『バイト学生と下層労働者の「資本論」』
発売一〇日がすぎ、全国の店頭販売の取扱店が増大中です。
今日は、冒頭の「はじめに」を紹介します。
はじめに
いたましい。
トヨタの販売店の三八歳の男性の労働者が、パワハラをうけ、うつ病となって、二〇一九年五月にみずから生命を絶った、ということを、この件が労災認定されたというニュースで、私は知った。
この労働者は、大学卒業後に同社に入社し、二〇一八年六月以降、上司から「バカ野郎」などと言われ、ほかの社員の前で一時間以上にわたり大声で叱責されたのだ、という。一九年二月に、うつ病を発症したのだ、という。
ご両親は、「なぜ息子が死ななければいけなかったのか、その理由をどうしても知りたかった。日本のすべての企業にもっと働きやすい職場をつくってほしい」と訴えた、という。
このご両親に、何と声をかければよいのか、わからない。涙がでてきた。
私は、二〇一八年六月にまで時間を引きもどし、私がこの職場の労働者となって、この上司に「何をするんだ! やめろ!」と怒鳴りつけたい気持ちでいっぱいだ。そのあとでこの労働者と二人で話して、「つらかったでしょう。どんなことをやられてきたのか、聞かせてください。くじけずに頑張ろう。何かあったら私に言ってほしい」、と彼を元気づけ、彼といっしょにご両親のところへ行って、こういうことがあったと話し、「何かあったら、私に連絡してください。微力ながら、私も力をふりしぼりますので」、とあいさつして来たい、ああ、時間を引きもどせたら! 私がその職場の労働者であったならば! という思いに私は駆られた。
うみだされたこの事態は、たんに、この上司の個人的特性にもとづくのではない。企業の管理者は産業下士官なのであり、上官の命令に服するのである。この上司がパワハラといえる行動をとったのは、彼が、トヨタの会社の上層部から、利益をもっと出せ、と陰に陽に迫られていたからにほかならない。
資本主義社会における企業は、労働という労働者の生き血を吸って肥え太る資本なのである。現存するこの社会に生きる労働者は、疎外された労働を強制される、完全に疎外された存在なのである。
このことを明らかにしたのが、マルクスの『資本論』である。われわれは、自分が何であり、何であるべきか、を自覚するために、この『資本論』を学ぼう。
私はパート労働者である自分自身をみつめることをとおして、マルクスの精神をつかみとるように努力した。この体験をここに書いた。
労働者・勤労者・学生・知識人のみなさん。
この本を読んで、この社会と自分の労働と自分自身について考えていただきたい。
二〇二一年一〇月二二日
最後に店頭販売している書店を紹介します。
ぜひ手に取ってご覧ください。