「解放」2731号 探究派への非難(「第二回」)の批判

 「革マル派」現指導部はわが探究派からの批判から逃れ、下部組織成員の目をそらすために、探究派に、権力の走狗だ、というレッテルを張った。この手口は、ポンタが革マル派を「K=K連合」であるというように、またスターリントロツキーを「帝国主義の手先」であるというように、デッチあげて、批判に追いつめられたのをのりきろうとしたのと同じである、とわれわれは官僚を弾劾した。官僚は、もはや、この見え透いたやり口は通用しないことを、思い知らされた。こうして、彼らは、「第二回」では、自分たち指導部への不信を抱く組織成員や労働者・学生を欺瞞するために、なんとかして、自分たちをイデオロギー的に正当化できないか、と理論的なふうを装った基礎づけを試み始めた。だが、官僚は、われわれによる「祖国防衛主義への転落だ」「ブルジョア民族主義への転落だ」という批判にたいして、反論すればするほど、自分がマルクス主義を投げ捨てたことを理論的に公言することとなった。それほどまでに、彼らの腐敗はとどまることを知らない。


 国と国との戦争ではない?

 

 「戦争が始まったら、祖国防衛主義に陥ってはならないなどとおまえらは言う。では訊くが、ウクライナの人民はどうすべきだと言うのか?投降せよと言うのか、」と官僚は言う。これは、官僚が、戦争が始まれば、ブルジョア国家を守るために労働者は挙国一致で戦争すべきだ、と言っているのと同じである。
 ウクライナ人民は「投降せよ」と言うのか、と悪態をつくのであるが、この戦争で投降するのか、しないのか、ということを決定するのは、ゼレンスキー政権である。官僚は、ゼレンスキー政権の立場にたって問題をたてているのである。
 官僚は言う。「ロシアによるウクライナへの侵略は、そもそも国と国との戦争なのでは決してない。誰が誰を侵略しているのか。プーチンの軍隊がウクライナになだれ込み一方的に蹂躙しているの」だ、と。
 これはいかにも珍奇である。プーチンの軍隊はロシア国家の軍隊である。他方、なだれ込まれたウクライナとはウクライナ国家であろう。だから、この戦争はロシア帝国主義によるウクライナ国家への侵略なのである。官僚でさえ、「侵略国のロシア」と「被侵略国のウクライナ」とこの駄文のなかで、平然と書いているほどである。
 では、この官僚はなぜ「国と国との戦争」ではない、と言うのか? それは、官僚が、ウクライナの政府軍・領土防衛隊のロシア軍との戦いを、祖国を守る戦いであり、素晴らしい、と主張してきたこと、これを祖国防衛主義への転落だ、とわれわれから批判された、この批判からのがれるためなのである。ロシアのウクライナ侵略を、国家間の戦争ではないというように理論的に理由づければ、組織会議の場で組織成員にたいして‶探究派は的外れなんだ〟と弁明できる、と考えたからであるといえる。しかし、これは、ロシアをもウクライナをも階級国家である、ととらえるマルクス主義国家論自体をすてた、ということを意味するのである。


 「血みどろの現実場に降り立つ」とは?

 

 官僚は言う。「侵略するロシア←→抵抗するウクライナというこの血みどろの現実場に降り立つことである。これを避け自らの身を安全地帯に置いて評論するなどというのは、左翼を自称する者の決してとるべき態度ではないのだ」と。「現実場に降り立つ」とは、まるで、天上界から地上界へと降臨する、というようなものである。これは、組織成員にたいして上に君臨する自分が下に降りる、というものであり、官僚然とした自己の立場をまるだしにしたものである。
 だが、われわれは、われわれがウクライナの革命的プロレタリアの立場にわが身をうつしいれて、ゼレンスキー政権打倒の革命闘争論的立場にたち、ウクライナ労働者階級の革命闘争の指針を解明する、というようにアプローチしなければならない。
 かつて論議したことがらを思い起こすならば明らかなこのようなアプローチを、官僚は、「現実場に降り立つ」、というように歪曲したのであり、「降り立つ」というのでは、宇宙船から地球を眺めまわして、ウクライナに降臨する、といったふうだ。
 善意に理解して、官僚がウクライナの誰かの立場にわが身をうつしいれているのだ、と考えるとどうだろう。官僚が誰の立場にわが身をうつしいれているのかは、つぎの言辞をみれば、はっきりしているのである。
 「小国ウクライナが核軍事大国ロシアの全土制圧を阻止し、いまも占領地の奪還をめざして反転攻勢している。」「欧米の武器と情報の供与なしにはウクライナはロシア軍に軍事的に勝てないことは事実である」と。
 このように官僚は言うわけである。欧米諸国から武器と情報を供与され、ロシア国家と戦っているのは、ゼレンスキーを権力者とするウクライナ国家である。官僚は、このウクライナの国家権力者の立場にわが身をうつしいれ、小国ウクライナというブルジョア国家を防衛することに「血みどろ」になって戦うべきだ、と言っているわけなのである。
 だが、われわれ=ウクライナの革命的プロレタリアは、プロレタリア世界革命の立場に立って、プーチン政権打倒のために活動をくり広げているロシアの革命的プロレタリアおよび全世界のプロレタリアートと連帯し団結して、米欧日帝国主義に支援されたゼレンスキー政権を打倒するために、ウクライナの労働者・人民を階級的に組織する非公然・非合法のイデオロギー的=組織的闘いをくり広げるべきなのである。これは、戦時下の地下活動である。
 第一次大戦時に、ツアー権力によって支配されていたロシアでボルシェビキがロシアの労働者階級・農民を階級的に組織するために非合法的に組織的にたたかった。また、われわれは、第二次大戦下の日本帝国主義権力の支配下で、共産党の地下活動が壊滅させられたこと、これをいかにのりこえるべきなのか、と現在的に考えるのである。
 ウクライナに於いて反スターリン主義の革命的前衛党をいかに組織するのか、革命的プロレタリアはいかに労働者階級を階級的に組織するのか、このように、その闘いの指針を解明することとは、彼ら「革マル派」官僚は無縁である。彼らは、祖国防衛主義とブルジョア民族主義に転落しているからである。


 労働者階級を組織するものではない統一戦線

 

 官僚は次のように言う。
 「被侵略国のウクライナにおいては、労働者階級の前衛党は、侵略するロシア軍を撃退するための戦いの先頭に立つとともに、敵国ロシアに通じた傀儡分子を除く統一戦線の結成をも追求しつつその内部で、ロシア軍との戦いの勝利の地平からさらにどこに向かって突き抜けていくべきかをめぐって、イデオロギー的=組織的闘いを柔軟にかつ創意的にすすめなければならない」。
 官僚は敵国ロシアに通じた傀儡分子を除く統一戦線を結成する、と言う。そうであるかぎり、この統一戦線は、国家権力者ゼレンスキーや、これを支えるアゾフ連隊などのウクライナ民族至上主義者とその部隊がふくまれることになるのであり、そのような統一戦線は、国家権力をにぎるウクライナの支配階級がヘゲモニーを掌握することになるのである。このことからすると、官僚が「労働者階級の前衛党は」何をなすべきかと言っているのだとしても、労働者階級を階級的に組織することは、あらかじめ放棄していることは明らかである。官僚の言う統一戦線とは、現存するブルジョア国家をウクライナ民族の祖国としてまもるために、支配階級につきしたがう、というもの以外の何ものでもないのである。
 そういう内実をごまかすために、官僚が言っているのが「ロシア軍との戦いの勝利の地平からさらにどこに向かって突き抜けていくべきか」とイデオロギー的=組織的に創意的にやる、というものである。これは、官僚のごまかしである。ゼレンスキー政権と支配階級や民族至上主義者どもがヘゲモニーをにぎるかたちで統一戦線をつくりだしたうえで、そのなかにおいて、共産主義者として階級的に活動するならば、どうなるか。虐殺されてしまうだろう。だから、「創意的」などというのは、まったくの絵空事である。いや、〝戦争に勝った後に革命を!〟などとうたった第二インターの後じんをを拝するもので無くてなんであろうか。
 「革マル派」現指導部は、プロレタリア・インターナショナリズムの立場もプロレタリア世界革命の立場も、完全にすてさったのである。
 下部組織成員は、反マルクス主義に転落した「革マル派」官僚を打倒しよう!
 (二〇二二年八月二三日 桑名正雄)