革共同第四次分裂の地平を打ち固め、革命的前衛党の創造に邁進しよう!

 新たな戦乱の時代を、プロレタリア革命の第二世紀へ!

 

 二〇二二年二月二四日の、ロシア軍によるウクライナへの軍事侵攻とプーチンの「特別軍事作戦」の宣言は新たな戦乱の時代を告知した。侵攻したロシア軍と、米欧諸国から供給された最新兵器で武装したウクライナ軍との戦闘は、米・欧・日の旧来型帝国主義[西の帝国主義]とスターリン主義から転化した中・露の新型帝国主義[東の帝国主義]とのグローバルな抗争の、まさに発火点としての意義をもっている。
 それと同時に、戦禍による破壊に加え、ロシアに対する西側帝国主義の「経済制裁」を引き金として、全世界的に食糧・エネルギーの価格の高騰と絶対的不足という危機が進行し、人民の生活苦と飢餓は、西側を含む全世界に拡がっている。
 だが、痛苦にもこの戦争をめぐる全世界の労働者階級の反戦の闘いは、沈滞し、米・欧を中心とするいわゆる「国際社会」のロシア非難の排外主義的キャンペーンが全世界を覆っている。
 日本においても、日本共産党は「国際社会」の(したがって西側帝国主義の)「第五列」ともいうべき姿を呈している。「連合」は会長・芳野が安倍の国葬への参列を表明するなど、産業報国会化を深めている。そしてまたかつて米ソ核実験反対闘争・ベトナム反戦闘争など、労学全戦線において輝かしい闘いを展開してきたかつての革マル派は、今日ではウクライナ問題において祖国防衛主義に転落し、民族主義的腐敗をさらけ出している。
 このような階級的現実のもとで、腐敗した「革マル派」中央官僚派に抗して、組織の内外において革命的分派闘争を繰り広げてきたわが探究派に課せられた任務は極めて重大である。
 まさにこの時、探究派がその結成を宣言してから二年有半、この間ずっと沈黙を続け、われわれの理論=思想闘争から身を護ることに腐心してきた「革マル派」中央官僚派は、わが探究派の闘いに耐えかね、ついに「反革命=北井一味を粉砕せよ!」と叫びだした。まさにこのことは、わが分派闘争の勝利を鮮やかに示している。その直後から、探究派のもとには、「やりましたね!」という声が次々と届けられている。

 

 われわれは宣言する。
 この間の革命的分派闘争を基礎としてわれわれはついに革共同第四次分裂をかちとった。この地平に踏まえ、新たな革命的労働者党の建設に邁進することを、われわれはここに明らかにするものである。

 

  革マル派」中央官僚派の反「探究派」攻撃をうち破った闘い

 

 探究派結成宣言から二年有半、その事実を突きつけられながら沈黙を続け、わが探究派との理論闘争を忌避し逃げ回ってきた「革マル派」中央官僚派――彼らがついに始めた反「探究派」キャンペーンは、彼らの変質と腐敗を画するまことに醜怪なものであった。それはいわゆる第三者が見ても吐き気を催すような俗悪・劣化ぶりを示すものであった。そして、われわれが、彼らがわが探究派との理論=思想闘争から逃げ、自己の官僚的地位を守るための欺瞞と詭弁の集成というこのキャンペーンの本質を的確に暴露し彼らを追撃した途端、彼らはなすすべもなく退散した。

 

  転落と腐敗を曝け出した「北井一味=反革命」なる絶叫

 

 「解放」第二七二九号に「第一回」、第二七三一号に「第二回」、第二七三二~三三合併号に「第三回」、第二七三六号に「第四回」が掲載された「反革命=北井一味を粉砕せよ!」というタイトルの一連の記事は、彼らの腐敗の深さを自己暴露する記念碑的なものとなった。
 彼らは「座談会」形式の「第四回」の末尾を「この『挫折の深層』の反革命性については、今後あらためて明らかにされると思います。」という文言で締めくくった。『松崎明黒田寛一 その挫折の深層』は「反革命の書」だと「第一回」で宣言したにもかかわらず、一か月半後の「第四回」でもこの始末。『松崎明黒田寛一』が「反革命の書」だという、彼らの「北井一味=反革命」規定を裏付けるはずの重大な問題について、没理論的で悪辣な誹謗以外のなにものも示すことなく、このような「逃げ口上」を残して彼らは退散した。これを〝鼬(いたち)の最後っ屁〟といわずして何といおうか!

 

  あっけなく破綻したデマと欺瞞のネガティブ・キャンペーン

 

 彼らが初めて直接的に「探究派」に言及した、その内実は驚くべきものであった。かつてスターリントロツキーをはじめとする多くの革命的共産主義者に「反革命」の烙印を押して抹殺したこと、そして近くはブクロ=中核派官僚であった本多延嘉が革マル派にたいして「反革命日本帝国主義の左足」というレッテルを貼り、暴力的敵対を正当化したこと――これらを熟知し、かつてはそのような腐敗した政治主義的手法を弾劾してきた「革マル派」中央官僚たちが、今日では、スターリンや本多延嘉の後塵を拝して、卑劣な策動を大々的にくり拡げたのである。
 そのやり方は、アメリカ大統領選挙などのブルジョア選挙でさえ邪道とされる〝ネガティブ・キャンペーン〟の手法そのものである!
 そのキャンペーンの二つの軸は、わが探究派に「反革命」「権力の狗」のレッテルを貼るために、糸色望氏を「CIA」か「内閣情報調査室」の「諜報員」とみなし、この糸色氏に「北井」が操られているという構図をこしらえ、「探究派=反革命」とすること、および「北井」は、精神異常者である、という卑劣なデマを徹底的にまき散らすことであった。明らかにその目的は、わが探究派が打ち出した『コロナ危機との闘い』から『松崎明黒田寛一 その挫折の深層』にいたる諸文献、さらには「北井信弘のブログ」および「探究派公式ブログ」等で展開されている「革マル派」官僚たちに対する批判に「革マル派」下部組織諸成員が気づき、既に多大な影響が出てきていることに恐れを抱いた彼らが、組織に城壁を築いて囲い込み、組織諸成員たちがそれらにいっさい触れないように操作=規制することにある。わが探究派との公然たる理論闘争を避け、その手前で、誹謗とデマによって、論争すること自体から逃げるために、〝論争以前の対象〟だと決めつけ、それを組織諸成員たちに刷り込むことに彼らは狂奔しているのである。
 ところが、「糸色=スパイ」という規定が、彼らの作り話でしかないことは、早々に明らかとなった。〝本人が認めた〟などというデマ以外に何の根拠もないことを事実上自認してしまったからである。
 次は、「北井=精神異常者」というあまりにも腐敗したレッテル貼りについても、一言しておこう。

 

  何がどう「異常」なのか

 

 「北井」は「異常な精神構造」だと彼ら中央官僚は言う。それを基礎づけるようなものがなにもないのは当たり前のことである。彼らは、ただただ断定し繰り返すだけである。革マル主義者たらんとして自己研鑽を重ねてきたものが同志北井の諸著作・諸論文を読めば、そのような断定が虚偽であることはすぐわかることである。だからこそ、下部組織諸成員たちが同志北井や探究派の諸文献やSNSでの発信にふれることじたいを恐れる彼らは、そのような事態を未然にふせぐために、そして既に探究派の影響のもとで彼らに不信と怒りのまなざしを向ける諸成員たちの決起をくいとめるためにこそ、同志北井を「異常な精神構造」の持ち主として描き出すことに躍起となっているのである。
 とはいえ、彼らが同志北井を「異常者」扱いするには、それなりの内的根拠があることもまた明白である。彼らが同志北井をなぜ「異常」だと思うのか、その最深の主体的根拠をここで暴露しておこう。
 同志北井は、二〇〇八年以降、上州の地で、過酷なパート労働を続けながら、極貧生活のなかで理論的探究を重ね、最初は西田書店から、次いで費用が少なくて済む自前のブランド(創造ブックス)で、諸著作を連続的に公刊してきた。その一つの理論的軸は、「共産主義建設論」である。ソ連邦崩壊の根拠をえぐりだし、それをのりこえて、われわれ自身が過渡期社会の経済建設・共産主義社会の建設に関する理論的基礎を明らかにすることであった。そのような追求を同志北井は、基本組織から排除されるまえから行っていた。この探究は、同志黒田が生前にその必要性を説きながらも十分に追求することが出来ずに残された課題の遂行という意味をももっていることの自覚にもとづいて、である。
 だが、この時期に「革マル派」官僚の一人は言った――「KKがやってないことなどやるのはオカシイ。その必要は無い。われわれは、KKが明らかにしたことを学んでいれば良いのだ。」
 これが「革マル派」指導部の面々の本音であり、ここに彼らの素顔がむき出しとなっている。数十年にわたって「革マル派」を名乗ってはいても、このような言辞が革命的マルクス主義の立場とは無縁であることに彼らは何も気づかない。彼らは、革命的マルクス主義者は同志黒田ひとりであって、他の党員たちは同志黒田の創造した理論を学び受け入れればよい、などと考えている。今日の彼らが同志黒田を神格化しているのは、彼らのこのような没主体性の必然的帰結なのである。
 彼らは同志北井の苦闘を、あざ笑ったというだけではない。彼らの眼には、同志北井の営々たる理論創造の苦闘はむしろ彼ら自身の没主体性を照らし出し、革マル主義とは無縁な姿を映し出すものとして感じられる。だからこそ同志北井を排斥し、抹殺したくてしょうがないのだ。――これが、「異常な精神構造」などと彼らが同志北井を罵倒する真の根拠である! 同志椿原を「夜郎自大」だと罵らずにはいられないのも、同根である。
 彼ら「革マル派」中央官僚派の面々には、革命的マルクス主義者としての矜恃もなければ、勇気もない。同志黒田の薫陶を受け、革命的マルクス主義者たらんとする自己研鑽、切磋琢磨を続けてこなければならなかった連中がさらす今日のこの惨状こそが、まさに「異常」なのである。

 ここで「座談会」方式について一言ふれておこう。〝多彩〟な人物を登場させ、口々にデマ・劣情を吐き出させるやり方は、この種のデマ・キャンペーンにはもっともふさわしい、といえよう。一定の理論的構成をもつ論文のような形式では、ボロが出すぎる。みんなでワイワイ、ガヤガヤ、〝赤信号、みんなでわたれば怖くない〟式の乱痴気騒ぎで実感・感覚に訴え、刷り込むというようなスタイルは、今まさに巷間を賑わせているカルト団体による信者の「マインド・コントロール」の手法と何ら選ぶところがないではないか。
 このような中央官僚派の実情を「革マル派」の諸君はどうするのか! 疑問をもつものは離脱し、疑問を抑え込んで頑張ろうとすれば、メンタル疾患に追い込まれる。今や、このような事態が連発しているではないか! このような悪循環を〈いま・ここ〉で断ち切ろう! 必要なのは彼らに追随してきた己に断をくだし、彼らと訣別し、新たな前衛党の創造のために決起することだけなのだ。その闘い方は多様となるであろうが。

 

  〈二人の巨人〉の神話

 

 彼らが「反革命の書」だとする『松崎明黒田寛一』にわずかに言及していることは彼らの倒錯ぶりを実によく示している。
 「座談会」の作者は、「古参党員A」なる人物に語らせている。――「たとえ距離は置いていても、そして辿る道は違っていても、二人は遙かなる山のそのまた向こうの、同じ頂きを見つめていたにちがいないと思うんだよなあ…」。〝語るに落ちる〟とは、このことである。
まことにこれは同志黒田を神格化した彼らにふさわしい戯れ言である! 今度は松崎明をも神格化して〈二人の巨人〉の関係を、まるで天空の星を眺めるが如く、仰ぎみるものとなっているからである! 彼らの頭には自分たちじしんがいない。革命的労働者組織が重大な挫折に逢着したことへの痛みも、その主体的反省もない。
 いまさら言うまでもないことではあるが、松崎明黒田寛一の関係は、たんなる一個人と一個人の関係ではない。ともにプロレタリア世界革命をめざし、同志として、〈反帝国主義・反スターリニズム〉戦略で武装した革命的マルクス主義派の建設に心血を注ぎ苦闘を続けた二人である。だが、無念にもほかならぬこの二人が訣別した。そしてその組織的表現が、かつて同志黒田が「日本反スターリン主義運動の労働者的本質をささえる実体的根拠」とまで讃えた国鉄(JR)の党組織[いわゆる「マングローブ」]が、革マル派から大挙して脱退したという決定的事態ではないのか! まさにそれはわれわれの革命的労働者組織建設における重大な挫折でなくてなんであるか。そしてそれは、彼らとともに闘ってきたわれわれ自身の組織的実践の破綻をも意味するものではないのか!
 ほかならぬこのことを主体的に反省し、組織的教訓を導き出し、革マル派建設の挫折をのりこえるために、苦闘し熟慮してきたその結晶が、同志松代の『松崎明黒田寛一』なのである!
 もっとも、こんなことは〝豚に真珠〟というべきであろう。今日の彼らはもはや組織実践の主体的反省と教訓化などということは頭の片隅にすらない。まったく別の世界に転出してしまっているからだ。

 

  マングローブもこぶしも俺たちが潰したんだ!」と〝豪語〟

 

 これは、二〇一九年一月三〇日に、今日では探究派の先頭に立っている同志たちを脅迫し追放するために、Cフラクションの会議に殴り込んだ輩たち――POB、WOB、SOB、OFB等に所属する官僚・小官僚ども――の一人[O]が吐いた妄言である! すべての「革マル派」組織成員諸君! よく見よ、これが諸君の中央指導部の面々の実態なのだ!
 「こぶし」とはいうまでもなく、こぶし書房のことであり、同志黒田がみずからの著作を労働者階級にとどけるために創立し、育て上げた出版社である。同志黒田の死後、「革マル派」中央官僚どもはこの出版社の経営陣を脅迫し、版権を事実上強奪するという挙にでた。こぶし書房の中心人物たちが自分たちの意に沿わなくなった、と見た彼らは、同志黒田の諸著作をすべてKK書房に集約したのである。このことを「こぶしを潰した」と表現できる彼らの感覚こそ、まさに異常というほかないではないか!
 「俺たちがマングローブを潰した!」などと自負するにいたっては、さらにとんでもないことである!
 このことは、みずからの意にそぐわない者にたいしては、力で圧迫し脅して従わせようとする彼らの政治ゴロ的変質を雄弁に物語っているではないか! もちろんこの「俺たちが潰したんだ!」の後に続いた言葉は、「お前たちを潰すくらいわけないんだ!」「今後、いっさい徒党を組むことは許さない。組んで行動すれば反革マル策動と見なす!」である!
 組織論も、ヘッタクレもあるものか。ヤクザも顔負け、である。そのような脅しで革マル主義者を沈黙させることができると思っていたとすれば、まことに笑止千万。

 

  理論=思想闘争からの最後的逃亡 ―― 万策尽きた「革マル派」中央官僚派

 

 「だから当然にも革命戦略上・運動=組織路線上・組織建設路線上の対立などとは全く無縁な地平で、ただただ己を批判した黒田寛一をはじめとする同志たちを逆恨みして、わが運動を妨害するためにするフェイクをたれ流しているにすぎない。」(「解放」第二七二九号 二〇二二年八月一日付の「第一回」冒頭)。
 このように彼らが言い放ったのは、論争を回避し、逃げ回ってきたことを隠蔽し、今後とも逃げ回ることを正当化するため以外のなにものでもない。
 すべて欺瞞である! われわれは、探究派結成時から彼らの理論上の誤謬を明らかにする理論闘争を徹底的に遂行してきた。このことを最もよく知りつつ逃げ回ってきたのが、彼ら「革マル派」中央官僚たちである!
 すでに同志北井は、「現段階における〈反帝国主義・反スターリニズム〉世界革命戦略」(二〇〇八年初頭執筆 『ロシア革命の教訓――新しい社会』二〇一七年三月 創造ブックス刊所収)では、「革マル派」中央官僚派の世界革命戦略の歪曲を暴きだし、さらにあらゆる理論領域で「革マル派」の誤謬を突き出してきたのであった。『松崎明黒田寛一』では、革マル派労働者組織建設の挫折の根拠を、そして革マル派建設そのものの破綻を組織論的にも革命論的にも暴きだしている。そして、ほぼ二〇一三年頃から、変質した指導部と党組織の内部で闘い続けてきた同志たちもまた、労働運動への組織的取り組みに関して、組織建設そのものに関して、正面から問題を提起してきたのである。党組織内でのこの闘いにおいては、「ヒラリー、ざまあ見ろ!」などとトランプの勝利を美化した彼らの思想的変質そのものをも暴きだしてきたのであった。これらの理論闘争の成果や、その後の「革マル派」中央官僚派の腐敗の相次ぐ露呈を捉え、的確に暴きだしてきたのが、『コロナ危機との闘い』・『コロナ危機の超克』・『脱炭素と資本論』・『松崎明黒田寛一』(いずれもプラズマ出版発行)である。
 彼らはただ一度、二〇二〇年末の政治集会の演壇に「常盤哲治」を立たせ、探究派を社青同解放派に見立てて、「わが革命的左翼に対して低劣な悪罵を投げつけ組織暴露をこととする者たち」だなどと非難した。この非難は、同時に、解放派――権力の走狗に転落しわが同志たちの命を奪ってきた輩ども――に「……組織暴露をこととする者たち」などというぼけきった非難を浴びせるなど、錯乱した姿をさらけ出すものであった(『脱炭素と資本論』参照)。それ以降も、ひたすら論争から逃げまわってきたのが、彼ら「革マル派」中央官僚どもであった。これは厳然たる歴史的事実である!
 だが、ついに彼らは沈黙による乗りきりの破産をつきつけられ、開き直り打って出るハメに追い込まれた。それは、今日の彼らの醜悪さを自己暴露するもの以外のなにものでもなかった。
 今さら逃げてももう遅い! わが探究派の的確な思想闘争によってその腐敗ぶりが満天下に曝け出された以上、中央官僚派の瓦解は時間の問題である。その崩壊のカウントダウンはすでに始まった!

 「革マル派」中央官僚の軛(くびき)のもとにありながらも、苦しみもがき、苦闘してきた諸君たち!
 今こそわが探究派とともに、変質しきった「革マル派」中央官僚派を革命的に解体し、新たな前衛党を創造する決意を打ち固めようではないか!
 革命的マルクス主義者たらんとするすべての仲間は、「革マル派」の腐敗を許し・「革マル派」によって歪められたおのれ自身と訣別し、わが探究派とともに闘おう!

  二〇二二年九月二三日  革共同革マル派・探究派