前原茂雄の動揺とそのおおい隠し

 前原茂雄は私への批判を書くためによく勉強したのであろう。『松崎明黒田寛一、その挫折の深層』の展開を批判するために、まさに批判対象である私のこの書を手引きとして『松崎明秘録』を読みこむことに努力したのであろう。そして、この努力によって引き起こされた自分自身の内面の動揺を抑えるために必死になったのであろう。というのは、9・20スローガン論議にかんする前原茂雄の展開は、黒田寛一の『日本の反スターリン主義運動2』の論述と明らかに異なるからである。自己の内面の動揺を前原が自覚しているか否かは、彼のうちに、思想=理論闘争にかんする共産主義者としての良心がどれだけ残っているかにかかっている。
 前原茂雄は次のように書いた。
 「松崎氏は組合組織(支部)全体を見わたしながら、「助士廃止反対、二人乗務とせよ」というスローガンを、さらに事務部門や検修部門での組合的課題の解決をめざす指針をうちだした。これにたいして、本庄とこれに従った一部の青年部の活動家たちが「一人乗務反対・ロングラン反対だけをかかげよ」と主張して、松崎氏の提起する指針を否定したのである。」(「解放」第2743号)と。
 黒田寛一は次のように書いていたのであった。
 「(1)9・20および12・10闘争のスローガンをめぐる論議
 このスローガン論議は本質的には不毛なものであった。なぜなら、「一人乗務反対! ロング・ラン反対!」だけをかかげるのがわれわれの方針であって、これに「助士廃止反対、二人乗務とせよ」とか、「検修合理化反対」や「事務近代化反対」その他、というような未解決の諸闘争課題にかんするスローガンをかかげることは、大衆運動主義的な方針提起であり、その立場は危機あおりたてだ、というような論議がなされたにすぎなかったのだからである。運動=組織論との関係における方針提起論のほりさげというかたちでの追求さえもが、この場合まったくなされなかったのである。」(『反スタ2』一九九~二〇〇頁)
 前原の展開と黒田の展開とは似ているけれども基本的な点でまったく異なる。黒田は、「助士廃止反対、二人乗務とせよ」というスローガンを、未解決の諸闘争課題にかんするスローガンの一つとしているのにたいして、前原は、松崎氏が9・20反合理化闘争を組織するために「助士廃止反対、二人乗務とせよ」というスローガンを——まさに組合の基本的な方針として——うちだした、としているからである。そして、前原は、黒田が「未解決の諸闘争課題にかんするスローガン」としているものにかんしては、「事務部門や検修部門での組合的課題の解決をめざす指針」だけに限定しているからである。
 前原のこの展開は、彼が『反スタ2』を横において当該のページを見ながら、その展開を、松崎が『秘録』でしゃべっていることに適合するように変えながら書き写したものだ、といわなければならない。私には、前原が、変えたことがわからないように工夫して変えながら書き写しているさまが目に浮かぶ。
 この前原は、スターリニスト的ななしくずし的修正のやり口を自己の叙述作業に貫徹したわけなのである。形式上では同じであるように見せかけながら、内容上では変える、というあのやり口である。
 前原がこのようなやり口を駆使せざるをえなかったのは、松崎明が『秘録』で次のようにしゃべっているからである。
 「機関助士廃止に反対する闘争を提起したら、革マルがそれは危機煽り立て路線だといって批判してきたわけですよ。それで、私は、おまえらのような労働運動を知らない人間に天下り的な批判を受けるいわれはない、といって拒絶したんです。」(『松崎明秘録』三八~三九頁)
 「「助士廃止反対」といえば、それはいけない、「合理化=クビ切り」というまちがったとらえかただ、「一人乗務反対」にしぼっていけ、といってくる。」(一五三頁)
 松崎明その人がこのように語っている以上、前原は、『反スタ2』での黒田の展開とは異なって、松崎氏は9・20反合理化闘争を組織するために「助士廃止反対」のスローガンをかかげた、と書く以外になかったのだ、といわなければならない。
 前原茂雄は、それとともに、かつてJR東労組の役員として松崎明のもとで組合活動をおこなってきた四茂野修が書いた『評伝・松崎明』をも熱心に勉強したのだと思われる。
 四茂野は次のように書いていた。
 「賃金闘争をめぐる論議が続く間にも、職場には合理化の嵐が次々と襲いかかり、田端支部書記長として松崎はこれと格闘していた。それまで、機関車は機関士と機関助士の二人乗務が基本だった。ところが電化された常磐線では、機関士の一人乗務がすでに実施されており、これを突破口にして国鉄当局が一人乗務をあらゆる線区、あらゆる車種に拡大していくことが予想された。そこで東京地方本部は常磐線への二人乗務の回復を要求する闘争を計画し、本部に特認申請をした。」(『評伝・松崎明』一五三頁)
 前原茂雄は、四茂野修のこの本を横において見ながら、「一人乗務への転換は常磐線で先行的に攻撃が加えられていたが、まだ機関助士という職階の廃止が直接なされていたわけではなかった」、というように結果解釈的に書いたのだ、と思われる。「結果解釈的」というのは、この一九六五年の9・20闘争よりも後に機関助士という職階の廃止を実施する直接の攻撃が国鉄当局からかけられ、動力車労組は一九六九年に「助士廃止反対」のストライキ闘争を激烈に展開しつつも敗北したのであり、この闘いを知っている前原は、一九六九年の地平から一九六五年を解釈した、といえるのだからである。黒田寛一著『反スタ2』は一九六八年の夏までに書かれた。列車のどてっぱらに「助士廃止反対」とスローガン書きした動力車労組の一九六九年のストライキ闘争を全学連として支援したわれわれからするならば、一九六五年に松崎明が「助士廃止反対」の方針を提起したのはあまりにも当然のこととして感覚することになるのである。このような自分の感覚をもとにして、一九六八年の黒田が自分のこの感覚と同様の感覚をもっていたかのように描くのは、『反スタ2』の展開のなしくずし的な解釈がえなのである。
 とにかく、四茂野は「電化された常磐線では、機関士の一人乗務がすでに実施されて」いた、と書いていた。このことからするならば、松崎が「二人乗務とせよ」というスローガンをかかげたのは当然である、という判断を前原は下す以外になかった、といえる。
 ここにおいて、前原は、『反スタ2』における黒田の展開の意味内容をなしくずし的に修正する、という決断を下したのだ、とわれわれは判断することができるのである。
 前原が次のように書いているのは、自分がスターリニスト的ななしくずし的修正の手法を駆使することを隠蔽するための苦肉の自己保身の叫びなのである。
 『反スタ2』の黒田の文章を引用したうえで、前原は言う。
 「ここで同志黒田は、この合理化反対闘争においてうみだされた「左翼主義的偏向」を論じている。ところが、北井は、この文章の最初の一行半だけに着目し、同志黒田が「合理化反対闘争」の形容句として「『一人乗務反対! ロング・ラン反対!』のスローガンをもってたたかわれた」と書いていることだけをもって、まるで鬼の首でもとったかのように異常に興奮し、〝黒田は本庄とまったく同じだ!〟などと騒いでいるのだ。小学生以下の国語力ではないか。」
 松崎明は田端支部書記長として「助士廃止反対! 二人乗務とせよ!」というスローガンをうちだしたのであるからして、黒田のこの展開は「『助士廃止反対! 二人乗務とせよ!』のスローガンをもってたたかわれた」としなければならない、と思っている前原は、そう思っている自分を自分自身からも下部組織成員からもおおい隠すために、「まるで鬼の首をとったかのように」といきりたつ以外になす術(すべ)がなかったのだ、といわなければならない。
 前原茂雄は次のように書いている。
 「地本執行部を突きあげて支部の方針を地本に認めさせたのであるから、支部方針が地本の方針と基本骨格で同じであるのはあたりまえであった。」と。
 四茂野修は、黒田が松崎を批判した展開として、次の文章を引用していた。
 「〔河本は〕9・20闘争では左派とほぼ同じ内容の提起をした。これは河本が組織戦術をふまえていないことの帰結である。」(『評伝・松崎明』一五七頁)と。
 四茂野は、ここにいう「河本」とは松崎のことである、という注釈をつけている。
 前原のいう「地本執行部」とは、黒田のいう「左派」と同様の部分をさすのか否かは定かではないけれども、前原は、この引用文にみられる黒田の松崎批判をどのように考えるのであろうか。それとも、この引用文それ自体が四茂野の捏造だ、と主張するつもりなのであろうか。
       (2022年11月12日   松代秀樹)