労働者階級を階級的に組織する労働運動の再創造を——JR総連元役員四茂野修の誤謬は何か

 JR総連元役員四茂野修が最後の仕事として自己に課したのは、松崎明の評伝を仕上げることであった。だが、彼は、それが松崎明に背くことであることを自覚せずに、その本のあとがきの最後に次のように書いたのであった。
 「「責任追及から原因究明へ」は、労働者への企業からの責任追及を止めさせることを求めるだけのものではなかった。事故の起きた原因を究明し、再び同じ事故を起こさない働き方を、労働者が自らの手で追究することを求めている。
 そこには、自然と人間との物質代謝を媒介する人間労働を、資本の命令という枠組みから解き放ち、自らつくりだす意識的な活動へ転換するという大きな夢が孕まれていると私は考えてきた。事故だけでなく二酸化炭素の排出にも目を向け、資本主義の生み出してきた様々な不合理を解消することが求められている。改めて広く社会的な連携を創造し、前に進むことが、労働組合に求められているのではないか。そして、そこにこそ抵抗を通じて発現するヒューマニズムがあると私は思う。
 このような運動を担う労働組合が、どうすればできるのか、私にはまだわからない。松崎の努力を受け継ぎ、それを探究していきたいと思っている。新型コロナウイルスの感染が全世界に広がったいま、この世界全体をどう変えるかは、ある意味で切迫した問題だろう。労働組合はその中心的な役割を担いうると私は信じている。」(四茂野修『評伝・松崎明』新時代社、二〇二〇年刊、三七三~三七四頁)
 この文言につらぬかれているものは、労働運動をエコロジー運動に歪曲するという意図である。
 JR東労組は、会社経営陣の攻撃によって粉々にされた。四茂野修は、この敗北を総括することができないのである。彼は、この敗北という冷厳な現実を直視することができず、それから目をそらし、逃げたのである。
 彼は、松崎明が終生つらぬいた、労働者階級を階級的に組織するという目的意識をわがものとし、これを現下の困難な局面にいかに貫徹するのか、というように問題をたて意志するのではなく、斎藤幸平ばりのエコロジーという・マルクス主義とは別のイデオロギーをもってきたのである。
 これは、松崎明と、自分が学生戦線で全学連ラクションの一員であった時代に勉強した黒田寛一を足蹴にするものである。
 会社経営陣がかけてきたもろもろの合理化の攻撃にたいして、JR東労組が柔軟な内容の方針を提起してたたかうように松崎明が指導したのは、あくまでも労働者階級を階級的に組織するためだったのである。四茂野修は、JR東労組が解体されたというこの敗北を前にして、松崎明の意志を忘れ去ったのである。
 国鉄の分割=民営化という攻撃と対決するために、松崎明は、動力車労組として『資本論』の学習を組織し、組合員たちの思想的強化をはかった、ということを忘れるべきではないであろう。
 現局面の労働組合の指導者には、会社経営陣の合理化の攻撃にたいして、柔軟な内容の方針を提起して組合運動を組織しつつ、組合員たちを階級的に強化し組織するためにどのようにイデオロギー闘争をくりひろげていくべきなのかというその内容を解明し実現することが問われているのである。
 この困難な課題から逃げてはならない。
 この意味において、われわれは、労働者階級を階級的に組織する労働運動を再創造することを、おのれ自身の課題とし任務とするのでなければならない。
       (2022年2月7日     松代秀樹)