「民族自決」原理をのりこえるために ——『新世紀』322号・早瀬論文批判(上)――第1回 エスニシティとネイション:早瀬のすりかえ

 本2022年の運動を締めくくる12・4革共同政治集会において、全国から動員した組織成員に何がしかの確信を注入するという重責を担った「革マル派」中央官僚・平川桂は、壇上から次のように叫んだのだという——「プーチンは冬の寒さを武器にして「第二のホロドモール」を行っているのです。われわれの怒りはいやがうえにも高まるではありませんか」、と(『解放』2749号)。参加者たちは一斉に賛意の声をあげたそうだが、なるほど彼女のこの言辞には、本年の「革マル派」によるウクライナ反戦」闘争の内実が凝縮されている。ゼレンスキー政権を尻押しするのみならず、西側帝国主義に対して一層積極的な武器供与を迫るほどまでに反プロレタリア的な排外主義へと転落したのがこの間の中央官僚派だったが、これを批判するわが探究派のイデオロギー闘争に対して平川は、ウクライナブルジョア民族主義を断固として支持するという仕方で一応はスジを通したのだと言えよう。
 東ヨーロッパの冬は暗く厳しい。暖房がなくてはすぐに心身の健康を害するほどであるのに、プーチン政権は、まさにインフラ設備に攻撃を集中させることでウクライナ人民の精神を挫き、自らの劣勢を挽回しようと足掻いているのだ。それは卑劣極まりない企てである。だからと言ってそのことを、仮にも反スターリン主義運動を名乗る者たちが「第二のホロドモール」などと言っていい訳がない。
 「ホロドモール」とは、ソ連邦崩壊後に独立したウクライナ国家のブルジョアイデオロギーに根ざす独特な用語である。それはすなわち、革命ロシア建設の過程でボリシェヴィキが実行した穀物徴発をあえて1930年代のスターリンによる富農絶滅政策と二重写しにした上で、この二つをウクライナ「民族」全般に対する“飢餓によるホロコースト”だと特徴づけるための、反共主義的な言辞に他ならない(注1)。欧州議会は12月15日、「ホロドモール」がひとつのジェノサイドだったと「認定」する決議を採択した(注2)。この欧米ブルジョアジーと全く同じ水準にあるのが、「革マル派」中央官僚の唱える「反スタ」なのである。
 平川報告に先立つ10月、中央官僚派は『解放』紙上に「プーチンの大ロシア主義:領土強奪戦争のイデオロギー」と題する駄文を掲載していた(2740-41号、『新世紀』322号に再録)。その筆者・早瀬光朔を名乗る中央官僚がご丁寧にもそこで明らかにしてくれたのは、「革マル派」がウクライナ民族主義を支持するためにどれほど矮小な「理論的」基礎づけに勤しんだかの、苦笑を誘うほどの精神的惨状である。それに対するわれわれからの根本的な批判としては、同志松代がすでに発表している一連の諸論考を参照していただきたい。その成果を基礎として本稿が明らかにしようとするのは、民族問題についてレーニンそして黒田寛一が克服すべくしてなお克服しえていなかった理論的限界であり、またその限界を早瀬論文が積極的に利用しているという許し難い事実である。

(注1)飢饉を意味する「ホロド」と疫病・災厄を意味する「モール」をつなげたこの造語が、ウクライナ「民族」を標的にしたソ連政府による「ジェノサイド」をあらわす政治的な用語として使われるようになったのは、1950年代のアメリカにおいてである。しかしソ連邦内の大規模な飢饉は20年代でも30年代でもウクライナのみならずロシア南部やカザフ共和国でも発生していたのであり、それを敢えて民族としてのウクライナ人のみを標的にした飢餓政策であるとみなすのは、特定の政治的意図に基づく歪曲である。
(注2)
https://www.europarl.europa.eu/news/en/press-room/20221209IPR64427/holodomor-parliament-    recognises-soviet-starvation-of-ukrainians-as-genocide

一、エスニシティとネイション:早瀬のすりかえ

 早瀬の主張は、おおよそ次の二点に集約される。

(一)ウクライナ人は、ロシア帝国の時代以来ずっと抑圧されてきた存在であり、かれらの「民族的独立」要求は正当である。プーチンは「ロシア人とウクライナ人との歴史的一体性」を主張するが、二つの「エスニシティ」の混淆はロシアによって強制されてきたものだ。ウクライナをはじめとする連邦内の非ロシア諸民族にたいして苛烈な「ロシア化」政策を貫徹したスターリンの「末裔」、「現代のツァーリ」こそがプーチンである。
(二)これに対して「レーニンボルシェヴィキ」は「分離ののちの連邦制」という原則に立脚して、「ウクライナにおける「民族革命」と「労農革命」を、——労働者階級の国際的な階級的団結を基礎にして——ウクライナ労働者・人民の「自己決定」にもとづき遂行すべきことを一貫して主張したのだ」。レーニンは、「独立した民族国家を単純に否定するズンドウの「世界革命」なるものをめざしていたわけではまったくない」。

 このように早瀬は、ウクライナとロシアの対立が「エスニシティ」の差異に由来すること、そしてレーニン自身が「民族革命」の段階を承認して「分離ののちの結合」を唱えていたこと、この二点を主張することによって、「革マル派」の祖国防衛主義を正当化し、より高次の〈中央官僚派ナショナリズム〉へと押し上げたのである(注3)。

(注3) 松代秀樹「「プロレタリア革命=民族独立」という解釈:〈中央官僚派ナショナリズム〉の完成」、『探究派公式ブログ』2022年12月9日付。

 今の時点からかえりみるならば、この戦争が始まって当初の「革マル派」は、ウクライナ民族主義を肯定することに一定の躊躇を表明していたことがわかる。例えば本年4月3日のSOB論文は、防衛戦争に動員されたウクライナ労働者階級の意識について「たとえそれがたんなる「反戦・反プーチン」意識に・しかも永い歴史のなかで心の中に刻みこまれた民族意識にもとづくものであるのだとしても」、「このウクライナ労働者・人民の立場にわが身を移しいれること」が大事である、と述べていた(『新世紀』319号)。またこれに続く5月11日付のWOB論文は、ウクライナ人民が「対ロシアの戦争を断固戦うことは、レーニン流に言うならばまさしく「ただしい戦争」なのである」と述べつつも(注4)、「ウクライナの労働者・人民のなかにあるナショナールな意識は、即否定できるわけではない」などと及び腰の一文を加えていたのだった(『新世紀』320号)。これらの表現にあらわれている少しばかりのためらいを最終的に取り払うことが、早瀬論文の狙いなのだ。

(注4) レーニンの文章から「ただしい戦争」なる文言を引いてきた「革マル派」の手法が詐欺師まがいのものであることについては、『探究派公式ブログ』掲載の山尾行平論文「レーニン「正義の戦争」論の政治利用」(11月11日付)を参照されたい。

 こう把握した上で、早瀬の論理展開を詳しく確認してみよう。問題を集約的に示すのは次の箇所である。

ウクライナ人は、たしかに一九一七年のロシア十月革命のときまで国家としての民族的独立をなしえなかった。それは、ロシア帝国が、ウクライナエスニシティを、十八世紀末のいわゆるポーランド分割以降にみずからのもとに組み込み従属させてきたからであって、ロシア人とウクライナ人が「ひとつの民族」であるからではない。[…]そもそも現代に生きるウクライナ人にとっての「ロシア」とは、スターリンソ連邦からプーチンロシア連邦まで“地続き”で感取されているところの「圧政者としてのロシア」にほかならない。[…]
千年前まで遡って“同族”たることを強弁したり、二つのエスニシティの交流と混淆の歴史——それじたいがロシアが強制してきたものだ——をあげつらったりしても〔…〕ウクライナ人にとっては〔…〕怒りの火に油を注ぐだけなのである〔「エスニシティ」という用語については、黒田寛一『社会の弁証法』こぶし書房刊二八四頁[…]を参照せよ。〕」(『新世紀』322号、100頁)

 このように早瀬論文は、『社会の弁証法』から「エスニシティ」の概念を持ち出してきたことをひとつの特徴としている。しかし注意深い読者ならすぐに気づくことだろうが、早瀬の文章では「ウクライナ人」が、「民族」であると同時に一個の「エスニシティ」をなす集団として規定されている。一見すると理論的な混乱であるかにも見えるこの記述は、早瀬の理論的無能力よりは、むしろ中央官僚派に共有される政治的意図に由来するものであろう。
 早瀬は、ネイションとエスニシティの概念的区別を曖昧にしておいた上で、ウクライナとロシアとの対立が近代国家以前の二つの「エスニシティ」間の対立に由来するものであると主張する。これは奇妙な概念操作であるが、しかしこの操作によって、ウクライナの「民族としてのアイデンティティ」(100頁)あるいは「強烈な「反ロシア」のメンタリティ」(101頁)だとかを超歴史化して肯定することが可能となるのだ。実際には「民族」の概念と結びついているものを、早瀬はあえて「エスニシティ」に結びつけることで、ウクライナ民族主義がひとつのナショナリズムであることをぼやかしている。ロシアのエスニシティウクライナエスニシティとが互いに異質的で元々対立的な関係にあるものと描出しておけば、今日のウクライナ民族主義を超歴史化し、そのブルジョアイデオロギーとしての本質を隠蔽できるというわけだ。これは、故・同志黒田寛一によって定式化された「エスニシティ」概念の公然たる破壊にほかならない。
       (2022年12月25日   浜中 大樹)