青恥・赤恥・頬かむり 第4回 信者にさらに23年間誤謬を隠ぺいしたまま経典化せんとする鶴巻官僚

3. 信者にさらに23年間誤謬を隠ぺいしたまま経典化せんとする鶴巻官僚

 

 98年に英訳版では訂正したという事実そのものを下部活動家にはもちろん北井さんのようなトップクラスの理論家にさえ伝えなかったのが鶴巻官僚。いや KK   本人も、存命中に日本語版『変革の哲学』『社会の弁証法』の増刷つまり訂正の機会がありながら日本語版への訂正の反映をしなかった。KK  の神格化が飯のタネの「君側の奸」が悪いだけではない、こういうのに担がれてその意を汲んだかのようにふるまう KK  も KKだと言わねばならないのではないか。秘書や宦官を衝立にするシンゾーを引き合いに出すのは不謹慎なのであろうか。悲しくてもこの冷厳な現実から目を背けてはならない。
 23年後の2021年になって何事もなかったように頬被りして、註記もつけずに赤恥の『社会の弁証』をそのまま「全集」に収めたこの現時点からはこう捉え返すことができるのではなかろうか。これは23年前からの予定のシナリオの完成だ、と。
 97年の私の手紙への不思議な回答の意味が、ここに露わになったのだ、と。英訳版ではこっそり訂正するが日本語版は訂正する意思は初めから無かったのだ、と。私の邪推であればいいのだが。
 すでに13回忌も経て、まさにかかるものとして、「それだけの人」としてKK  は自らその棺を覆ったのである。
 晩年の生身のKK  のこの無残な蹉跌をわれわれは乗り越えていくのでなくてはならない。その学恩を噛みしめればこそ。
       (2021年1月22日   唯圓)