冷厳な歴史的事実に「前原茂雄」はなぜ口を閉ざすのか

 虚言家「前原茂雄」

 

 「解放」第二七四五号(二〇二二年一一月二一日付)の探究派にたいするデマキャンペーン「第八回」において、前原茂雄は、驚くべき嘘と欺瞞を並べ立てた。毎度のこととはいえ、われわれは同志松代を先頭として、すでにその内実を徹底的に暴きだし、それを通じて逆に歴史的真実と教訓を次々と明らかにし、掘りさげつつある。

 さしあたりここでは、同志松代のブログの一一月二一日付の記事でとりあげられていることがらにふれよう。

 「おまえはかつて国鉄戦線の古参の労働者の会議において何度か参加したことがあるが、そもそも発言したことがあるのか。とりわけ古参労働者の前で。いや、彼らと個別の対話をしたことがあるのか。いつも〝借りてきた猫〟のようにちんまりと緊張してかしこまって黙っていただけではないか。」

 この「前原茂雄」の文は、彼がもはやなりふりかわず嘘八百を並べたてる虚言家へと変質していることを明確に示している。一九八〇年代前半にそれなりの組織的位置にあった労働者組織成員なら誰でも知っている事実、同志松代が国鉄戦線担当常任として、同志黒田に相談しつつ、国鉄労働者たちとともに「国鉄改革」のための諸攻撃に反対する闘いに取り組んだという事実をもなかったことにする、いや八〇年代前半の国鉄労働者の果敢な闘いそのものをも抹殺するものでなくてなんであるか。驚くべき妄言である。同志松代を貶めるためとはいえ、なぜそこまで言わなければならないのだろうか、というほどのものなのである。

 とはいえ、このような虚言はただ単に政治的意図にもとづくだけではない。その根底にある〝哲学〟が同時に暴きだされなければならない。だが、それについて論じるのは、またの機会にしよう。

 

 国鉄(JR)労働者組織の喪失

 

 「前原」がなかったことにしている決定的事実、その最たるものは、わが日本反スターリン主義運動にとって、決定的な問題をなすものである。

 かつての国鉄委員会を先頭とする、国鉄戦線の労働者たちがこぞって革マル派を離脱し、同志黒田が〝日本反スターリン主義運動の労働者的本質をささえる実体的根拠をなす〟とまで規定した国鉄戦線の労働者組織を一挙に失ったのである。これは、黒田寛一との固い同志的信頼にもとづいて、国鉄戦線に革マル派組織を確固として創造してきた松崎明の死去(二〇一〇年)を遥かに遡る一九九〇年代中葉のことなのである。松崎明の意志とは無関係にこのような事態が生起することがありえないことは、それこそ誰にでもわかることではないか。

 

 われわれの実践の結果たるこの冷厳な歴史的事態を、まさに組織論的にも労働運動論的にも考察し、教訓化することなくして、反スターリン主義運動の前進はありえない。同志松代の『松崎明黒田寛一』は、そのような確信にもとづいて解明し上梓したものなのである。「前原茂雄」は上のような現実には触れもしない。上の事態を革マル派労働者組織建設の破綻を意味するものとして、いかに教訓化するか、という問題意識そのものがないのである。

 むしろ彼は、同志松代の上掲書を「反革命の書」だと規定し排撃するだけでなく、黒田寛一松崎明との〝深い〟関係を物語化し神秘化して、力説している。

 これは天地がひっくり返るほどの嘘ではないか。

 

 これほどまでに深刻な歴史的現実と向かい合うことを、「前原茂雄」はなぜそこまで恐れるのか。

    小倉 力(二〇二二年一一月二二日)