斎藤幸平「疎外論」批判 第7回 斎藤によるマルクスの切断

 (3)斎藤によるマルクスの切断

 

 斎藤によればマルクスは『ドイツ・イデオロギー』において「哲学と決別」したのだという。また、『共産党宣言』は生産力至上主義であるとし、マルクスが農業問題や自然科学の研究に打ち込むことによって、「物質代謝」という生理学的概念を獲得し、『資本論』では、人間と自然との関係たる「物質代謝」の「攪乱」・「亀裂」を資本主義の矛盾として扱うようになったのだと言う。


 1843年(『経・哲草稿』を著した頃)のマルクスはまだフォイエルバッハの「啓蒙主義」と同じ「意識の改革」という次元の唯物論であった、と斎藤は述べる。その唯物論は、具体的で人間的な「感性こそが真の人間解放のための原理となるという唯物論」であるという。そのフォイエルバッハ唯物論に差を感じたマルクスは「受動的要素」である「普遍的苦悩」に訴えて、市民社会変革の必然性を説くようになり、それに対応する形で、マルクスは感性的要求に依拠した「実践」を矛盾解消の現実的な基盤として掲げ、またフォイエルバッハの感性を原理とする唯物論に依拠しつつも、「労働の具体的感性を「真なる」唯物論の原理とし、疎外された現実に対置するようになる。」というのである。さらに、「マルクスが「類的存在」の概念を用いながら、「人間主義自然主義」を実現する社会主義を構想しようとすると、「友情」や「感性」や「愛」といった類的存在をめぐる非歴史的術語が前面に出てきてしまい、資本主義の特殊性に対する批判は抽象的で、非歴史的な次元に押し込められていく」。だからマルクスは哲学と決別し、経済学や自然科学といった科学的分析の道を追求したのだ、というのが斎藤の説明である。


 マルクスが「感性的対象」とか「感性的労働」とかというように、唯物論の立場にたつことをあらわすために――フォイエルバッハの用語法に従って――使った「感性」を、斎藤は「友情」や「愛」といったものと同じものにねじまげている。後者は、肉体を持った人間を主張したフォイエルバッハのものである。そうであったとしても、フォイエルバッハは、次のようにヘーゲルを批判したのである。
 「抽象することは、自然の外部に自然の本質を、人間の外部に人間の本質を、思考作用の外部に思考作用の本質を置くことである。ヘーゲル哲学は、その全体系をこうした抽象に基づけることによって、人間を自己自身から疎外した。」と。
 フォイエルバッハは、絶対精神を原理とするヘーゲルの抽象的な観念的な体系に対して自然=人間を対置したのである。だからフォイエルバッハの哲学の原理は、というならば、自然=物質と言うほかない。


 マルクスは、フォイエルバッハにたいして、その唯物論ヘーゲル否定の否定を「もっぱら哲学の自己矛盾としてのみ」「神学を否定した後でそれを肯定した哲学、したがって自分自身に対立して肯定している哲学としてのみ、把握している。」(『経・哲草稿』)と批判したのである。つまり、フォイエルバッハは自然=人間をヘーゲルに対置するが、現実の自然=人間には目が向けられていない、人間を感性的労働の主体、実践の主体ととらえていない、と批判したのである。
 『ヘーゲル法哲学批判序説』において、マルクスは人間の人間としての解放の主体がプロレタリアートであること、それと同時にその頭脳は哲学であることをはっきりと宣言している。
 そのマルクスにとって「どうしても必要なこと」は「ヘーゲル弁証法と哲学一般への批判」であった(『経・哲草稿』序文)。マルクスには「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」(ヘーゲル『法の哲学』序文)とし、プロイセン絶対王政とそれを支える宗教、並びにそのもとでの資本主義化を肯定し、絶対精神すなわち神に回帰するヘーゲル哲学の呪縛から、プロレタリアートを解き放つ「哲学」の創造が、「どうしても必要な」課題だったのである。
 マルクスは、「(ヘーゲルは)たんに抽象的、論理的、思弁的な表現にすぎなかったが、歴史の運動に対する表現をみつけだしたのである。」(『経・哲草稿』第三草稿)というように、フォイエルバッハ唯物論哲学を「歴史の運動」に適用しようと志向していたのである。すなわち、ヘーゲル哲学の唯物論的転倒である。それはまさに『経・哲草稿』における「疎外された労働」の論理展開において実現されている。「フォイエルバッハに関するテーゼ」は、このマルクスの実践的唯物論の確立にほかならない。
 マルクスはこの思考過程において、フォイエルバッハの直観的唯物論ヘーゲルの観念的弁証法止揚し、マルクス独自の「哲学」、弁証法唯物論を創造したのである。

 

 このマルクスの思考過程を、戦後日本の主体性論争を批判的に摂取しつつ、マルクス主義の主体的な形成の論理として、すなわち実践的唯物論の確立としてとらえ返したのが、ほかならぬ黒田寛一であった。
 彼が「『フォイエルバッハ・テーゼ』(1845年)に確立された実践的唯物論としての《哲学》は、このように、プロレタリアの「疎外された労働」の思弁的分析なしには決して確立されなかったのであり、このようなものとしてそれの核心は《実践論》にあると言ってよい。実践論あるいは労働論こそがマルクス主義哲学の核心をなすということは、それが疎外されたプロレタリアートの武器として実現されるべきものであるということである。」(『マルクス主義形成の論理』)と明らかにしているように、「疎外された労働」におけるマルクスの哲学的思弁はマルクスの「哲学ならざる哲学」の核心を形成していくのである。


 斎藤はこのマルクスの「核心」を切り捨ててしまうのである。斎藤がいかにマルクスを政治主義的に捻じ曲げようとしているかが、明らかではないか。

 「プロレタリア的疎外の直接的現実性の思弁的分析にふみとどまることなく、かかる疎外の現実的根拠の追求もまた歴史的および論理的に展開されていく。前者の側面すなわち、人間疎外の歴史的根拠の究明は〈唯物史観〉として、また後者の側面すなわち疎外の現実性の分析は〈政治経済学〉として形成されていく。まさにこのような哲学と密着した経済学、つまり〈経済学=哲学〉という形態で創造された新しい《哲学》、プロレタリア的疎外の実践的変革のための哲学――これがマルクス主義哲学の本質的性格にほかならない。」(『マルクス主義形成の論理』)と黒田が述べるとおり、マルクスの「核心」はマルクスの学問的、政治的実践において高められ、それぞれの理論分野において確立されていくのである。マルクス自身が『資本論』フランス語版序文において「私は、公然と、かの偉大なる思想家の弟子であることを告白した。」というように、『経・哲草稿』で創造されたマルクスの「哲学」は、マルクスの学問的全生涯の底を貫いているのである。
 斎藤は『共産党宣言』におけるマルクスは生産力至上主義だ、と言う。それは、マルクスはみずからが創造した弁証法唯物論=実践的唯物論を適用し、生産力と生産諸関係の矛盾の把握を基礎にして歴史を過程的に捉えること・すなわち・唯物史観にもとづいて『共産党宣言』を展開しているのだ、ということを、なんら理解していないことをあらわしている。ここにも斎藤がスターリン主義的な客観主義、タダモノ論的唯物史観を無批判に受け継いでいることが示されている。


 ただ斎藤だけではない。同様に「プロメテウス主義」としてマルクスを批判するヨーロッパの自称マルクス主義者の貧困が、われわれにとって痛苦な現実として横たわっている。この現実は、彼らがいまだスターリン主義との対決をおこなっていないことを意味する。非スターリン主義化はスターリン主義との対決ではない。スターリン主義との対決をぬきにしてマルクスマルクス主義を再生することはできないのだ。
 斎藤によるマルクスの切断は、彼の理論的貧困を一つの根拠とはしている。だがそれ以上に学問的良心の一かけらもない、極めて悪辣な政治主義がその根拠である。


 コロナ危機のただ中において全世界の階級闘争が歪められ、今また、「脱炭素産業革命」にもとづく攻撃が、全世界の労働者たちの頭上に振り下ろされようとしている。斎藤はその露払いにほかならない。
 われわれは、この斎藤によるマルクスの破壊、改竄、捏造を決して許してはならない。
       (2021年1月26日  潮音 学)