第6回 指針の解明においてぬけているもの——<連載>松代秀樹「反スターリン主義前衛党組織の労働者的本質の消失」

反スターリン主義前衛党組織の労働者的本質の消失

 

 六 ぬけている、個別の職場の闘争課題にかんする党の闘争=組織戦術(E2)と党員が産別労組の本部役員としてうちだす運動=組織方針(E2u)

 

 われわれ(わが党)がうちだす闘争=組織戦術(E2)を、われわれ(わが党員)が組合員として提起する運動=組織方針(E2u)として具体化するという問題にかんしては、次のように定式化されてきた。
 当面する闘争課題にかんして、われわれがうちだす闘争=組織戦術(E2)を、われわれは組合役員あるいは組合員として、職場の特殊的および個別的な諸条件の具体的な分析に立脚して、組合の運動=組織方針(E2u)として具体化する、というように、である。
 このように考えるばあいには、われわれがうちだす闘争=組織戦術(E2)にかんしては、日本の階級関係および階級闘争とこれに対決するわれわれとの実体的対立を措定し、この階級情勢および反対運動の現状の分析にふまえて、われわれは、既成の反対運動をのりこえるという実践的立場=のりこえの立場にたって、これを解明するのだ、ということができる。われわれは、この闘争=組織戦術(E2)を、われわれが所属する労働組合の存在する個別的な職場の産業別的な特殊的諸条件およびその職場それ自身の個別的な諸条件の具体的な分析に立脚して、われわれの規定性をみずからのおいてある場にふさわしいものに転換し・組合役員あるいは組合員として具体化するのだ、ということができる。
 当面する闘争課題が、反戦というような、世界の或る地点あるいは日本で勃発した軍事的事態に反対する闘争を組織する、というものであるばあいには、このように考えるので何ら問題はない。
 あるいは、われわれが組合員として所属する労働組合の存在する産業部門において合理化攻撃の嵐が吹き荒れており、この合理化攻撃に反対する闘いの指針を解明する、というばあいにも同様のことがいえる。このばあいには、われわれは、当該の産業部門における階級的な諸関係および階級闘争とこれに対決するわれわれとの実体的対立を措定して階級情勢および反対運動の動態を分析し、のりこえの立場にたってE2を解明し、このE2を、職場の諸条件の具体的な分析に立脚して、われわれは組合員としてE2uに具体化するのだ、ということができる。
 問題となるのは次の二つのばあいである。
 その第一は、個別の職場に激烈な攻撃がかけられたばあいである。
 われわれが組合員として所属する労働組合の存在する職場に大合理化攻撃がかけられたとしよう。このときには、もろもろの産業におけるいろいろな合理化、これに反対する闘争のわれわれの闘争=組織戦術(E2)ないし当該の産業部門にかんする反合理化闘争のわれわれの闘争=組織戦術(E2)をその職場の具体的な諸条件の分析にふまえて、組合員としてうちだす運動=組織方針(E2u)として具体化する、というように考えるだけでは足りない。
 われわれは、経営体当局がかけてきている合理化の攻撃、彼我の力関係、労働組合の闘いの現状、そしてこれらを規定している日本の階級情勢および「連合」の運動の状況などを分析することに立脚して、「連合」の運動に規定されたこの労働組合の闘いをのりこえるという実践的立場=のりこえの立場にたって、この職場の合理化攻撃に反対する闘いのわれわれの闘争=組織戦術(E2)を解明しなければならない。
 われわれの闘争=組織戦術(E2)を解明するときには、日本全体にかんすることがらないし当該の産業全体にかんすることがらを分析すればいいのであって、このE2を、組合員としてうちだす運動=組織方針(E2u)として具体化するときになってはじめてそのような具体的な分析をやればいいのだ、ということにはならないであろう。そのように考えたのでは、E2としては一般的なスローガン的なものを考えるにすぎず、いきなり、われわれが組合員としてうちだす運動=組織方針(E2u)をひねりだそうとするのと同じようなことになってしまうのである。
 われわれは、この職場の合理化に反対する闘いのわれわれの闘争=組織戦術(E2)を解明し、これを、この合理化の性格と労働者たちにおよぼす影響、経営体当局と組合の力関係、わがメンバーが執行委員であるのか否か、わがメンバーたちの組合内での力量、そして組合員たちの意識状況などの、よりいっそう立入った具体的分析に立脚して、組合役員あるいは組合員としてうちだす運動=組織方針(E2u)として具体化しなければならない。この具体化にさいしては、経営体当局が提案してきた合理化案のどこをどのようにはねかえしていくのか、どこをどのように押し返しこじ開けたうえで妥結にもちこんでいくのか、そしてその妥結内容を、組合員の意識を引き上げていくかたちにおいてどのように提起していくのかということなどを解明することがきわめて重要になるのである。
 上に「……の、よりいっそう立入った具体的分析」と書いたのであるが、分析するアプローチの仕方がE2を解明するための分析とは異なってくるということを自覚することが肝要なのである。わがメンバーが当該の組合(単組・支部・分会など)の書記長であったとしよう。そうすると、わがメンバーは、組合の力をバックとしたところの書記長である自分と、実力をもっている経営体当局者との関係を分析しなければならない。この当局者は、組合と自分の力をどの程度のものとして認識し、自分の言うことをどの程度聞くのか、というようなことの分析である。そして同時に、組合員たちは、書記長である自分をどのように信頼しているのか、書記長である自分にどのような部分がどのように反発しているのか、ということを分析しなければならない。E2を解明するばあいには、経営体当局と組合との力関係・組合内におけるわれわれの組織的力量などを分析しなければならないのであるが、このE2をE2uとして具体化するためには、その組合運動の場で書記長であるところの自分という立場にたって、書記長である自分を基軸として諸関係を分析することが必要なのである。
 さらに、われわれが組合役員あるいは組合員としてうちだす運動=組織方針(E2u)の内容として先にのべたようなことを解明しなければならない、ということに逆規定されて、われわれがこの職場の合理化に反対する闘いのわれわれの闘争=組織戦術(E2)を解明するときにも、その内容の展開において、われわれは組合役員あるいは組合員としてどのような組合の運動=組織方針(E2u)をうちだすべきなのか、そしてわれわれは組合役員あるいは組合員としてこの運動=組織方針(E2u)にのっとってどのように諸活動をくりひろげ、かつ組合員であるにもかかわらずわが党員にふさわしい活動すなわちフラクション活動をどのように展開すべきなのか、ということを解明しなければならない。もちろん、このような内容は内部文書として対象化しなければならない。
 職場の合理化に反対する闘いのわれわれの闘争=組織戦術(E2)を解明するという問題意識が欠如し、あらゆる産業にかかわる合理化反対の闘いのわれわれの闘争=組織戦術(E2)あるいは当該の産業部門の合理化に反対する闘いのそれを、個別の職場の諸条件の分析にふまえて、組合員としてうちだす運動=組織方針(E2u)として具体化する、というように考えているばあいには、われわれの闘争=組織戦術(E2)の二契機をなすところの、闘争(=組織)戦術はきわめて単純で抽象的なスローガン的ものとしてしか明らかにされなくなってしまう、と同時に、何よりも(闘争=)組織戦術の解明は完全に欠落してしまうことになるのである。実際、内部論議のために提起されたレポートでは、当面する闘いの指針の解明にかんしては、ほとんどのばあいに、「E2はこれこれ、E2uはこれこれ」というようにスローガンが提示されたにすぎなかったのである。
 私は、自分が自分の職場で実践するための指針を考えてきた過程をどのように理論的に規定すればいいのか、ということをずっと考えてきた。それは、日本全体の階級的諸関係を措定して合理化反対のE2を解明し、このE2を職場の諸条件の具体的分析にふまえて、私が一労働者としてうちだす運動=組織方針 E2(u) (労働組合がないので、労働組合を創造することをめざした方針という意味でこのように記号的に表現した)として具体化する、ととは少しばかり違ったからである。私は、会社の管理者が攻撃をしかけてきた、ということから出発したのである。管理者の動向と職場の現状を分析し、これは、われわれの観点からは、労働強度の極限的強化・労働時間のひどい延長と捉えうるので、われわれのE2としては、「労働強化・労働時間の延長反対」というようにスローガン的に表現することができる。或る管理者は私を憎んでいるけれども、他の管理者は私の言うことをそれなりに聞き私を活用しないことにはこの職場はまわらないと考えている。職場のみんなは、私を信頼してるが、やはり管理者が怖いので自分では動けない、というようなことを具体的に分析し、みんなには、みんなをたかめるためにこのように訴えてこのように意志一致し、私は管理者とこのように交渉しよう、ということを考えたのである。私がみんなに訴える内容は、 E2(u)と呼ぶことができる。では、私が考えたことの全体については、これをどのように規定すればよいのか。そのときには、これは私が職場で実践するためのわれわれの指針なのであり、E2(u)を解明する前提をなすものとして、「E2(u)」と呼ぼう、とわが同志たちに提案したことのあったのであるが、いま、これは、当該の職場にかんするわれわれの闘争=組織戦術(E2)と規定すべきである、と考え、この文章を書いているのである。
 このような考察からして、当面する闘争課題にかんするわれわれの闘争=組織戦術(E2)については、①あらゆる産業にかかわる一般的なわれわれの闘争=組織戦術(E2)、②当該の産業部門にかんする特殊的なわれわれの闘争=組織戦術(E2)、③個別の職場の闘いのためのわれわれの闘争=組織戦術(E2)の三者を区別し、その連関においてつかむべきだ、ということがわかる。①から②へ、および、①②から③へ、というのは、場の諸条件の具体的分析にふまえて具体化する、というように把握することができる。
 このように考えるならば、E2をE2uとして具体化するというように定式化されてきたところのものは、上に見たところの、①②を場の具体的分析にふまえて③へと、闘争=組織戦術(E2)そのものを具体化するという問題と、われわれの闘争=組織戦術(E2)を組合員としてうちだす組合の運動=組織方針(E2u)として具体化するという問題とを完全に二重うつしにした産物である、ということが明らかとなるのである。
 前者は、われわれがみずからの実践の指針を解明するために、主客の階級的実体の対立をどのように措定するのかということにかかわるのにたいして、後者は、われわれ実践主体のそのおいてある場に規定された規定性の転換にかかわるのである。
 第二の問題は、次のばあいである。
 単産と呼ばれるところの産業別労組の本部の重要な役職をわが同志たちが担っていたとしよう。わが同志たちは、この産業別労組の本部の役員として、この組合の運動=組織方針をうちださなければならない。この同志たちがその構成員であるところのわが党組織は、彼らが本部の役員としてうちだすところの組合の運動=組織方針を解明しなければならない。
 この産業別労組がつくりだされているところの産業部門において、激烈な合理化攻撃がかけられているとしよう。われわれは、この合理化攻撃と、この産業部門の階級的諸関係、および反対運動の現状、そしてこれらを規定している日本の階級情勢全体および労働運動総体の状況の分析に立脚し、この合理化攻撃をめぐる労働運動総体をのりこえていくという実践的立場=のりこえの立場にたって、われわれの闘争=組織戦術(E2)を解明しなければならない。
 そして、われわれは、われわれのこの闘争=組織戦術(E2)を、この合理化の性格と組合員たちにあたえる影響、彼我の力関係、そして組合本部の役員たちと組合員たちの意識状況などのよりいっそうの具体的分析に立脚して、われわれが本部役員としてうちだす運動=組織方針(E2u)として具体化しなければならない。
 それぞれの職場につくりだされているわが党組織、そのメンバーたちは、その産業全体の反合理化闘争のわれわれの闘争=組織戦術(E2)を、その職場の諸条件の具体的分析にふまえて、その職場のわれわれの闘争=組織戦術(E2)として具体化する、と同時に、その職場の組合役員あるいは組合員として、その職場の彼我の力関係とその組合および組合員たちの具体的分析にふまえて、組合本部がうちだした運動=組織方針(E2u)をその職場にふさわしい運動=組織方針(E2u)として具体化しなければならない。この後者は、他面では同時に、この職場のわれわれの闘争=組織戦術(E2)を、この職場の組合員たちのよりいっそうたちいった分析にふまえて、組合役員あるいは組合員としてうちだす運動=組織方針(E2u)として具体化する、ということでもある。
 E2を職場の諸条件の具体的分析に立脚してE2uとして具体化する、というかの定式化では、上のようなことがらが何ら明らかにされないことになるのである。
 単産と呼ばれる産別労組の本部と各級の組合機関が悪質な組合幹部に牛耳られ、わが同志たちは組合の下部組織においてその役員あるいは組合員としてたたかっているという主客諸条件のもとでは、われわれは、この産業部門全体にかかわる反合理化闘争のわれわれの闘争=組織戦術(E2)を、この職場の諸条件の具体的な分析に立脚して、組合役員あるいは組合員としてうちだす運動=組織方針(E2u)として具体化するのだ、ということが現実的意味をもつ、ということができる。けれども、そうは言っても、この職場にかんする(闘争=)組織戦術の解明が弱くなる、ということは否めない。
 われわれは、このようなことを今日的に反省すべきである、と私は考える。
       (2021年11月12日   松代秀樹)