ウクライナ・ロシアの労働者・人民と国際的に連帯してたたかおう!

ロシアのウクライナ侵略弾劾!!

松崎明黒田寛一 その挫折の深層』発売中

 

今日は、本書の「はじめに」です。

 

 はじめに


  1

 プーチンのロシアは、ウクライナへの軍事侵略にうってでた。
 キエフの即刻の制圧の目論見が崩れたプーチンは、シリア人の傭兵をこの侵略戦争に投入するとともに、ロシア軍に都市の壊滅的破壊を命令した。米欧日の帝国主義諸国家権力者どもは、ゼレンスキー政権に対戦車ミサイルなどの兵器を与えて、ウクライナ人民に「愛するウクライナを守れ!」と民族主義を鼓舞し、その実はウクライナの支配者を守るための戦闘をやらせている。このようなかたちで、東西の帝国主義は、労働者・人民を犠牲にして激突しているのである。
 このロシアは、スターリン主義国家から転化した帝国主義国家であり、この侵略は、領土・勢力圏の再分割のための戦争なのである。このロシアを経済的にささえている現代中国もまた、スターリン主義国家から転化した帝国主義国家なのであり、世界の覇権をにぎるために、軍事力を強化し、「一帯一路」構想にもとづいて勢力圏の拡大を遮二無二おしすすめているのである。
 没落するアメリカを中心とする西側の帝国主義諸国家は、帝国主義世界経済からの中国の分断を図りつつ、NATOをロシアの喉元にまで拡大してきたのであり、いまゼレンスキー政権をおしたててロシアに軍事的に対抗し、経済制裁に狂奔しているのである。
 ゼレンスキー政権は、労働組合を破壊しウクライナの労働者たちを欧米の独占資本家どもに差しだすために、企業レベルの労働組合委員会を廃止するとともに、現在の上限八時間に代えて一日一二時間労働を設定できる、と定めた法案を押しとおそうとしてきた。ウクライナの労働者たちはこれに激しく抵抗してきた。この労働者たちが、「祖国防衛」の名のもとに、支配者を守るための戦闘に駆りだされているのである。悲痛である。
 マルクスは言った。「労働者は祖国をもたない」、と。
 日本の労働者・勤労者・学生・知識人のみなさん!
 この東西の帝国主義の激突をうち破り、ロシアのウクライナ侵略を阻止するために、あらゆる排外主義と民族主義イデオロギーをはねのけ、プロレタリア・インターナショナリズムの立場にたって、革命的反戦闘争を展開しようではないか!
 この闘いの指針に適用するわれわれの世界革命戦略は〈反帝国主義反スターリン主義〉である。われわれは、日本において革命的反戦闘争を展開し、かつこの闘いを全世界に押しひろげ、そのただなかにおいて、破産したスターリン主義をその根底からのりこえ東西の帝国主義諸国家権力を連続的に打倒することを決意した革命的プロレタリアを大量に創出し組織するのでなければならない。

  2

 プロレタリア階級闘争の壊滅状況を突破して、労働者階級を階級的に組織していくためには、松崎明黒田寛一が切り拓いてきた、過去六〇余年にわたる労働運動の組織化の実践と理論を総括し、そこからどん欲に教訓をつかみとることが肝要である、とわれわれは考える。
 「鬼の動労松崎明は、死を前にして次のように書いた。
  「D型もD民同へ涸れ谷に」
 私は、この句に、彼の深い絶望が渦巻いているのを感じる。
 彼のため息は、彼が旅立った後に、JR東労組の分裂と瓦解というかたちで現実のものとなった。
 だが、私は、彼の言葉に、もっと深い、彼の心の奥底からの絶望のうめき声を聞くのである。
 「わかりました。それでは、私はダラ幹として生きます。」
 これが、黒田寛一にあてて松崎明が託した最後の伝言であった。
 自分は、黒田寛一に実践的唯物論を教わり、それを主体化し貫徹して実践してきた、しかし、自分のこの実践とこの自分は、ついに、黒田に理解されなかった、という思いが、晩年の松崎の内奥にうずいていたのではないか。過去のあらゆる記憶が鮮明な映像として蘇り、走馬灯のごとくに彼の脳裏を駆けめぐっていたのではないか。こう私はおもうのである。
 私の推測は一九六五年にさかのぼる。
 黒田寛一の著書『日本の反スターリン主義運動 2』には、「9・20闘争のスローガン論議」とか「同盟内思想闘争における日和見主義」とかということがでてくる。ともに、一九六五年から六六年の冒頭にかけて発生した問題の摘出とその切開であり、前者は、松崎が書記長をしていた田端支部を拠点する動力車労組の9・20反合理化ストライキ闘争のスローガンをめぐる同盟内論議をさし、後者は、その論議における松崎の欠陥として黒田がつきだしたものである。
 この本の論述を読んで、このときにいったい何があったのか、ということを推論しつかみとることは、なかなか難しい。
 だが、JR東労組の瓦解とJR内のわが反スターリン主義革命的前衛党組織の崩壊として現実化した、松崎明黒田寛一の挫折の、いやこの二人から学び奮闘してきたわれわれ自身の破産の、根拠をえぐりだし、それを突破するためには、この一九六五年にいったい何があったのか、ということを今日的に把握し、そこから教訓をつかみとることがどうしても必要である、と私は考える。
 これを実現するための私の理論的作業が、本書の中心をなす。
 労働者階級を階級的に組織するために、労働者・勤労者・学生・知識人のみなさんが、本書に主体的に対決されんことを望む。
       二〇二二年三月二〇日     編著者

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