斎藤幸平批判 第3回 変革主体は?

  3 変革主体は?


 斎藤は労働者を変革の主体としてとらえてはいない。
 「二十世紀の福祉国家は、富の再配分を目指したモデルであり、生産関係そのものには手をつけなかった。つまり、企業が上げた利潤を所得税法人税という形で、社会全体に還元したのである。その裏では、労働組合は、生産力上昇のために資本による「包摂」を受け入れていった。資本に協力することで、再配分のためのパイを増やそうとしたのだ。その代償として、労働者たちの自立性は弱まっていった。資本の包摂を受け入れた労働組合とは対照的に、ワーカーズコープは生産関係そのものを変更することを目指す。労働者たちが、労働の現場に民主主義を持ち込むことで、競争を抑制し、開発、教育や配置換えについての意思決定を自分たちで行う。」と斎藤は言う。(いやはや頭をゴツンとしてあげたい)
 福祉国家やワーカーズコープの捉え方、そしてマルクスがそれを「評価」していたという・お得意のつまみ食いについては批判することは措いておく。ここで問題にしたいのは、「労働組合は、生産力上昇のために資本による「包摂」を受け入れていった。資本に協力することで、再配分のためのパイを増やそうとしたのだ。」という箇所である。
 斎藤の言う「包摂」がどういうことなのか、理解に苦しむのではあるが、ここでは、おそらく資本による合理化を労働組合が受け入れていったことを論じているのだろうと思う。労働運動の帝国主義的再編が完遂し、労働組合が反合理化闘争を闘いえない状況を、彼は、「再配分のためのパイを増やそうとしたのだ」というのである。斎藤は『資本論』をいや『賃労働と資本』を読んだのだろうか、と疑いたくなる。労働者の賃金は利潤の「再配分」なのだろうか、配転・首切りそれに伴う労働強化が労働者にとってどういうことなのかということを、このマルクス研究者は考えたことがあるのだろうか。
 「資本による包摂」とは、私は、資本による生きた労働の包摂ないしは資本と賃労働の矛盾的自己同一、つまり労働者の生きた労働がモノとして資本の定有となることを想起する。「受け入れていった」のではない。われわれ賃労働者は、自分の労働力を商品として資本に売り渡すしか生存しえないのである。労働者の即自的な団結形態としての労働組合帝国主義的に変質させられたのは、マルクス主義スターリン主義的に歪められてしまったことをイデロギー的および組織的の根拠としているのである。斎藤はこのことを考えようとはしないのである。


 では、斎藤はマルクスの理論の核心ともいうべき労働力の商品化・疎外された労働をどのように考えているのだろうか。 
 対象となる著書が代わるが、『大洪水の前に』という彼の著作第一部第一章に「労働の疎外から自然の疎外へ」という論文が掲げられている。そこでは、これまでのいろいろなマルクス疎外論」研究を紹介しながら、マルクスの四つの疎外を論じている。
 四つの疎外とは次のようなものであるとまとめられる。①労働生産物の疎外。この規定から②労働の疎外。そして、①、②から③類的存在からの疎外が導かれるとされる。そして最後に④他者からの疎外が挙げられている。
 ここで疑問に思うのは、このようにまとめたうえで、斎藤がマルクスの追求を――第一章の表題として提示しているところの――「労働の疎外から自然の疎外へ」というようにとらえるべきだ、と主張していることである。ここで、斎藤の言う「自然の疎外」とは、人間が自然を疎外する、という意味であるとうけとるのが、彼の論述の脈絡からして順当である。「労働の疎外」とは、人間の労働が疎外されている、という意味であることからして、斎藤の言う「労働の疎外から自然の疎外へ」とは、編集者によって「疎外された労働」という表題がつけられたノートにおいてマルクスは、人間の労働が疎外されている、という把握から、人間が自然を疎外している、という把握へと深めたのだ、という意味である、ということが解る。すなわち、斎藤は、マルクスの追求を、四つの疎外というかたちで人間労働の疎外を明らかにしたととらえるのはまったく表面的な把握であって、マルクスは人間労働の疎外という端緒的な把握から出発して・そこから飛躍し・人間が自然を疎外している、という根源的な把握へと到達したのだ、というように言っているのである。斎藤は、マルクスの疎外された労働論を公然と否定したのである。マルクスが、プロレタリアの労働を疎外された労働としてあばきだし、そうすることによって同時に、この疎外された労働の根底に・疎外されざる労働すなわち労働の本質形態をつかみとったのだ、とわれわれがとらえるべきことを真っ向から否定したのである。
 このことをマルクスの言葉によって正当化するための痕跡が『大洪水の前に』34頁16行目からの論述にある。そこでは次のように述べられている。
 「これら二種類の疎外から、マルクスは第三の疎外である「類的存在からの疎外」を導き出す。「疎外された労働が、人間から(一)自然を疎外し、(二)彼自身を、つまり彼自身の能動的な働き、彼の生活活動を疎外することによって、人間を類から疎外する」。」
 ここで斎藤自身が「 」を付している部分はマルクスのノートからの引用である。
 ここで斎藤は、マルクスが「人間から自然を疎外する」と書いていることを、人間が自然を疎外する、と読み替えたのである。
 マルクスは、疎外された労働は、自然の一部である人間すなわち人間的自然から自然そのものを疎外し、そうすることによって、自然の一部である人間が自然そのものに働きかけるという人間の種属本質、この種属本質から人間を疎外する、ということを言っているのである。マルクスは、人間が環境的自然を破壊する、というようなことを言っているわけでは決してない。斎藤は、マルクスの言葉を、人間が自然を疎外する、と読み替え、人間が自然を破壊する、というようにねじまげたのである。
 そして彼は次のように論じる。
 「「地代」についての議論を無視することにより大きな誤りにもつながっている。というのも、疎外の根本的な原因を把握できないことによって、当然のことながら当時のマルクスの疎外克服の構想も認識できなくなってしまっているからである。資本主義の疎外を人間と大地の本源的統一の解体として把握することで、はじめて、マルクス共産主義のプロジェクトをこの統一の意識的な再生として整合的に捉えていたことを認識できるようになる。」と。
 そしてさらに「この経済学的意味で、マルクスは「共産主義」が人間と自然の完全なる同一性をもたらすと唱えたのだった。」「マルクスの疎外批判は人間と自然の関係の「理性的」再編を本質的な課題としてみなしており、共産主義の理念を貫徹された「人間主義=自然主義」として構想していた。これこそが、マルクスのエコロジカルな共産主義の始まりなのである。」と斎藤は捉えるのである。


 しかし私は斎藤の疎外論のこの把握に大きな疑問を持つ。これは、誤りではないが、誤りである。マルクスは当時のプロレタリアと面々相対して、自分の生命力たる労働力を売る以外に生存できないというプロレタリアの現実を哲学したのである。そして資本の直接的生産過程における「疎外」をあばきだしたのである。考えてみよう、われわれが労働者として自覚する過程を。
 「賃金を得るために働くこと以外に生活できない」とわれわれは直観するのである。これがプロレタリアとしての自覚の端緒である。斎藤は、当時のマルクスに身を移し入れて考えることができていないのだ。つまり場所的立場に立った認識=思考ができていない、と私は思うのである。だから斎藤の疎外論の把握は資本の直接的生産過程における「疎外」の分析と把握そして思考が抜け落ちてしまっている、と私は思うのである。
 彼が変革の主体を見失ってしまうのもけだし当然かもしれない。エコロジスト斎藤の疎外論のこのつかみ方が、斎藤の言うコモンの民主的管理、さらに自然=地球をコモンとするというように発展させられていくのである。
 (斎藤の疎外論については、さらに別稿にて検討したいと思う。)
       (2020年12月4日   潮音 学)