「プロレタリア革命=民族独立」という解釈——〈中央官僚派ナショナリズム〉の完成

 「革マル派」中央官僚派の早瀬光朔「プーチンの大ロシア主義」論文(『新世紀』第322号)の〔補〕に次のような展開がある。
 「一九一七年から二二年にかけてのウクライナ革命=独立国家形成の過程」(109頁)、「「ウクライナ社会主義ソビエト共和国」を確立するというかたちで、紛れもなくプロレタリア革命=民族独立を達成したのである」(111頁)。
 これは、ロシア革命の、「民族独立」を超歴史的=超階級的に(すなわち、プロレタリアートと農民のその地での闘いの歴史的=階級的諸条件の分析を無視抹殺するかたちで)プロレタリアートの普遍的課題とする立場にたっての解釈である。このようにロシア革命を解釈するのは、解釈する主体がブルジョア民族主義に転落しているからであり、まさに、これは、「革マル派」中央官僚派が彼ら独自のナショナリズムイデオロギーを完成させたことを宣言したものである。
 一九一七年一〇月の——ロシアのツァー専制権力を二月に打倒したうえで——ケレンスキー政権を打倒しプロレタリアート独裁権力をうちたてた革命が、ロシアのプロレタリア革命である。ロシアの地ではロシア革命を、ウクライナの地ではウクライナ革命を、グルジアの地ではグルジア革命を、などなどというかたちで、それぞれ民族的なプロレタリア革命を実現したうえで、うちたてられたプロレタリア権力を、連邦として統合してソ連ができた、ということではない。このような解釈は、民族を絶対化する解釈である。
 ツァー専制権力が支配していたロシア全域においてプロレタリアートと農民が遂行したプロレタリア革命が、ウクライナの地域では一九二二年までかかった、というだけの話である。
 「ウクライナ社会主義ソビエト共和国」の樹立は、ウクライナの地に独自の民族単位のプロレタリア権力が樹立された、ということではない。それは、ウクライナ地方ソビエトが樹立されたということである。ロシアの地に樹立された唯一の国家権力は、各地方のソビエトを統一したところの全ロシア労・農・兵ソビエトを実体的基礎とするプロレタリアート独裁権力なのである。それぞれの地方ソビエトを「ソビエト共和国」と呼んでいたにすぎないのである。
 また、ウクライナプロレタリアートと農民が、一九一七年から二二年の過程において「ウクライナ民族の独立」のためにたたかったのではない。彼らは、そのような要求を掲げてはいなかった。彼らは、全ロシアのプロレタリアート・農民と一体となって、ロシアのプロレタリア革命を完遂するために、すなわちウクライナの地にプロレタリアートヘゲモニーのもとでのソビエトを樹立するためにたたかったのである。
 「プロレタリア革命=民族独立を達成した」などと解釈するのは、「民族独立」を超歴史的に希求する立場にたっての解釈である。
 中央官僚のこの解釈は、彼らがみずからのウクライナ祖国防衛主義への転落を何とか正当化し基礎づけたい、という願望からするものなのである。
 「プロレタリア革命=民族独立」という解釈は、〈中央官僚派ナショナリズム〉の完成を記すものである。
       (2022年12月9日   松代秀樹)