下部組織成員を欺瞞するための言辞集——デマ宣伝「第7回」

 一 出発点とすべき現実の隠蔽


 革命家たらんとする者は、世界を変革するために、おのれのおいてある物質的現実を出発点として考察する。ところが、われわれが出発点とすべき現実を自分自身と下部組織成員からおおい隠すことをおのれの使命としているのが、デマ宣伝「第7回」の筆者・前原茂雄なのである。
 彼がこの雑文においておおい隠すことを意図した現実とは何か。それは、JR戦線の革マル派組織が総体として、革マル派中央指導部のもとにある革マル派組織そのものから離反し離脱した、という事態である。
 私がこのことを明らかにし、われわれの考察の出発点としたことをもって、前原茂雄は、私にたいして「反革命=権力の走狗」とか「国家権力への通敵行為」とかという非難の言葉を投げつけているわけなのである。したがって、これらの非難の言葉は、JR戦線の革マル派組織が離脱したというわが革マル派組織建設の破産を隠蔽し下部組織成員を欺瞞するための言辞なのであり、その破産をわが革マル派組織建設の挫折の総括の出発点とした私への排外主義的な憎しみの心情を吐露したものにほかならない。
 同志黒田寛一の死を前後する時期から今日まで、「革マル派」中央指導部は、JR戦線の革マル派組織が離脱したという組織的な事実の認識を公表したことはない。ましてやこの事態の考察を出発点としてわが党組織建設の挫折を総括したことはない。ただただ「黒田さんと松崎さんとはテレパシーでつながっているのだ」、ということをくりかえしていただけである。
 これに反して、印刷物とはならない場面では、中央指導部のなかの小官僚は、「マングローブもこぶしも俺たちが潰したんだ!」と豪語し公言したのである(探究派公式ブログ「革共同第四次分裂の地平を打ち固め、革命的前衛党の創造に邁進しよう!」参照)。ここに言う「マングローブ」とは、JR戦線内の革マル派組織のことであり、「こぶし」とは、こぶし書房のことである。このように、JR戦線内の革マル派組織は革マル派本体からは離反し離脱したのだ、ということは、指導的メンバーたちのあいだでは周知の事実だったのであり、小官僚は「俺たちが潰したんだ」という自覚だったのである。だが、マングローブをあたかも敵対物であるかのようにみなす・このような意識では、この事態を出発点としてわが革マル派組織建設の挫折を総括し反省する、という意欲が生まれわきあがってくることは決してない。空手の先生(『資本論の誤訳』の著者である廣西元信)が言うように、師範の悪い癖はその弟子に端的なかたちであらわれる。この小官僚は、中央指導部のなかの指導者であった前原茂雄の他在なのである。「第7回」を書いた今日の前原は、わが党組織建設の総括と反省を放擲し投げ捨てた最高指導者たる前原茂雄のなれのはてなのである。


 二 松崎明への冒瀆


  「ケムにまいた」とは

 前原茂雄は言う。
 「……こうしたJR東労組にたいする破壊策動が展開されるただなかで、宮崎から松崎氏にインタビューの申し入れがあった。松崎氏は、これを受け入れた。「私は日本労働運動を防衛するためには誰とでも会います」と松崎氏は語っていたという。この氏の言葉に明らかなように、彼は、この宮崎のインタビューそれ自体が一連の組合破壊攻撃の一環であるととらえ、それを逆手にとってやろう、と考えていたにちがいないのだ。
 松崎氏は、宮崎の政治的意図を重々承知のうえで、それを受けて立った。」と。
 前原のこの分析は正しい、と私は考える。松崎氏はこう語っていたということは、私は知らなかったが、これを読んで、彼がこう語ったであろうということは容易に推測がつく。私は、松崎氏が次のように考えたのだ、と彼の胸中をおしはかる。ここで、スパイ宮崎のインタビューを断ったり、そのインタビューで言葉を濁したりすれば、〝それ見たことか、松崎にはしゃべれないことがあるんだ、松崎はあやしい〟と宣伝されてしまうことになる。これを真っ向からうけて立ち、これを逆手にとって、自分が労働運動をどのように創造し展開してきたのかという・その体験および教訓と、これからどのように展開すべきなのかということとを、積極的に展開しよう、と。
 前原がこれと同様なかたちで分析していたのだ、と見るかぎりで前原のこの展開は正しい。
 だが、問題は、これに直続して、前原が次のように書いていることにある。
 「そして、あの宮崎を手の平にのせ、時にはケムにまいた。彼は、スパイ宮崎に変幻自在に対応しながら、自らのプロレタリア・ヒューマニズムの思想を縦横無尽に語っているではないか。北井よ。字面解釈しかできないおまえには、こんなことはまったくわからないだろう。」
 問題なのは、この引用文のなかで、前原が「ケムにまいた」「変幻自在に対応しながら」と書いていることである。このように書くことによって、松崎氏が、あたかも、事実ではないことをしゃべっていたり、心にもないことを語っていたりするかのような雰囲気を前原がかもしだしていることが問題なのである。前原は、松崎氏がしゃべったことを具体的に引用し、これは、宮崎をケムにまいたものである、というように自分は判断する、という展開をやっていないのである。こういう展開をやらないのは、前原が、下部組織成員や読者をケムにまき欺瞞するやり口なのである。自分が対象としている現実について具体的に書かないで、それらしい雰囲気をただよわせるために例え話的な表現を連ねる、というのが、前原が下部組織成員の操作術として駆使するやり口なのである。松崎氏が、基本的なことがらについて、あたかも、事実でないことをしゃべっていたり、心にもないことを語っていたりするかのような雰囲気をかもしだすのは、宮崎の質問を逆手にとって日本労働運動の教訓と展望を明らかにしている松崎氏への冒瀆である。
 もちろん、松崎氏がこうしゃべった部分は宮崎をケムにまいたものだ、などと書いていけば、ケムにまいたことがばれてしまう、と言える。問題なのは、逆のことがらである。宮崎への対応ということにとどまることなくそれを超えて、松崎氏が力をこめて積極的に語っていることは、自分が体験した過去的現実の自分自身の認識とそれについての自分の価値判断をのべているものであり、これから日本労働運動を推進していく自分の心のうちと展望を明らかにしているものだ、と私は考えるのである。
 決定的なのは一点である。その一点にかんして、松崎氏は、自分の体験したことを語り、それへの自分の価値判断をくだしているのであり、自分の心のうちを明らかにしているのだ、と私は考えるのである。前原は、その一点にかんして、自分は事実と認識するのか否か、松崎氏が自分の考えをのべていると判断するのか否か、ということを表明すればいいのである。そうすれば、私との論争はかみ合うのである。ところが、前原は、この判断とその表明を回避し逃げまわっている、ということが問題なのである。この表明から逃げまわっているかぎり、前原のこの文章は、下部組織成員を欺瞞するための言辞集にしかならないのである。そうであるかぎり、この文章を書いた前原茂雄は腐敗の極みなのである。

  松崎明の真実

 その一点とは次のものである。松崎氏は次のようにしゃべっている。これを、松崎氏がおのれにとっての真実を語っていると感じるのか否か、これが問題なのである。
 「一九六四年に動労内部で賃金闘争をめぐる論議があって、私は執行部を批判して、「動力車賃金論の一考察」って論文を書いたんだけど、それに総評の小島調査部長のいっていることを引用したことについて、革マルが、総評ひいては社会民主主義を美化するもんだというイチャモンをつけてきたんですね。それから、機関助士廃止に反対する闘争を提起したら、革マルがそれは危機煽り立て路線だといって批判してきたわけですよ。それで、私は、おまえらのような労働運動を知らない人間に天下り的な批判を受けるいわれはない、といって拒絶したんです。そうしたら、翌年の二月になって、革マル派書記長の森茂を先頭に、大勢で私の家に押しかけてきたわけですよ。」(『松崎明秘録』同時代社、二〇〇八年刊、聞き手・宮崎学、三八~三九頁)
 「そうしてしばらくするとね、黒田寛一さんの指令がやってくる。「あれはまずかったよ」と。こっそり詫びを入れてくるわけですよ。ほんとは、俺に対する攻撃も黒田さんがやらせてるんですよ。私に言わせれば、トップが知らないでね。私に対して何かできるわけがないんですからね。しかし、そういうふうに止めるわけですよね。」(四〇頁)
 「黒田さんの運動理論、反スターリニズムの大衆運動の推進のしかたに関わるもの、あるいは『組織論序説』のような大衆運動と組織建設の関係に関わる一連のもの、そういうものの展開は、多分に私の実践を材料にして、基礎づけ理論づけたという面がかなりあるのではないかと私は思っているんですよ。」(一四七~一四八頁)
 「だから、黒田さんと私とは複雑な関係なんですよ。「反松崎フラク」の連中も、私の後ろには黒田がいるようだと分かっている。また、黒田もそれを十分に利用している。だから、この「親分」は、平気で「反松崎」を煽りながらね、そして一方では収めていくと、煽っておいて、こっちの命令で収めさせる、という具合。」(一四八頁)
 「「助士廃止反対」といえば、それはいけない、「合理化=クビ切り」というまちがったとらえかただ、「一人乗務反対」にしぼっていけ、といってくる。」(一五三頁)
 「六五年がスローガン論争です。田端機関区と尾久機関区が一緒になって、それでスローガン論争ってやつがあった。要するに彼らはひたすら革命的スローガンを掲げようとするわけですよね。私はスローガンというのはみんなの意識を集めるためにあるんだから、党派的にどっちが科学的で、どっちが革命的かなんて関係ないと言った。そうすると「シャミテン(社民転)」だって言う。今度は私の家に直接押しかけてくるような事件も起こってくるんです。前に言った六六年の「カチカチ山」事件ですね。わが家に大挙して押しかけて来るわけですよ。これでもう決定的になるわけですよ。」(一五八頁)
 これを読んで、私は、これは、松崎明の、自分の死を予感しての遺言である、と感じたのである。松崎明は、自分が体験したことを明らかにしたのであり、自分自身の心の真実を語ったのだ、と私は思うのである。私には、松崎明のこの言葉は重い。
 前原茂雄は、これを読んでどう感じたのであろうか。これは、松崎明が宮崎をケムにまくために、変幻自在に、自分が体験してはいないことを物語としてこしらえて語った、と感じたのであろうか。もしも、前原がそう感じたのであるとするならば、それは松崎氏にあまりにも失礼であり、松崎氏を冒瀆し、彼に唾を吐きかけるものである、と私は思う。
 この部分を読んで、松崎氏は切々と語っている、と私は感じる。彼は、何十年もおのれの心の奥底に抱えていたものを、いま語ったのだ、と感じ、私は自分の心臓が抉り取られる思いがしたのである。
 この思いのもとに、私は、松崎明が語った彼の内面と、彼が明らかにした彼の体験の現実を、われわれの組織建設を論理的にも歴史的にも捉えかえすための出発点としたのである。
 前原茂雄がその私を批判するのに、松崎明がこのように語ったということにまったくふれないのは、そしてそのことに自己の価値判断を一切くださないのは、自己と下部組織成員と「解放」読者を、いや全世界のプロレタリアを欺瞞するものである。
 前原茂雄が『松崎明秘録』から引用した箇所が一つだけある。
 「じっさい松崎氏自身が、宮崎のインタビューに答えて次のように語っている。
 「黒田さんの運動理論、反スターリニズムの大衆運動の推進のしかたに関わるもの、あるいは『組織論序説』のような大衆運動と組織建設の関係に関わる一連のもの、そういうものの展開は、多分に私の実践を材料にして、基礎づけ理論づけたという面がかなりあるのではないかと私は思っているんですよ。」(『秘録』一四七~一四八頁)」
 この引用がそれである。この中身はまさにそうである。まさに、松崎明は、宮崎のインタビューを逆手にとって、真実を語ったのである。逆手にとって真実を語るという松崎明のこの意志は、『秘録』における彼の語りの全編をつらぬき、文面と行間のすべてを流れている、と私は感じるのである。この『秘録』を松崎明の遺書だ、と私が言ったゆえんである。
 この引用に端的にしめされるように、松崎明が真実を語っていることを感じ熟知しているにもかかわらず、自分にとって都合の良い部分だけを引用し、他の部分は無視抹殺するというのは、あまりにも御都合主義であり、松崎明にあまりにも失礼ではないか。いや、前原茂雄のこのやり口は、全世界のプロレタリアートが共有財産とすべき著書を「宮崎本」とけなし闇に葬りさることを意図するものであり、全世界のプロレタリアートへの背信行為である。


  三 松崎明黒田寛一が対立したその内実のほりさげ


  9・20スローガン論議

 前原茂雄は言う。
 「頭のおかしい北井よ。そもそも『日本の反スターリン主義運動2』において、同志黒田が次のように書いていることをおまえはどう読んでいるのだ。
 「『一人乗務反対! ロング・ラン反対!』のスローガンをもってたたかわれたこの合理化反対闘争において、しかし、われわれは同時に、部分的に左翼主義的偏向をおかしたのであった。一言でいえば、われわれの組織戦術の無媒介的な貫徹を主張したり、あるいは民同右派が民同左派に攻撃をかけているまさにその時に動力車労組内の左右の日和見主義を一挙に同時的に、直接的に批判し暴露すべきだ、と主張した戦闘的活動家(フラクション・メンバー)たちにゆすぶられたりする傾向が一部に発生したということである。」(『反スタ2』一一三~一一四頁)
 ここで同志黒田は、この合理化反対闘争においてうみだされた「左翼主義的偏向」を論じている。ところが、北井は、この文章の最初の一行半だけに着目し、同志黒田が「合理化反対闘争」の形容句として「『一人乗務反対! ロング・ラン反対!』のスローガンをもってたたかわれた」と書いていることだけをもって、まるで鬼の首でもとったかのように異常に興奮し、〝黒田は本庄とまったく同じだ!〟などと騒いでいるのだ。小学生以下の国語力ではないか。」
 これが、前原茂雄の異常に興奮した言である。
 では、前原は、今日から考えて、「『一人乗務反対! ロング・ラン反対!』のスローガンをもってたたかわれたこの合理化反対闘争」という展開を、正しいと考えるのであろうか、それとも間違っていると考えるのであろうか。前原は、この判断をくだしていない。こういうところが、前原のずるいところなのである。「鬼の首でもとったかのように」と書くことをもって、私を批判したかのように装っているのである。だが、一般に、「鬼の首でもとったかのように」という表現は、その批判は当たっていると認めたうえで、そんな小さなことで悦に入るとは何だ、というように切り返す言葉である。ということは、前原が日本語を正しく使っているのであるかぎり、『反スタ2』の先の表現は間違っている、と前原は認めた、ということになるのである。
 前原自身が次のように書いているからである。
 「松崎氏は組合組織(支部)全体を見わたしながら、「助士廃止反対、二人乗務とせよ」というスローガンを、さらに事務部門や検修部門での組合的課題の解決をめざす指針をうちだした。これにたいして、本庄とこれに従った一部の青年部の活動家たちが「一人乗務反対・ロングラン反対だけをかかげよ」と主張して、松崎氏の提起する指針を否定したのである。」と。
 前原のこの展開は正しい、と私は考える。前原が書いていることのなかでは、ここは正しいのである。
 松崎氏が提起し組合組織がかかげたスローガンは「助士廃止反対、二人乗務とせよ」なのである。これにたいして、「一人乗務反対! ロング・ラン反対!」というスローガンは、本庄とこれに従った一部の青年部の活動家たちが、それだけをかかげよ、と主張したものなのである。すなわち、それは左翼主義的偏向をおかした活動家たちが主張したものにすぎないのであって、組合組織が採用したものではないのである。とするならば、この合理化反対闘争は、動力車労組という労働組合がたたかったものなのであるからして、同志黒田が書いたこの部分は、「『助士廃止反対! 二人乗務とせよ!』のスローガンをもってたたかわれたこの反合理化闘争」としなければならないのである。
 この問題は、「鬼の首でもとったかのように」ではなく、まさに鬼の首なのである。どのようなスローガンを組合組織としてうちだすのか、ということが論議となっていたのだからである。松崎氏が「助士廃止反対」というスローガンをうちだしたことにたいして、本庄とこれに従った一部の青年部の活動家たちは「それは危機あおりだ」と批判したのだからである。もしも同志黒田が松崎氏を正しいとするのであるならば、彼は『反スタ2』の展開を、「『助士廃止反対! 二人乗務とせよ!』のスローガンをもってたたかわれたこの合理化反対闘争」としなければならなかったのである。
 私は、このことを言っているだけのことである。
 このことが重要であるのは、この9・20闘争への組織的とりくみの総括において、同志黒田は松崎明を次のように批判しているからである。

  黒田寛一松崎明批判

 かつてJR東労組の役員であった四茂野修は『評伝・松崎明』で次のように書いている。
 「黒田は次の四点にわたって松崎を批判した。ここに「河本」とあるのは松崎で、「深井」は送り込まれた革マル派の常任である。
 「ケルン主義の未克服:河本はケルン主義を克服できないまま、ケルンの創造を放棄して役員としての活動に埋没した。六三年の反合闘争の過程でフラクションを創造し、ケルン主義を経験的・実践的に克服したのだが、理論的追究は放棄された。そのためケルン主義を克服できない古いメンバーと、それなりに克服を追求した新しいメンバーの間に溝が生まれた。新しいメンバーには深井の誤った指導によって左翼主義的偏向、フラクションとしての労働運動というような偏向が生じた。この対立に際して河本は諸会議をボイコットし、フラクションの指導を放棄して、労働運動の左翼的展開を自己目的化し、役員としての活動に安住し、「自己分裂」に陥った。
 組織戦術抜きの闘争戦術:河本の提起は組織戦術のない戦術提起だ。闘争戦術の提起が組織戦術を無視して行われている。9・20闘争では左派とほぼ同じ内容の提起をした。これは河本が組織戦術をふまえていないことの帰結である。河本は「組合内の諸要求を取り上げ、結集しやすい方針を出さなければならない。にもかかわらず、他のメンバーはそのような点について関心を持っていない」と主張したが、それは労働運動をでっかく組織化するという観点から考えられている。しかも、フラクションや同盟組織をふまえて提起するとなっていない。
 革命闘争への連続的発展観:河本は階級闘争主義、あるいは大衆闘争から革命闘争への連続的発展観に陥っている。断固たる実力闘争、資本との徹底的な対決が古典的マルクス主義のベールをかぶって主張されている。賃金論、合理化論などを古典マルクス主義の原則でぶった切る原則主義に陥っている。運動の組織化を通じた党組織づくりの観点が欠落しており、のりこえの構造の解明が必要だ。
 運動=組織論の未主体化:運動=組織論の追求がなされていない。活動の三形態(同盟員の活動、フラクション活動、独特な職場闘争)の立体的な構造を把握することが求められている。」」(一五六~一五八頁)
 四茂野は、他のすべての引用にかんしてはどこからのものであるのかということを記しているのであるが、これだけは唯一どこからの引用であるのかを記していない。どこからの引用であるのかをしめさず、「河本」「深井」という名前をあえて記載しているのは、これが、9・20スローガン論議および国鉄委員会建設の破産にかんする総括を黒田寛一が口述したテープからのものである、ということを四茂野が暗にしめしたものだ、と言ってよい。「深井」とは、国鉄委員会担当常任メンバーである本庄武をさす。
 私は、同志黒田のこのテープを持っていず、記憶しているだけなので、四茂野のようにはくわしくは再生産することはできない。四茂野の再生産は正しい、と言えるのみである。
 もしも、前原茂雄は、四茂野のこの再生産が間違っている、と思うのなら、そう言えばよい。
 このようなテープにかんしては、「革マル派」中央官僚派は、もはや、これを検討し継承するだけの理論的論理的能力をもっていないのであり、宝の持ち腐れであって、そのような愚をおかすのではなく、これを全世界のプロレタリアートの共有財産とするために公表すべきである、と私は考える。松崎明その人が、このテープの論述の対象となっていることがらにかんして、自分の認識内容と自己の考えをのべているのであるからして、このテープを公表しても何ら問題はないのである。
 内容上では、9・20闘争において松崎明が提起した組合の方針にかんして、黒田寛一が「組織戦術抜きの闘争戦術」というかたちで批判していることが問題となる。
 松崎と黒田のあいだで食い違いが生じたのは、——今日的な表現で言えば——わが同盟のわが同盟としての闘争=組織戦術とわが同盟員が組合員あるいは組合役員としてうちだす組合の運動=組織方針とを区別しえているのかどうか、ということにあったのではない。後者の組合の方針をどのように・どのような内容で・うちだすのかということをめぐって両者の食い違いが生じたのである。
 本庄武は、両者は違うということ自体がわかっていなかったのであり、この方針提起上の問題を規定しているところのわれわれの活動の三形態を把握していないということについて、したがってわが同盟員は組合運動の場面で組合員として活動するのだ、ということがわかっていないということについて、同志黒田は本庄武を執拗に批判し教育していたのである。
 松崎と黒田の食い違いは、本庄のこの水準とは異なって、松崎は田端支部の書記長としてどのような方針をうちだすべきか、ということをめぐってであったのである。
 松崎は、田端支部の組合員たちが全体として結集しやすい方針をださなければならない、という考え方のもとに、みずからが左派系の組合役員および組合員たちを組織して支部内の左翼フラクションを創造しているということを実体的基礎にして、このメンバーたちの総意をなすものとして「助士廃止反対! 二人乗務とせよ!」という方針を提起したのである。これにたいして、黒田は、「9・20闘争では左派とほぼ同じ内容の提起をした。これは河本が組織戦術をふまえていないことの帰結である」、と批判したのである。
 この食い違いについて考察しほりさげることが問題なのである。私は、松崎が組織戦術をふまえていない、とは思わないのである。松崎は、創造している支部内の左翼フラクションを強化し拡大するという組織戦術をふまえて、組合支部書記長として、先の組合の方針を提起したのだ、と私は考えるのである。この意味において、黒田は、松崎が考えていたところの、左翼フラクションを強化し拡大する、という組織戦術を見ていない、と私は思うのである。黒田は「左派」と呼んでいるのであるが、田端支部に創造されていたところのものは、既存の左派なのではなく、松崎が左派系の組合役員および組合員を組織してつくりだした左翼フラクションと把握すべきだ、と私は考えるのである。
 黒田は松崎を、「9・20闘争では左派とほぼ同じ内容の提起をした」、と批判したのであったが、松崎は自分が創造した左翼フラクションにおいて意志一致した方針を、支部書記長として提起したのだ、というように、私は考えるのである。
 また、黒田は、松崎が「組合内の諸要求を取り上げ、結集しやすい方針を出さなければならない。にもかかわらず、他のメンバーはそのような点について関心を持っていない」と主張した、というように、紹介している。松崎のこの言葉は、『松崎明秘録』において、「私はスローガンというのはみんなの意識を集めるためにあるんだから、党派的にどっちが科学的で、どっちが革命的かなんて関係ないと言った」、というように彼がしゃべっているのと、意味内容としては同じである。このことにかんしては、前原茂雄もまた、「松崎氏は組合組織(支部)全体を見わたしながら、……指針をうちだした」と書いていることにしめされるように、肯定的に認めているわけである。松崎のこの提起は、わが同盟員が組合役員として労働組合の方針をどのようにうちだすのかということについて労働運動論的にアプローチして考えたものだ、と私は考えるのである。
 これにたいして、黒田が、「これは河本が組織戦術をふまえていないことの帰結である」、「それは労働運動をでっかく組織化するという観点から考えられている。しかも、フラクションや同盟組織をふまえて提起するとなっていない」、と批判したのは、戦術の提起にかんして組織現実論的にアプローチして考えたものだ、と私は考えるのである。したがって、黒田の松崎への批判は、労働組合の方針の提起にかんして労働運動論的にアプローチして考えたものに、戦術の提起にかんして組織現実論的にアプローチして考えたことを対置するものとなっている、と私は思うのである。労働組合の方針を労働運動論的にアプローチして解明するばあいには、組織現実論を適用しなければならないのであるが、このことは、闘争戦術を組織現実論的にアプローチして解明することそのものとは、アプローチの仕方が異なるのである。このようなすれ違い的な対置であることからして、黒田の松崎への「それは労働運動をでっかく組織化するという観点から考えられている」という批判は当たらない、と私は考えるのである。前原茂雄自身が認め肯定しているように、「松崎氏は組合組織(支部)全体を見わたしながら、……指針をうちだした」のであり、労働運動論的にアプローチして考えるかぎり、松崎明の指針の解明は間違っていない、と私は思うのである。
 前原茂雄自身が次のように黒田の言葉を引用しているのである。
 「黒田は、「われわれとしては学生運動論の理論的解明にかなり努力してきたけども、労働運動論あるいは労働組合論……の追求が弱い」(『開拓』第四巻三二四頁)と、労働組合運動論についての追求の立ち遅れを指摘しているのである。」と。
 ここで、黒田は、「われわれとしては」というように、おのれをその一員とする組織として自己否定的に問題を提起しているのである。決して、労働戦線担当の常任メンバーは……の追求が弱い、というように常任メンバーを弾劾しているのではないのである。もしも前原茂雄が、自己にかすかに残っているにすぎないものであれ、主体的たらんとするのであるならば、黒田のこの提起をうけとめ、一九六五年~六六年当時の黒田の松崎への批判を、労働運動論的アプローチを貫徹するという立場にたって主体的に検討すべきではないだろうか。
 私は、生起した食い違いを、上記のようなかたちでほりさげてきたのであり、ほりさげるのである。
 前原茂雄は、黒田と松崎は同じなんだ、という神話をつくりあげるために腐心しているだけのことなのである。
 (2022年11月6日   松代秀樹)