「エスニシティ」概念の超歴史化的解釈——ブルジョア民族主義への転落の正当化

 「革マル派」中央官僚派の機関誌『新世紀』第322号に掲載されている早瀬光朔「プーチンの大ロシア主義」に次のような展開がある。

 「ロシア帝国が、ウクライナエスニシティを、十八世紀末のいわゆるポーランド分割以降にみずからのもとに組みこみ従属させてきた」(100頁)、「二つのエスニシティの交流と混淆の歴史——それじたいがロシアが強調してきたものだ——」(同前)、「ウクライナの人民(エスニシティ)」(102頁)というのがそれである。中央官僚派は、このように、ウクライナの地に住んでいた人びととロシアの地に住んでいた人びととをそれぞれ「エスニシティ」と規定しているのである。

 だが、黒田寛一は『社会の弁証法』で、「エスニシティ」について、次のように展開しているのである。
 「基本的には、特定の地域において、それぞれ同一の人種・言葉・伝承文化・生活慣習にもとづいてつくりだされた種族または部族をば、または近代的ネイション・ステイトの内部に存在する少数民族をば、ブルジョア的近代以降に成立したネイション・ステイト(民族国家または国民国家)の観点から規定しなおした概念、これがエスニシティまたはエスニック集団であるといえるでしょう。」(284頁——下線は原文での傍点)
 ここで、黒田は、「……をば、ブルジョア的近代以降に成立したネイション・ステイトの観点から規定しなおした概念」と明確にのべているのである。中央官僚派は、これを無視抹殺し、「エスニシティ」なるものを歴史貫通的なものとみなし、この概念を社会学的概念に貶めたのである。黒田寛一が、せっかく、日本の巷で使われはじめていた「エスニシティ」という用語を、マルクス主義の概念として規定したのに、そうなのである。
 黒田の次の展開は、あくまでも上記の論述を拠点としてつかみとられなければならない。
 「近代国家の成立いぜんに存在していたエスニシティ、すなわち、それぞれの地理的・気候的な諸条件に決定された一定の地域において、特定の人種・言葉・文化・宗教(自然宗教をふくむ)・生活様式を共有するところの集団としてのエスニック・グループ、——そのいくつかがブルジョア的に統合されることによって創造された歴史的産物が、民族(ネイション)なのです。」(同前)

 この展開を、先の論述と切断して自立化させ、歴史的・過程的な展開として理解し歪曲しているのが、中央官僚派なのである。
 また、内容上では、対象としている物質的なものは、引用文で言われているものを基礎としてうえに、封建制または農奴制のもとで、さらには絶対主義国家のもとで、領土の占領や分割をくりかえしながら歴史的・社会的に形成されてきた、混血・言葉・文化・宗教・生活様式を共有するところの集団であるということをおさえておくことが必要である。
 たとえば、スペインに、かつてムスリムに占領された地域で、イスラームを信じる人びとの集団がそのまま残っているというようなことがある。また、東ユーラシア大陸の地域で、モンゴル帝国に占領されたあと、この帝国は崩壊したけれども他の勢力によって占領されなかったために、モンゴルの風習や生活習慣をそのまま残している人びとがいる、というようなことがある。
 今日ウクライナ人と呼ばれる人びとにかんしてもまた、これと同様に、歴史的・社会的に形成されてきたものとして把握することが必要なのである。ウクライナ人というエスニシティが地理的気候的な諸条件に決定されたものとして歴史貫通的に存在していたわけではないのである。
 中央官僚は、丸ごとのウクライナ人がプーチンを頂点とする丸ごとのロシア人に攻撃をうけているのであり、前者がこの攻撃をはねのけ後者からの独立をかちとるのだ、ということを基礎づけたいのであるが、この両者をあらかじめ「民族」と規定すればブルジョア民族主義的な印象を読む者に与える、と考え、この両者を「エスニシティ」と規定し、このようなものが歴史貫通的に存在していたのだ、歴史的に虐げられていたエスニシティが民族として独立をかちとる必要があるのだ、と論じたといえる。
 中央官僚派による「エスニシティ」概念のこのような超歴史化的解釈は、スターリンによる「民族」の規定と、その論理の平板性において同一なのである。
 スターリンは書いた。
 「民族とは、言語の共通性、領土の共通性、経済生活の共通性、および文化の共通性のなかにあらわれている心理的性格の共通性をもとにして、歴史的に形成された人間の強固な共通体である。」(『社会の弁証法』281頁より重引)
 明らかに、この規定は、対象とする物質的なものを、ブルジョア的近代以降に成立したネイション・ステイト(民族国家または国民国家)の観点から規定しなおす、ということを欠如させたものなのである。これは、社会学への転落である。
 スターリンは、この「民族」の規定でもって、「一国社会主義」のイデオロギーを支柱とするスターリン主義ナショナリズムを正当化した。これと同様に、「革マル派」中央官僚派は、「エスニシティ」概念の超歴史化的解釈をもって、みずからのブルジョア民族主義への転落を正当化したのである。
       (2022年12月7日   松代秀樹)