なすすべなくした「上田」の「探究派」へのデマ攻撃の破綻 

 「解放」2739号での白嶺聖の起用が完全に逆効果となり「北井氏への礼賛」となるに及んでなんとしてもこの評価をひっくり返さねばと登場した上田は、かつて自分達が北井氏から受けた「指導」を捻じ曲げて捏造してきた。「指導部」としての北井氏の「指導」を上田があげつらったそのことこそが労働運動の敗北・帝的再編下において、北井氏が黒田さんや松崎さんらと実現した革マル派労働者組織再創造の闘いとそこにおける指導そのものではないのか。

 現実の労働者階級から完全に浮き上がった存在の諸君らにはもはや感得することも、例え目に入ったとしてもその目には見えもしないのだろう。それともたとえ見えたとしてもいかに変革すれば良いのか、理論的に考えることすらできないほど没理論となっていたということなのだ。お座敷ならぬカラオケに勤しんでいただけではなかったのか。   

 かの座談会におけるⅮ発言の主さんやそれに同調したものたちよ、己の胸に手を当てて考えてみることからこそ始めるべきではないのか。北井氏を「個別オルグ主義者」だの「学習会主義者」だのとなじる前に自らの不勉強をこそ恥じるべきだろう。

 革マル派機関紙「解放」の編集局や中央組織に居座る官僚諸君。プロレタリア自己解放の邪魔をするのは止めにせよ。このままでは諸君らは後の世に「階級敵」として謗られる(そしられる)ばかりとなるであろう。
      

ざれ歌:唄は さのさか どどいつか
唄のせかいじゃ あるまいに
このままじゃ 奈落のそこに
まっしぐら
  
   (2022年10月28日   足音 聞太)