斎藤幸平批判 第2回 「晩期マルクスと初期マルクス」というマルクスの切断

 2 「晩期マルクスと初期マルクスという

   マルクスの切断

 斎藤はエコロジスト・マルクスを描き出すために晩期のマルクスと初期のマルクスを切断する。初期のマルクス、『共産党宣言』として対象化されているマルクスを「生産力至上主義」とし、その後、農業問題・自然科学の研究によって、それはあらためられたのだという。それが、『資本論』第一巻で展開されている「物質代謝」の理論であり、第一巻の発刊後マルクスが第二巻を発行できなかったのは、エコロジーの研究に没頭していたからだ、と斎藤は言うのである。だがこの捉え方は明らかに間違いである、と私は考える。
 マルクスが、なぜ農業理論をはじめとする自然科学の研究に打ち込んだのか。それ以前に、なぜマルクスは経済学の研究に打ち込んでいったのか。さらに言うならば、『資本論』における学の始元をなぜマルクスは「商品」として措定しえたのか。
 それは、若きマルクスが、ドイツ観念論哲学とその総仕上げとしてのヘーゲル哲学を、さらにヘーゲルを批判したフォイエルバッハ唯物論を批判的に摂取し、「従来のあらゆる唯物論(フォイエルバッハのそれも含めて)の主要な欠陥は、対象が、つまり現実、感性がただ客体ないし、直観の形式のみで捉えられ、感性的・人間的な活動、実践として主体的にとらえられないことである。」(「フォイエルバッハへのテーゼ」)というかたちで明らかにした人間の捉え方=実践的唯物論をおのれの拠点としたからにほかならない。マルクスは、この実践的唯物論を貫徹してイギリスの古典経済学に対決し、これをつうじて、労働力商品としてしか生存することができない、疎外された=物化したプロレタリアをつかみとったからなのである。このプロレタリアの疎外された労働の廃絶をマルクスはおのれのイデーとしたのである。
 このイデーが『資本論』を執筆したマルクスにつらぬかれているのであり、同時にそれは、その後のマルクスをして農業問題をはじめとする自然科学の研究に突き動かしたところのものである、と私は考える。だから、『資本論』の始元として措定された商品は労働力商品として意義をもつものとして捉えられなければならないのだ、と私は思うのである。
 また、感性的活動すなわち実践の主体として捉えられた人間は同時に「人間=自然・自然=人間」として捉えられるのである(『経済学・哲学草稿』)。『資本論』で述べられている「物質代謝」、この概念として結実するところのイデーは、すでに、『経済学・哲学草稿』を記した若きマルクスにおいて形づくられているといわなければならない。
 では、なぜ斎藤は初期のマルクスを生産力至上主義と捉えるのであろうか。そして切り捨ててしまうのであろうか。それは、斎藤がエコロジストとしての眼からマルクスをつまみ食いしている、という彼の「研究」姿勢に規定されているということもある。だが重要なことは、彼が生産力至上主義と捉えるマルクスは、彼が言うところの「古いマルクス主義」、すなわちスターリンとそのエピゴーネンどもによって歪められたそれであるということである。それは、『共産党宣言』での唯物史観にもとづく展開を、実践的唯物論を貫徹した歴史の見方、生産力と生産諸関係・生産様式との関係を論じたものというように捉えたものではない。それは、タダモノ主義史観なのである。斎藤は、このタダモノ主義史観をマルクスのものとしているのである。スターリンとそのエピゴーネンどもには「生産力至上主義」を、タダモノ主義史観を、掲げざるをえない理由があった。ロシアにおいて一国的規模において社会主義を建設するという理論、「一国社会主義」論を、スターリンは基礎づけなければならなかったからである。トロツキーとの党内闘争に掲げたその理論を、である。
 斎藤はその理論とその基礎づけに自らが汚染されていることに無自覚である。いや斎藤はスターリンによって当時のロシアのボリシェヴィキたちが、そして有能で誠実なマルクスの研究者たちがトロツキストとして粛清されたことを知っている。スターリンによって数えきれないほどの労働者人民が殺されたことを知っている。だが彼は、スターリンとそのエピゴーネンどもの理論を「古いマルクス主義」として切ってしまうことによって、スターリン主義との対決を、すなわちマルクス研究者としての真摯な理論的探求を回避しているのである。このゆえに、彼は、スターリン主義に汚染されている己に無自覚でいられるのである。また、斎藤はスターリン主義との対決を回避し、これを「古いマルクス主義」と切り捨てることによって、同時に、疎外されたプロレタリアの自己解放というマルクスの理論の真髄そのものをも切り捨ててしまっているのである。
       (2020年12月4日   潮音 学)