〝〇〇〟はどこへ行った?(その3)――「実践的立場の基本」

本邦初演! 

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 「解放」第2564号(二〇一九年四月一九日号)の記事の筆者は、ある学習会に参加し、そこでチューターから教えられたこの「実践的立場の基本」をみなで〝実践〟し、気合いを入れて学習に入ったことを描いている。ところが、この図解は、同志黒田の実践的唯物論とは無縁なものである。

 

 そもそも、この図解では、主体が対決する客体が欠如している。それは、かつての黒田寛一の言葉によれば、「独り相撲」である――ということをわれわれは当時ブログ等で明確に指摘しておいた。そのほんの一端を以下に示す。

 

 もう一度この図を見てください、この図を凝視してください。
 そうだ!相手がいないのだ。
 一見、空手のようでありながら、相手がいないのである。この図をもてはやし、またこの図に共鳴している人たちは、これは空手の型をイメージしているのだ、と思っているようである。そのように説明されてもいる。だが、もしもそうであるならば、「実践」と称していながら、それは、沖縄に伝統的なものであった・侵略者から自分たちを防衛するための実戦の空手ではない。もしも、何らかのブルジョア・スポーツでもって、われわれの実践を類推的にあらわすのであるならば、それは、空手の型とか体操とかではなく、空手の組手のような格闘技や、相手のあるチーム競技でなければならない。われわれは、相手(物質的現実)を変革するために実践するのだからである。……(二〇一九年五月)
(二〇二〇年創造ブックス『決断の根底』一九八頁~)

 

 「実践論」にせよ、「実践的立場」にせよ、「主客の場」を措定することなしには論じられないということは、同志黒田のもとで学んできたものにとっては、いわば自明の理であった。ところが、何と、このような空手の型〔競技では、「形」とも表現される〕のような「体操」を行うことを学習会のチューターから指示され、学習会を始める前に一同でこの形を〝実践〟することにした、とのことである。チューターは、常任メンバーであり、党組織のそれなりの指導部に属するメンバーたちである。そのようなメンバーが、このおよそ実践的唯物論とは無縁な、「実践的立場の基本」を推奨し、これに唱和して学習会に参加した労働者たちが起ち上がってこの形を演じる、という光景は、実践的立場とは無縁な存在に転落した「革マル派」指導部の実態と、その支配のもとにある組織の悲惨な実態を象徴し、まさに可視化するものであったといえる。
 このような「基本」を何の疑いもなく演じてから学習するというのでは、どんな立派なテキストを用いても、参加者が理論的=思想的に成長するはずがない。いやむしろ、出席するたびにおのれの頭脳を破壊することになってしまうのである。

 

「実践的立場の基本」は、われわれの思想的背骨にかかわる重大な問題である。だから、われわれは当時、すぐさまその誤謬と思想的=組織的意味を暴露したのであった。

 

Where have all the flowers gone ?

 

 すると案の定、その少し後に同様の記事が一回出たあと、この「実践的立場の基本」は「解放」紙上から消えただけではなく、実際の学習会の現場からも、消えてしまったらしい。
 およそチンプンカンプンというべき逸脱を、われわれに暴露されて、恥ずかしいと感じるような感覚を彼ら「○人組」がもちわせているとは思えない。ただただ、黒田思想の正統的継承者を装う彼らにとって都合が悪いことはすべてなかったことにする、という心理が働いていることだけは、確かであろう。これはまさに〝犯罪者〟のそれではないか!共産主義者としての倫理もヘッタクレもないのが今日の「○人組」指導部の実態なのだ。「革マル派」組織成員たちのなかから、彼らの図やその隠匿に、果たして疑問が提起されたのであろうか、とわれわれは問わざるをえない。

 

When will they ever learn ?

 

 彼らの支配下にある組織成員たちには、一日も早くこのことを自覚してもらいたい。
 『決断の根底』は、必ずやそのことに資するものと言える。

(『決断の根底』をはじめ、創造ブックスの本は、常時、神田神保町の「書泉グランデ」4Fで展示販売されています。プラズマ出版に注文するかたちでも、入手できます。)

 

 〔後記〕

 思いがけぬ多忙のため、(その2)からずいぶん日がたってしまった。われわれが多忙であることは、実に幸せなことではある。そういう事情で、これからも「どこへ行った?」は、間があくことが予想されるが、今後とも是非お付き合いください。
 「革マル派」の紙面から消えた行方不明のものたちのなかには、これまで取りあげてきた「組織哲学」「パンデミック恐慌」「実践的立場の基本」のように、それ自体が直接に○人組の腐敗を示す〝猥褻物公然陳列〟というべきものもあれば、日本反スターリン主義運動には決して失われてはいけないものもある。いずれの場合にも、その消失は日本反スターリン主義運動を変質させた今日の「革マル派」の組織的腐敗を象徴するものであることには違いない。『決断の根底』をはじめとする諸著作をぜひご検討ください。
    (二〇二一年九月三〇日 椿原清孝)