第5回 箱を動かすには——<連載>松代秀樹「反スターリン主義前衛党組織の労働者的本質の消失」

反スターリン主義前衛党組織の労働者的本質の消失

 

 五 箱を動かすには

 

 これの前の項までで終わる予定であったが、さらにほりさげていく必要があると感じた。個別的な諸問題についてほりさげていきたい。
 フラクションとしての労働運動というみずからの偏向を克服するために苦闘した、或る経験豊かな労働者同志は、講演や発言で次のように強調した。
 「労働組合という箱があるとする。われわれは戦闘的な闘いをやりたいというので、ひとりとかわれわれ系の数人とかでこの箱から飛び出しちゃ駄目なんだ。われわれは組合員としてこの箱全体を動かさなきゃ駄目なんだ」、と。
 この比喩をもちいて、さらに明らかにすべきことを言おう。
 この箱全体を動かすためには、われわれは組合役員あるいは組合員として、この箱のなかの先頭に立って、この箱の壁を前にむかって必死で押さなければならない。もしも民同系役員を、この壁の内壁を前にむかって押す先頭に立て、われわれは組合役員あるいは組合員として、この民同系役員の陰に隠れるならば、この箱全体はこの民同系役員が押す程度にしか前にすすまない。われわれが組合役員あるいは組合員として、この民同系役員の尻を押したとしても、この民同系役員の体がクッションになってしまって、大した力にはならない。
 われわれは、組合役員あるいは組合員として、先頭に立って、箱の壁を内側から押しつつ、組合員たちを組織し、組合員の全体で押すようにしなければならない。
 このとき、われわれは組合役員あるいは組合員として、押している手と体で、この壁を外からどついてくる者や体当たりしてくる者の圧力とその鋭さを直接的に感じとり、その場を的確に分析して、どの程度にすすむべきかそれとも引くべきかを判断しなければならない。自分が先頭に立って壁を押していなければ、外からのこの箱への攻撃を自分の肌で感じ取ることができないのである。われわれは、組合役員あるいは組合員として、組合をしょって立ち、経営体当局やその他の部分の組合への諸攻撃の矢面に立たなければならない、ということである。と同時に、自分が組合役員あるいは組合員としてくだした分析と判断の内容を、先頭に立って組合員たちに明らかにし、彼らをたかめ組織しなければならない。
 かつて一九六〇年代後半から一九七〇年代に、雑派のはみだし型の労働運動スタイルを批判し、また一人で裸踊り的に活動することを克服するコツとして、組合を主体として運動を展開するために、われわれは組合役員あるいは組合員として、比較的に左翼的な民同系役員を隠れ蓑にして組合活動を展開すべきだ、ということが言われた。あるいはまた、左派と称される民同系の役員や組合員と提携して、組合内左翼フラクションを創造すべきである、と言われた。
 今日から捉えかえすならば、このような論議にもとづいて、わが仲間たちが実際に遂行した実践は、隠れ蓑ということにかんしては、わが仲間たち(「われわれが組合役員あるいは組合員として」ということを「わが仲間たち」というように表記する)は、比較的に左翼的な民同系役員そのものを隠れ蓑にしその陰に隠れてしまうこととなった、と私は感じるのである。こうなってはまずいのである。わが仲間たちは発言したり文章を書いたりするときに、比較的に左翼的な組合役員の名前をだして「この人がこう言っているように」と言って、その人の権威を借りて、その場で自分が言いたいことを展開するのである。自分がその人の権威を意識的に蓑にして自分にかぶせるのであって、現存在しているその人の陰に隠れるのではないのである。
 労働者同志たちと常任メンバーたちは、それ以来今日までずっと、ここのところを取り違えたままにしてきたのではないか、という気が、私にはどうしてもするのである。
 二〇〇〇年を前後する時期に、私は労働組合の中心的な役職を担っており組合内で力をもっているメンバーたちと論議して、或る労働組合を見習って、自分が組合役員として講演しこれを起こして論文にし、他の組合役員の大会などでの発言を同様にしたものとあわせてパンフレットをつくり、このパンフレットを使って組合員たちを教育しよう、教育したなかの中心的なメンバーをわが組織の担い手にたかめるようにしよう、と確認したのであった。しかし、実現できなかった。今日では、私が論議したメンバーたちは、わが組織の担い手となりうるメンバーを誰一人としてつくれず、完全に組合主義に転落していた。
 自分が所属する組合のおいてある場と組合自身の現状を分析し、その現実を組合がどのようにして変革し切り拓いていくのかということを、われわれが組合役員として、講演あるいは論文というかたちにおいて展開することは、難しいのである。これは、先の箱のなかの先頭に立つという経験を積み重ね、この実践を、実践的立場にたって、われわれの労働運動論および組織現実論ならびに反スターリン主義革命理論を適用して教訓化する、というかたちで、自分自身を鍛えなければできないのである。或る労働組合以外で、自分が組合役員として、自分の講演録や論文をパンフレットにして、これで組合員たちを教育していた労働者同志は、一人しか私は知らない。
 二〇〇〇年を前後する時期に私が論議したメンバーは、彼が組合役員としてこじんまりとした講演会でしゃべるときには、そこに結集した組合員たちを教育するために、組合の直面する課題について論じたなかに、 W=c+v+m という式をしめして、自分たちは搾取されているのだ、ということを彼らにつかみとらせる内容をくみこむ、というかたちをとった。どうしてもこういうものになった。いま焦眉の課題となっている企業の問題をとりあげて、企業経営陣はどうでてきているのか、これに組合執行部はどう対応しているのか、そして組合員たちはどういう状況になっているのかということを具体的に分析し、そこから下向的にほりさげて論じていく、ということがうまくできないのである。論議してもうまくいかなかった。やはり、下向分析的思考法の体得、下向的にほりさげていく能力の獲得ということが問題となるのである。講演の最初から最後まで、その企業の経営者と管理者と組合の委員長と書記長と執行委員とそして組合員たちの誰それという、これらの人物とその諸関係を措定して、それのどこにどういう問題があるのかということをほりさげ、経営者と管理者がどのようにして搾取を強化しようとしているのか、組合員が労働者として労働しているときのどのような競争といがみ合いが経営陣の思惑の貫徹をゆるすこととなっているのか、ということを具体的に明らかにし、そのような競争といがみ合いを克服し、労働者としての団結=組合の団結を強化して、経営陣の攻撃をはねかえしていこう、ということを提起していかなければならないのである。こういうことを組合場面での講演というかたちで一時間くらいしゃべるためには、組合役員であるわがメンバーは、そうとうな、下向的に展開する能力を身につけていなければならないのである。私は彼を二〇〇四年までにそのように育てることはできなかった。その十数年後に伝え聞いた彼の姿は、見るも無残なものであった。無念である。
 また、わが仲間が、民同左派系の組合役員や組合員とともに組合内左翼フラクションを創造したり、既存の組合内左翼フラクションに加入戦術をとったりするばあいにも、わが仲間は、その組合運動の場の的確な分析にもとづいて、先頭に立って、当面する組合の課題にかんしての組合のとるべき運動=組織方針を積極的に提起し、その左翼フラクションの全員で合意するようにイニシアティブをとらなければならない。経営体当局者や組合員たちと面々相対する場面でも、わが仲間は左翼フラクションをともにつくりだしているメンバーたちの先頭に立ち、当局者や右派的な役員の攻撃や非難に答え、組合員たちに説明し彼らの決起をうながすその矢面に立たなければならない。民同左派系のなかの中心をなすメンバーにイニシアティブをとらせてその左翼フラクションに参加し、当局者や組合員と相対する場面では、そのメンバーをおしたてそのメンバーの陰に隠れて活動する、ということであってはならないのである。
 私には、ここのところにかんして、多くのわが同志たちの理解と体にしみついたものが、民同系の役員の陰に隠れる、というようなものになっていたのではないか、という気がしてならないのである。
 このことが、一九八〇年代後半から一九九〇年代初頭にかけて、組合の支部や分会の重要な役職を担っているわがメンバーが、民同系役員、あるいは経営体当局者とつるんだ組合主義者のてのひらにのせられてしまった一つの要因をなす、というように、私にはどうしてもおもえるのである。
       (2021年11月11日     松代秀樹)