『実践と場所 第一巻』黒田風土論への疑問

(1) 「日本人の精神風土」を基準とする賃労働者への不信感の表明

 黒田寛一は『実践と場所第一巻』(こぶし書房)で、「賃労働者としての日本人も、日本人らしさのようなものを喪失して無表情になり、日本人の精神風土とはおよそ無縁な存在になりさがり、彼らの感情も情緒も情動も干からびたものになっている。」(黒田前掲書572頁)と書いた。疎外された労働を強いられている労働者が、たとえばコールセンターで顧客からの理不尽なクレームに対応させられ、あるいは秒単位で作業効率を計測される倉庫作業で疲れ切り、何も考えずにひとりになりたいと思う彼、彼女らが、「無表情」でいてはいけないのか。むしろ、黒田はかれらの無表情の中にプロレタリアとしての自己否定的直観を見いだすべきではなかったか。私は、プロレタリア前衛党の指導者から日本の労働者階級に対する失望が公然と表明されたことに驚きと悲しみをおぼえる。
 だが、より問題なのはニヒリスティックな失望感の告白以上に、黒田が賃労働者に対して「日本人らしさ」「日本人の精神風土」の欠如をあげつらっていることであると思う。別の箇所でも「国際競争力をつけることにあくせくし、利潤追求を自己目的化したり投機にうつつをぬかしたりしている徒輩も、労働力商品としての自己存在についての自覚をもってはいない賃金労働者も、階級の違いをこえて、日本人らしさを喪失しているのではないか。」(同上554頁)と書いているので、うっかり筆がすべったわけではなく、晩年の黒田は本気で「日本人の精神風土」の高みから賃金労働者が日本人らしさを失っていると非難したのだと受けとらざるをえない。あたかも階級的自覚よりも日本人としての精神風土のほうが大切であるかのように。
 もちろん私は、黒田の次のような言葉には力強く背中をたたかれる思いである。「必要なことは、ただ次の一点である。――行為的現在において場所的立場に立脚しつつ直観し情熱的に思索し、そして意志を堅固にして実践するということである。」(同上288頁) 「この変革的実践につらぬかれ、これを支えているもの、それが《いま・ここ》において生きぬき働こうとする意志であり、将に来るべきものを実現しようとする燃えたぎる情熱である。」(同上253頁) 
 だが同時に、変革的実践において「日本的な精神風土」を殊更に強調する以下のような論述にはひっかかるのである。「有限な生命体としてのわれわれが投げこまれている社会的場所の歴史的被制約性を、その日本的風土性を、またそこにおくりこまれてあるのだとはいえ消えかかっているとさえいえる日本的な精神風土を、このようなものとして凝視しつつ、われわれは《いま・ここ》において何をなすべきか、ということを真剣に思索し熟考し哲学するのでなければならない。」(同上706頁) はたして、「日本的精神風土」が問題なのだろうか。それが「消えかかっている」ことに、われわれは危機意識を持つべきなのだろうか。
 風土論の検討に入るまえに、賃労働者の「無表情」についての黒田の嘆きに対応して確認しておかなければならない。第一に「日本人の精神風土とはおよそ無縁な存在」であっても、そのような賃労働者は決して階級闘争とは無縁な存在にはなりえない、だから彼ら彼女らを「なりさがった」と表現した黒田の価値意識のほうが狂っていること、第二に、精神風土は環境的自然→生産様式→生活様式→精神的生産の主体のメンタリティという規定・被規定の関係において、「永い永い歴史を通じて育まれてきた」(同上664頁)ものとして「『人―間』的諸関係の歴史的産物」(同上552頁)であるとされる以上、それがどのように変容するかをめぐって「五無人間」を非難したり賃労働者に不信感を表明したりするのは意味がないこと、である。かれらはすきで「日本人らしさ」をなくしているわけではないのだから。

(2) 和辻風土論に対する批判の回避

 『実践と場所第一巻』で再三言及されているのが和辻哲郎の風土論である。まず、和辻の『風土、人間学的考察』(岩波文庫)から、そのアウトラインをまとめておく。
 和辻によると、風土とはいわゆる自然環境のことではなく「人間存在の構造契機」として「主体的な人間存在の表現」である。たとえば風土の契機である「寒さ」は客観的な冷気ではなく、すでに我々の存在の構造契機として我々の中にあり、「寒さを感ずるということにおいて我々は寒さ自身のうちに自己を見いだす」のである。そのようなものとして風土は「人間の自己了解の仕方」である。そして寒さを感じるのは我れのみではなく我々が「同じ寒さを共同に感ずる」のだから、我々は風土において「間柄としての我々自身」を見いだすことになる。(以上、和辻前掲書3頁~20頁)
 上記「風土の基礎理論」にふまえ、「風土の型が人間の自己了解の型である」(31頁)ことから、和辻は文化を、モンスーン型(インド)、砂漠型(アラビア)、牧場型(ヨーロッパ)の三類型に分け、さらにモンスーン的風土の特殊形態としてシナと日本をあげるのである。
 
 ここで、黒田『実践と場所第一巻』での和辻風土論への言及をめぐる諸問題を指摘しなければならない。
 第一に、和辻は人間意識から独立した存在として自然を措定する唯物論的立場を明確に否定し自然を人間存在の構造契機としているのだが、黒田はこの点をまったく批判せず、和辻風土論の紹介に終始するのである。(黒田前掲書430頁~433頁)
 和辻はいう、風土は「『人間』の有り方であって、人間と独立なる『自然』の性質ではない。」(和辻前掲書64頁) あるいは、「人間は単に風土に規定されるのみでない、逆に人間が風土に働きかけてそれを変化するなどと説かれる」のは「すでに具体的な風土の現象から人間存在あるいは歴史の契機を洗いさり、それを単なる自然環境として観照する立場」であって、それは「自然環境と人間との間に影響を考える常識的立場」の一種でしかなく、「真に風土の現象を見ていない」(同上19頁)のだと。
  だが、仮に文化の類型が風土によって決定される因果関係を考えるなら、黒田も書いているように「人間存在およびそれがおいてある場所を超越するところのものを、だがしかし絶えざる人間実践をつうじて、その超越性において同時に内在化され・そうすることにより限りなく認識が深められるとともに変革されてゆくところのもの」(黒田前掲書151頁)を《物質的=自然的なもの》としてわれわれは前提することになる。ところが、黒田はこの内容を和辻批判としては語らない。
 戸坂潤によれば、和辻にとって風土性を自己了解するためには「風土即主体という定式」さえあればよく、「因果的な説明などはいらない」(戸坂潤「和辻博士・風土・日本」『戸坂潤全集第5巻』、勁草書房、102頁)のである。たとえば、モンスーンの吹き付けるインド洋を船に乗って旅行する和辻は、モンスーン的人間存在の構造契機として大気の湿潤と受容的・忍従的な性格を直観し、自己了解したわけである。
 あるいは黒田は、マルクス主義に対抗して人間存在の風土性を論じた和辻をあえて批判するのは野暮であると考えたのだろうか。けれども『実践と場所』を読むわれわれは、風土性をわれわれの内なる構造契機が「外に出る(ex‐sistere)」(和辻前掲書26頁)ものと把握するわけにはいかないのである。

 第二に、和辻哲郎批判を回避する黒田は、「間柄」や「世間」という概念について詳しくは和辻の『人間の学としての倫理学』を参照されたい(黒田前掲書424頁)と言いながら、和辻『人間の学としての倫理学』第1章11「マルクスの人間存在」(岩波全書164頁)で展開されているマルクスの曲解は等閑に付すのである。和辻はマルクスの生産関係を「生産的な間柄」と言い換え、社会は「すでにそれ自身の内に『間柄』を可能ならしめるような一定のふるまい方を含んでいる。」(同上176頁)とする。和辻はあくまで人間存在の空間性ないし風土性に基づく人間存在の動的展開として「生産的な間柄」をとらえているのであり、それは生産諸関係をとり結ぶ実体たる人間・階級ぬきの概念にほかならず、マルクスの生産関係から歴史的・階級的被規定性を取り払ったものである。われわれにとっては生産手段の所有関係こそが問題なのであって、和辻の「生産的な間柄」概念を採用する理由はない。

 さらに、和辻が『風土』の第五章第四節「ヘーゲル以後の風土学」で論じている「マルクス風土論」、捏造といってもいいそれを黒田は批判しないままであること、これが第三の問題である。われわれにとっての和辻風土論の核心は、超歴史的・超階級的風土とその表現として階級横断的に規定される国民性(ナショナリティ)であるのに、黒田はそこに反応できていないのだ。
 ここで和辻は「新ライン新聞上でのマルクスの国民に関する諸論文」から国民(ネイション)の定義なるものを紹介する。「彼は国民を定義して、土地、気候、種族等の特定の自然基底の上に、歴史的伝承、言語、性格の特徴、などを同じくしつつ、歴史的・社会的発展過程によって生じた大衆的形成体であるとする。」(和辻『風土』347頁) もしも、初期マルクスが1848~49年にネイションをこのように定義したのなら、カウツキーもバウアーもスターリンも、みなこの定義に依拠しようとしたはずであるから、この定義はマルクスによるものではありえない。内容的には1922年のスターリンによる定義を前提に改良を加えられた種々の定義のひとつで、風土的色彩が強いことからこれに和辻が注目したものと思われる。和辻は「国民性の考察」の講義ノートでネイションの定義をハインリヒ・クノウ(ドイツのマルクス主義経済史学者で昭和初期に多くの邦訳が出版されている)の著書からとってきたのだと言われている(津田雅夫『和辻哲郎研究』青木書店、128頁)が、詮索する必要性は乏しい。
 ネイションの定義に続けて和辻は、マルクスによる「物質的生産過程における風土的規定」の記述を紹介したうえで、風土的規定は人間存在の構造に属するので、物質的生産過程にとどまらず人間存在の全面にわたって働くのであり、「それは階級の対立が激化したからといって消滅するようなものではない。」(和辻前掲書350頁)と風土的規定の超階級的性格を強調するのである。だから、「日本人の著しい敏感性、テンポの早い感情の動き、陰気さを印象する疲労性、などの特徴も、季節の移り変わりの烈しい日本の風土の表現であって、階級の別には関せない」(同上350頁)と、日本人に共通な性格すなわち日本人の国民性(ナショナリティ)は超階級的なものだというのである。和辻がネイションの定義をもちだしたのは、風土およびナショナリティが「国民的」なものであること、言い換えれば階級に関わりないものだと論ずるためであったのだ。和辻はさらに言う、マルクスも風土に規定されたナショナリティの超階級性を知っていた、と。「なぜなら彼は、プロレタリアが政治的支配を獲得した後には、己れを国民的階級に高め、己れを国民に構成しなくてはならぬと言っているからである。」(同上350頁) このように『共産党宣言』の「労働者は祖国を持たない。」につづく一節を利用し、和辻は「プロレタリア自身にも国民的特性が存する」ことをマルクスは「承認」していたとこじつけるのである。
 和辻はここで、マルクスを騙って①風土には階級性がないこと、②「風土の表現」たるナショナリティにも階級性がないことを主張したわけである。和辻のいう風土性の展開は、家、地縁共同体、文化共同体および国家という「人倫的組織」として具体化されるのだから、たとえ人間存在の歴史性が言われても、それらは「人倫的組織」の歴史にすぎず、共同体を構成する諸実体がとり結ぶ生産・分配の関係すなわち階級関係は意識されないのである。
 では、風土の階級性、ナショナリティの階級性の問題は『実践と場所第一巻』でどのように論じられているのか。黒田は、和辻風土論の紹介に先だって『資本論』から自然的諸条件にかかわる叙述を引用しており(黒田前掲書428頁)、それらの自然的諸条件を「気候と風土」とよぶ。そして和辻の文化類型論を批判的に紹介する。「風土的要因から文化類型を特徴づけることには限界があるということが忘れられてはならないであろう。人間生活の社会的生産の様式が、つまるところ生産=生活様式が風土的特殊性に反作用し、この地理的特殊性を逆規定する、という側面は見逃されてはならないのだからである。」(同上431頁)というように。しかし、和辻が紡績業などの具体例をあげ風土が物質的生産過程を規定するという、その限りでは誤りではない説明をした直後につづけて論じた階級性にかかわる問題については、黒田はこれを批判しないのである。なぜなら、黒田は「階級意識がその深層に精神的風土を無―意識的に宿している」(同上550頁)と考えているのだから。黒田は言う、「資本制生産関係に編みこまれた人間は、たとえ歴史意識や階級的価値意識にみちあふれていたとしても、それぞれのエスニック集団がそのなかで育まれてきたところの伝統的文化ないし精神風土から、完全に解き放たれているわけではないのである。」(同上550頁)
 黒田自身の風土論について、それを再構成したうえでその問題性を検討する課題は厳としてわれわれに突きつけられているのだが、ここでは先に和辻の主張に対応しなければならない。
 ① 風土が階級にかかわりない、という主張について。和辻は、風土が人間存在の構造契機であり、その構造契機が「我々」に共通なものであると仮定するのだが、階級分裂した、疎外された社会ではその仮定は幻想にすぎない。和辻は「我々は同じ寒さを共同に感ずる」のであり、「我々の間に寒さの感じ方がおのおの異なっているということも、寒さを共同に感ずるという地盤においてのみ可能になる。」(和辻『風土』14頁)と言う。しかし、階級社会においては、一方には完璧な空調設備に恵まれ気温など意識にのぼらないブルジョアジーもいれば、他方「寒さ」がただちに死を意味するホームレスの人々もいるのだ。そこに「寒さを共同に感ずるという地盤」は存在しない。これは自然的・環境的風土だけでなく、社会的・文化的風土についても同様である。人間存在の構造契機の階級横断的共通性が疑わしい以上、超階級的な風土を想定することはできない。
 ② 国民性、ナショナリティが階級にかかわりない、という主張について。和辻はネイションを超階級的な国民として前提し、全国民にとって普遍的な「国民道徳」を構想したのであり、そのために日本的な風土とその表現としての日本人のナショナリティを解明しようとした。もちろんこの試みは風土が全国民にとって共通のものであることを前提として初めて可能になる。だが「季節の移り変わりの烈しい日本の風土」(同上350頁)も階級にかかわりなく存在しえない。和辻がそのような日本的風土として例示した台風にしても、農作物への被害をこうむる農民、漁に出られない漁民、通勤の足を奪われる賃労働者など大きな影響を受ける者ばかりではない。階級社会においては台風に無関係な生活の仕方もありうるのである。だから、風土は幻想であり、そうであるなら風土の表現形態としてのナショナリティも幻想である。
 われわれは、ブルジョアジーが、自らの特殊利害を共同の利害として貫徹するために、諸階級に分裂したブルジョア国家の領域内の住民を、歴史的過去からひきつづき存在するものとされたエスニックな共同体という「幻想的な共同体」の成員として統合したものがネイションであると考える。だからネイションの性格を階級にかかわらないものとして規定しようとすることじたいにブルジョア的階級性が刻印されているのであり、和辻は彼が厳しく批判した忠君愛国をあおる国家主義者に比べればはるかに良質であるとはいえ、ブルジョアイデオローグであったと言わざるをえない。

 第四に、和辻の文化類型論、とくに日本人のナショナリティないしメンタリティについての黒田の言及をみておく。
 和辻は『風土』第三章において、日本人のナショナリティの風土類型を、モンスーン的風土である受容的・忍従的な存在の仕方の特殊形態として位置付ける。モンスーン的受容性・忍従性が熱帯的・寒帯的な二重性、また季節的・突発的な二重性をもつものとして現れるという。まとめると、「それはしめやかな激情、戦闘的な恬淡である。これが日本の国民的性格にほかならない。」(和辻前掲書205頁)となる。
 「二重性」が乱発される和辻の文化類型論にはどうしても一種のいかがわしさ、血液型性格判断にまつわるようなそれを感じるのであり、発表から80年を経過した現在では学ぶところは少ないと思う。じっさい、和辻の風土論を高く評価する学者からもその文化類型論について「極端に単純な因果関係をあてはめ、気質を気候に従属させている」ために「かなり底の浅い決定論に陥ってしまっている。」(オギュスタン・ベルク『風土の日本』ちくま学芸文庫60頁)と批判されている。端的に言えば、それは和辻の個人的印象の垂れ流しなのである。そもそも、対象的認識ではない「自己了解」が可能になるのは人間存在の構造契機として風土性が内在化されているからであるのに、たとえばたんなる一旅行者にすぎないモンスーン的人間の和辻が砂漠的風土を自己了解できるのか疑問なのだ。この点について、和辻は「旅行者はその生活のある短い時期を砂漠的に生きる。彼は決して砂漠的人間となるのではない。……が、まさにそのゆえに彼は砂漠の何であるかを、すなわち砂漠の本質を理解するのである。」(和辻『風土』66頁)と言うのである。この正直な嘘には、思わず笑ってしまう。和辻はひとをだましたりするのが苦手ないい人なのかもしれない。
 黒田も和辻の文化類型には否定的である。主な批判点は以下の諸点である。
① 自然破壊と無関係にヨーロッパ文化を「牧場型」とするのは一面的である。
② 中国や日本の文化を「モンスーン」型と一括するのは無理である。
③ 「モンスーン型風土」の心情は「忍従」ではなく、環境に順応する頑張りである。
④ 「砂漠型」を一つの類型にするなら、イヌイット型、ツンドラ型、海洋型、山岳型も必要である。
 そして黒田自身が「簡潔に、地球上の各地域の気候風土に左右された生活(生産)様式と文化を特徴づける」ことを試みる。しかし、具体的には「荒野を疾駆するカウボーイ―自動車―ジャズ」(現代アメリカ)のように首をかしげたくなるものや、「砂漠―オアシス―ナイル川」(北アフリカ)のような陳腐なものを合わせて15個も並べたあげく、「かくして明らかに、風土との関係における地域文化や民族国家別の文化を特徴づけることには限界があり、文化類型を発見することは無意味に近いと言わなければならない。」(黒田前掲書510頁)と、文化類型の特徴づけを断念するのである。
 黒田はカンツォーネだのシルクハットだの、あれこれ苦心惨憺しながらも、いかにも楽しげである。自身の足元にはブルジョア民族主義の陥穽が口をあけているというのに。黒田がここでやっているのは和辻と同じこと、すなわち「階級の別には関せない」ナショナリティの特徴づけなのだ。

(3) 黒田風土論の問題性 ① 精神的風土の歴史貫通的把握

 では、黒田がその喪失を嘆く「日本人らしさ」「日本的精神風土」とはどのようなものか。それは、たとえば、「奥ゆかしさ、慎み深さ、情け、慈しみ」だったり「にこやかな表情」や「恥じらいの表情」、あるいはおじぎなどの礼儀作法だったりする。その無表情ゆえに非難された賃労働者は、黒田の前ではきちんとおじぎをし、にこやかに挨拶すればよいのだろう。
 問題はこれらの風俗・慣習や「四季のうつろいに敏感な情緒」が、「永い永い歴史的過程をつうじて形成され、今日にまでおくられてきている」(黒田『実践と場所第一巻』574頁)ものと把握されていることである。はたして、そうなのか。黒田が「古い古い習慣」(同上480頁)としている地域社会の風習の多くは江戸時代以降の近世に起源をもつことが確認できるし、老黒田が口やかましく言う礼儀作法については、それが一般化したのは明治時代前期に小学校の「修身」の授業の中で礼法があつかわれるようになり、おびただしい種類の教科書が出版されてからである。江戸時代の小笠原流礼法は、支配階級たる武士限定のものであった。
 むしろ、黒田言うところの、「精神風土」は日本に近代国民国家(ネイションステイト)が成立すると同時に天皇ボナパルティズム国家権力が諸階級を日本国民として統合するために、有象無象のブルジョアイデオローグどもとともに創造した虚偽のイデオロギーととらえられるべきものである。
 黒田は「精神風土」を次のように規定する。人間的自然とともに社会的場所の一契機をなす環境的自然が人間生活の物質的=精神的生産に地域的特殊性(=風土性)を刻印し、この風土性が生産(=生活)様式を介してエスニシティの形成に作用する。精神的風土とはエスニシティの契機となった風土的特殊性のことである、と。そしてそれは「それぞれの社会の地域的特殊性を帯びた『人―間』的諸関係の歴史的産物」(同上552頁)であり、人間的自然が環境的自然に密着する度合いに応じて「相対的に持続的なものとして、つまりは伝統的なものとしてひきつがれる」(同上579頁)と言うのである。
 黒田はエスニシティが「先史時代からの永きにわたって」(同上551頁)あるいは「原初の時代から今日にいたるまで」(同上565頁)持続してきたというのである。その場合、風土的特殊性にみあう生産(生活)様式が「自然発生的に創造され」(同上565頁)、「歴史的社会的被制約性を刻印されながら」(同上552頁)変転してきたのだという。血縁的・地縁的な人間的諸関係において、世代から世代へと伝承や教育によって「精神的風土」がエスニックグループの諸成員の「深層意識」の中に「沈澱」し続けてきたと黒田は想像する。これは、エスニシティの、したがって「精神的風土」の、歴史貫通的把握である。歴史的過去に存在したエスニシティが、生産様式・生活様式の変転にかかわらず、階級関係の変化にかかわらず、単線的に膨張ないし持続してきたということになる。黒田は生産諸関係とその諸実体を措定しないまま、生産様式の歴史的変転を口にする。だが、生産様式が変転するなら、われわれはそこにエスニシティおよび「精神的風土」の断絶をみるのでなければならない。支配的生産様式に規定された文化は、支配階級の中で創造され伝播していくものなのだから、支配階級の変遷はエスニシティの相対的持続性、連続性の阻害要因としてはたらくであろう。もちろん黒田は歴史学者でも民俗学者でもないのだから、その論述に実証性はもとめない。が、無階級社会から今日までのエスニシティの持続という物語は荒唐無稽であると思う。
 次のように「虚構的エスニシティ」をとらえるべきではないだろうか。「いかなるネイションも生まれながらにそのエスニック的基礎を備えているのではない。そうではなく、諸社会構成体がナショナライズドするのに応じて、諸社会構成体に包摂されている住民―諸社会構成体の間に分けられ、かつそれらによって支配される住民―が『エスニック化』するのである。」(エティエンヌ・バリバール『人種・国民・階級』唯学書房149頁)
 伝え聞くところによると、最近の日本では「革命的左翼」まで「エスニック化」しているらしい。

 (4) 黒田風土論の問題性 ② 精神的風土の超階級的把握

 黒田は、和辻が「日本の風土の表現であって、階級の別には関せない」としたナショナリティの特徴づけを批判しえず、みずからも和辻同様の諸文化類型の特徴づけを試みたのであった。次に、黒田が『実践と場所第一巻』で展開した風土論において、「精神的風土」の階級性についてどのように論じられているかを検討する。
 黒田は言う、「それぞれの地域の風土的特殊性にも規定されつつ成立するところの、階級社会において生き働いている人びとにみられるメンタリティの共通性や習慣・風俗・習俗の共通性を対象的に規定した概念が、精神的風土であるといえる。」(黒田前掲書552頁)ここで言う、「階級社会において生き働いている人びと」が問題なのである。黒田はそれを「ブルジョア社会的人間」と言い換えている。プロレタリア的人間でもなくブルジョア的人間でもない「ブルジョア社会的人間」とは「資本制生産関係に編みこまれた人間」のことで、この資本制生産関係とは、生産関係をとり結ぶ諸実体を取り払った和辻の「生産的間柄」のようなものである。まさしく階級関係をブルジョアイデオロギーで塗りつぶした国民一般を指すのが「ブルジョア社会的人間」である。そして黒田は、階級性を抜き取られた、そのような国民はひとしく「精神的風土」を意識の深層に宿していると言う。「ブルジョア的民族が形成される以前に形づくられてきたエスニック集団のエスニシティが、ブルジョア社会的人間のメンタリティの下層に畳みこまれるかたちで沈澱している」(同上550頁)のだ、と。かくして、黒田のいう「精神的風土」は超階級的なものであることが宣言される。これはほとんど、和辻が風土的規定は「階級の対立が激化したからといって消滅するようなものではない」(和辻『風土』350頁)と人間存在の構造契機の階級横断的な共通性を主張したのと瓜二つである。
 黒田は「ブルジョア社会的人間」の「メンタリティの共通性」から「精神的風土」の超階級性を導いた。しかし、「階級的疎外にたたきこまれている人びとには、彼らに共通的なものとしての、『日常生活経験や実践的体験をつうじて人間存在の内に』つくりだされている『社会的に共通的な価値意識性』などというものは存在しない。そのようなものが存在すると考えるのは幻想である。」(北井信弘のブログ2023年1月29日「階級社会への転換の抹殺」)
 ブルジョア社会の諸階級にメンタリティの共通性など存在しないと考えるわれわれは、黒田が「消えかかっている」ことを嘆く「日本的な精神風土」なるものは幻想であると言わなければならない。

(5) 黒田風土論の問題性 ③ 「風土」の導入は何のためか

 『実践と場所第一巻』を検討して不思議に思うのは、そもそも黒田はなぜ「日本人の精神的風土」をプロレタリア的価値意識に優位するものとして論述したのかということである。黒田の問題意識を推測するのはひとまず控えるとして、やはり「マルクス主義」風土論を展開した高島善哉についてふれておかねばならない。高島の場合、黒田と相似形をなす風土論のうえに、そのナショナルな問題意識が露骨に告白されているからである。(高島は「ナショナル」の訳語としてある民族主義的、国民主義的、国家主義的の三者を厳密に区別すべきと言うが、血縁によるまとまりの民族、政治的統一体の国民、統治形態の国家という高島による没概念的区別は本論ではあえて採用せず、高島をナショナリストととらえることにする。)
 こぶし書房から刊行された『高島善哉著作集第四巻 現代日本の考察』の帯には、「民族と階級、そのトポスとしての風土」とあり、風土によって民族を階級に結びつけるという高島の問題意識が端的に表現されている。高島は階級を民族に結びつけるための「ひとつの思いつき」(高島『現代日本の考察』著作集第四巻243頁)として「民族は母体であり、階級は主体である」という命題をたて、民族と階級を接着するための接着剤として風土を導入するのである。
 高島の風土論は、以下のようなものである。
① 人間の生産的実践を媒介にして自然的風土と社会的風土が歴史的に形成される。
② 風土は「きわめて長い歴史の過程のうちに形成され、それが人間の体質および気質として沈澱してきたもの」(同上363頁)である。黒田の文と見まがう論述で、高島の風土は黒田同様に歴史貫通的なものである。
③ 風土は「日本の資本家も日本の労働者もともに日本人であり、一つの民族共同体の成員であるという点においては、共通の地盤のうえにおかれていることは誰もこれを否定することはできないであろう。この共通の地盤を私は自然的ならびに社会的『風土』と呼びたいのである。」(高島善哉『民族と階級』現代評論社54頁)とされており、高島は自身の言う風土が超階級的なものであることを隠さない。
④ 「民族は母体であり、階級は主体である。」という「基本テーゼ」における民族と階級の媒介項として風土を導入する。
 以下④について説明を補足する。
 第一に、「基本テーゼ」と言いながら、民族が何の「母体」であり、階級が何の主体なのか高島は明言を避ける。ここで言われる階級とはプロレタリア階級に限定されるものではなく、ブルジョアジーも念頭におかれる。すると、常識的には「何の」は「階級闘争の」という解釈に帰結する。高島も「階級は階級闘争の主体である」という同語反復的無意味さに気づいているのであろう、「歴史の主体」「現代史の主体」「国民国家形成の主体」等々の説明を後から小出しに追加する。「階級の主体性」とは整理すると、ブルジョア革命の主体はブルジョア階級であり、反帝国主義的植民地解放闘争の主体はプロレタリア階級である、ということになる。
 第二に、高島言うところの「社会科学的」風土論における「基本テーゼ」に「母体」という比喩が含まれている問題。高島は「母体」を「文学的表現」と言っているが、そのような比喩を使わずとも、民族のどのような性質が「母体」に類似しているか説明すれば足りる。実際、高島は、民族が階級のエネルギー源であると、またしても比喩的な説明をする。階級は「民族のエネルギーを汲み上げ、結集し、それに新たな形式を与える」ことで「民族と生きたつながりを持つことができる。」(高島前掲書56頁)と言う。
 第三に、「基本テーゼ」のうちにはなお説明されていない「風土」の役割について。高島の説明によると、民族は風土によって歴史的に形成されたのであり、「民族の核心」は、「人種とか国土とかいったような自然風土的な契機と、言語や文化的伝統というような社会風土的な契機との相互媒介によって歴史的に生成してきた共同体だという点にある。」(同上9頁) 他方、階級については、その個々の成員の間には「共通の風土的性格」があるという。高島は中村雄二郎との対談で、「階級が主体であるといっても、たとえば資本家階級にしろ、あるいは労働者階級にしろ、これを形成するのは個々の資本家または労働者であり、ともに日本民族という一つの共同体の中で生まれ、成長してきたという共通の性格(共通の風土的性格)をもっている」(『現代の眼』1970年6月号41頁)のだと力説しているのである。
 結局、風土が民族と階級を規定し、民族が階級に階級闘争のエネルギーを与える、という話である。高島の真似をして比喩的に言えば、さしずめ、風土は階級闘争の「母体の母体」となるであろう。

 しかし、上記のような高島の風土論の問題性について、われわれはここでも再度指摘しておかねばならない。
 第一に、民族(ネイション)は高島が言うように「歴史的に生成」したものではなく、近代国民国家(ネイションステイト)のブルジョア国家権力が諸階級を統合するために領域内の住民を歴史的過去から持続してきたエスニックな共同体という「幻想的な共同体」の成員と規定した、虚偽のイデオロギーである。
 第二に、階級社会にあっては、諸階級に「共通な風土的性格」など存在しない。高島は「民族は階級とは次元を異にするカテゴリーである」(高島善哉『民族と階級』現代評論社245頁)といい、それは「たとえ資本家であろうと、労働者であろうと、私たちはすべて日本民族の一員である点においてひとつの共同の地盤をもっている」(同上245頁)からだ、と理由づけするのであるが、このような理論は成立しない。階級というカテゴリーは、生産手段の所有関係に基づくのであって、そもそもエスニックな契機は含まないのである。高島は個々の労働者、資本家の意識をもちだすことによって諸階級に共通な風土的性格を捏造したにすぎない。
 高島が風土概念を導入した意図は、諸階級を風土というエスニックな基盤に位置づけることにある、と一応は言える。だが、高島の本音は別にある。高島はより具体的に日本の将来像を展望しているのであり、それは高島流のナショナリズムに基づく。これが第三の問題である。
 高島は言う、「同じ血のつながりをもっている人びと、したがって同じような感じ方や考え方をする人びと、したがって同じ言葉をはなす人びとが、一定の国土の上で共同の政治的経済的文化的生活をもちたいという欲求ほど、人類にとって根源的で自然なものはないであろう。」(同上223頁)これは排外主義の容認といえるのではないだろうか。また、次のような手放しの日本礼賛は、日本民族主義というしかない。「私たちは日本人であるから、日本を愛する。それはあたりまえのことだ。私たちは日本人であるから、日本民族のエネルギーを信ずる。これもあたりまえのことだ。」(同上178頁)
 高島風土論の帰結は、日本的風土によってつくられた日本民族、この日本民族に支えられたところの日本人としてのプロレタリア階級が日本階級闘争の主体である、ということになる。高島はいくら批判されても、『共産党宣言』の曲解をやめなかった。まさに和辻哲郎が『風土』で利用した箇所である。「労働者は祖国をもたない。何ぴともかれらのもっていないものを、かれらから奪うことはできない。プロレタリア階級は、まずはじめに政治的支配を獲得し、国民的階級にまでのぼり、みずから国民とならねばならないのであるから、けっしてブルジョア階級の意味においてではないが、なおそれ自身国民的である。」(『共産党宣言岩波文庫65頁)これを高島は、「プロレタリアは民族的な疎外を受けている」(高島『現代日本の考察』著作集第四巻250頁)のだから祖国をもち、ネイションとならねばならない、と解釈し、プロレタリアインターナショナリズムをコスモポリタニズムと難じ、「プロレタリアートは祖国を持つことができ、もし必要ならば、祖国を持つために戦わなければならない。」(高島『民族と階級』現代評論社328頁)とまで言うのである。
 このようなあからさまな歪曲の結果は、グロテスクな未来像であり、決して国家(ネイションステイト)が死滅することのない、社会主義社会、共産主義社会である。「社会主義国家は二乗された市民的国家であり、共産主義国家は三乗された市民的国家である」(同上321頁)高島の弟子、村上一郎によれば「体制が資本主義から社会主義にと変革されようとも、わたしらはまたわたしらの子孫はやはり黄色っぽい顔をして日本語でものをいい、かつ日本語でものを考えるであろう。」(村上一郎高島善哉氏の感度―民族と階級によせて」著作集第四巻331頁解説より重引)というのが高島の描いた未来想像図なのだ。
 高島は、「そこから暗示を受けた」(『現代の眼』1970年6月号30頁)和辻哲郎の風土論、これから受け継いだところの「共通の風土的性格」をもってする階級性の抹殺から、日本民族を「母体」とし日本人としてのプロレタリアートを主体とする階級闘争へ、さらに国家が死滅せざる共産主義像の妄想にまで行きついた。
 『実践と場所第一巻』の黒田もまた、和辻風土論の受容をつうじて、「日本人としての精神的風土」、それを階級横断的・歴史貫通的なものとして論述したのであった。高島はともかく黒田にしてこうなのかという思いである。ブルジョア民族主義への落とし穴はあちらこちらにあいたままである。「ヘーゲルは、叡智を運ぶミネルヴァのフクロウは夕暮れに飛び立つ、と言った。いまやネイションとナショナリズムの周りをミネルヴァのフクロウが旋回しつつあるが、これは吉兆である。」(アントニー・D・スミス『ナショナリズムとは何か』ちくま学芸文庫195頁より重引)というホブズボームの言葉は、まだ早すぎると言うべきだろう。
     (2023年 3月6日  北条 倫)