レーニン「正義の戦争」論の政治利用

Ⅰ レーニンからのペテン的引用

  第60回国際反戦中央集会の基調報告論文(市原道人)で、ウクライナ戦争にかんして次のように述べられている。

 

 プーチン・ロシアによるウクライナへの一方的な侵略・蹂躙という現下の戦争は、かの第一次世界大戦とはまったく異なる性格をもつ。これは自明のことではないか。レーニンは、抑圧者たる「強国」の侵略戦争にたいして被侵略国側の国家が反撃の戦争を戦うのは「正しい戦争」であると喝破し、被抑圧民族の労働者階級は断固としてこの侵略者にたいする戦争をたたかえ、と檄をとばしたのである。(『新世紀』321号)

 

 ええっ、レーニンはこんなこと言っているのか、帝国主義戦争に正しいも何もないだろう、というのが一読した際の感想である。それにしても、こんな重大発言に出典が明示されていないのが不思議であった。実は、この市原論文には下書きがあり、それをなぞる際に伝言ゲームのようにレーニンがよりグロテスクに戯画化されていたのである。その下書きの該当箇所は以下の通りである。

 

 そして、侵略されている国については事態はまったく異なることを、レーニンは明確にしている。
 「……たとえば、明日にでも、モロッコがフランスにたいし、インドがイギリスにたいし、ペルシアか中国がロシアにたいして宣戦を布告したとすれば、こういう戦争は、どちらがはじめに攻撃をくわえたかには関係なしに、『ただしい』戦争、『防衛』戦争ということができるであろう。そして、社会主義者ならだれでも、抑圧され、従属させられ、同等な権利をもたないこれらの国が、抑圧者、奴隷所有者、略奪者の地位にある『強国』にたいして勝利をしめることに共感するだろう。」(レーニン社会主義と戦争』国民文庫七八頁、傍点〔下線〕は引用者)
 ウクライナは今ロシアに侵略されているのであって、この地で労働者・人民が対ロシアの戦争を断固戦うことは、レーニン流に言うならばまさしく「ただしい戦争」なのである。
 労働者階級は、侵略され抑圧され従属させられている国や民族の内部においては、人民の先頭に立って戦わなければならない。(『新世紀』320号中央労働者組織委員会論文)

 

 なんだ、「社会主義者」が「共感するだろう」といっているだけで、レーニンは労働者階級に「正しい戦争をしろ」という檄なんてとばしてないじゃないか、びっくりさせないでもらいたい。しかし、「たとえば」で始まるレーニンからの引用は異様である。これでは「たとえば」以下が何の具体例として例示されているのかがさっぱりわからないではないか。以下、大月書店版レーニン全集第21巻から、WOB論文では隠されている「たとえば」より前の部分を引用する。この『社会主義と戦争』はボリシェヴィキの戦争にかんする諸決議を解説するためにレーニンジノヴィエフによって1915年8月に書かれた小冊子である。なお、全集では「正しい戦争」ではなく「正義の戦争」という訳語が使われている。

 攻撃戦争と防衛戦争の違い
 一七八九ー一八七一年の期は、深い痕跡と革命の思い出をのこした。封建制度、絶対主義、外国の圧政が打倒されるまでは、社会主義をめざすプロレタリアートの闘争の発展ということは問題になりえなかった。社会主義者がこういう時期の戦争について「防衛戦争」の正当性をかたったばあいには、それはつねに、中世的制度と農奴制とに反対する革命に帰着する、ほかならぬこれらの目的を念頭においていたのである。社会主義者は、「防衛」戦争という言葉で、つねにこの意味での「正義の」戦争をさしてきた(W・リープクネヒトがかつてそういう言い現わし方をした)。ただこの意味でだけ、社会主義者は、「祖国擁護」あるいは「防衛」戦争が正当で、進歩的で、正しいことをみとめてきたのであり、またいまでもみとめている。たとえば、(以下、WOB論文での引用部分に続く)

 

 ここでレーニンが挙げている1789年から1871年という時代区分は、フランス革命からパリ・コンミューンまでを指し、そこでは「戦争の一つの型として、ブルジョア進歩派の民族解放戦争があった」のであり、その歴史的意義は絶対主義と封建制度の打倒にあったとレーニンはいう。そして、レーニン封建制を打倒し民族国家を樹立したそれらの民族解放戦争を「真の民族戦争」と規定し、「欺瞞的な民族的スローガンで隠蔽された帝国主義戦争」と区別して「正義の戦争」と呼ぶ。
 この場合、イギリス、フランス、ドイツなどの西ヨーロッパ諸国では「民族運動は遠い過去のものになっている」のに対し、第一次世界大戦下の1915年時点でウクライナなどの東ヨーロッパでは「民族運動はまだ完了しておらず」まだ進行中であり、植民地での民族運動はさらに遅れていた。だからレーニン帝国主義戦争交戦国での祖国擁護を「ブルジョア的欺瞞」として否定する一方で、東ヨーロッパや植民地の来るべき民族解放戦争も「正義の戦争」とするのである。
 すると1789年から1871年の時代にすでに達成された西ヨーロッパでのブルジョア革命と1915年当時未達成の東ヨーロッパおよび植民地諸国でのブルジョア民主主義革命との関係が問題になる。レーニンはどちらも「正義の戦争」としているのだが、前者の打倒対象が絶対王政と封建領主であるのに対して、後者の場合は帝国主義諸国による植民地支配からの解放が課題となるのだから。両者は戦争の物質的基礎も戦争を戦う階級も異なり、そもそも両者を一括して規定するのには無理がある。さらに、個々の戦争を個別具体的に検討しないと正しさの内実も明らかにはならないのであるが、とりあえず、レーニンは、歴史的過去に達成されたブルジョア革命やいま直面しているブルジョア民主主義革命の進歩性、プロレタリア革命に対する積極的意義に着目して、両者をともに「正義の戦争」としていること、および「遠い過去」のものとなった「進歩的ブルジョアジーによる民族解放戦争」たる前者よりも、進行中の東ヨーロッパと植民地諸国での帝国主義の抑圧に抗する民族解放戦争にレーニンの問題意識が向けられていることの二点が確認されればよいだろう。
 「帝国主義強国、すなわち抑圧者的強国にたいする、被抑圧者(たとえば植民地民族)の戦争は、真の民族戦争である。そういう戦争は、こんにちでも可能である。抑圧民族の国にたいして被抑圧民族の国が『祖国を擁護』することは、欺瞞ではない。だから、社会主義者は、このような戦争における『祖国擁護』にけっして反対しない。」(レーニンマルクス主義の戯画と「帝国主義的経済主義」とについて』)
 要するに、レーニン帝国主義戦争における祖国防衛主義を厳しく否定しつつ、未だブルジョア革命が達成されていない東ヨーロッパおよび植民地諸国での民族解放戦争を、プロレタリアートが「同情」ないし「共感する」対象として、あるいは「けっして反対しない」ものとして限定的に評価したのである。なぜなら、レーニンにとって「反帝国主義的民族運動」は二段階革命の第一段階をなすブルジョア民主主義革命の一契機としてプロレタリアートが利用すべきものだからである(レーニン『自決にかんする討論の総括』)。
 以上がレーニンによる「正義の戦争」論の概略であるが、問題は、WOB論文でのレーニンの引用の仕方と、レーニンの論述の意味づけなのである。
 第一に、筆者が具体例としての植民地での民族解放戦争の記述のみを引用して、その前の部分を黙殺したことの問題性について。すでにみたように、そこでは「中世的制度と農奴制に反対する革命」、すなわちブルジョア革命あるいはブルジョア民主主義革命に帰着する目的をもった戦争が「正義の戦争」であり、「ただこの意味でだけ」祖国防衛に正当性がある、と述べられている。一言で言えば、ここでレーニンのいう「正義の戦争」とはブルジョア民主主義革命の実現をめざした民族解放戦争である。
 このようなレーニンの展開を読むと当然、あれっ、これってゼレンスキーの戦争と何か関係あるのか、という疑問がわくだろう。まさか成熟した民族国家である現在のウクライナブルジョア革命が未達成とはだれも思わないであろうし、したがって、「たとえば」以下の引用箇所の本体にあたるレーニンの論述は、どうころんでもゼレンスキーの戦争、同じことだが「ウクライナ労働者人民の戦争」の正当性の論拠にはなりえないのである。だから、引用を「たとえば」で始める無理をしてでもWOB論文の筆者はこの部分を隠したのである。
 第二に、「たとえば」以下の引用で筆者が意図したこと。引用個所の直前に筆者は「侵略されている国については事態はまったく異なることを、レーニンは明確にしている」と書き、レーニンが戦争の正当性の基準に「侵略されている」ことを据えているかのように読者を誘導する。そのうえで、引用部分をまとめた地の文で「ウクライナは今ロシアに侵略されているのであって、この地で労働者・人民が対ロシアの戦争を断固戦うことはレーニン流に言うならばまさしく『ただしい戦争』なのである。」と結論づけるのである。
 筆者はどうしても「侵略されている」ことを「ただしい戦争」の判定基準にしたいようだ。それだけでなく、「侵略され抑圧され従属させられている国や民族の内部においては」というように戦争の正当性の判断基準の範囲を「侵略されていること」から「抑圧されていること」、さらには「従属させられていること」へと、何も説明しないまま拡大するのである。おそらく、引用部分でレーニンが「抑圧され、従属させられ」と書いているのを利用し、その直前に筆者にとってのキーワード「侵略され」をおしこんだのだろう。では訊くが、アメリカ帝国主義に従属している日本帝国主義アメリカに攻め込んだら、それは「正義の戦争」になるのかね。
 侵略・被侵略、抑圧・被抑圧、従属・被従属をいくら言っても戦争の正当性を主張することはできない。もちろん、レーニンもそんなことを言うわけがない。
 「俗物は、戦争が『政治の継続である』ことを理解しない。だから、『敵が攻撃した』、『敵がわが国に侵入した』などということばかりにこだわって、戦争がなにがもとで、どの階級によって、どんな政治目的のためにおこなわれているかを検討しない。」(レーニンマルクス主義の戯画と「帝国主義的経済主義」とについて』)
 WOB論文の筆者が引用した『社会主義と戦争』でのレーニンの展開に沿って言えば、東ヨーロッパおよび植民地諸国での民族解放戦争の階級的本質はブルジョア民主主義革命を志向するものであり、その点で「正義の戦争」とされるのだ。侵略・被侵略や抑圧・被抑圧といった現象はそのような戦争の性格からもたらされたものであって、その逆ではない。
 WOB論文は、⓵植民地諸国での来るべき民族解放戦争の階級的性格にかかわるレーニンの論述を隠蔽し、②物質的基礎や階級的諸実体を抜き取り戦争一般に還元したうえで、そのような戦争一般と現下のロシアによるウクライナ侵略をめぐる帝国主義戦争との双方から侵略・被侵略という「共通性」をとりだして、ウクライナレーニンが言っている「ただしい戦争」と同じだよねと言いくるめているわけである。彼らがこのような詐欺的手法をとってまでレーニンを利用するのは、そうしないと自分たちのウクライナ戦争論が瓦解するからである。 
 ちなみにWOB論文のこのレーニン詐欺に真っ先にひっかかったのが国際反戦中央集会の基調報告者(市原道人)である。レーニンは別に侵略されている側が反撃するのが「正しい戦争」であるなどと「喝破」していないし、労働者階級に断固としてこの戦争を戦えと「檄」をとばしてなどいない。そうではなくて、レーニンがとばした檄は「われわれはすべての交戦国と戦争の脅威下にあるすべての国のプロレタリアートと被搾取者にたいして、祖国防衛の拒否を提議する。」(レーニン『戦争問題にたいする原則的規定』)であった。そもそも、WOB論文での引用箇所であげられているモロッコ対フランス、インド対イギリス、ペルシアまたは中国対ロシアの植民地解放戦争は『社会主義と戦争』執筆時点ではまだ起きていない。市原論文によると、存在しない戦争に労働者階級は参戦せよとレーニンは檄をとばしたというわけだ。「おまえたちは現実世界に生きてはいない」(『新世紀』321号「粉砕せよ」論文第2回)という言葉を返そうか。

 

Ⅱ レーニンのいう戦争の正当性

 ここで「革マル派」中央官僚派ではなくレーニンその人が戦争の正当性についてどのように考えていたのかをみておく。
 レーニンが無条件に正義の戦争とするのは、もちろん賃労働と商品経済の廃絶をめざすプロレタリア革命である。WOB論文で詐欺に利用された『社会主義と戦争』でも冒頭で「ブルジョアジーにたいする賃金労働者の戦争の正当性、進歩性、必然性」を「われわれは完全に認める」と宣言する。プロレタリア革命は「歴史が知っているかぎりの一切の戦争のうちでも、唯一の合法則的な・正当な・正義の・真に偉大な戦争である。」(レーニン『ペテルブルグ戦闘の計画』)それは、1915年当時には帝国主義戦争を「資本家階級の収奪をめざし、プロレタリアートによる政治権力の獲得をめざし、社会主義の実現をめざす戦争」(レーニン『ツィンメルヴァルド左派の決議草案』)としての内戦に転化させるものとして展望されたのである。ここでは戦争の正当性を議論する余地はない。
 問題となるのはプロレタリア革命以外の諸類型の戦争である。レーニンは『よその旗をかかげて』などにおいてフランス革命以後当時までを3期に時代区分して、戦争の類型を論じている。第一期は1798年から1871年の「ブルジョア民族運動の時代」、第二期は1871年から1914年の進歩的ブルジョアジーから「もっとも反動的な金融資本への移行の時代」、第三期は1914年以降の「帝国主義の時代」とされる。レーニンの問題意識は、戦争が進歩的であるかどうかにおかれ、戦争の類型ごとに正当性が論じられる。
 ⓵ 第一期における「ブルジョア進歩派の民族解放戦争」。これは「真の民族戦争」と評価される。ブルジョア革命に帰着するという点で「正義の戦争」であるが、その正当性は過ぎ去った過去の時点での問題にすぎない。
 ② 第三期における帝国主義戦争。帝国主義諸国間で勢力圏を再分割をめぐる戦争で、「古い強盗国であるイギリス、フランス、ロシアに向かって、若くて非情に強い強盗国ドイツが、掠奪した獲物をゆずるよう要求してひきおこされた戦争」(レーニン『I・S・K召集第二回社会主義大会に宛てたロシア社会民主労働党中央委員会の提案』)である。植民地のいっそうの搾取、国内の他民族に対する圧政、プロレタリアートに対する搾取の強化という点で反動的であり、戦争の正当性は問題にならない。
 ③ 第三期における東ヨーロッパと植民地諸国での民族解放戦争。⓵と同様にこれらの戦争もブルジョア民主主義革命をめざす「真の民族戦争」として「正義の戦争」である。
 以上まとめると、レーニンにとって戦争の正当性の基準は、プロレタリアートの階級的利害という一点におかれているのであり、したがって「正義の戦争」と無条件に規定しうるのはプロレタリア革命とそれに先立つ内戦だけである。それにプラスして、ブルジョア民主主義的な進歩性から民族解放戦争にも、プロレタリアの階級的利害に従属させるかぎりにおいて、一定の正当性を認めるのである。
 ところが、WOB論文や市原論文で言われている「正しい戦争」の規定は侵略に対する反撃だけなのであり、レーニン的なプロレタリアートの階級的利害も、民族解放戦争のプロレタリア革命に対する積極的意義も述べられていない。引用の直前の民族解放戦争が「正しい戦争」であるというレーニンの論述を隠蔽したのだから、あとに残るのは無内容な侵略・被侵略の関係でしかなくなるのである。まるで外側に「戦争」と書かれた空っぽの袋があり、中が二つに仕切られていて、一方には「侵略入れ」、もう一方には「被侵略入れ」というラベルが貼ってあるようではないか。
 レーニンはいう、「攻撃を受けた国は防衛する権利をもつ」というのは詭弁であり「まるでかんじんな点は、どちらがさきに攻撃したかであって、戦争の原因、戦争のめざしている目的がなにか、どの階級が戦争をしているのかという点ではないようである。」(レーニン『ボリス・スヴァランへの公開状』)
 ここでひと言付言しておく。中央官僚派は自分たちの祖国防衛主義を批判されると、口をそろえて「では、どうしろというのか」とか「現にいま侵略軍に同胞を殺されながらも身を賭してたたかっているウクライナの労働者・人民を見殺しにせよ、というにひとしいではないか!」(『新世紀320号』越山論文)というように情緒的に反応する。だが、それは第一次世界大戦当時の祖国防衛主義者とかわらない。これに対してレーニンは、「祖国防衛の義務を原則的に認めるか、それともわが国を無防備におくか」という問題の立て方は「根本的に正しくない」としたうえで、「心の底までブルジョア的」と非難する。そして「現実において問題はつぎのように立てられている。帝国主義ブルジョアジーの利益のために自分で自分を殺すか、それとももっと少ない犠牲で銀行を奪取し、ブルジョアジーを収奪するために、一般的に物価騰貴と戦争に終止符を打つために、被搾取者と自分自身との大多数を系統的に育成するか。」(レーニン『祖国防衛問題の立て方によせて』)、というように階級的利害のいかんを基準に祖国防衛主義を批判したのだった。ヒステリックに情緒的な言葉を吐き出すまえに、レーニンの原則的批判を受けとめるべきではないか。

 

Ⅲ プロレタリア的階級性の蒸発

 「革マル派」中央官僚派は、交戦国を侵略・被侵略という観点で分け、「侵略され踏みにじられている労働者・人民の立場にわが身を移し入れ」(『新世紀320号』WOB論文)るのだという。だが、そこでは「その戦争がどのような歴史的条件から発生したか、どのような階級が戦争を行っているか、何のために行っているか」(レーニン『戦争と革命』)という把握が抜け落ちる。彼らがいうウクライナ戦争の実体構造とは、「誰が誰を侵略しているのか。プーチンの軍隊がウクライナになだれこみ一方的に蹂躙している」(『新世紀』321号「粉砕せよ」論文第二回)ということにすぎない。こうして戦争から歴史性と階級性が脱落し、中身がすかすかな超歴史的な戦争一般のようなもののなかで、悪い侵略者とそれに抵抗する正義を探すことになる。現下のウクライナ戦争では侵略者である「今ヒトラー」「スターリンの末裔」プーチンウクライナ民族が抵抗しているという図式である。
 ここから、第一に、中身の抜けた無規定の戦争どうしを比べさせ、第一次世界大戦当時のレーニンが正義の戦争と認めた民族解放戦争を、現下の東西帝国主義の激突のもとでの資本主義国ウクライナのゼレンスキー政権の戦争と同じものに見せかけるという詐術が動機づけられるのである。もちろん、それはまじめな労働者、学生が『レーニン全集』第21巻から23巻の諸論文を検討すればすぐに露見する程度のペテンである。だから中央官僚派が苦し紛れに今度はゼレンスキーの戦争を民族解放戦争の現代的形態とか言い出しても驚くにはあたらない。
 第二に、階級性が抜き取られた戦争の把握であるために、「共存共苦」とか「内在的超越の論理」などといっても、彼らが降り立つのは戦時体制で過酷な搾取に苦しむプロレタリアートの労働現場ではなく、はじめからゼレンスキーに指揮されたウクライナ軍の戦闘現場に限定される。米英帝国主義に支援されたウクライナ民族主義者ゼレンスキーによって動員され、ウクライナブルジョアジーの利害のために軍服を着せられてウ      クライナ軍として戦うことを強いられているのがウクライナプロレタリアートである。ウクライナプロレタリアートウクライナブルジョアジーの階級対立を「分かりきっている」と言いながら、諸階級を丸ごと含んで「ウクライナの国軍・志願兵・住民自警団が一丸となって遂行している『祖国防衛戦争』」(『新世紀』319号小川論文)でのウクライナ軍の戦果を誇る司令官さながらの軍報のような記事を「解放」に載せることを中央官僚はためらわない。
 ウクライナプロレタリアートの階級的な怒りは、ブルジョアどもによって日々賃金労働者として搾取されたうえに東西帝国主義の激突のもとでの戦争に動員され自らの生命が虫けらのようにあつかわれていることに発するのであって、これはロシア軍に従軍させられているロシアのプロレタリアートも同様である。「労働者は自分の事業のために犠牲になることは結構であるが、他人のために犠牲になってはならない」と1916年当時のボリシェヴィキは言っていたという(レーニン『I・S・K召集第二回社会主義大会に宛てたロシア社会民主労働党中央委員会の提案』)。労働者階級が死に物狂いで戦うのは二段階革命の一段階めに位置付けられたブルジョア民主主義革命(およびそれを目指した民族解放戦争)においてではなく、プロレタリア革命においてなのだという意味である。ところがWOB論文は意図的にどのような性格の戦争においてなのか不明にしたままいう。「労働者階級は、侵略され抑圧され従属させられている国や民族の内部においては、人民の先頭に立って戦わなければならない」(『新世紀320号』)と。だが、民族解放戦争ならまだしも、東西帝国主義の勢力圏再分割のための戦争でプロレタリアートは「他人のために」すなわちブルジョアジーのために命を捨ててはならないのである。ウクライナの地に降り立って「正しい戦争」を戦うウクライナ兵に憑依したところで、この戦争の階級性がおさえられない限り「共存共苦」はレーニンいうところのブルジョア・センチメンタリズムに堕すほかない。
 かつて「新しい歴史教科書をつくる会」の執筆者は、自由社版中学歴史教科書で白村江の戦いを「日本の軍船400隻は燃え上がり、空と海を炎で真っ赤に染めた」と見てきたように書いた。「革マル派」中央官僚諸氏もタイムマシンに乗って数多の「血みどろの現実場」に降り立ってくればいいではないか。
    (2022年11月11日   山尾行平)