青恥・赤恥・頬かむり 第5回 これって「反スタ」なのでしょうか

4.  「強断定」に担保される「選民証」  これって「反スタ」なのでしょうか

 

 私はもともとは武谷三男シンパとして出発したのでした。最近のことですが研究者たちの『昭和後期の科学思想』合評会に場違いを承知で参加して末席で聴講したことがあります。「武谷を葬る!」「どうしてですか」「エラそうだから!」(金山浩司氏)というなんとも乱暴な論議もあってこれでは武谷も成仏せず化けてでてくるのではないかと辟易としたのですが、実は最大の収穫は岡本拓司氏(東大准教授)の次の口頭コメントを拝聴したことでした。少し付き合ってください。

 

 ●「あの頃はカシコイ子はみんな共産党に入ったんですよね」
  KK と同年代の科学史家の廣重徹の名著に『戦後日本の科学運動』というのがあって「こぶし文庫」として復刻されました。その時のこぶし書房広報誌『場』No.43(2012/9) に奥様の三木壽子氏が(新制)京大時代の廣重徹について「(旧制)三高の時から共産党員で…」と思い出を語っているのですが、ここを解説して岡本拓司氏は「あの頃はカシコイ子はみんな共産党に入ったんですよね」と。
 これを聞いて私は<わしらの頃には革共同かそれでなくともブントあたりが人気があったのだが、戦後直後は共産党だったと><ありゃハヤリか><「賢い子」というのは自己措定の問題だから、本当に賢い子もいれば、自分で勝手にそう思っとるだけの子もいるわけだ。「賢い子」と付き合えば自分も賢くなれる気になるとか、いやいや「賢くみられる」だろうなんてあたりがいちばん正直で謙虚に身の程を弁えた人かも知れんしな。><それにしても「賢い子」か。ナベツネのような振幅の大きな無節操に見える奴でも本人の不動のアイデンティティとしては「賢い子」で一貫しとるわけか。太田龍なんてのもその口かもしれんな。>と、何か自戒と謎解きのヒントを一つ教えていただいたような気になったのでした。
 私自身は自分を「賢い子」だなどとは錯覚しようにもしようのない目を味わってきたわけだが、でもそんな自分でもなにか意味のある仕事の「驥尾(きび」に付したい」と思うことはある、だけどそれって「尻馬に乗る」ことの上品な言い換えに過ぎない場合もあることには警戒しなければならないと思うのもまた事実であるでしょう、

 

 ●加藤尚武氏でさえも
 こぶし書房から「黒田寛一読書ノート」全15巻シリーズとして1948年3月から1955年11月の KK  のノートが出版されています。ごく初期の KK  の息吹と地金に触れることができる貴重な文献です。で、その刊行案内のパンフレット(2015年)に加藤尚武氏が推薦文としてこう書いているのです。
 「黒田寛一に会えば、その断定力の強さに圧倒される。…彼に付いていくなら、救いが感じられるだろうと思わせる…」と。
 当代最高の知識人でさえこう言うのです。そうその「強断定」の魅力にひかれた人は少なくないのではないでしょうか。実際、まわりはスターリニストの客観主義者ばかりの時代に、敢然として実践的唯物論を説く、じつに心強い拠り所を与えてくれたのでした。
 動労のヘル・菜っ葉服の隊列を眼前にして「革命の心臓」たる労働者階級を実感し、「革命の頭脳」たる哲学のテープを密室で聞くことを許される自分は、まさに「階級的使命」を自覚・実践する「前衛」部隊としての認証を得たのだと、ひそかに自負したものでした。
 KK  から直接に手ほどきを受けて緊箍児(きんこじ)をはめてもらい、「抜擢された」と感激して実存的支柱にする人もいますね。
 でもそれは、自分で考えずにひたすらそこからずり落ちないようにする SELF MIND CONTROL と紙一重ではないでしょうか。うかうか異議を唱えて、座敷牢に幽閉されて廃人にされてしまった小野田圭介氏や、テロられて海外に避難しニュージーランドで客死した上野孝氏(元動労青年部長、「ロドス島」の映画でデモ指揮をしている人)の悲惨な末路を目の当たりにしては、みんな委縮するばかりでしょう。ひたすら大勢順応することで「選民証」を失わないようにしようと。これってスターリニストとどこが違うのでしょうか。
 強断定のモルヒネに心の安らぎを求めるのではそれは宗教と変わりません。
 私たちはドッチラケをくぐるべきではないでしょうか。KK の残念な晩節と鶴巻派に。だけでなく、その信者たる自分自身に対しても。欠陥本を売りつけられる自分に怒りを感じませんか。
 ドッチラケの底からこそ、ありのままの自分自身に自信をもって自分の頭で考える、現実の世界に立ち返ることが開けてくるでしょう。色即是空空即是色。自慢することでもない私の経験を語りました。あなたはどうお感じになるでしょうか。

 

 ●佐々木力氏の遺した達観
 最後に。先日失意のうちに亡くなられた佐々木力氏。一つだけいいことを遺しています。曰く「広松渉は終生スターリン主義者のままだった。黒田寛一スターリン主義を乗り越えようとしたが、乗り越えそこなった」と。まあ客観的にはそうなのでしょう。
 スターリン主義の超克は簡単なことではありません。まだまだこれからやりなおすしかありません。私は何の力にもなれませんが、陰ながら探究派の諸兄姉や鶴巻派から自己を問い直して再出発しようとされる方々に注目してまいりたいと思います。
 長文をお読みいただき有難うございます。
       (2021年1月22日  唯圓)