【寄稿】KKの幼児退行と鶴巻派佞臣との相互浸透  唯圓 ― 「Metamorphose」問題の意味するもの

 〔 この論文は、メタモルフォーゼ問題にかんする唯圓氏の寄稿論文の続編である。

 この論文は重要な問題を提起しているので、わが探究派の同志たちおよび読者の皆さんは真摯に真剣に主体的にこの論文に対決し検討してほしい、とおもう。「革マル派」現指導部による同志黒田寛一の神格化に端的にしめされる組織そのものの変質をうちやぶり反スターリン主義運動を再創造するために、すなわち真実の反スターリン主義プロレタリア前衛党を創造するために、組織そのもののこの変質の根源を徹底的にえぐりだしていくことが必要である、とわれわれは考える。この組織論的反省を深める論議をわが探究派の内と外にわたって活発にくりひろげることを、われわれは呼びかける。――編集部 〕

 

【寄稿】

 KKの幼児退行と鶴巻派佞臣との相互浸透   唯圓
  ― 「Metamorphose」問題の意味するもの

 1月26日からの当ブログへの「唯圓」の寄稿「青恥・赤恥・頬かむり」の続編です。「メタモルフォーゼ」問題での1997年5月の「黒田さんへのお尋ね」の手紙へのKK からのその当時の不思議な「4項目回答」の悲惨な意味が今2021年1月に開示されてしまったことを報告しなければなりません。こんなことは書きたくはなかった。知りたくもなかった。でもいくら痛苦でもこの冷厳な現実を直視すべきでしょう。そこからしか KK の挫折を乗り越えることははじめられないのですから。
(目次)
0. 97年5月の「畏き(かしこき)辺り」からの「4項目回答」
1. あれ? 『PRAXIOLOGY』は外部へは何冊売ったの? 「丸善の洋書部」で?
2. あれ? 「すでに気づいていた」はずなのに?
  ●蕎麦屋の出前の「今持って出ました」
  ●メンデルの法則の再発見
  ●時制をずらす KK 話法
3. あれ? これって偶然なの?  13回忌後の「アポトーシス
4. KK の挫折を踏み越えて
  ●「小保方さん」化と敷島の道
  ●党物神崇拝を超えて

 

0. 97年5月の「畏き(かしこき)辺り」からの「4項目回答」

 前回述べたように、1997年5月15日に私はこぶし書房経由で「黒田さんへのお尋ね」と題する手紙を書いた。6月に予定されている『変革の哲学』(1975年 こぶし書房)の英訳版たる『PRAXIOLOGY』の刊行を目前にして。『変革の哲学』(など)での「メタモルフォーゼ」との語をDK の『物質代謝』へのルビ(ふりがな)に用いるKK の用語法は誤りで(新陳代謝の謂なら)「メタボリズム」と混同しておられるのではないか。その真意や如何、もしそうなら英訳版では metabolism と訂正すべきでは、と。
なお余談として私は『現代における平和と革命』(こぶし書房新版 1996年7月)の「あとがき」p.280に「市川正一」とあるのは誤りで正しくは「志賀義雄」のはずであること、「誰か気が付いて出版前に解決すべきようなことではないでしょうか。悲しくなります。」とも書いた。KK をサポートする態勢の不備を指摘したのでした。
これへの当時の「回答」がどうであったか、まず確定しておきます。
この手紙を出したことについて、IY 君(当時私は「反発分子」として「活動停止・隔離処分」中で、その私との連絡員に任ぜられていた人が私より年下のIY 君。なお当時の私のネームは以下「H」と記す。)は最初97年5月中旬こう言った。
IY「何も東京まで手紙を書かんでも、発刊されてから論議するということでもよかったのでは。」
H「出てからでは遅いがや。間違いが海外にまで流れたらどうするだぁ。」
IY「だってもう印刷終わってあとは製本して配達するだけになっているんですよ。」
 H「そうか、間に合わんかったか。<がっかり>」
 IY「それに75年に出た本、もし問題があればとっくに発見されている筈じゃないですか。」と。
 で、その後97年5月末に東京からの回答が届いた。発信者名はなかったがことの性格上「名乗るまでもない人」つまり KK ご本人からと理解すべきでしょう。
 KT(当地の常任〔当時〕)からきいたその内容は次の4点であった。
 ① “Metamorphose” の使い方が誤りだという指摘は大筋で正しい。
 ②この誤りには数年前にすでに気付いている。
 ③英文で書かれたものでは既に訂正されている。
 ④余談として指摘されている『平革』(P280)の「市川正一」の誤りについては発行直後に気付き、増刷分ではすでに「志賀義雄」に訂正して発行している。  
と。この4点であった。
 この回答を聞いて、<わたしあたりが第一発見者でなくて本当にほっとした。こういう通報は無駄なるに越したことはない。>と大いに喜んだのでした。その時は。
 また(IY君のいない)この場でこういう話もあった。
KT「(Hの文書をみて)あれ? 6月にでると思ってたの? 12月だよ。」
H「え、そうなんですか。 IY君からは6月と聞き、だからこそ早よぉ知らさなあかんというので速達で送ったのだが。」
 KT「IY 君はなんでそんなこと言ったのかな。」
 H「なんやもう。<IY 君は、また不正確な連絡をやらかしたな。>」   
という問答があって、私のなかでは、(それ以上確かめることなく)97年6月発行告知はIY 君の常習的な(失礼!)伝達間違いのひとつとして処理されていたのである。
 ところが。ところが。

 

1. あれ? 『PRAXIOLOGY』は外部へは何冊売ったの? 「丸善の洋書部」で?

97年12月26日 次のようなやりとりで私は ”Praxiology”の刊行を知った。
  H「それで ”Praxiology”は結局いつでるのか。」
  IY「丸善の洋書部にもう並んでいるそうですよ。内輪ルートも近々。」
  H「洋書部! なんだ(格式の高い)×階かよ。」
  IY「×階かどうかは知りませんが洋書部だと聞きましたよ。」
  H「あれ? 今日も××館に寄ってきたがそこにはなかったが。」
  IY「××館のことは知りませんが、××館にはなくても丸善の洋書部には並んでいる、ということです。」
  H「そうかね、では、さっそく…。やっとでたか。あ、ところで、前に予約を募ったが、その“内輪ルート”にはわしも入っとるのか。」
  I「あの予約はチャラになりましたから、書店で買ってください。」
  H「じゃ、自分で買えばいいのだな。よし、明日いこう。」
 ところが翌27日、□□屋の隣〔当時〕の丸善本店に行ってみたら…。
 洋書部(×階)で
  H「…と聞いて、探してみたが見当らないが、どこにあるのでしょうか。」
  洋書部店員「あなたそんなことどこでお聞きになりました? 日本の出版社のも      のは、たとえ英語で書かれていても、それは和書という扱いになります。和書部へどうぞ。」
 和書部(○階)で
  H「×階で…と言われたが」
  和書部店員「で○階にもない? (コンピュータ画面を見せながら)黒田さんのもので今扱っているのはこれがすべてで、その『PRAXIOLOGY』という本はまだ…。」
二重虚報であった。
 どうして、こういうことがおこるのか。と翌28日に IY 君に電話で苦情を言った。
H「この本をめぐっての(IY 君の)連絡上のミスは2回目だぞ。」
IY「と言うと?」
H「(IY 君は)最初はこの本は6月にでる、と言ったのだぞ。」
IY「だってそれは事実最初はその予定だったからであって、予定のほうが     変わったということですよ。<自分に怒られても…>」
H「KTさんは、6月にでるなどとはIY君には言っとらん、と言うとるがや。どうなっとるんだ。」
IY「おかしいな、聞いてみます。」              と。
この不思議な問答の意味は、あとでまた振り返ります。察しのいい方にはもう見えているかもしれませんね。
それで、真相は、やはり「丸善の洋書部にならんでいる」(#)で正しかったのである。
…→IY→Hにいたるまで連綿と正確に伝達されてきた#という文言の発信源は東京なのであるから、東京の人が謂う(#)の文言の示すものは、△町の□□屋の隣〔当時〕の丸善当市本店の洋書部のことではなく、日本橋高島屋の向かい〔当時〕の丸善=東京本店の洋書部のことであるはずだ、と推測して正月に行ってみたらちゃんとあったのだから。
東京の洋書部店員「ああ、あの地味な装丁の本ね、本来洋書部の扱いじゃないんだけど、版元の方が年末に直接持ち込んできたんですよ…。はい、これでしょ。」と。
 この漫才みたいな話、ここまで読んで「ン!?」とひっかかった人いますよね。
 『PRAXIOLOGY』が「丸善の洋書部にもう並んでいる」とアナウンスされて、「はあぁ、偉いもんだな」と感激するのは組織内の方だけ。組織外の人は「解放」新年号の広告で『PRAXIOLOGY』の発売を知って「では」と書店に買いに行けば、どこに行くのでしょうか。「洋書部」などとは夢にも思わずに、丸善店員さんのいう如く(国内版元の本の)本来の扱い部署である和書部に直行しますよね。で、そこになければ肩透かし。買おうという意気込みをそがれてそれでオワリ。
そう「洋書部に並べる」とは「和書部には置かない」ことの言い換え。つまりブクロ派(中核派)やブントなど他派の人たちには「売らない」ということだと読むべきでしょう。「丸善の洋書部」で、「地味な装丁」の『PRAXIOLOGY』は私の買ったあの1冊以外に結局何冊売れたのでしょうね。
他派の人たちには「売らない」のは何故なのか。「メタモルフォーゼ」の訂正を見付けられて鬼の首を取ったように大騒ぎでバクロされるのを恐れたのでしょうね。組織内からは「気づかれるわけない」と高をくくっているのに他派はこんなに怖いんですね。こういうの「内弁慶」と言うんでしたっけ。
だけどまあ、よくもまあこんな手の込んだことを考えつくものだと感心しませんか。そんな「知恵」があるのなら、75年初版時に辞書を引いて確かめる手間を惜しまなければ良かったのにね。よっぽどパニックになったのでしょうか。
でもパニックはこれだけではありません。せっかく東京まで出たのだからと丸善だけでなく八重洲 BC など大型書店を回ってみました。ら、驚くべきことを発見してしまったのです。

 

2. あれ? 「すでに気づいていた」はずなのに?

 東京の書店でおかしな発見をした。私の手紙の直後の97年5月25日づけ発行のこぶし書房『革命的マルクス主義とは何か』および『マルクス主義形成の論理』の増刷分に掲載されているこぶし書房の出版書籍一覧表には、通称マスキングという製版技術をもって急遽削除したと思われる不自然な<歯抜け>が数ヶ所あるではないか。
抜けているのは『変革の哲学』、『社会の弁証法』、『覺圓式アントロポロギー』、『宇野経済学方法論批判』の4点。要するにかの「メタモルフォーゼ」の語をふくむ著作は、すべて広告から除かれているのである! 潔癖と言えば潔癖なのかも知れないが。もっとも、「メタモルフォーゼ」の語をふくむこの4点もその少し後の「共産主義者」誌などの広告には堂々と掲載されているので、そのような極端な対応は一時的なエピソードに終わったのであろうが。
ともかく、私の手紙がついた頃こぶし書房にパニックが起きたもののようである。
 あれ? どうしてパニックになるのだろうか、「すでに気づいていた」はずなのに。

   

蕎麦屋の出前の「今持って出ました」
 もうひとつ。回答④、直後に気づいてすでに「市川正一」が「志賀義雄」に訂正されているという『現代における平和と革命』の「増刷分」を探し歩いて驚いた。(回転が早いはずの)東京の複数の書店において、1998年1月現在店頭にあるのは、1996年7月20日発行の初刷本ばかりなのだ! そば屋の出前の催促への「今持って出ました」ではないぞ! 
ちなみにその後発見したのだが、『平革』が実際に増刷され、「志賀義雄」に訂正されたのは2005年のことである。当時のこの「回答」は人を愚弄する大ウソであったことが事後的にも裏付けられている。
このような東京の書店での発見に踏まえ、かの「回答」をもう一度考え直してみた。
③の「英文で書かれたものでは既に訂正されている。」の「英文」とはどれのことか。英文のことを KT に糺すのはヤボとしか思えず自分で探してみたが、94年秋の「解放」にでたTerminology の№55「具体的有用労働」のことであればすでにみたようにこれはますます錯乱しているだけ。とても「なおした」などと言えるものではない。というわけで「すでに直した」ものは今に至るも発見できないのである。
では「②この誤りには数年前にすでに気付いている。」はどうか。

 

●メンデルの法則の再発見
 この「探究派公式ブログ」の1月20日「神官たちの醜怪」と題する佐久間置太さんの論考によれば、1994年4月のこぶし書房版の『社会の弁証法』刊行の直後にその「メタモルフォーゼ」用語法の誤りについて、当時佐久間さんがKK に(常任経由で)レポートを提出して指摘したが KK からの返事はなかったとのことである。
 私の97年5月より前にそれとは独立に94年春にすでに指摘した方がおられると知って本当にうれしく思うのだが、だが残念ながら上述の、94年秋の「解放」にでたTerminology の№55「具体的有用労働」は錯乱したままであって、それを見るとき、この94年春の時点では佐久間さんのせっかくの指摘は実を結ばなかったのが実際のようである。取り次いだ常任が値打もわからないまま放置していたか、KK まで届いていたとしても KK はピンと来なかったか。
 ただ「数年前」というのには符合する。おそらく97年5月の私の手紙が REMINDER になって埋もれていた94年春の佐久間さんの手紙を呼び覚ましたのだと思われる。佐久間さんの手紙を読み(聞き)直した KK はその意義を認識し、実際にも『Dialectics of Society』(2003/8 こぶし書房 『社会の弁証法』の英訳版)には佐久間さんの提起を採用しているわけである。
 歴史的には「メンデルの法則の再発見」という事例がある。理解されずに忘れられ埋もれていた「メンデルの法則」とほぼ同じ内容を後年のド・フリース(など)が独立に提唱した時に、それが蘇ってあらためてメンデルの名で顕彰された、という有名なエピソードである。
 というわけで、この「この誤りには数年前にすでに気付いている。」との回答は時制をずらしてこう読まるべきである。「数年前に指摘が出ていたことに、今気が付いた」と。

 

●時制をずらす KK 話法
 そう KK の「回答」は時制をずらして読まれねばならない。「場所の哲学」者は時制から自由であるかのごとくである。世間ではこういうのを「詐欺」と言うのではなかろうか。
「④『平革』の「市川正一」(P280)の誤りについては発行直後にきづき、増刷分ではすでに訂正して発行している。」は「そのうち直す」との意味だった。
では「③英文で書かれたものでは既に訂正されている。」は? そう『PRAXIOLOGY』で「これから直す」の意味だったのだ。だからこそ97年6月発行の予定が98年1月まで延びたのだ。
しかし発行予定日を事後的に元から98年1月予定であったことにしないと「すでに気づいていた」とつじつまが合わなくなる。連絡ミス常習者で H も疑わないのをいいことに IY 君の「連絡ミス」ドジのせいにして。知らないところで濡れ衣を着せられていた IY 君が怒り出すのも当然ですよね。IY 君の言うように、97年6月刊行予定で「もう印刷も終わっている」のに、それを破棄して、もう一度作りなおしたものが98年1月に出た『PRAXIOLOGY』だった、と言うのが真相なのでしょうね。
煩雑をいとわずに現実の経過と IY 君の言と KT の言とを両方再生産しておいたので、ことの次第は皆さんにももうお分かりのことではないでしょうか。
「北井さんさえも聞いてなかった」ことを知って驚いたこぶし書房の若い人たちの反応が「暗い陰」をともなったものとして北井さんに反映した(2021年1月20日の北井信弘氏ブログ https://ameblo.jp/nbkitai-ameba/entry-12651471671.html)のも物的基礎を措けば偶然ではないと理解できましょう。
さて、でも「洋書部に並んでいる」が「和書部では売らない」つまり他党派系には売らない、ことの言い換えであったことを知った人は「英語ではもう訂正した」にせよ「英訳本はこれから直す」にせよ、その言明の、もう一つの重大な含意、本当の意味にも気が付かないだろうか。私もこの1月になってやっと気が付いたのだが。それは…

 

3. あれ? これって偶然なの?  13回忌後の「アポトーシス

 英訳版では「メタモルフォーゼ」→「metabolism」に訂正した KK。なのに、肝心の日本語版は『変革の哲学』も『社会の弁証法』も KK 存命中に増刷していて、つまり訂正が可能であったのに、訂正しなかった。しなかったのである。
 私もあまりのことに断定をためらったのだが、近習が××だとか、佞臣が「無謬の KK 神話」を欲しているから、というだけではこんなことはおこりえない。KK 本人の意志として「(日本語版は)直さない」ことで押し通したのだ。だって23年も前に KK は宣言しているではないか。「英語では直した(直す)」と。KK 語はこう読まるべきであろう。つまり「日本語版は直さない」と。
 今回の KK 書房版「KK 著作集」の2巻目として刊行された(決定版)『社会の弁証法』でも本文を直さないのは(著者が鬼籍に入っている以上)当然としても、註記としても英語版では訂正されている旨を告げなかった。佞臣が「無謬の KK 神話」を作りたいから、だけでなく、KK ご本人の一徹な LIVING WILL でもある、という面もあるとしなければならないのではないか。痛苦にもそう判断せざるを得ないのだ。
 
 もちろんそんなことをすれば、それは直ちに鶴巻派の命取りになる。
 KK にはもうそれがお分かりにならなかったのか。それとも、13回忌を過ぎたあたりでの幕引き、アポトーシス(予定計画的な自死)を自覚的に仕込まれたのか。「自由とは必然性の洞察である」とのヘーゲルの言葉を私たちに教えてくださった KK にどのような深いお考えがあったのか。私のような凡人にはそれはもうわからない。

 

4. KK の挫折を踏み越えて 

 あのあまりにも人を馬鹿にした4項目回答を、KK 自身からのものだとは私は思いたくなかった。「正常性バイアス」をかけて君側の佞臣が勝手に言ったことだと思おうとしてきた。情けないじゃないですか黒田さん。でも、KK は佞臣どもに担がれているうちにすでにそれと相互浸透してしまっていたのだと2021年1月のこの現時点において痛苦にも判断するほかない。まだ KK に未練を保ち続けようとしていた自らにドッチラケになるのでなくてはならない。
 そのことを拠点としてしか、 KK の挫折を踏み越えて進むことは出来ないのだから

●「小保方さん」化と敷島の道  
 さてそれにしても、1997年5月に私の手紙に接したときの KK のパニック反応はおよそ常人の理解を超えるものがあると言わねばならない。「あ、間違えていたか、ありがとう」で済む話が、なんでこんなにみっともない大騒ぎのすえに23年後の鶴巻派自体の命取りにまでに盲進することになるのか。手紙を出した私自身が唖然としている。
 4項目回答を覺圓師が読んだらどう言われるのだろう。思想家の倫理とか何とか言うような高尚な次元の話なのだろうか。ただのプライド固執が。
むしろ中野信子氏とか香山リカ氏に伺ってみたほうがいいのかも知れません。ただ一言「幼児退行」と言われるか「自己絶対化」「自己引きこもり」による「自己保存」と言われるのでしょうか。英語では直しても日本語では直さない、なんて小保方晴子さんの「あります!」を彷彿させるではありませんか。
 思えばしかし、JR 戦線や沖縄の「門中派」の離反、「議長辞任」をくぐって、97年時点ですでにもう背骨が折れかけていたところに Metamorphose 問題が直撃してしまったのかも知れません。すでにもうまともに現実と対決できる精神状態でなくなりかけているところへ。見たくない、見ない、というのは唯物論ではないのだが。
この後の KK はどんどん自閉的になっていく。『実践と場所』は労働運動の展望を失っての縄文世界への逃げ込みと引きこもり。『政治判断と認識』なんて恣意的認識の狂いの政治的居直りとしか読めない。はては韻文朗詠の敷島の道にうつつを抜かす、残念な晩節を送ることになってしまいます。わたしはどうもこの悲惨な局面へ KK の背中を押すことに助勢してしまったのでしょうか。
 ともあれ私たちはここに黒田哲学の壮絶な最期を見届けてしまいました。それは私たち自身のこれまでと決別することでもなければなりません。受け継ぐとは乗り越えること。KK はこう言うでしょう「俺を乗り越えて進め!」と。
 
●党物神崇拝を超えて
 さて私は「KK の挫折を乗り越えて進もう」と言うばかりで、その内実をまだ示していません。鶴巻派と決別して以来の亀の歩みのなかで私の模索したきたこと、それは、スターリン主義の超克の徹底の内実の一つとして「党物神化」思考からの脱却、各人の精神的自立が問われなければならないのではないか、ということです。党のカルト化をいましめなければならない。ということでもあるでしょう。
 「KK の言うことは誰も疑わない」宗教的自己疎外の恐ろしさを私たちは噛みしめてきました。Metamorphose 問題はその端的な一例でした。でも、Metamorphose の語の誤用なんてある意味では内容的にはたいしたことではありません。べつに党の路線を左右するようなことではないのですから。
もっと大事な問題で「KK の言うこと」だからと誰も疑わないで信じてしまって大変なことになってしまった悲劇を私たちは経験しているのではないでしょうか。もう皆うすうす気づいているんでしょ。鶴巻派の下部活動家の方々も気が付かないふりは辞めたほうがいいですよ。「心のきれいな人」でいることの虚しさにドッチラケになることから始めるべきではないでしょうか。
 長文をお読みいただいて有難うございました。この暗い時代に「反スタ運動の再構築」のファッケルを掲げ続ける皆様のご健闘をお祈りいたします。
            (2020年01月28日   唯圓)