「プロレタリア階級闘争論」という新たな理論領域を切り拓こう

 労働者階級を階級的に組織する闘いの理論的解明を「プロレタリア階級闘争論」と呼ぼう

 

 労働組合のない職場がどんどん増えてきた。
 こういう職場では、よりいっそう過酷な形態をとるのであるが、企業経営陣や管理者は、職場の労働者に、無理な仕事を押しつけたり極度の労働強化を強いたりするというように、種々の攻撃をかけてくる。また、他の労働者にたいして、自分の利益のためにその労働者を罵倒して職場をやめさせようとするというような反労働者的行為をはたらく労働者がいる。こういう攻撃やこういう行為にたいして、職場で労働者として実存しているわれわれは、その場にいた労働者とともに、やられている労働者を守るためにたたかわなければならない。この闘いを職場闘争と呼ぼう。
 われわれはこの労働者を守る行動をつうじて、そしてそのあとでこのことの意義を確認する論議をやることによって、その労働者のうちに、われわれといっしょにたたかうという意志をつくりあげていかなければならない。また、その場で、その労働者を守る行動をいっしょにとった労働者たちと論議し、このようなかたちで行動したことの意義を確認し、これからも、職場の仲間たちを守っていこう、というように意志一致しなければならない。
 このような闘いは、職場の労働者たちを・職場でのもろもろの闘いを展開する仲間として組織するということであり、このような闘い総体を職場闘争と呼ぶことができる。この闘いは、労働者階級を階級的に組織する闘いをなす。
 この意味において、われわれは、職場闘争を、労働者階級を階級的に組織する闘いの一つと考えることができる。
 このような労働者階級を階級的に組織する闘いの理論的解明を、プロレタリア階級闘争論・あるいは簡単に・階級闘争論と呼ぼう。これは新たな理論領域をなす。
 この階級闘争論は、われわれが一九六〇年代・七〇年代の労働運動を物質的基礎として創造してきたところの労働運動論を、労働組合のない職場での闘いや国家権力と資本に従属した労働組合での闘いやまたその他のもろもろの労働者の闘いなどの理論的解明に拡張したものであり、労働運動論や組織現実論(大衆闘争論・運動=組織論・党組織建設論の三者を主要な構成部分とするそれ)を適用して、われわれはこの理論を明らかにしなければならない。と同時に、この階級闘争論にとっては、労働運動論はその構成部分をなす。
 労働組合のない職場での闘いの解明にかんしては、われわれ(わが党)は、その職場で一労働者として実存するわれわれの実践の指針を解明するのであるが、この指針を、E2とかE2uとかその他の記号で表現するのをやめることにしよう。これまでの種々の論議や実践をつうじて、われわれの頭には、これらの記号にかんして、固定的なイメージがつくられており、新たな解明をやっているにもかかわらず、それにしばられて頭が柔軟にうごかなくなってしまうからである。こういう呪縛からみずからを解き放つためには、われわれは、組織現実論や労働運動論の概念そのもの(記号的表現ではないそれ)を使って理論的に解明し、表現しなければならない。
 われわれが理論的に解明するところの、当該の職場でのわれわれの実践の指針は、これを、われわれの闘争=組織戦術と呼ぶことができる。経営陣がかけてきたもろもろの合理化や企業の再編の攻撃にたいしては、現在の階級的諸条件のもとでは、われわれは当該の職場の一労働者として、公然と反撃の闘いを組織できるわけではない。われわれは、この攻撃を暴露し反撃していくための内容をつくりだし、さまざまな場面において、この内容をいろいろなかたちにおいて提起し、この攻撃に真っ向からたちむかい・このように虐げられている現実をその根底からくつがえすことを決意し意志した労働者をつくりだし組織しなければならない。
 われわれは、或る場においては、このような内容をこのように提起する、というように、具体的に解明すべきである。したがって、われわれは記号的表現を使って考えるべきではないのである。
       (2022年1月7日   松代秀樹)