「暗黒の二十一世紀への転換」という時代認識の根本的歪み——黒田の動揺と弥縫

 Ⅰ 一九九九年のNATOのユーゴ空爆は現代世界史の本質的転換点なのか?

 『ブッシュの戦争——イラク侵略戦争の意味と世界制覇の野望』(二〇〇七年刊、『新世紀』二〇六号所収の論文を底本としている)という論文において、黒田が明らかにしている現代世界のとらえかたに私は疑問をもった。そのことを検討したい。二四頁から二五頁で黒田は次のように論じている。(以下ことわりなき場合は『ブッシュの戦争』の頁数を記す)
 「国防相ラムズフェルドが口癖のように言う「同志連合」あるいは「友邦同盟」を基礎にして、しかもRMA(軍事技術革命)の粋を集めたハイテク爆弾を、いわゆる精密誘導爆弾を霰のように降らせ、もって「迅速性と効率性」を実証したのが、今回の戦争であった。全世界の人民大衆が地球を四周もするようなデモ津波をおこなったにもかかわらず、アメリカの国家意志はイラク人民虐殺のために発動されたのであった。それだけではなく、米・英・日本を除く各国帝国主義者ならびにアラブを始めとする資本主義諸国の権力者の反対を押し切って、無慈悲きわまりない今回のイラク侵略は強行されたのであった。今回のイラク侵略戦争は、「先制攻撃」をアメリカ国家の軍事戦略に高めたことを、現実にしめしたひとつの結節点をなすといってよい。」
 以上が二四頁で展開され、これにつづいて二五頁から「2 暗黒の二十一世紀への転換」と表題がつけられつぎのようにつづけられている。
 「地球を4周したあのデモ津波にもかかわらず敢行されたこの戦争は、暗黒の二十一世紀を約束している以外の何ものでもない」。ここで黒田が言っているのは、自分は二〇〇三年のイラク戦争を二十一世紀が暗黒の百年となることを決定づけた事態であると把握した、ということである。つづけて彼は言う。「すでにわれわれは、一九九一年のソ連邦の崩壊を現代史の歴史的転換の結節点として、あるいは二十世紀の終焉としてとらえ、もって現代世界は二十一世紀世界への過渡にある「新東西冷戦」の時代にはいった、と規定し」た、と。
 ここまでの展開からすると、黒田は以下のようにとらえたということになる。すなわち、現代世界は一九九一年のソ連の崩壊を歴史的転換点として米ソの東西冷戦から新東西冷戦へと転換した、そして二〇〇三年にアメリカが強行したイラク戦争とは現代史が暗黒の世紀へと展開することを約束するものである、つまりこのイラク戦争は新東西冷戦の完成とでもいうべきものだ、というように彼はとらえた、ということになる。ただ、ここまでの論述では、一九九一年のソ連の崩壊によって現代史は転換したと述べ、これによって新東西冷戦の時代にはいったということと、このソ連の崩壊を「二十世紀の終焉」であるとまでとらえているのだから、それを結節点として現代世界は「暗黒の世紀」である二十一世紀へと転換した、あるいは、暗黒の二十一世紀への過渡にはいった、と彼が論じていることはあきらかである。そうすると、この「暗黒の世紀」と「新東西冷戦」ということとの関係はどうであるのか、と疑問がわく。すくなくとも、ここまでの展開ではそのことがよくわからないのである。
 そして二六頁から次のように展開される。「現代世界史の結節点的転換をなすのは、もちろん九一年であって、九一年以降のいわゆる新しい東西冷戦構造は、九九年の国連決議とは無関係に強行されたコソボ=ユーゴ空爆への過渡期にある世界の構造を端的にあらわしたものにほかならない。このユーゴ空爆を現代世界史の本質的転換点であるとわれわれは規定した。」
 私はここをよみ、「あれっ」と感じた。九一年のソ連の崩壊を現代史の歴史的転換の結節点とこの論文において論じてきたにもかかわらず、彼は、ここで九九年のユーゴ空爆を現代世界史の本質的転換点である、と「われわれは規定した」とすでに規定していた把握を確認し論じていくのだからである。そうすると、黒田はソ連の崩壊を現代史の転換の結節点ととらえ、かつ同時にユーゴ空爆を現代史の本質的転換点だ、と言っているということになる。いったい、前者は何から何への転換であり、後者は何から何への転換であると彼はとらえたということなのであろうか。ここで彼が駆使している「現代史の世界史的転換の結節点」と「現代世界史の本質的転換点」ということとは、その次元においてどのような違いと関係にあるということなのかが、私にはわからないのである。
 「現代史の世界史的転換の結節点」にせよ、「現代世界史の本質的転換点」にせよ、私は、両者の意味するものは本来はわれわれにとって同じものであるはずだ、と思うのである。これらは、一九一七年のロシア革命によって現代世界はプロレタリア世界革命の完遂への過渡期に入ったという時代認識を言う場合に、このロシア革命を現代史の世界史的転換を画した結節点だと主体的に把握する、このような意味をこの概念的規定はもつものである、と私は考える。そうすると、プロレタリア世界革命の完遂への過渡期、これが根本的に転換したその結節点をなす事態について黒田は論じているはずなのである。すくなくとも彼が使っている概念的な規定からするとそうなるのである。そして彼は、このソ連の崩壊を「二十世紀の終焉としてとらえ」た(二五頁)と言っているのである。
 このように私は考えた。では、黒田は九一年のソ連の崩壊と九九年のユーゴ空爆を、それぞれ何から何への転換の結節点だ、ととらえているのかを分析しなければならない。
 まず、九一年のソ連の崩壊を彼はどうとらえているのかを考える。彼はソ連邦の崩壊を東西冷戦から新東西冷戦への転換点だととらえている。他方、九九年のコソボ=ユーゴへのNATO空爆を、何から何への転換点だ、と彼は言っているのか。ユーゴ空爆は「国連決議とは無関係に強行された」ものである、と彼は言う。ソ連の崩壊を東西冷戦から新東西冷戦へと転換した結節点だ、と言うと同時に、この新しい東西冷戦構造は「国連決議とは無関係に強行され」たコソボ=ユーゴ空爆への過渡期にあるのだ、と言う。これでは、ユーゴ空爆にこそ大きな意味があると言っているものであり、「現代世界史の結節点的転換をなすのは、もちろん一九九一年であって」などというのは、何か弁解のように聞こえるのである。
 彼がユーゴ空爆を現代世界の本質的転換点であるととらえること自体はどうであるか。彼がユーゴ空爆をそのように捉えるのはそれがNATOによって国連決議と無関係に強行されたものだ、ということにもとづいている。それでは、彼は東西冷戦の時代において帝国主義の他国への侵略が国連決議にもとづいてなされた、と言うのであろうか。それとも、帝国主義の侵略は国連において安保理事国が合意せず、それゆえに強行されなかった、というのであろうか。(六一頁参照)
 たしかに九一年に強行された多国籍軍という名の米帝主導軍のイラク侵略は、ゴルバチョフ政権のブッシュ政権への屈服によって、国連安保理決議にもとづいて強行されたのであった。これは、八九年の米ソのマルタ会談によって東西冷戦の終結を画したがゆえにソ連アメリカに屈服したことにもとづくものである。東西冷戦時代には、米帝ベトナム侵略にせよ、ソ連アフガニスタン侵略にせよ国連決議などと無関係にそれらは強行された。国連においては米ソの対立によって国連安保理事国間の利害調整はできず機能不全となっていたのだからである。他方で、ユーゴスラビアという旧スターリン主義国家にたいして軍事同盟をとりむすんだ帝国主義諸国が空爆したというのは、かつてない事態ではある。とはいえ、それは、ソ連邦およびソ連圏の倒壊によって生み出されたものなのである。だから、黒田が九九年のユーゴへのNATOの域外空爆が国連決議とは無関係におこなわれたことをもってそれを現代世界史の本質的転換点だと規定し、同時に、ソ連邦の崩壊が現代世界史の結節点的転換をなすという把握を並存させている、このことは不可解なのである。

 Ⅱ 黒田の反省なき弥縫——松代論文(新世紀二〇四号『ニッポンネンシス(日本病)の恐怖』)をどう読んだか

  1 レジュメの意味

 「ブッシュの戦争」は新世紀二〇六号(二〇〇三年九月)の巻頭論文として掲載された。そして、同名の著書に「松代論文(『新世紀』二〇四号)に関連して」(二〇〇三年四月四日)というレジュメが掲載されている。松代論文の著者によれば、当時この論文を読んだ黒田から「経済分析はつくりだされたものの分析であり、これからつくりだされるであろうものの予測をするものではない」という批判が寄せられたという。この経緯からして、彼は、松代論文を検討したうえで、この「ブッシュの戦争」を執筆したということがわかる。
 このレジュメは国家独占資本主義の経済形態の転換にかんするレジュメとして全体は書かれている。
 「(Ⅰ)国家独占資本主義の典型——一九六〇年代の資本主義」「(Ⅱ)レーガン新保守主義経済=レーガノミクスケインズ型経済政策の否定=市場経済万能主義」そして「(Ⅲ)グローバル化した市場経済=米軍国主義的帝国一極支配の政治経済構造とびっこ戦争による破綻の露出」、この(Ⅲ)の冒頭には「一九八九~九一年事態=ソ連圏およびソ連邦の大崩壊(ゴルバチョフの歴史的犯罪)」というように展開されている。ところで問題は、その最後に(Ⅲ´)として次のように展開されていることである。このレジュメで彼は松代論文をそれとして明確に批判しているわけではない。とはいえ、上の批判との関係でとらえかえすと、つぎのくだりが著者に寄せられた批判とかさなる。「(Ⅲ´)9.11事件を新時代の幕開きとみなす俗説は政治的および軍事的に誤りであって、この事件の歴史的前提=政治的・軍事的な本質的転換は、コソボ空爆の主体が国連決議なしのNATO軍(その域外空爆)にあったこと。——政治的・軍事的観点と、国家独占資本主義の経済形態の転換とは異なる。——『大内力経済学体系』「第六巻 世界経済論」参照。」
 ここで黒田が言っているのは、「9.11事件を新時代の幕開きと見なす俗説」は誤りである。この事件の歴史的前提=政治的・軍事的観点からの本質的転換はコソボ空爆にある、ということである。そして、国家独占資本主義の経済形態の転換を分析することはこの新時代の幕開き=現代世界の本質的転換を分析することとは異なる、ということなのである。私はこれを、松代論文にたいする批判であると考える。なぜか。松代論文には以下の展開があるからである。
 「ここで展開されている方法論にのっとるならば、われわれは(4)一九九〇~二〇〇〇年代型の国家独占資本主義の解明をめざさなければならないのであり、それは(4)ソ連圏崩壊以後の国家独占資本主義、アメリカと日本とEU欧州連合)の三極を措定したその解明、ということができるであろう。この場合に、場所的現在における現代世界にかんする次のような認識がおさえられなければならない。
 「人いはく——9.11自爆事件は『現代史の分水嶺』なりと。まこと、その限りにや、ムスリムのこの殉教自爆攻撃は画歴史的出来事なりと言はむ。されど、新時代の幕開きは、NATOが国連決議なしに強行せし慈悲なきユーゴすラビア空爆によりて、はや告げ知らされたり。一九九九年にわれらは書く綴りぬ。『NATO創設五十周年にあたる一九九九年という年は、画歴史的な転換点として、必ずや世界史に刻み込まれるであろう。』『血塗られたNATO空爆帝国主義的国家エゴイズムをむき出しにしてつづけられるかぎり、ユーゴスラビアの戦争は泥沼化し、第二のベトナム戦争となるであろう。』(一九九九年四月十日JRCL国際アピール。あかね図書刊)
 かのユーゴスラビアの事態を現代世界史の本質的転換と規定したれば、まぢかき出来事は、この転換を結節点とせし現実的転換と呼ばざるを得ず。二十一世紀の世界は、『跛―戦』(非対称的戦争)すなはち正規軍対ゲリラの戦が荒ぶる時代に突きすすみゆかむ。」(「ヤンキーダムの終焉の端初」あかね図書刊『アフガン空爆の意味』所収 三四頁)
 こうした新時代の幕開きは、さらに歴史的に捉えかえされなければならない。
 「かくの如き場所的現在に於ける現代世界の状況は、一九九一年のソ連邦崩壊とそれ以後の歴史過程によりて決定されたりしが、かかる過程のあらがいがたき帰結なりき。ソ連邦とその陣営の崩壊(一九八九年のベルリンの壁の倒壊に象徴されたるそれ)はスターリン主義の没落にほかならず。しかるに、この世紀の倒壊は、なべて『共産主義の終焉』はたまた『マルクス主義の死』とみなされたりき。……」(同前四〇~四一頁)
 新時代への転換点とその歴史的根拠にかんするこうした認識を基礎にして、破綻した国家独占資本主義の新たな変貌を明らかにするのでなければならない。このゆえに、一九九九年のユーゴスラビアへの侵略戦争を結節点とする新たな時代、この時代における国家独占資本主義を解明することがわれわれの課題である、といわなければならない。先にのべたところの(4)一九九〇~二〇〇〇年代型の国家独占資本主義の解明というのは、このような意味において理解されなければならない。したがって、ソ連邦とその陣営の崩壊以降この侵略戦争までの時期における国家独占資本主義は、われわれがいま解明することを課題としたところの国家独占資本主義の型への過渡形態としておさえられるべきであろう。」(松代論文九七~九九頁)
 以上のように松代論文では展開されている。この内容からして黒田は、これは誤りである、と批判しようとした、と考えられる。松代論文は国家独占資本主義の転換の分析を課題としている。そこでは、一九九九年のユーゴ空爆という現代世界の本質的転換を結節点としてその転換を分析するのだ、としている。これは誤りである。なぜなら、それは「政治的・軍事的観点」であり国家独占資本主義の経済形態の転換とはことなる。松代論文の課題は後者なのだからだ。およそこのように黒田は言いたいと考えられるからである。このような黒田の批判は、私には奇妙に思えるのである。彼は松代論文を批判するためにこのレジュメを書いた。そのうえで、彼は「ブッシュの戦争」論文を新世紀二〇六号(二〇〇三年九月)の巻頭に掲載した。これが『ブッシュの戦争』の巻頭論文として再録されているものである。つまりこの論文は彼が松代論文を検討し批判したうえでそれにふまえて書かれた、ということがわかる。そこで黒田はどのように展開しているのか、これが問題なのである。
 「ブッシュの戦争」では次のようになっている。
 「現代世界史の結節点的転換をなすのは、もちろん一九九一年であって、九一年以降のいわゆる新しい東西冷戦構造は、九九年の国連決議とは無関係に強行されたコソボ=ユーゴ空爆への過渡期にある世界の構造を端的にあらわしたものにほかならない。このユーゴ空爆を現代世界史の本質的な転換点であるとわれわれは規定した。」
 これを私は読み、これはレジュメで彼が展開していることと異なるのではないか、と思ったのである。これは、黒田が松代論文を検討したうえでレジュメでそれを批判していること、このことと異なるものである、と感じたのである。さらに言えば、彼は、この『ブッシュの戦争』論文において、はじめて一九九一年のソ連の崩壊を現代世界史の転換点であると明確にしたのである、そのようにしたとはいえ、それをコソボ空爆が現代世界史の本質的転換点だというようにそれまではとらえてきたことと並存させている、と感じた。レジュメでは政治的・軍事的な本質的転換がコソボ空爆で、これが現代史の転換をなすのであり、ソ連邦の崩壊を転換の結節点とするのは国家独占資本主義の形態転換を捉える場合のことなのだ、ということであったはずだ。そして、その前提としてわすれてはならないのは、松代論文で引用されているように「ヤンキーダムの終焉の端初」論文ではあくまでも「新時代の幕開き」すなわち現代世界史の本質的転換とは一九九九年のユーゴ空爆であり、ソ連邦およびソ連圏の倒壊は、その歴史的根拠をなす、このように黒田は把握してきたということなのである。それゆえに、この「ブッシュの戦争」における論述は、それまでの彼の把握を否定したものという意味をもつのである。しかし、かれは、そうは言わない。むしろ、現代世界史の結節点的転換をなすのは、「もちろん一九九一年であ」る、として、これは言うまでもないことだ、というようにのべるばかりである。これは、わたしにはきわめてわかりにくいのである。このことからすると、『ブッシュの戦争』において、彼はレジュメでの主張をなし崩し的に変えたということになる。
 なぜ、彼は、自己の把握をなしくずし的にかえたのだろうか。
 私は、黒田は、松代論文をよみ、これを批判してみたものの、みずからがコソボ空爆を現代史の本質的転換点であると断言してきたこと、九九年の時点でそのように断定しかつ二〇〇一年の「ヤンキーダムの終焉の端初」論文でもそう論じてきたこと、このことは実のところ九一年のソ連の崩壊こそが世界史の転換の結節点であるというこの明らかな問題を後景におしやり正視するのをさけてきたということである、と半ば自覚したからなのではないかと思うのである。だからこそ、「ブッシュの戦争」論文では、先のように論述したのではないかと考えるのである。ただ、そうはいっても、コソボ空爆が現代世界史の本質的転換点だと把握し、それを九九年のJRCL国際アピールで表明してきたこの己を自己否定的に振り返り、ソ連邦の崩壊と対決しなおすことを避けたのだ、と私には思えるのである。それが、この両者の並存と、その「ブッシュの戦争」論文におけるきわめて解釈主義的な関連づけとして結果しているのではないか、と思うのである。
 このことは、さらに、もうひとつの問題にねざしている、と私は考える。
 黒田は一九九九年のNATOによるユーゴ空爆を現代世界史の本質的転換点であるととらえるのは、ひとつには国連決議なしの帝国主義軍事同盟による空爆ということにその根拠をおいている。同時に、この侵略によってユーゴの内戦が激化していくことが現代の宗教=民族戦争への世界史の転回となる、と彼がとらえたからではないか、と思える。彼は、「ポスト冷戦の神話をうちくだくシンボル」とさえかたることによってこの宗教=民族戦争への転回ということに期待を込める一方で、21世紀の世界は混迷していく様相にあるという不安を表明しているからである。この問題はⅢ章でふれる。

  2 「ユーゴ空爆が現代世界史の本質的な転換点」ととらえることへの固執

 「政治的・軍事的な本質的転換」と「国家独占資本主義の経済形態の転換」との区別だての不可解——プロレタリア世界革命の完遂の立場の喪失

 松代論文において筆者は「今日の国家独占資本主義をどのように分析するべきか」と問題を設定し、「いまや、現代ソ連邦の自己解体(一九九一年)とソ連圏の倒壊のゆえに、ソ連圏を構成していた諸国家が帝国主義世界経済のもとに呑み込まれ編みこまれたのであった。こうすることによって、同時に、これらの国々の経済をみずからのもとに編み込んだところの帝国主義世界経済、これを構成している帝国主義諸国・資本主義諸国の政治経済構造が変貌をとげることとなった、といえる。」とのべ、この変貌を分析するべきである、としたのである。そして他方同時に筆者松代は、黒田が明らかにしている現代世界の本質的転換は一九九九年のユーゴ空爆にあるという現代世界にかんする認識がおさえられるべきである、だから、ユーゴ空爆が現代史の本質的転換でありソ連邦崩壊はその歴史的根拠だというこの時代認識にふまえて国家独占資本主義の新たな変貌を分析するのだ、と言っているのである。ところで、これにたいして黒田は、レジュメで展開した国家独占資本主義の一九九〇年代の分析において、国家独占資本主義の形態の転換の第一の条件として「ソ連圏あるいはソ連邦の大崩壊(ゴルバチョフの歴史的犯罪)」を措定している。つまり、松代論文で筆者がソ連邦の崩壊を「決定的な外的条件として帝国主義世界経済」が変貌をとげたと把握していることはそれはそれで正当だ、と黒田は認めているわけである。そのうえで、「新時代の幕開き」というべき現代世界の転換を論じるのは「政治的・軍事的な観点から」の把握、つまり「政治的・軍事的な本質的転換」であり、国家独占資本主義の形態を把握するという問題とは別のことである、後者はあくまでもコソボ空爆なのだ、と批判しているのである。この黒田の松代批判をどう考えるか、このことが検討されなければならない。
 松代論文では、われわれが国家独占資本主義論を帝国主義の現実形態論として展開するべきという問題をどのように明らかにしてきたのか、について、次のように論じられている。
 「大内力は「国家独占資本主義にたいする恐慌論的アプローチ」を明らかにするにあたって、次のように述べている。「われわれはさしあたり通説に従って、全般的危機を『資本主義が世界経済の唯一の、またすべてを包括する体制ではなくなった時期、資本主義経済体制とならんで社会主義体制が存在し、それが成長し、成功して資本主義体制に対立する』に至った時期と規定しておこう。そうすれば、それはいちおう一九一七年のロシア一〇月革命によってはじまったともいえるし、社会主義の成長・成功という点に力点をおけば、もうすこしのち、一九二〇年代後半にはじまったともいえようが、いずれにせよ、ここでは、この時期が、世界史的にいえば、もはや資本主義の発展段階としてこれを一義的に規定できないものになっている点が重要である。端的にいえば、むしろそれは社会主義の第一段階と規定すべきものなのである。国家独占資本主義はじつはそのような世界のなかにおける帝国主義段階の資本主義なのであり、そのことがあとでみるように、資本主義の側にも一定の質的な変化を引き起こさずにはいなくなったものと観念することができるであろう。」(大内力『国家独占資本主義』東京大学出版会刊 一一七頁)
 大内力のこうした問題提起をわれわれは批判的にうけついできた。彼のいう「世界史的にいえば社会主義の第一段階と規定すべきもの」というのは、われわれの観点からは、「プロレタリア世界革命の完遂への世界史的過渡期」というべきであろう。ロシア革命の勝利と革命ロシアのスターリン主義的変質を外的条件とし、一九二九年恐慌ののりきりを内的要因として、帝国主義経済は国家独占資本主義へと推転した、というようにわれわれは明らかにしてきたのであった。そしてこの形態変化のメルクマールは、金本位制を廃止し管理通貨制を実施したことにある、と。」
 松代論文で筆者が言っているのは、帝国主義の国家独占資本主義の経済形態を問題にするのは、われわれが、プロレタリア世界革命の完遂への世界史的な過渡期が切り開かれたという時代認識をもち、プロレタリア世界革命への完遂を実現するのだという実践的立場に立つからなのだ、ということだ、と私はうけとめる。
 なぜならば、国家独占資本主義とは、帝国主義ブルジョアジーが、ロシア革命の勝利と革命ロシアのスターリン主義的変質を外的条件とし、世界恐慌を内的要因として、自国のプロレタリアートによって打倒され没落する危機に陥ったがゆえに、これをおそれ回避するために編みだしたものなのである、とわれわれはとらえるからである。そうであるがゆえに、ソ連邦の崩壊は決定的な世界史的な転換という意味をもつのである、というわけである。この事態を結節点としスターリン主義は壊滅した。旧スターリン主義官僚は自国経済を資本主義化することによって自らが資本家的官僚や官僚的資本家へと成り上がり労働者人民をプロレタリアにつきおとしたのである。こうして現代世界は、「一国社会主義」というイデオロギーにもとづき革命ロシアが変質させられたことによって、帝国主義陣営とスターリン主義陣営とが角逐するものへと世界革命の完遂への過渡期が固定化された、というものでもなくなったのである。それは、世界史的な逆回転という意味をもったところの世界革命の完遂への過渡期へと転換してしまった、というようにわれわれはとらえるべきなのである。
 ソ連邦の崩壊は、帝国主義の盟主であるアメリカ帝国主義が世界支配の戦略を転換する結節点となったのである。じっさい、中・ロの旧スターリン主義国を帝国主義世界経済に呑みこみ編みこむかたちで新たな商品=資本市場に変質させるための策動を帝国主義は始めた。また、軍事的には、アメリカ帝国主義が一超帝国主義として先制攻撃を軍事戦略にたかめ、世界制覇を策動し始めた。彼らは、中東におけるスターリン主義の政治的影響力の喪失を背景とし、石油資源を支配するために直接に軍事侵略にうってでた。これらの事態はその端的なあらわれである。
 こうした事態にたいして、黒田が、ソ連邦の崩壊は国家独占資本主義の経済形態の転換の条件として措定はできるが「新時代の幕開け」としての「政治的・軍事的な本質的転換」はこれとは異なりユーゴ空爆にあるのだと区別だてし、それに固執することは、奇妙なのである。このように考えてくると、黒田のこの把握には、彼がプロレタリア世界革命の完遂の立場にたってソ連邦の崩壊と対決するということから身をさけていることがその根底にある、としか私には考えられないのである。
 ユーゴ空爆が国連決議とは無関係になされたというのは、ソ連の崩壊以後激変する世界において帝国主義が強行した軍事侵略、という一事象にすぎない。ロシア革命の実現によってプロレタリア世界革命の完遂への過渡期はきりひらかれた。スターリン主義の自己崩壊と資本主義への転回によって、労働者はプロレタリアへとつきおとされた。これはプロレタリア世界革命への完遂の過渡期の逆転である、と憤激をもってうけとめるからこそ、われわれはソ連邦の崩壊を世界史の転換であるととらえるのである。そして、この現代世界に反スターリン主義を貫徹すると決断しスターリン主義の崩壊の根底を抉り出しこれをのりこえるのだと変革的立場にたつこと、このことが黒田にとわれたのではなかったか。しかし、かれはそれをさけてしまった、これが根本的問題なのである。

 Ⅲ 何が問題か?——「暗黒の二十一世紀世界」と絶望するのはなぜか?

 黒田は二〇〇三年の米帝国主義によるイラク戦争が「地球を四周したあのデモ津波にもかかわらず敢行された」とくりかえし語る。ここには彼の暗澹たる心情がにじみでている。そして彼は、この戦争を「暗黒の二十一世紀を約束している以外のなにものでもない」と言い切った。これはかれが21世紀世界は暗黒の世紀であると絶望していることの表白である、と私には思える。これは何ということなのか、と私は思うのである。彼が絶望したのは、ソ連邦の崩壊を「二十世紀の終焉」としてとらえたからである。二十世紀の終焉という意味は、ロシア革命によって切り開かれたプロレタリア世界革命の完遂への過渡期が終焉した、ということを意味しているのだからだ。こう断定している彼は、スターリン主義がなぜ崩壊したのか、その根拠を根底的にえぐりだし、反スターリン主義を現代世界に貫徹する、という立場を失っている。私はこのように現在、自覚したがゆえに、なんとしても彼の挫折をのりこえなければならない、と考えるのである。
 黒田は二七頁でこう言っている。
 「暗黒の二十一世紀世界は、先どり的かつ図式的にいうならば、基本的には次の三極をなして激動してゆくであろう……。現代世界の脱イデオロギー風潮のゆえに、現代技術文明と世界各国に独自な文化との摩擦および抗争は同時に、キリスト教イスラームとのイデオロギー的対立をも伴った「文明化=工業化」をめぐる対立としてあらわれるであろう。けれども軍国主義帝国アメリカの世界制覇の野望にたいする階級闘争の進展と、第二および第三極に属する諸国ならびにイスラーム諸国の反抗によって、二十一世紀世界の趨勢は決定されるであろう」(下線は本論文筆者による)
 これは宇宙船にのって地球をながめわたすような立場からの把握ではないだろうか。「軍国主義帝国アメリカの世界制覇の野望にたいする階級闘争の進展」と彼は言う。二十一世紀の帝国主義にたいするプロレタリアの闘争はたんなる階級闘争の進展ということではない。まさしくわれわれが反帝国主義反スターリン主義世界革命戦略を現代世界に貫徹するのである。われわれは、そうすることによって、インターナショナルを創造し、世界各国の革命的プロレタリアが反スターリン主義武装した前衛党を創造し労働者階級を階級的に組織するよう呼びかけるのである。こうして労働者階級の国際的な階級的団結をつくりだすこと、このたたかいを組織できるかどうかに労働者階級の今後はかかっているのである。
 黒田はソ連邦が崩壊したのちの一九九二年にユーゴ内戦が激化したことにたいしてつぎのように語っている(四二二頁)。
 「ギリシア正教とカトリシズムとイスラームのあいだの宗教的対立と不可分に結びついた民族間戦争——これをいかに打開するか、ということは、世紀末をこえて二十一世紀の中心課題となるのである。しかもそうした紛争に、数世紀にわたる歴史が影をおとしている。このことからするならば、資本制商品経済によって完全に抹殺され消滅した約一千年にわたるキリスト教支配が、ソ連邦の崩壊という歴史的事件をきっかけにして頭をもたげ、またそうすることにより反西欧・反物質文明のイスラームが長い眠りから目覚めて自己主張を始めたことにもとづくといえる。パーレビ国王を打倒した‶ホメイニ革命〟を起点にして、今日ますます激化しつつ歴史の表舞台に登場した宗教=民族戦争は、ポスト冷戦の神話を打ち砕くシンボルとなっている。(一九九二年一二月二十三日)」(四二二頁)
 黒田が現代世界をこのように把握している場合には、彼は、歴史主義、客観主義に陥っている。資本制商品経済によって抹殺され消滅した一千年にわたるキリスト教支配が、ソ連邦の崩壊という歴史的事件をきっかけにして頭をもたげ、イスラームが目覚めて自己主張を始めた、というような把握は、比ゆ的な表現をとったものという次元を完全にこえている。 ユーゴスラビア内戦がなぜ引き起こされ激化しているのか、そしてそれが宗教対立をともなって激化しているのはなぜなのか、このことは、旧スターリン主義官僚が資本家階級に転向し生き残るためにユーゴスラビアを資本制国家へとつくりかえるという策動をくりひろげていることにもとづいている、という把握が、まず失われている。セルビア正教イスラームならびにカトリシズムとの宗教的対立をあおりたて民族浄化政策を遂行しているのは、新ユーゴスラビアクロアチアスロベニアなどの旧スターリン主義官僚どもなのである。彼らが自己の支配地域に資本制国家をうちたてみずからは資本家階級として労働者をプロレタリアへとつきおとし、これを支配し権力者的利害を貫徹するためなのである。彼らは、被支配階級にナショナリズムを貫徹することによって国家のもとに統合するために歴史的過去のコソボの地におけるイスラームの支配の記憶をも呼び起こすかたちで場所的に宗教的イデオロギーを利用し活用しているのである。この内戦が宗教=民族紛争というイデオロギー的な意味を帯びているのは資本制商品経済によって抹殺されたキリスト教による支配がソ連邦の崩壊という「歴史的事件」をきっかけにして頭をもたげたということだ、などという把握は、それらのイデオロギーがいかなる諸実体によってどのように物質化されているのかということを無視抹殺している歴史主義的な解釈なのである。しかもユーゴ内戦を遂行している権力者どもは、スターリン主義官僚から資本制国家権力者へと自己自身が転向したうえで、その策動をくりひろげているのだということ、これへの憤激をもって反スターリン主義の立場を貫徹し実践論的にえぐりだし批判するのでなければならないのだ。この立場を彼は喪失してしまっている。先のような把握は、それゆえになしうる歴史主義的で客観主義的な解釈だと私は考える。「パーレビ国王を打倒したホメイニ革命を起点にして、今日ますます激化しつつ歴史の表舞台に登場した宗教=民族戦争は、ポスト冷戦の神話を打ち砕くシンボルとなっている」と黒田はいう。私はこの92年のユーゴ内戦の分析には彼の淡い期待が込められているようにも感じる。それは、「労働者階級が世紀末現代において歴史の舞台から消えかかっている」(四〇七頁)二十世紀末から暗黒の二十一世紀への過渡において米帝国主義に挑みうるのはイスラームなのではないか、という期待である。かれが九九年のユーゴ空爆を現代世界史の本質的な転換点であると規定したことは、このことと結びついていると考える。けれども、これらすべてにつらぬかれているのは黒田の反スターリン主義の世界革命の立場の喪失である、と私は考える。われわれは、黒田の挫折をなんとしてものりこえなければならない。
       (2023年4月23日   桑名正雄)