〔本ブログへの寄稿  こんな通信文が送られてきたので、掲載します。 編集部〕

革マル派のみなさまへ―解放2793号「ロッタコムニスタからのメッセージ」但し書きについての感想


※「解放」編集局に送ろうかとも考えたのですが、日の目を見ることなく終わりそうな気がするので、探求派の諸兄にブログへの掲載を検討してもらうことにしました。自由に意見表明できる読者の広場のようなものがあればいいと思います。革マル派の活躍を願うとともに、探求派のみなさんの出版物も読ませていただいています。(あぼかど)

 

 解放2793号のロッタコムニスタからのメッセージに革マル派のコメントが付されているのを見て、期待して読みました。私自身はロッタコムニスタのメッセージはふつうに読めたので、ひどい、とかナンセンスとか言っているひとは本気なのかという違和感があったから、仔細に理論的批判が加えられているのを期待したわけです。
 がっかりしました。恥ずかしくもなりました。昨年のWOBの論文以降、「侵略されている労働者人民に寄り添うのが左翼である」という理論的検討以前の態度表明ないし心情吐露がくりかえされてきたこと、そしてそれをもってプロレタリアインターナショナリズムへの対置、祖国防衛主義への転落という批判への反論に代えてきたことから一歩も踏み出していません。それなりのスペースをつかいながら、今後徹底的な批判を加えるという予告でお茶を濁しているだけです。なお悪いことには、従来の心情吐露の中身が豊富化され、家族、友情、故郷(ここでやめてくれ!戦争の性格を分析するだ!)、さらに祖国のために命を賭して戦争するウクライナ人民への尻押しがストレートにつなげられているのでした。こんなことなら、プーチンでもゼレンスキーでもネタニヤフでも言えます。いやしくも革命的マルクス主義者なら、なぜロシアとウクライナの支配階級たるブルジョアジーどもがプロレタリアートに犠牲を強いる戦争を始めたのか、その根拠となる物質的基礎、階級情勢、イデオロギー等々の解明を媒介せずに戦争の尻押しなどできないはずです。
 わたしの感想は歪んでいるでしょうか。ロッタコムニスタも探求派も別にプーチンを擁護しているわけではないのは、明らかです。革マル派のみなさま、心情吐露の反復はもう要らないので、ぜひ、わたしがすごく気になっている2点を論じてください。
 ① 『共産党宣言』の「労働者は祖国をもたない」をどうとらえるか。これをプロレタリアインターナショナリズムの表明とはとらえないのか。
 ② 第一次世界大戦当時のレーニンによってなされた祖国防衛主義への批判は妥当なのか。
 直接ロッタコムニスタの言辞に対応しなくていいですから、マルクスレーニンを本格的に論じていただきたいと思います。言葉の空中戦は読みたくありません。
 みなさまのご活躍を、陰ながら応援しています。