〔寄稿〕青恥・赤恥・頬かむり 唯圓 第1回   「メタモルフォーゼ」とのルビはすべて誤りである

〔寄稿〕 青恥・赤恥・頬かむり Metamorphose」問題の厚顔無恥 ― 唯圓

 

 鶴巻派と決別し、いまは独立・独歩に新たな道を模索している者です。
1月20日の北井信弘氏のブログ https://ameblo.jp/nbkitai-ameba/entry-12651471671.html <「メタモルフォーゼ」の誤りを何故訂正しないのか―「革マル派」現指導部> において <こぶし書房に届いた手紙> に言及されているのを拝読しました。この手紙を書いたのは私です。一筆啓上申し上げ、この際「探究派ブログ」の場をお借りして発言させていただきます。
 なおこれまでに私の執筆したものとしては、こぶし書房広報誌『場』 No.16-18(2000/10-2001/5)に掲載の『実践と場所』書評があります。1970年代には『解放』紙のコラム【一撃】をいくつか書きましたが自慢することではありません。


(目次)
0.  『社会の弁証法』などにおける「メタモルフォーゼ」とのルビはすべて誤りである
1. 「弘法にも筆の誤り」は「青恥」 百聞は一見に如かず ○読の陥井 
2. 22年間気が付かない鶴巻派の「赤恥」「心のきれいな人」には見える「高貴な衣」
3. 信者にさらに23年間誤謬を隠ぺいしたまま経典化せんとする鶴巻官僚
4.  「強断定」に担保される「選民証」 これって「反スタ」なのでしょうか

 

0.  『社会の弁証法』などにおける「メタモルフォーゼ」とのルビはすべて誤りである
 
 あまりにも馬鹿馬鹿しいので最初に事実問題を列挙しておきます。
 2021年1月19日に発売された「KK 書房」版『社会の弁証法』のマド38(p.111)に3か所、マド40(p.113)に1か所、付録の p.335 の計5か所出てくる「物質代謝」への「メタモルフォーゼ」とのルビはすべて誤りである。1961年版・現代思潮社版『社会観の探求』には無かった記述が1994年版・こぶし書房版『社会の弁証法』に改訂した際に持ち込まれてしまった。『社会の弁証法』の英訳版である『Dialectics of Society』(こぶし書房 2003年)では該当箇所はすべて「metabolism」「metabolic interaction」に訂正されている。マルクスの『資本論』(以下「DK」)における「物質代謝」の独語原文は Stoffwechsel(シュトフヴェクセル)であって、これを英語の metabolism (メタボリズム 新陳代謝)に置き換えることは正しいが、「メタモルフォーゼ」(独語 Metamorphose)は「変態(幼虫→蛹→蝶)」を意味する語で「メタボリズム」とは音が似ているだけの全く別の語。ただの間違いである。
 ついでに言ってしまえば、黒田寛一(以下「KK」)が「メタモルフォーゼ」の語を使い始めたのは1994年版の『社会の弁証法』が最初ではない。
 私の認識しているかぎりでは、『変革の哲学』(こぶし書房 1975/9)のp.116これが初出である。その後『覺圓式アントロポロギー』(こぶし書房 1991/9)の p.18、さらに『宇野経済学方法論批判』(こぶし書房 1993/3)のあとがき p.496 と続く。これらはすべて一貫して「新陳代謝」の意味で使われており、つまりすべて誤りである。

 

●英訳版ではすべて直っている 
 では日本語版原本におけるこの誤りは英訳版ではいかに訂正されたのか。
 『変革の哲学』の英訳版たる『Praxiology』(こぶし書房)がなぜか当初告知より半年遅れて1998年1月に刊行されたが、そのp.45・p.46では  Stoffwechsels、 metabolism と正しく直っている。誰かお知らせしたのでしょうかね。その事情は後程。
 『社会の弁証法』の英訳版たる『Dialectics of Society』(2003/8 こぶし書房) p.125 p.137 p.195 も metabolism、metabolic interactionで直っている。
 なお独立に『Essential Terms of Revolutionary Marxism』(1998/11 こぶし書房)の 
p.244 metabolism Stoffwechsel p.245 メタボリズム(新陳代謝)は正しい。
 ただこの本p.243のこの「労働過程と搾取」の節は 当初94年秋に「解放」に連載された「Terminology」での「No.55具体的有用労働」との記事では metamorphose と metabolism とが等置されるという度し難い錯乱を示していたものを全面的に書き改めた新稿である。「訂正した」というのとは別の話と言うことになろう。
 ともかく1998年以降、英訳版ではすべて訂正されているわけである。
 ふたつのことが問題であろう。一つは、1975年『変革の哲学』で初出以来、1998年に英訳版で訂正されるまで、その間違いに22年間も誰も気づかなかった鶴巻派とは何なのか。これについては後でまた触れる。
 だけでなく、1998年に『変革の哲学』英語版では訂正しながら、では肝心の日本語版はどうしたのであろうか、その後のさらに23年間にわたって、ということが直ちに問われるでしょうね。

 

●なのにKKは日本語版は訂正しなかった。そんなのありぃ?! 
 KK 書房版『社会の弁証法』は「凡例」によれば、こぶし書房刊初版第3刷(2005/5)を底本としたとしている。つまり KK 存命中の増刷本であって、KK にその意思がありさえすれば今の印刷技術では「メタモルフォーゼ」→「メタボリズム」の差し替えぐらい十分可能なのに KK はその際に訂正しようとはしなかった。ちなみに『変革の哲学』も同様にこの時期に増刷していて訂正の機会がありながら、KK は訂正しなかった。
 で、結局英語版での訂正を日本語版には反映しないまま、読者を置き去りにして2006年に KK は永眠してしまわれたのである。どういうおつもりなのか今となっては KK にお尋ねすることはもう出来ないが、常人の理解を越えたことと言うほかないでしょう。あまりに非凡な方というのはわれわれ凡俗とは住んどる世界が違うのでしょうか。

 

●誤謬を隠ぺいする「KK 書房」と鶴巻官僚
 KK にもついていけないがもっとついていけないのが「KK 書房」と鶴巻官僚。
 もちろん今回の「KK 書房」版の『社会の弁証法』刊行に際して、著者がすでに鬼籍に入っている以上その日本語の文言の本文を勝手に変更することは許されない。著者存命中の最終刷本を底本とするしかない。それはその通りだ。だが著者存命中に英語版では「メタモルフォーゼ」→「metabolism メタボリズム」と訂正しているのだから、「註記」ではその旨を明らかにするのが全集刊行の常道でしょう。明白な誤りを含んだ著作をそれと告げずに、「組織」の名で半ば強制的に売りつけるなんて、こんなアコギな商法があるでしょうか。違いなんかワカラヘンだろうと馬鹿にされたまま買わされる読者はどうなるのだろうか。
 ある意味では確かに、「メタモルフォーゼ」と「メタボリズム」との混同なんてクダラナイ凡ミスには違いない。『社会の弁証法』(元は『社会観の探求』現代思潮社 56年)が出版当時果たした清新な意義を思えばほんの瑕瑾(玉に瑕)に過ぎないとは言えるのかも知れない。でもそれがよりによって「自然と人間との物質代謝」という DK のキーフレーズへの誤ルビという、まさにマルクスの顔に泥を塗るようなものであってみれば。いま売り出しの斎藤幸平、このルクス主義者(プロ独を忘れた、マの抜けた「マルクス主義者」)でさえもが『人新世の DK』で「自然と人間との物質代謝」を声高に叫んでいる最中というのに。これは致命傷であって恥ずかしくて売りに出せるようなものではないとしなければならないでしょう。
 ところで、英訳時に訂正したわけだが、その当時英訳本を読んで自分でそれと自覚している人は手を挙げてください。あるいは英訳本では訂正しているという事実を教えてもらっている人は手を挙げてください。鶴巻派の諸単位組織の中でキャップさえそのようには聞かされていないところが多いのでは。「せこい」というのは方言なのでしょうか。私の育った地方ではこういうのを「せこい」といいます。英語でだけこっそり訂正して頬被りだなんて。標準語では「隠ぺい」というのでしょうね。
 鶴巻官僚にとってはそうしなければならない理由があるのでしょうね。探究派の方々がこの間執拗に暴露しているとおり。無謬のKK の権威を守り、神格化することに「組織」の維持つまり鶴巻官僚たちのメシとセイカツがかかっているのでしょうから。「黒田教団」化、すなわち「宗教化」こそが彼らの至上課題なのでしょうね。

 以上は事実問題の確認でした。諸派は面白がって言うでしょうね。「革マル派は KKの言うことを盲信する馬鹿ばかりだ」と。でも私はそうは言わないのです。私自身がオカシイ、オカシイとは思いつつもなかなかマチガイとは断定できなかった一人なのであって、その問題の根拠についてこそ、本稿の本題として以下考えてみたいと思います。
     (2021年1月22日  唯圓)