!

 同志松代を先頭とするわが探究派の革マル派建設の挫折をのりこえるための理論=思想闘争によって彼らが捏造した同志黒田の「無謬」神話が打ち砕かれることをこそ、彼らは恐れているのである! わが探究派を「反革命」と断じ、『松崎明黒田寛一』を「反革命の書」としてその〝焚書〟をはかる最深の根拠はそこにあるのだ。これほど同志黒田の精神に背く行為があるだろうか!

 

 「自称共産主義者における宗教的自己疎外」

 

 かつて同志黒田は、スターリン主義者による「…ロシアのスターリン、いや世紀の巨人スターリンの物神崇拝」を暴きだしたのであった。この問題を、同志黒田は共産主義者の主体性にかかわる問題として考察し、「自称共産主義者における宗教的自己疎外」を暴きだしたのである。(「「スターリン批判」とマルクス主義哲学」 『スターリン批判以後(上)』九頁)。
 だが、今日の「革マル派」組織を支配するその中央官僚たちは、「黒田寛一の後継者」を名乗りながら、あろうことか、自ら同志黒田を神格化し、革マル派組織を「黒田教団」のようなものにまで変質させたのである! そのことを自己暴露したのが、『黒田寛一著作集』第一巻(二〇二〇年九月九日刊行)に付された「プロレタリア解放のために全生涯を捧げた黒田寛一」という論文である。そこには、同志黒田に学び、彼とともに闘ってきたものなら仰天しないほうが不思議な文言が綿々と綴られていたのである! ――「黒田寛一こそは、時代のはるか先を行く偉大な先覚者であり、二〇世紀が生んだ「世紀の巨人」なのである。」(上掲書 五〇六~五〇七頁)
 かつてスターリンその人に投げ与えられた〝尊称〟――「世紀の巨人」――を、平然と、自慢げに、同志黒田に冠するという行為は、彼ら・「革マル派」中央官僚たちが、かつてのスターリン主義者と同様の精神構造に、宗教的自己疎外におちいっており、そのことに全く無自覚であることを示すものであった。そして『黒田寛一著作集』の全巻にこの文章は載せられる! (この問題それじたいについては、プラズマ出版『コロナ危機の超克』の椿原論文、「革マル派の終焉――『黒田寛一著作集』刊行の意味するもの」を検討されたい。)

 

 同志黒田の顔に泥を塗り続ける「革マル派」中央官僚派

 

 「革マル派」建設の挫折をいかに教訓化するか、というように問題をたてることじたいが、彼らにとっては恐怖なのである。同志黒田が〝無謬〟であってこそ、〝黒田教団の神官〟と化した彼らの存在意義があるというように、彼らは――正当にも――観念している。実際、そのような神話が崩れ、真実の究明と前進のための教訓を求める組織的な論争が澎湃と巻き起こるならば、彼らによる「革マル派」組織の支配が瓦解することは火を見るより明らかなのである。
 だからこそ、彼らは〝無謬〟の神話にしがみつき、しがみつくほど、同志黒田の顔に泥を塗ることになる。それでも彼らは現「革マル派」中央官僚としての己を維持し護るために、百万の嘘をついてでも探究派の真実の探究を「反革命」として描き出すことに必死なのである。

 

 「メタモルフォーゼ」の意味するもの

 

 今ひとつ、彼らがいかに黒田の「無謬」神話にしがみつき、その少しの綻びをも恐怖しているかを示す例を挙げよう。
 『黒田寛一著作集 第六巻』(二〇二二年六月刊行)には、『変革の哲学』が再録されているのであるが、その三四七頁には次の文章がある。「ちょっと例解的にいっておこう。『資本論』第一巻第三篇第五章において、労働過程は「自然と人間とのあいだのメタモルフォーゼ」と規定されている。」これは『変革の哲学』(一九七五年刊行)の当該箇所と同じである。「メタモルフォーゼ=新陳代謝」というのは同志黒田の若い頃からの思い込みであり、間違いである。マルクスの原文では、当該箇所は Stoffwechsel であり、Metamorphose ではないのである。『変革の哲学』の英語版(一九九八年刊行)では、当該箇所は metamorphose ではなく、正しくStoffwechsel と metabolism が用いられている。このことは、同志黒田が自己の Metamorphoseの理解の誤りに気づいたからである。それは、この誤りについて今日では探究派の同志である佐久間置太が一九九四年に同志黒田への手紙で指摘し、一九九七年には「唯円」氏が同志佐久間とは別に、同じく手紙で指摘したことに基づく。
 だが、英語版ではこの誤りは払拭されたものの、その後も日本語表記の諸著作では、訂正されていない。そして、二〇二一年一月に刊行された『黒田寛一著作集』の第二巻に収録された『社会の弁証法』においてこの「メタモルフォーゼ」という記述はそのまま維持されたのである。これは、『著作集』の刊行にあたった「革マル派」中央官僚たちが、同志黒田の小さな誤りでも誤りとしては絶対に認めず、訂正することも、編集者の注としてでも読者に注意を促すようなことも絶対にしない、という態度を示したものといえる。われわれは、既にその時点で、「メタモルフォーゼ」問題として明らかにしておいた。この点については、『脱炭素と「資本論」』(プラズマ出版・二〇二一年一〇月刊行)の二つの佐久間論文をご検討いただきたい。
 『著作集 第六巻』に再録された『変革の哲学』でも、何の注釈もなく「メタモルフォーゼ」という誤った表現を残したことは、彼ら「革マル派」中央官僚たちが、同志黒田の顔に永遠に泥を塗り続けてでも、同志黒田の〝無謬〟の神話を護持することを意志していることを示してあまりある。彼らは、実は、自分たちの〝安泰〟のためなら、同志黒田の顔に泥を塗ることをもなんとも思わないことを自己暴露しているのだ。

 

 探究派にたいする「反革命」規定の根源

 

 もはや明らかであろう。わが探究派、同志松代を「反革命」と規定し、その抹殺の衝動を表出して恥じない「革マル派」中央官僚たち――「前原」をはじめ彼らが今や、同志黒田を神格化する宗教的自己疎外に陥っていることをその最深の根拠としていることが。「夜郎自大」「虚栄の果てに」などのわが探究派の同志たちへの悪罵は、〝神を恐れぬフトドキモノめ!〟とでも言うべき彼らの疎外された心情を示すもの以外のなにものでもない。

 すべての「革マル派」下部組織諸成員諸君! もはや現「革マル派」は、労働者階級の革命的前衛とは縁もゆかりもない。彼らはにわかに「労働者階級の団結で〈大幅一律賃上げ〉をかちとれ」などと叫んでいる(「解放」第二七四七号)が、これは、ウクライナ問題で祖国防衛主義に転落したことをわが探究派に暴露され、組織内部からも疑問が噴出していることをのりきるための詐術である!


 現「革マル派」を解体し、日本反スターリン主義運動を再創造するために、探究派とともに闘おう!
 革命的マルクス主義の立場に断固として復帰し、自己の再生をかちとる決意を打ち固めよう!
 (二〇二二年一二月五日 岩崎健太郎