抹殺された2000年代初頭の組織的とりくみ その1

 〔すでに2000年代初頭に、労働組合のない職場において労働者同志は創意的な闘いを——組織的な論議を基礎にして——くりひろげていた。だが、この闘いとその教訓化は、「松代秀樹の個別オルグ主義の産物」の名のもとに切り捨てられた。私は組織内闘争に敗北した。いま、この敗北をのりこえ、組織的にたたかいぬいている。この今日において、労働者階級を階級的に組織する闘いを展開するための教訓として、当時の論文を再検討すべきである、と考え、ここに掲載する。「その1」「その2」というかたちで掲載する二つの論文の執筆者のペンネームは異なるけれども、それは組織防衛上そうしたものであって、書いたのは同一の同志である。今回は稲盛弘実名の論文を掲載する。——松代秀樹〕

 


〔「解放」第1823号(2004年6月14日付)掲載〕
職場にケルンをつくるために がんばるぞ!

 

 私が学生戦線から労働戦線に移行して早くも一年がたつ。これまでアルバイトの経験はあったが、労働者として生き、職場活動を展開することは生まれて初めてのことであり、戸惑いもあった。けれども、このかん、先輩労働者の方々の懇切丁寧な論議に支えられ、職場でのオルグ活動を担うなかで、私にとっては一生の財産というべきものをつかむことができた。本当に感謝にたえない。さらに前に向かってたたかっていくための飛躍を私じしんに問うために、ここで、この一年間につかんだことをまとめ、それを区切りとして闘いの決意にかえたい。

 

 労働者になって一年、私が実感したこと

 

 まず一つ目は、職場での活動上のことである。私は、今年二月の労働者総決起集会に参加し、民間労働者の基調報告に感動を覚えた。とくに、彼が話した「労働組合づくりの諸教訓」の「第三」の教訓に、である。
 彼は「たとえ組合がなくとも日々の職場でのオルグの積み重ねが大切だ」として次のように語った。「日々労働者たちが抱く会社側への不満や怒りがどんなにささやかなものであれ具体的な要求としてとりあげ、組合がなくても一定の〝運動〟として組織していくことが重要である」、また一定の〝運動〟をただちに組織できない条件におかれていても「会社への不信感や憤りを内面に鬱積させている労働者たちと積極的に対話す」るといった「地道な働きかけ」が大事なのだ、と。
 従来、私は労働戦線に移行する際には労働組合のあるところに入って内部で活動するというイメージをもっていた。ところが、この民間労働者の発言を聞いて、私のイメージがガラリと変わり活動の幅が無限に広がったような感覚をもった。ただちに経営者とぶつかって直接の要求を実現できなくてもかまわない。そのような主体的力をなお創造しえていないなかでどうすべきなのか? 常に経営者の側から統制され、分断されているがゆえに労働者的な結束・団結の経験のない職場において、まずは横のつながりをつくること、これが私の活動だ! と。言葉をかえると、「ともに苦しみ・ともに働き目覚め」るような関係を職場につくればいいのだ、と。
 ここでつかんだことを私は念頭におきながら、これまで職場で活動してきた。ともすると自分じしんの仕事上の疑問や悩みを、職場の労働者との信頼関係や連帯感をつくるためと考え分析的に頭をまわすのではなく、無自覚的に一人で考えこんでしまうこともあった。こういう時、先輩労働者から「他の人はどう思っているのか?」「職場の人と話してみたらどうか」と指摘をうけ、発想の誤りに気づかされつつ、とりくんできた。
 このように仲間に支えられながらとりくむことを通じて、辞職希望者を、五~六人の労働者をまきこんでひき止めることができたというような成果をうみだすことができたのだ。この、横の関係、あらゆる問題を活用しての労働者的団結の創造、という発想の素晴らしさ!
 そして二つ目には、職場で感じた〈マルクス主義〉にたいする感動、そして湧きあがるパトス。忘れられない二つの事件がある。
 一つ目の事件とは、マルクスが『経済学=哲学草稿』で述べている「疎外された労働」、この「生産物からの疎外」を否が応にも私が実感したことである。それはそれは悔しく惨めであった。殺人的な労働強化に加えての低賃金に反比例するかのように新型製造器の導入やら出荷先の増加が目の前でやられていくことに、私は、「労働者は働けば働くほど、生産物を創造すればするほどその生産物は労働者にとっての外敵となる。そして労働者は働けば働くほど貧しくなる」という、とくに資本に搾り取られるだけ搾り取られ貧しくなっていく私を実感した。悔しく惨め、だけれども同時に、すべての労働者が同じ思いをさせられているのだ、マルクス主義とはこういうものなのだ、これはいける! とオルグのパトスがこみあげてきた。マルクス主義は本当に労働者の中でこそ生き光り輝くことができるけれども、同時に労働者にとってこそマルクス主義はみずからを生き光り輝かすことのできる唯一の魂なのだ! と私は感じ確信した。

 

  同僚の一言で職場の雰囲気が一変した!

 

 二つ目は、私が就職して一か月ほどのある日、職場は徹底した合理化のもとで業務手順が変更したことなどもあり、現場労働者たち一人ひとりが自分の作業に追われて殺気だっていた。元来、チームワークを必要とする業務であるがゆえに、熟練者の中からも「声かけがなくなっている!」と悲鳴があがっていた。
 偶然その声を耳にした私は、「ということは、支え合うことの経験がある職場じゃないか?! これはチャンスだ!」と感じ、やはり自分の分担された仕事の遂行に没頭していた同僚に、「声かけが重要らしい。一人ひとりの分担された仕事だけが自分の仕事と考えるのではなく、まずはその日一日の仕事は全員の仕事である。それをやるために分担、と考えるから、お互いに声かけあって仕事をするらしいよ」と話しかけた。もちろんこのことは同時に、労働組織の技術化をみずから許すことであり経営者の側からする合理化を貫徹させる意味をもつ。けれども私は、これをただちに打ち砕きうる労働者の団結した力をまったく創造しえていないばかりか個々バラバラにさせられているがゆえに、現場労働者は疲労でいつ倒れてもおかしくない状況がつくられている、という現実判断にふまえ、まさにこの合理化攻撃を打ち砕くために場所的に労働者の団結を造ることがなによりも大事だ、と考えた。マルクスの言う「ブルジョアジーは自らの墓掘り人を創造する」とはまさにこのことだ! という確信に燃えて。
 すると驚くことが目の前で起こった。私に声をかけられた同僚は、私のたった一言の「声かけ」を聞いただけで、早速、他の人=チームリーダーの仕事をひきとったのである。そうすることで、ひきとられたチームリーダーの人はそれを知るや否や、それまで青筋起立てていたような表情が瞬間的にニコリと和らぎ「ありがとう」と朗らかに感謝の気持ちを表し、またその瞬間に、殺伐とした職場の雰囲気がガラリと穏やかなものに変わった。
 私にとってはその一つひとつがとても驚きでありまた感激であった。たった一言の「声かけ」でただちに「協同労働」ができ、またそのことに喜びを感じることができる、これが労働者なのか! と感じた。私の場合は、頭では「声かけ」のイメージをつくることはできても、またこれはチャンスだと考えても、やはり身体が動かなかったのだ。まだまだ仕事に不慣れということもあったかもしれないが、やはり自分の分担された仕事をこなすことに必死で周りに目を向ける余裕をもってはいなかったのだ。「協同労働」の一つをとってみても、今では多少はできるようになったとはいえ、学生時代での訓練によって鍛えられてのことであり、容易にできるものではない、と私は感じていた。それを、この人たちはたった一言でやれてしまうとは! もちろん、仕事上、チームワークを必要とするがゆえに彼らの内にチームワークや働く者同士の支え合いという下地がつくられているのだと思う。
 同時に、私はかつて読んだ黒田さんの本の中の一節を想起し、感動が湧きあがってきた。黒田さんは「小ブルジョアとは本質的に個立的な存在であるが、労働者は本質的に共同性を内にもった存在である」と、ややうろ覚えなのだが、そのように言っていると思う。私は以前から疑問であった。労働者は本質的に共同性をもっているとは、どういうことか? と。それが、この事態に直面した時に、スッと解消する感覚をもった。労働者とはこういう存在なのか! 資本の鉄鎖からみずからを解き放ち、この疎外された社会を根底からひっくり返しうると同時に、まさに来るべきわれわれの将来社会を実現しうるそのイデーを労働者はみずからの内にもっているのだ! と。これはすごいことじゃないか! と私は感激した。
 これら二つの事件でつかんだことと、そしてわれわれの闘いの戦術を武器にしえたからこそ、私はこの数ヶ月職場でとりくむことができたのだ。本当に仲間とマルクス主義に感謝の気持ちでいっぱいである。
 現下、日本全国でブルジョアジーの延命のために多くの労働者・仲間が過労死に倒れ、また悲惨なことに過労自殺にまで追いこまれていく現実に、私は悔しさでこぶしをギュッと堅く握りしめる。ましてやこの現実が、労働運動の指導部たりえない「連合」指導部や「全労連」指導部によって労働組合執行部が牛耳られているがゆえにうみだされていることに、私はなんとも言えぬ腹立たしさと悔しさを覚え、「こんちくしょう! 絶対にひっくり返してやる!」と怒りが燃えたぎる。さらに、さらに、がんばらなくてはならない。全国の仲間のみなさん、ともに、わが革命を実現するために、ガンバロー!
       (2004年5月   稲盛弘実)