斎藤幸平「疎外論」批判 第5回 疎外論をいかにして破壊したか――自己実現論への歪曲

 3 疎外論をいかにして破壊したか

 

 (1)自己実現論への歪曲

 

 「マルクスの実践的立場の確立」と「『経・哲草稿』におけるマルクス疎外論」をみてきた。

 ここで、斎藤の「疎外論」を思い出してみよう。
 彼は、疎外の原因を「自然からの疎外」であると言い、マルクスの「疎外論」を、「要するにマルクス疎外論が問題視しているのは、労働が自己実現や自己確証のための自由な活動ではなく、窮乏化、労苦、人間性剥奪、アトム化を引き起こす活動に貶められている近代の不自由な現実のありかたである。こうした状況に抗して、マルクスは「私的所有のシステム」の廃棄による労働疎外の克服を掲げ、人々が他者とアソシエーションを通じて、自由に外界とかかわり、労働生産物を通じて、自己確証を得ることのできる社会の実現を要求した」と要約していたのだった。先にみてきた『経・哲草稿』におけるマルクスの「疎外論」をどのように解釈すれば、このような要約ができるのであろうか。
 『ヘーゲル法哲学批判序説』においてマルクスが宣言したプロレタリアートを主体とした人間の人間としての解放と、近代資本主義社会の根底的変革を意志したマルクスはここにはない。斎藤はそれを切り捨てている。そのうえで、「労働が自己実現や自己確証のための自由な活動ではなく、窮乏化、労苦、人間性剥奪、アトム化」などと、現象論的な言辞を並べているにすぎない。
 マルクスは、近代資本主義社会におけるプロレタリアの直接的現実性から、彼の生産物が、彼に対立し彼を支配するということ、自らの生産物の奴隷にならざるをえないということを、まずもって暴きだしたのである。斎藤はこのことについていっさい触れない。
 「国民経済学は労働者(労働)と生産のあいだの直接的関係を考察しないことによって、労働の本質における疎外を隠蔽している。」とマルクスが国民経済学を批判したように、斎藤もまた、この関係を隠蔽するのである。


 労働そのものの疎外の分析において、マルクスは、その労働者の労働が他の人間に属し、その労働は、単に労働者の肉体的生存を維持するためのもの、動物的な奴隷的な労働に貶められていることを暴露し、その根底につかみとったところの人間労働の本質形態からとらえかえして、その労働が、人間的本質を喪失したもの、奪われたものとして論じたのである。マルクスの「疎外された労働論」は近代資本主義社会の分析という理論的レベルにおけるプロレタリアの労働の本質論である。
 マルクスは、『経・哲草稿』の後の項でこの労働者を「商品人間」と規定している。この時点におけるマルクスは、労働力商品、あるいは労働力の商品化という概念を獲得してはいないけれども、その内実がここにおいて把握されている。マルクスの「疎外された労働」のこの把握が後に労働力商品という概念に結実し、『資本論』冒頭の始元的商品として措定され、資本主義経済の本質論的解明がなされるのである。


 斎藤は、このマルクスの思索、論述を一切無視するのである。「労働が自己実現や、自己確証ではなく」という斎藤の論述は、マルクスが思弁的・哲学的にとらえ返したところの「疎外された労働」における合目的性の喪失から拾い上げてきたものであろうが、斎藤はそれ以前のマルクスの論理展開を無視している。自らの生命活動が、ただ肉体的生存の手段としてのみおこなわれ、しかも自ら生産した生産物の所有者に支配・隷属した労働を、マルクスは本質論的労働論からとらえかえし、合目的的な労働の喪失ととらえたのである。
 この「合目的的な労働の喪失」の論理過程を無視し、「自己実現や自己確証」などという言葉に置き換えることは、歪曲などという言葉ではすまされない。
 マルクスの『経・哲草稿』における「疎外された労働」論は「窮乏化、労苦、人間性剥奪、アトム化」などという、表象的な言葉で片付けられるものではない。またマルクスの実践的立場は「労働生産物を通じて、自己確証を得ることのできる社会の実現を要求する」などというものではない。

 繰り返すことになるが、マルクスプロレタリアートを主体とした、人間の人間としての解放を、すなわち近代資本主義社会の根底からの変革を意志し、この実践的立場にたって、プロレタリアートの直接的現実性から下向的に分析し、かつその底に哲学的・思弁的につかみとったところの人間労働の本質論からさらに労働そのものの疎外をとらえ返し、「疎外された労働」論を確立したのである。

 その論理過程そのものを無視し、言葉の置き換えを行うことは、マルクス「疎外された労働論」の破壊である。
       (2021年1月26日  潮音 学)

斎藤幸平「疎外論」批判 第4回 『経・哲草稿』におけるマルクスの疎外論

 2 『経・哲草稿』におけるマルクス疎外論

 

 (1)分析の出発点

 

 「われわれは国民経済学上の事実から出発する」とマルクスは述べる。
 マルクスは、疎外された労働を分析する前提として、第一草稿(1)~(3)において労賃、資本の利潤、地代というように、国民経済学によるこれらの諸分析・諸理論の検討を行う。この国民経済学の諸分析・諸理論の検討は、目の前の労働者の現実を確認するものとして位置付けられている。そして上のように述べたのであった。
 そのうえで、次のパラグラフにおいて「労働者は、彼が富をより多く生産すればするほど、彼の生産の力と範囲が増大すればするほど、それだけ貧しくなる。」と労働者の直接的現実性の分析を労働者と生産物の関係から始めるのである。
 国民経済学のように私有財産でもなく、また斎藤の言うような「地代」でもなく、分析=認識の端緒を、マルクスプロレタリアートと措定したことは、『ヘーゲル法哲学批判序説』においてマルクスが、プロレタリアートを、近代資本主義社会を根底から覆す主体として措定したことに、だからマルクス自身がプロレタリアートを主体として、資本主義社会の根底からの変革を意志していることにもとづくのである。
 マルクスはこの変革の実践的立場にたつことによってはじめて、解放の主体としてのプロレタリアートを分析=認識の端緒として措定しえたのである。


 いみじくも黒田寛一が「認識の出発点が生産物からのその生産者の疎外に、また存在論的展開の出発点が、賃労働者の疎外された労働におかれているということは、直接的現実性としての資本主義社会の場そのものの変革をめざした追求がなされている」(『変革の哲学』)と指摘するとおりである。


 斎藤のような政治主義的な文献解釈主義では、この場所的立場にたったマルクスの変革の意志をとうてい理解することはできない。また同時に、実践的立場にたって変革の意志を自覚することにおいて、はじめて、解放の主体としてプロレタリアートを分析の出発点として措定しうる、という論理構造は把握されえない。われわれ自身がわれわれのおいてあるこの場所を変革する、という場所的立場にたって、われわれ自身を疎外されたおのれ=プロレタリアとして自覚し、そこからの解放を、この現実の変革を意志することなくして、このマルクスの、そして黒田の変革の意志と論理をつかみとることはできないのだ、と私は思う。
 「若きマルクスの思想成熟の歴史的過程は、行為的現在におけるプロレタリアの革命的自覚の論理過程において再現されるのだ」(『マルクス主義形成の論理』)との黒田寛一の指摘は、主体的にとらえ返されなければならない。


 われわれ自身が、われわれ自身のおいてある場所において、疎外された現実の変革を意志し、若きマルクスのイデーとそれを生み出した道程を追体験的につかみとることを媒介として、おのれ自身の感性・思惟・意志を目的意識的に創造していく。ここに黒田のいう「再現」がなされるのだ、と私は考える。この実践的立場にたってこそ、マルクスが『経・哲草稿』において、分析=認識の端緒にプロレタリアートを措定したという意味を捉えることができる、と私は考えている。

 

 (2)「生産物からの疎外」から「労働の疎外」へ

 

 マルクスは労働者と生産物の関係の分析において、労働の生産物が、労働者の生命の対象化であり、外化であること、そしてその対象化された労働が、労働者と対立し、労働者はそれに隷属させられるということをあきらかにしている。これをマルクスは近代資本主義社会における「労働の生産物からの疎外」として論じるのである。この「生産物からの疎外」は感性的外界=自然との関係へと分析され、二重の意味で、自然は第一に「労働に属する対象であることを、彼の労働の生活手段であることをやめる」、そして第二に「直接的な意味での生活手段、労働者の肉体的生存のための手段であることをやめる」ということである、というように深められる。これは、労働者が、自ら生産した生産物から「労働の対象から、労働を受けとる」ということ、また「生存手段を〔対象から〕受けとる」ということであり、このことは労働者が、二重の意味で、生産物の奴隷となることを意味する、ということがあきらかにされるのである。


 マルクスはさらに労働そのものにおける疎外へと分析を下向的に深める。
 労働者の資本の下での労働が、労働者にとっては、外的な労働となる。それは労働者が生存するための強制労働であり、労働者の活動は彼の目的意識的な活動ではないのである。「それは他人に所属しており、労働者自身の喪失である」、とマルクスは述べる。その結果、労働者は、「食うこと、飲むこと、産むこと、さらにせいぜい住むことや着ること」という動物的な諸機能においてのみ、自発的に行動していると感じるにすぎない。「動物的なものが人間的なものとなり、人間的なものが動物的なものとなる」、と。まさに人間的なものの喪失として、マルクスは、これを「労働の疎外」・「自己疎外」と規定するのである。


 この論述において、マルクスは「労働者自身に反逆し、彼から独立し彼に所属しない活動としての、労働者の肉体的および精神的エネルギー、つまり彼の人格的生命――活動以外の生命とは何であろうか――」と自問している。この自問に、私は『ヘーゲル法哲学批判序説』において、プロレタリアートに「ただ人間的な権原だけを拠点にする」ことを見出し、「人間を人間の最高のあり方であると宣言するところの、この理論の立場からする解放である。」と述べたマルクスの怒りともとれる、変革の意志を感じるのである。

 

 (3)「類的存在からの疎外」と「人間の人間からの疎外」

 

 「人間は一つの類的存在である。」「類的存在からの疎外」についての論述はこの一文ではじまる。マルクスは類的存在としての人間と自然との関係を論じる。それは全自然史過程における人間の労働にかんする論として、だから人間の本質論として、哲学的思弁によって展開されている。


 「人間は実践的にも、理論的にも、彼自身の類をも他の事物の類をもかれの対象にするのであるが、そればかりではなくさらに、――そしてそのこととは同じ事柄に対する別の表現にすぎないが――さらにまた、人間は自己自身にたいして、目の前にある生きている類に対するようにふるまうからであり、彼が自己にたいして、一つの普遍的な、それゆえ自由な存在にたいするようにふるまう」とマルクスは言う。つまり、人間は感性的外界すなわち他の人間を含めて自然を対象とし、そしてその内にあって存在している。と同時に、過程的にみるならば、類的生活において、類を自然を再生産することによって、人間として進化してきた。また、それは論理的には自己自身のうちに類を自然を内在化し自己を形成するということに他ならない。その活動は彼にとって、自己自身と類そして自然との統一された自由で合目的な生命活動すなわち生産活動であって、人間は「自由なる自然の主体なのである。」(黒田寛一『プロレタリア的人間の論理』)ということであろう。


 ここでマルクスがいう「自由な存在」とはヘーゲルの『精神現象学』の「自己意識」を念頭においたものであろう。ヘーゲルが『精神現象学』において観念的な主体として「自己意識」を措定したことにたいして、マルクスは人間を人間の生産活動の主体においたのである。ここにマルクスヘーゲル哲学の唯物論的転倒を意志していることがはっきりと読み取れる。
 本質論的な、人間と自然との関係において、「自然は人間の非有機的身体である。」とマルクスは述べる。「自然は、人間が死なないためには、それと普段の〔交流〕過程のなかにとどまらねばならないところの、人間の身体であるということなのである。人間の肉体および精神的活動が連関しているということは、自然が自然自身と連関していること以外何事も意味しない。というのは、人間は自然の一部だからである。」ここにマルクスの「人間=自然・自然=人間」という概念が成立する。だが、このことは、単に主体をヘーゲルの観念的な「自己意識」=「絶対精神」を人間に置き換えたということだけを意味しない。全自然史過程のなかに人間を人間労働を位置付けたということなのである。


 「『経・哲草稿』においては、資本主義的場とその変革の論理がプロレタリアの労働を基軸として追求されている。そして人間労働の資本主義的自己疎外を根底から変革するために、まさにそのために種属生活をいとなんでいる共同体的人間の感性的活動(共同労働)、または人間労働の本質形態が、本質論的に論じられているのである。すなわち物質の自己運動の観点から、人間社会の根底をかたちづくっている労働の構造を唯物論的にあきらかにしているのである。だから、「主体としての実体」あるいは「実体としての主体」がヘーゲルにおいては絶対精神であるとしても、マルクスにおいては物質である。」(黒田寛一『変革の哲学』)ということなのである。


 「人間は意識している生命活動をもっている――まさにこのことによってのみ、人間は一つの類的存在なのである。あるいは、人間がまさに類的存在であるからこそ、彼は意識している存在なのである。」とマルクスは言う。
人間は、全自然史過程において類として存在した。それを物質的基礎とした共同の生産活動において、「意識している生命活動」という特性を獲得したのである。また、自己を含む他の類を自己のなかに内在化し、合目的的な「意識している生命活動」すなわち生産活動において、その活動の技術性を共同体の類としての技術性として高度化し、類と外的自然を再生産してきたのである。だから、人間の精神的・物質的な生産活動は類的な生産活動として実現される。まさに、「類的存在」は人間の本質的な規定に他ならない。
 さらに、「意識している生命活動」の構造が「人間は、たんに意識のなかでのように知的に自分を二重化するばかりではなく、制作活動的、現実的にも自分を二重化するからであり、またしたがって人間は、彼によって創造された世界のなかで自己自身を直観する」というように、人間実践の唯物論的解明がなされるのである。後で論じたいと思うが、このマルクスの人間労働=実践論の唯物論にもとづく思弁が、「フォイエルバッハに関するテーゼ」につながっていくのである。


 次にマルクスは、「疎外された労働」によって、人間労働の本質がどのように歪められるのかを論じる。
 ①「疎外された労働」は、人間の本質である、類的存在としての共同生活から、個人生活と類的生活を分離する。抽象化されたなかにおいて、つまり人間の観念的な世界において、個人生活が目的化され類的生活はその手段となる。このことは、「真実のところをいえば」人間の生産活動は類的存在としてのものにもかかわらず、資本主義的生産様式を物質的基礎とする「疎外された労働」によって、生産活動は、動物的に貶められた個人生活の手段となってしまうのである。
 ②このことは、「意識的な生命活動」をする人間にとって、そうであるがゆえに類的存在としてあり、類的存在であるがゆえに「意識的生命活動」を獲得してきた人間にとって、人間の本質を一手段とすることに他ならない。目的意識的な自由な活動は、動物的な生命を維持するというものの手段として逆転させられてしまうのである。ところで、この目的意識的な活動の疎外は、精神的活動と物質的活動の分離を意味する。意識的・合目的的な労働は、たんにそれから切り離された、動物的なあるいは奴隷的な労働へと貶められるのである。
 ③またさらに、人間は自然の一部として、自然を「非有機的身体」とし、自然との普段の交換によって、類的存在としての人間を創りだしてきたにもかかわらず、この自然と人間との分離を、疎外をもひきおこすのである。これは、永遠の生産対象としての自然の疎外ということだけでなく、自然との関係において、人間がその本質を疎外されることに他ならない。
 ――マルクスは、このように、疎外された労働を類的存在からの疎外として明らかにしている。近代資本主義社会の労働者の直接的現実性を生産物と労働者の関係から下向的に分析し、資本主義社会の労働そのものにおける疎外を把握し、さらに下向的に哲学的思弁によって本質論的労働論を解明して、この本質論から上向的に近代資本主義社会における疎外された労働をとらえ返すことによって、近代資本主義社会における疎外された労働の本質を把握するのである。まさに、これは、マルクスの下向・上向の認識論の方法が確立されていく過程である、と私は思うのである。
 マルクスは四つ目の疎外としてこれまで展開してきた三つの「疎外」から、「人間からの人間の疎外」を導き出す。それは労働者と生産物を所有する人間との対立・支配として現出するのである。近代資本主義社会においては、プロレタリアとブルジョアとの関係として、プロレタリアートブルジョアジーとの階級対立として現出するのである。

 斎藤は「アトム化」などという言葉で、プロレタリアートブルジョアジーの階級対立を隠蔽するが、マルクスは階級対立の根拠として「人間の人間からの疎外」を論じているのである。
       (2021年1月26日  潮音 学)

斎藤幸平「疎外論」批判 第3回 若きマルクスの実践的立場の確立

 三 改竄


 斎藤幸平によるマルクス疎外論」の解釈を追ってきた。だがそれは、若きマルクスが近代資本主義の労働者の現実と対決し、思考し、学問的苦闘の上に掴み取ったものとはほど遠いものである。若きマルクスの思索・学問的苦闘を追いながら、斎藤がいかにマルクスを改竄しようとしているのかを暴露し批判していかなければならない。

 

  1 若きマルクスの実践的立場の確立

 

 1843年マルクスは『ユダヤ人問題に寄せて』と『ヘーゲル法哲学批判序説』という二つの論文を「独仏年史」に発表している。
 ドイツでは、イギリスやフランスのようにブルジョア革命が成し遂げられなかった。プロイセン王国という絶対王政のもとでの資本主義化がおしすすめられたのである。ただドイツでは頭のなかだけでの革命が行われたのだ。その思想的表現がドイツ古典哲学であり、その集大成ともいえるヘーゲル哲学である。このようにマルクスは捉えたのであった。
 ヘーゲル『法の哲学』序文の「理性的なものが現実的であり、現実的なものは理性的である」というヘーゲルのテーゼは、プロイセン君主制を理論的に基礎づけ、擁護するものでしかなかった。マルクスは、ヘーゲル哲学を土台としつつも、当時のドイツ社会の現実と対決し思惟していた。だからフォイエルバッハ唯物論からするヘーゲル哲学批判に共感をもち、依拠したのであった。『ユダヤ人問題によせて』においては、フォイエルバッハ唯物論的宗教批判に依拠しつつ、ユダヤ人の政治的解放の問題から人間の人間的解放を思考し、「あらゆる解放は、人間の世界を、諸関係を、人間そのものへ復帰させることである。」と論じたのである。
 さらに、マルクスは『ヘーゲル法哲学批判序説』において、ドイツ革命の主体としてプロレタリアートをみいだすのである。
 「どこにドイツ革命の積極的な可能性があるのか? 

 答え。それはラディカルな鎖に繋がれた一階級の形成にある。市民社会のいかなる階級でもないような市民社会の一階級、あらゆる身分の解消であるような一身分、その普遍的な苦悩ゆえに普遍的な生活を持ち、なにか特別な不正ではなく不正そのものを蒙っているがゆえにいかなる特別の権利をも要求しない一領域、もはや歴史的な権原ではなく、ただなお人間的な権原だけを拠点にすることができる一領域、ドイツの国家制度の諸帰結に一面的に対立するのではなく、その諸前提に全面的に対立する一領域、そして結局のところ、社会のすべての領域を解放することなしには、自分を解放することができない一領域、一言でいえば、人間の完全な喪失であり、それゆえにただ人間の完全な再獲得によってのみ自分自身を獲得することのできる一領域、このような一階級、一身分、一領域の形成のうちにあるのだ。社会のこうした解消が一つの特殊な身分としているもの、それがプロレタリアートなのである。」

 この時点において、マルクスはその哲学的方法はヘーゲルを土台としつつ、また唯物論的立場としては、フォイエルバッハに依拠しつつも、はっきりと、ドイツの解放が、そして「社会のすべての領域の解放」がプロレタリアートによって成し遂げられると確信している。と同時に「人間の完全な喪失であり、それゆえにただ人間の再獲得によってのみ自分を獲得することができる」と述べているとおり、それは人間の人間としての解放として位置付けられているのである。
 マルクスは『ヘーゲル法哲学批判序説』を「ドイツ人の解放は、人間の解放である。この解放の頭脳は哲学であり、その心臓はプロレタリアートである。哲学はプロレタリアート揚棄なしには自己を実現できず、プロレタリアートは哲学の実現なしには自己を揚棄しえない」と高らかに宣言し締めくくる。哲学論議に明け暮れるヘーゲル左派から決別し、目の前のプロレタリアートの現実と対峙し、革命の主体がプロレタリアートであり、その解放が、人間の人間としての解放であると捉えた、マルクスの、いや人類の巨大な一歩である。そしてそれは、プロレタリアートが、哲学をおのれのなかに内在化し、自覚することによって、人間としての解放が実現されるということ、哲学からとらえ返せば、プロレタリアートを主体して、哲学が実現されるということに他ならない。
 まだ、マルクスヘーゲル哲学の方法を土台とし、フォイエルバッハに依拠しているとはいえ、マルクスの「哲学ならざる哲学」、「現実の学としての哲学」の創造の出発点に立ったのである。それを可能ならしめたものは、マルクスプロレタリアートのドイツ社会における現実の姿と対峙し、人間の人間としての解放を現実的に思考したことに他ならない。このマルクスの実践的立場こそが、若きマルクスをして巨大な一歩を踏み出させたのだ、と私はうけとめている。

 

 では、斎藤はこの若きマルクスを、『ヘーゲル法哲学批判序説』におけるマルクスをどのように捉えるのであろうか。斎藤は次のように述べる。
 「『ヘーゲル法哲学批判序説』において、マルクスは近代の「国家」と「市民社会」の二項対立を批判したが、この分裂した現実を克服し、私的な個人が市民社会を超えて、公共圏へと参加することのできるようなあり方を「民主主義」の「理念」として現実的に対置した。
そのうえでこの理念に倣って、民主主義運動にコミットするように人々に訴えかけたのだった。」と。
 なんという卑劣な政治主義であろうか。
 斎藤は、プロレタリアートを「私的な個人」と言い換え、プロレタリアートの「人間の完全な喪失であり、それゆえただ人間の完全なる再獲得によってのみ自分自身を獲得することができる」ということ、すなわちプロレタリアートの人間の人間としての解放を「公共圏への参加」などと捻じ曲げる。ドイツ解放を、しかもプロレタリアートによる根源的な人間の解放としてのドイツの解放を、「民主主義運動」などと、今日のブルジョア民主主義におもねり、それに受け入れられるものとして、創造されつつあるマルクスのイデーをも破壊してしまうのである。
 まさに、マルクスの破壊・捏造と言わなければならない。斎藤には学問的良心の一かけらも感じることはできない。そこにあるのは卑劣な政治主義でしかない。
       (2021年1月26日   潮音 学)

斎藤幸平「疎外論」批判 第2回 解釈

 二 解釈


 斎藤は『大洪水の前に』の冒頭「はじめに」で、次のように述べる。
 「第一章で論じるように、マルクスのエコ社会主義というモチーフはすでに『パリ・ノート』(『経・哲草稿』1844)のうちに見いだすことができる。マルクスはすでに一八四四年の段階で、人間と自然の関係の歪みと矯正を疎外論にとっての中心的なテーマとして扱っていたからだ。具体的には人間と自然との本源的統一の解体のうちに、近代的な疎外された生の成立を見定め、それに対して、「人間主義自然主義」という理念を対置することで、人間と自然の統一性の再構築をポストキャピタリズムの実践的課題として掲げたのである。ところが『ドイツ・イデオロギー』(1845-1846)において、マルクスは哲学的「理念」を疎外された現実に対置するという方法の不十分さを認識するようになる。その結果として、哲学に別れを告げることで、マルクスは「物質代謝」という生理学概念を用いて分析するようになり、さらには、その「攪乱」・「亀裂」を資本主義の矛盾として扱うようになっていく。」と。
 また第一章で言う。
 「後のマルクスが環境破壊を資本主義的生産様式の内在的矛盾として把握することができたとするなら、それは人間と自然の関係に生じる分裂についての若き日の批判的洞察に依拠しているのだ。つまり、「人間主義自然主義」という一八四四年の理念のうちには、マルクスが生涯にわたって放棄することのなかった根本的問題構成が潜んでいる。」と。つまり、斎藤は『経・哲草稿』でマルクスがつかみとった疎外論から人間と自然との関係についての把握のみを、「人間主義自然主義」という理念のみをマルクスが生涯つらぬいたものとして、取り上げるのである。こうすることによって同時に、この理念の内実を歪曲するのである。


 『経・哲草稿』においてマルクスは、近代資本主義社会の労働者の現実を下向的に分析して、①生産物からの疎外②労働の疎外③類的存在からの疎外④人間の人間からの疎外という四つの疎外をあばきだし、かつ、哲学的・思弁的に人間労働の本質形態を明らかにしたのである。このことは、他面からすれば、近代資本主義社会におけるプロレタリアの労働を、この労働の本質形態から、それの疎外形態としてとらえ返したのだ、といいうる。 

 斎藤は、マルクスのこの学問的苦闘のなかから、本質論的労働論の、自然と労働の関係を論じた部分だけを拾い上げ、他の思索は「哲学からの決別」と称して切り捨ててしまうのである。

 また、『人新世の「資本論」』という著書において斎藤は、『共産党宣言』(1848)の展開は生産力至上主義であるとし、農業問題や自然科学の研究に打ち込んだマルクスが「物質代謝」という生理学上の概念を獲得することによってそれを改め、『資本論』においては「物質代謝」という人間と自然との関係の「攪乱」・「亀裂」を資本主義の矛盾として扱うようになったと述べている。


 自己の頭のなかのマルクスをして『ドイツ・イデオロギー』においてそれまでの哲学的追求から決別させ、『共産党宣言』に対象化されたマルクスの思想を生産力至上主義として切り捨ててしまう、これが斎藤のマルクス解釈の方法である。

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 では、斎藤はマルクス疎外論」をどのように解釈するのであろうか。斎藤は『大洪水の前に』においてマルクス疎外論を次のようにまとめた。
 「要するにマルクス疎外論が問題視しているのは、労働が自己実現や自己確証のための自由な活動ではなく、窮乏化、労苦、人間性剥奪、アトム化を引き起こす活動に貶められている近代の不自由な現実のありかたである。こうした状況に抗して、マルクスは「私的所有のシステム」の廃棄による労働疎外の克服を掲げ、人々が他者とアソシエーションを通じて、自由に外界へと関わり、労働生産物を通じて自己確証を得ることのできる社会の実現を要求したのだった。」と。
 また次のようにも述べている。
 「近代の労働者はあらゆる直接的な大地とのつながりを喪失しており、自然から疎外されている。その結果が、自然、活動、類的存在、他者からの疎外、つまりは、生産における「和気あいあいとした側面」の完全なる喪失に他ならない。社会的生産の特定の具体的な欲求の充足のために行われるのではなく、資本の価値増殖のために行われる。その際、個々の労働者は単なる価値増殖の手段でしかない。生産の新しい合理性に対応する形で、資本家も生産過程を労働者にまかせっきりにせずに、むしろ積極的に指揮・監督を通じて介入するようになる。こうして労働者の生活保障や生産過程における自律性はどんどん切り崩されていく。労働が疎外されていくのだ。」と。


 斎藤は、このパラグラフを「資本主義の疎外を人間と大地との本源的統一の解体として把握することではじめて、マルクス共産主義のプロジェクトをこの意識的な再生として整合的に捉えていたことを認識できるようになる。」と締めくくるように、「自然からの疎外」が根本的な問題=もろもろの疎外の原因であり、このことの把握がマルクス疎外論の真髄である、と捉えるのである。そうして、先の四つの疎外の要約に示されるとおり、「労働が自己実現や自己確証のための自由な活動ではなく、窮乏化、労苦、人間性の剥奪、アトム化を引き起こす活動に貶められている」ということを明らかにしたものとして、マルクス疎外論を解釈するのである。斎藤が労働者協同組合の法案成立に際して、「労使関係を前提とせず労働者自身が出資し、自分たちでルールを定め、何をどう作るかを主体的に決める。株主の意向に振り回されず労働者の意志を反映していけば、働きがいや生活の豊かさにつながる」とコメントしていたのが想起される。資本家に「指揮・監督」されなければ労働者の自律性が保障され、その労働は疎外されないというわけである。このようなものとして、斎藤はマルクス疎外論を語るのである。
       (2021年1月26日  潮音 学)

斎藤幸平「疎外論」批判 第1回 いま・なぜ

斎藤幸平「疎外論」批判
  ――斎藤幸平によるマルクス疎外論」の破壊を

               許すな――

 

 一 いま・なぜ

 

 長年にわたる良心的な環境保護活動家、科学者たちの取り組みと警鐘によって、気候危機の大きな要因とされているCO₂の排出量の制限が、ようやく脱炭素産業革命というかたちで実現されるかのように宣伝されている。第一次産業革命(18世紀半ば)から250年にもわたり主要エネルギーを担ってきた化石エネルギーの大転換である。


 昨年、ヨーロッパ各国支配権力者たち、ロスチャイルドを中核とする金融資本グループ・諸独占資本家たちは脱炭素化に大きく舵をきった。またすぐさま習近平中国もそれに追随したのである。「母なる地球は有限」と称し、コロナ感染の克服と同様に脱炭素化は「全人類の課題」としてそれは推し進められようとしている。
 だが、彼らが考えていることは、「全人類の危機」を防ぐことなどではない。コロナ危機をのりきるために、各国支配権力者たちが金融市場につぎ込んだ膨大な資金を、この膨れ上がった金融市場の資金を、脱炭素・グリーンニューディールとして投下し、ポストコロナに彼らの利害を貫徹しようとしていることでしかない。


 現代帝国主義の経済形態としての国家独占資本主義は、2008年のリーマンショックというかたちでの世界金融危機においてその限界を現実的に露呈した。独占資本家どもとその政府は、この金融危機を、膨大な赤字国債を財源とする財政・金融政策の展開によってとりつくろいつつ、国家資本主義国中国を、生産の・そして投資先の・さらに市場としてのパートナーとしながら、パーソナルコンピューター、インターネット、ICTなどの高度化による直接的生産過程ならびに流通過程の合理化をもって、労働者・人民に多大な犠牲を強いてのりきってきたのであった。だが、コロナ危機へ対応のゆえにさらに膨れ上がった金融バブルは、もはや国家独占資本主義という政治経済構造の破綻を覆い隠すことができない臨界点に達してきている。だから彼ら各国支配者、独占資本家どもは、金融市場での資産価格のつり上げという「仮想空間での投資」から現実的に価値創造が行われる直接的生産過程への投資へとどうしても切り替えなければならなかったのである。


 これが、脱炭素産業革命の物質的基礎に他ならない。だから言うまでもなく、この脱炭素産業革命は、その質、規模、影響力において巨大なものとならざるを得ない。それは全世界の労働者・人民にさらに大きな犠牲を強いることは明らかなのである。
良心的な環境保護活動家、科学者、エコロジスト思想家をからめとり、彼らを先兵としながらそれはなされようとしている。


 今、新たなマルクス主義思想家としてもてはやされている斎藤幸平もその一人である。彼は、『大洪水の前に』『人新世の「資本論」』という著書を出版し、NHK「100分de名著」という番組で『資本論』の解説を務めた。斎藤はその著書でもプロレタリア、プロレタリアートという言葉を忌み嫌う。またNHKの解説においても「階級闘争」という言葉をマルクスから抜き去り、マルクスは、「人間主義=自然主義」という観点から人間と自然との「物質代謝」を唱えたのだと解説している。


 私は先の小論において、『新人世の「資本論」』を中心に斎藤幸平を批判した。しかし、その小論で述べていたように、「疎外論」にかかわる批判は充分になしえたとは思っていない。
 若きマルクスが『経済学・哲学草稿』で獲得したところの、彼のイデーといいうるものは、明らかに『資本論』の未完の完成に至るマルクスの「学問」的生涯を貫いている。だから斎藤は『大洪水の前に』という著書の冒頭で、マルクスの「疎外論」を改竄・捏造しなければならなかったのである。


 この小論では、斎藤幸平がいかにマルクス疎外論を改竄・捏造しているのかを、すなわち、プロレタリアートの自己解放の論理である同時に人間の人間としての解放の論理であるマルクスの「哲学ならざる哲学」を歪曲しているのかを明らかにしたい。
       (2021年1月26日   潮音 学)

 

マルクス主義への怖れと憎悪 第8回 「マルクス労働論とファシズムイデオロギーとの同一性」という虚妄

 マルクス労働論とファシズムイデオロギーとの同一性」という虚妄

 

 百木は論文の一項目を「物質代謝全体主義」と題している。「最後に筆者の専門であるアーレント思想の観点からも付言しておこう」――このようにこのテーマにもっとも力をいれているのである。アーレントによる「マルクスの労働論を読み解くにあたって「物質代謝」が鍵概念となる」、となにやら自信ありげに百木は語り始めるのである。
 百木はアーレントを引用しつつ言う。
 「マルクスはかように労働を自然との物質代謝の観点から定義し、生産行為における労働と自然の一体化(合体)の契機を強調することによって人間の自由(自発性)と複数性を損なわせている。」「アーレントの定義によれば「労働(labour)」とは人間の生命維持の必然性を満たすための営みである。それゆえ、労働には人間が自由を発揮する余地はなく、それは必然性に捕らわれた強制的な営みである。」「このことはかつてのナチス・ドイツが「人間と自然の有機一体性」や「自然との共生」を掲げる非常に先進的なエコロジー思想を目指していたことと無関係ではない。」と。
 このように、百木は、マルクス労働論への憎悪を表明しながら、この労働論をファシズム思想に重ね合わせているのである。ここに、アーレントに依拠した百木の、マルクス主義とその労働論への憎悪がむき出しとなっているのであり、これはきわめて反階級的なものなのである。
 ナチスがうちだした「自然との共生」「共同体に奉仕する労働」というイデオロギー、これは「血=人種共同体」「民族共同体」の建設をめざし「土=生存圏」の確保をシンボルとする超国家主義イデオロギーなのである。
 1920年代のドイツにおいて、ブルジョアジーにたいするプロレタリアート階級闘争が激化し支配体制が危機に陥っていたという諸条件のもとで、ヒトラーナチスは小ブルジョアを軍隊的に組織化しこれを動員して、プロレタリアートの諸組織を暴力的に解体し、ファシズム統治形態をうちたてたのであった。この国家権力は、当時のドイツの金融資本を物質的基礎とする資本家階級の利害を体現したものにほかならなかった。ナチスファシズム統治形態をうちたてたその統合イデオロギーが「血と土」の超国家主義イデオロギーなのであり、まさしくそれは、虚偽のイデオロギーなのである。
 「階級闘争の克服」および「共同体に奉仕する労働」を位置づけ、「国家社会主義ドイツ労働者党」=ナチス命名したのは、このような経済的基礎と階級的基盤をもつからである。これは、支配階級たる金融資本家がプロレタリアート社会主義マルクス主義を超克するものとしてそれにふさわしい国家主義的な統合イデオロギーを必要としたからなのである。すなわち、労働者階級を国家のもとに統合するために、アーリア民族の「共同体に奉仕する労働」「土=生存圏」という欺瞞的なスローガンを掲げたわけなのだ。
 ドイツの金融資本家とその意を体したナチスがなぜ「労働を介した人間と自然の一体化」というイデオロギーをうちだしたのか。この分析を百木・アーレントはやらないのである。これを不問に付したうえで、ただ、マルクス主義の労働論とファシズムとは同一性がある、と詭弁を弄しているのである。
 百木は『資本論』の物質代謝論は「人間による自然の合理的支配」を目指したマルクスの思想である、と強調する。『資本論』において論じられている「人間と自然との物質代謝」、これをマルクス自然主義人間主義の貫徹として百木は決してうけとめることはできない。なぜならば、百木やアーレントは、人間と自然にかんして考察する場合には、人間をあらかじめ自然を超越した存在として前提し、この超越した人間が「自然を征服」する、というようにとらえるのだからである。この考え方は、近代ブルジョアジーイデオロギーそのものなのである。まさに、アーレントは、マルクスの労働論をつかもうとしても、そこで論述されているのは、労働が「物質をとらえ解体し、貪り食う」過程だ、というように解釈することしかできないのである。このような眼から、マルクスが『資本論』において「自由の王国」をつまり共同体的社会を創造する、と論じていることを見るかぎり、これに、彼女が恐れおののくのは当然のことである、といわなければならない。
 アーレント研究者を自称する百木は、いま、マルクスの諸文献のエコロジー的解釈が思想的な流行をしめしていることに危機感を募らせている。こうした思想的な流動によって、若い労働者たち・勤労者たち・学生たちが真にマルクス主義に共鳴していくこと、これを彼はもっとも怖れているのである。(おわり)
       (二〇二一年一月五日   桑名 正雄)

マルクス主義への怖れと憎悪   第7回 『資本論』の労働論への怖れ 「傲慢な思想」という非難

 三 『資本論』の労働論への怖れ


  「傲慢な思想」という非難

 「疎外論的な発想は、少なくとも『資本論』の時点では止揚され、より能動的な「人間による自然の合理的制御」という目標に置き換えられていたと見るべき」――このように百木は言う。つまりつぎのようなことを百木は積極的には言うのである。
斎藤らのエコ・マルクス主義者は、マルクスの「人間と自然との物質代謝」論を誤ってとらえている。彼らは、マルクスのそれを、人間と自然との調和の思想であり、自然との共生の考えだ、とみなす。斎藤らは、前資本主義社会には、和気あいあいとした人間と自然との関係がつくられていた、とし、これを「物質代謝」の原型とするのだからである。しかし、マルクスはそんな考えではなく、「人間が自然の物質代謝を「合理的に規制し」、人間たちの「共同的制御のもとに置く」」としたのであり、これは、「「自然の支配」を目指したマルクス」なのである。
 このように百木は強調して、斎藤らに反発しているのである。マルクス主義とは実に傲慢な思想なのだ、というわけなのである。アーレントの主張を引きながら百木は、マルクスは、むしろ、人間が自然を労働によって支配する、これが人間(社会)の在り方だ、ととらえているのであり、これは歪んでいるのだ、と非難するのである。マルクスのこのような考えは、「必然性」の領域(人間の生命維持の必然性とアーレントは言っている)に人間の営為を狭める考えであり、人間の自由は、本来は、そういう生産=人間労働による自然の制御、すなわち、生理的に人間生命をただ維持することが目的である行為にはないのである、そういう労働は、「人間が自由を発揮する余地はない」「必然性にとらわれた強制的な営み」なのだ、と。マルクスの言う「労働」以外の部分にこそ人間の自由は存する――このような労働観をアーレントはもち、百木はそれに共鳴してきたということなのである。
 百木はこうした思想的地金にもとづいて、マルクスの変革的実践論を憎悪しているのである。これが根本問題である。ここに、百木がマルクス主義をなぜこれほどまでに怖れ、これに敵愾心をいだくのか、ということの根拠があるのである。
 くりかえして言おう。
 百木はマルクス疎外論を客観主義的な社会転換の論理、非現実的な単純で図式的な歴史理論、とみなしている。そのうえで、彼は、マルクスは『資本論』の時点で「疎外論的な発想」を止揚したのであり、『資本論』ではより「能動的な」自然の合理的支配の思想になっているのだ、と強調しているのである。いま客観主義的な社会転換の論理と百木がみなしている、と私が言ったのは、彼の次の主張にもとづく。「資本主義を揚棄しさえすれば、人間と自然との「本源的統一」と「和気あいあいとした関係」が取り戻せるかのような印象を与える〔斎藤の〕記述にも同様の問題が潜んでいる」、という展開が、それである。
 百木は、さかんに、『資本論』は斎藤の言うような疎外論的な論理や発想を否定した地平において展開されている、と言う。これは、百木には、彼が描き出している疎外論弁証法がどこか静的な調和の論理に見えるからかもしれない。斎藤をエコ・マルクス主義ととらえ、かつその主張の核心を、疎外論的な論理に基づいて人間と自然の調和を目指すのがマルクス共産主義論である、とえがくものだ、と感じて、そんなものではない、と躍起になって『資本論』のマルクスの〝変貌〟ぶりを言いたてているのが、百木なのだからである。これは、マルクスへの憎悪に満ちた非難であり、自己の労働観を投影するかたちでのマルクスの労働論の歪みなるものの開陳なのである。ここに、このアーレントいかれの眼目があるのである。
 だが、疎外された労働論につらぬかれている論理や発想は、『資本論』では姿を消している、というのは百木の寝言でしかない。これは、かつてのスターリニストの解釈と形式上は似ているけれども、その中身は異なるものである。すなわち、『経済学=哲学草稿』の段階のマルクスは未熟なマルクスであって、『資本論』を書いたマルクスは経済学的に完成されたマルクスである、というように両者を切り離し解釈する、というスターリスト的なものとは、百木の内実はまったく異なるのである。なぜなら、百木の主張は、極めて反マルクス主義的なものだからである。百木は、『資本論』のマルクスこそがより全体主義的で独善的な共産主義論に道を開く労働論に立脚した思想だからだ、と言うのだからである。
 これは、マルクスの人間労働の本質論、すなわち変革のための実践論を彼が嫌悪している、ことにもとづいているのである。それはどのようになのか。
       (二〇二一年一月五日   桑名正雄)