座談会ⅡのDなる人物――前衛党組織づくりの否定と組織成員としてのおのれの摩耗

 「革マル派」指導部は「解放」第二七三六号の「第四回」座談会ⅡでDなる人物に語らせている。
 Dは「バッカみたい。労働者人民は直ちに国家の階級性を認識し自覚できるわけじゃあない。時々の政府の反人民的な政治的・軍事的・経済的諸政策との対決をとおしてはじめて、国家そのものの階級性に目覚め、国家権力そのものの打倒の必要性を自覚していくんじゃないの。そして、だからこそわれわれは、不断に大衆運動に取り組んでいくのよ――そこ存在する運動をのりこえる形で。」
 これは、大衆運動をでっかくつくり敵権力にぶち当てれば組織をつくれる、革命闘争に立ち上がらせることができると考えた「ブント」や「中核派」や「社青同解放派」の考えとどう違うと言うのだろうか。

 Dなる女性労働者のこの発言は、黒田寛一が北井さんを個別オルグ主義と批判したことに依拠しながら、北井さんを貶めているのだと思う。"大衆運動の組織化なしに理論的なものを注入するだけではだめなのだ"と北井さんに対して、排外主義的な悪罵を投げつけているのである。
 わが仲間はこのDの主張について「新たな決意」の中で批判している。「プロレタリアはマルクス主義を媒介にして、すなわちマルクス主義を党是とする前衛党の媒介によってのみ、みずからの階級性を自覚するのであり、国家の階級性を認識していくのである。」と。
 そうなのだ。Dの主張は前衛党組織づくりをみずから否定し去っていることを意味していると思う。
 Dなる人物も「革マル派」の組織に結集した若かりし時には黒田寛一の革命的マルクス主義の思想に触れることを通じて反スタ主義者、共産主義者たらんとして生きようとしてきたのではなかったのか。
 しかし、その内実は、黒田寛一を神のごとくに絶対化し、おのれじしんを問うことを避けてきたことにより組織成員としてのおのれを摩耗してきたのではないのか。いわば黒田寛一は方針を出す人、自分は体を動かし実践する人という関係を率先してつくってきたのではないのか。その時々の世相を身にまといながら、それをマルクス主義的に哲学していくことを怠ってきたのではないか。結果その時々の世相に煽られてきたみずからの地金のようなもの、大衆運動主義とでも言いうるような地金をこんにち、あけすけに表明するようになってしまったのではないだろうか。

   (二〇二二年九月二一日  森崎広江)