「常盤登壇」の猿芝居

 「革マル派」機関紙「解放」2649号に二〇二〇年十二月六日の政治集会の報告記事が掲載された。それはあまりにも醜悪な「革マル派」指導部の姿を満天下に示した!

 

〔一〕 〝常盤登壇〟にすがった「革マル派」指導部


 常盤哲治を押し立てての、時ならぬ「第三次分裂の最終決着」の第一の軸は、次の点。
 ブクロ派について――「こうした行為をすべて隠蔽し擁護してきた天田・木崎・坂木らの旧政治局の指導部三人組は、いまや完全に吹き飛んだ。まさしくこのゆえに彼らの「9・6政治集会」では、議長・清水丈夫が壇上にひっぱりだされて、しどろもどろの「自己批判」をやらざるをえなくなったのだ。」
 では聞こう、常盤君。君はなぜ「12.6政治集会の壇上」に「ひっぱりだされた」のか。
 「……同志常盤哲治が特別報告のために演壇に立つ。たちまち会場から割れんばかりの拍手がまきおこり、鳴りやむことなくつづく。すぐに発言を開始することができない。……」――常盤哲治の登壇が、「革マル派」指導部にとって、まさに窮余の一策だったことが手に取るようにわかるというもの。
 2012年暮れに「○○の官僚主義」を理由として、〝失脚〟させていた常盤を、これほどまでに〝待望〟するとは!?「革マル派」指導部がいかに困り果てているかを自己暴露するものである!彼らはなぜここまで追い詰められているのか。
 いうまでもなくわが探究派は、『黒田寛一著作集』の刊行をもって、<革命的マルクス主義の党>から<黒田教団>への転落を画した「革マル派」指導部の所業を、間髪を入れず暴露した。今や、その指導部の権威失墜と組織の瓦解の進展は押しとどめることができない。このことを隠蔽するためにこそ、「第三次分裂」の〝英雄〟として、常盤を登壇させ、「革マル派」指導部が〝健在〟であることを必死で押し出そうとしたのである!いや、自分たちは「黒田寛一の後継者」たる党の正統な指導部である、ということを示したいがために、「常盤」に依拠したのである。だが、自らの内実をよく知っている彼らは、そんなことでどうにかなるものではないことを、一番よく知っている。だからこそ、破廉恥で鉄面皮な自己保身に走らざるをえないのである。

 

〔二〕 反「反革マル派」の集団ヒステリーの煽動


 常盤の社青同解放派についての言及を見よう。――「ブクロ派だけではない。われわれを『宗教集団』だと罵ってきた青解派もまた同様の最期をとげた。わが革命的左翼に対して低劣な悪罵を投げつけ組織暴露をこととする者どもは、おしなべて同様の運命を遂げるであろう!」
 いやはや、なんとも奇異な文章である!「革マル派」官僚のご多分に漏れず、常盤もヤキが回ったのか。青解派は、革マル派に対して『宗教集団』と言ってきたのか。彼らは伝統的には、革マル派のことを「宗派」「宗派主義」と言ってきたのではないか。わざわざ青解派の「悪罵」を「宗教集団」と表現するのは、「革マル派」指導部が夜も寝られないほど気になることを示しているのである。彼らは青解派をダシにして、わが探究派にたいする下部組織諸成員たちの敵愾心を煽り立て、わが探究派の思想的組織的闘いに対する防護柵を張り巡らせようとしているのである!「おしなべて」という言葉が実はそれを示している。
 常盤の欺瞞性をもっと露骨に示すのは、青解派にたいするおよそ現実離れした断罪である!青解派が革マル派にたいする「低劣な悪罵と組織暴露をこととする」、とは何たることか。そんなものでないことは青解派と闘ってきた者であれば、すぐわかることではないか。常盤よ、もう忘れたのか。青解派は、多くのわが同志たちをテロによって殺害し、あまつさえ国家権力内謀略グループの革マル派にたいする謀略テロルの追認をこそ「こととした」走狗集団であった。まさにこのゆえにわれわれはこの階級敵の根絶のために闘ったのではなかったのか!常盤がこのような惚けぶりをさらけ出してまで排撃しなければならない「組織暴露」とは、ほかならぬわが探究派による「革マル派」の変質の革命的暴露いがいのなにものでもない!一つの粉飾に熱中すると、他の事柄についての分別を失い、言ってはいけないことをつい口走ってしまう、というのは、ニセ革命家の常であろうが。
 およそ没理論的で政治的な反「反革マル派」のヒステリー的感情を煽り立てることしかできなくなったのが、「革マル派」指導部なのである。

 

〔三〕 思想闘争を拒否し、

   「政治の論理」に陥没した「革マル派」指導部


 わが探究派の同志松代の、現代中国論や反帝・反スタ世界戦略をめぐる「革マル派」指導部にたいする公然たる思想闘争の開始(2014年9月の『商品経済の廃絶』公刊)から既に6年、ブログやツィッター上での論戦、『コロナ危機との闘い』・『コロナ危機の超克』刊行を通じた「革マル派」指導部の腐敗の思想的組織論的批判の数々、これらの一切を黙殺し、何の反論もしなかった、いや反論したくても出来なかったのが、彼ら「革マル派」指導部である!彼らには自分たちが「革マル派」の指導部であるという〝事実〟以外に依るべきものがない。彼らは、反対派の闘いをひた隠しにし、外面的には「歯牙にもかけない」ふりをしつつ、内心では探究派の思想闘争を恐れ、怯えてきた。「革マル派」指導部が、今現に闘われている第四次分派闘争を隠蔽し、「指導部健在」の仮象をかもしだすためにこそ、かつて第三次分派闘争の先頭に立った常盤を引っ張り出したのだ、ということは、もはや明白であろう!
 彼らはわが探究派の革命的な思想闘争に怯えている。さりとて、公然と反論することも出来ない。「腐敗分子・脱落分子」のレッテルを貼って、抹殺することをのみ願望している。もしも反論するならば反論するほどに、彼らの変質と腐敗は露呈するのだからである。だから彼らは、わが探究派が探究派として既に二冊の書物を刊行して彼らに対する思想闘争を遂行していることも、ブログなどで公然と闘っていることをも、事実として確認することも、反撃することもできない。そのような袋小路でわが探究派にたいして昂じさせてきた逆恨みの憎悪をついに――青解派の類いの断罪という偽装的形態において――自己暴露したのである!それは彼らが、沈黙による乗り切りという当初の願望が破綻したことを自認したことを意味する。〝何とか先細りしてくれ〟と願った探究派がたくましい前進を遂げ、日本反スターリン主義運動を再創造する主体として社会的にも姿を現し、「革マル派」の腐敗を全面的に暴露しはじめたからである。(2020年7月9日にブログ上で、探究派結成を公然化するとともに、翌7月10日には、全国の書店で『コロナ危機との闘い』の販売を開始した。)
 もしも、彼らが同志黒田の思想を受けつぎ、反スターリン主義運動の前進のために邁進していると確信しているのであれば、わが探究派にたいして堂々と反論すればよいではないか。しかし、彼らにはそのような確信もなければ、革命的共産主義者としての矜持ももはやない。だからこそ、わが探究派との論争をいっさい拒否し、「自己絶対化」だの、「脱落・敵対」だのというレッテルを貼り付け、組織諸成員たちの敵愾心を煽り立てることしかできないのである。それは、一切の理論闘争ぬきの、「ヤツは敵だ!敵は殺せ!」の「政治の論理」にもとづくもの以外のなにものでもない。かつてのスターリンの粛清と選ぶところがないではないか!どこが「反スターリン主義運動」か!
 まさにこのような彼らの実態こそが、同志黒田を「世紀の巨人」に祭り上げ、彼に対する崇拝を最後の砦とする<黒田教団>への転換を彼らが行わざるをえなかった現実的基礎をなしているのである。

 「第四次分裂」を隠蔽するための「イソップの言葉」〔寓話 レーニンが自著『帝国主義論』の叙述をしてそのように喩えた、という故事になぞらえて表現した〕を吐かせ、組織成員たちをヒステリー化させるためにこそ「常盤哲治」は担ぎ出され利用されたのである!「今頃になって、第三次分裂の決着などというのは、第四次分裂を隠蔽するためのパフォーマンスに違いない」というわれわれの革命的直観はまさに的中した。
 しかし、このような小細工を続ければ続けるほど、彼らのマキャベリスト的な卑屈さ、〝神官〟化した彼らの革命的共産主義者とはおよそ無縁な主体的実態は下部組織成員たちのみならず、社会的にも露呈するであろう。
 そしてついに、一転して、最後に「司会」が述べたことに、真相と深層が透けて見える!「反スターリン主義運動から脱落し、わが革マル派に敵対した者どもには、無残な末路しか残されていない!」。そして「再び会場は割れんばかりの拍手」というのは、わが探究派にたいする敵愾心を煽り立てるという同政治集会の意味を再確認するものなのである。(ついでながら、司会者はわざわざ「吉川さんは、関西の学生戦線時代の私の指導部でありました。」などと口走ったという。お得意の心情に訴えるやり方ではあろうが、こういう行為を「組織暴露」というのではないのか。)

 

〔四〕 日本反スターリン主義運動を再創造するために 

    探究派ととも闘おう!


 「革マル派」官僚指導部よ、一言しておこう。――「反スターリン主義から脱落し」たのは、君たちである!
 同志黒田を先頭に、われわれが数多の犠牲をこえ、必死の思いで建設してきた革マル派を無残な姿にまで変質させてしまったのは、諸君たちである!
 もしも共産主義者としての矜持がヒトカケラでも残っているのであれば、ヤクザの脅しのようなことはやめ、「集団ヒステリー」的組織固めをやめ、正々堂々と論争したまえ!われわれはいつでも受けてたつ!
 わが探究派の同志たちにたいして、「革マル派」官僚指導部は「自己絶対化・自己過信」のレッテルを貼っていかにも腐敗しているかのように押し出している。だが、心ある仲間たちにわれわれは問う。わが探究派の同志たちの諸論文と主体的に対決してみよ。それが「腐敗分子」の筆になるものかどうかはすぐわかる。
 われわれは、絶えざる自己超出をモットーとする革命的共産主義者である。われわれは、自己の欠陥や誤謬・失敗が露呈することを恐れない。それをも絶えざる自己超出の糧として前進するのだからである。このことをわれわれは今日にいたる探究派建設に貫いてきたし、その思想闘争をプロレタリアートの前に公然と示しつつ前進してきた。「人間変革」を根底に据えたはずの革マル派の組織建設の過程で、痛苦なことに、自己に反対する者に「自己絶対化」「自己過信」の烙印をおして屈服を迫ったり、はては排除するようなやり方が発生したことも事実である。これは反スタ運動の内部において生み出された悪弊として、止揚さなければならない。「革マル派」官僚指導部が、わが同志たちに「自己絶対化・自己過信」の烙印を押すのであれば、その根拠を、示せるものなら示してみよ。われわれは臆することなく、論争する。
 今もなお、「革マル派」の内部で闘う同志たちよ。心ならずも、官僚指導部と袂をわかち、荊の小径を歩む仲間たちよ。諸君の逞しい精神に、痛ましくもあるその現実に、われわれは、日々、想いを馳せる。
 日本反スターリン主義運動を再創造するために、わが探究派とともに闘おう!
     (二〇二〇年一二月一一日 椿原清孝)