青恥・赤恥・頬かむり 第3回 22年間気が付かない鶴巻派の「赤恥」

2. 22年間気が付かない鶴巻派の「赤恥」

 「心のきれいな人」には見える「高貴な衣」

 さきに「これは KK  には深いお考えがあってのことに違いない」として KK  の誤りとは簡単には断定できなかった戸惑いのことをお話しました。では、そこをどうやって突破したのかということについて。
 すでに述べたように1975年以来22年間 KK  は「メタモルフォーゼ」との語を「メタボリズム」(新陳代謝)の意味でのみ使ってきました。「物質代謝」に「メタモルフォーゼ」とルビ(ふりがな)を振って誤用してきました。
 でもマルクスは(商品の)「姿態変換」をあらわす語としてこそ Metamophose を使っています。DK 1巻3章2節。(なお「Metamorphose」を「姿態変換」と訳すのは長谷部文雄訳=青木書店。向坂訳・岡崎次郎訳は「変態」、中山訳は「変身」ですが、私たちには「姿態変換」ないし「姿態転換」がおなじみですよね。)
 で、では逆にこの「姿態変換」に KK  はどうルビを振っているか調べてみました。
 あ、その前にちょっと気分転換。俳優の香川照之さんのお母さんも女優さんだということは有名ですよね。そう浜木綿子さん。きれいな方ですね。この浜木綿子さんの「木綿」だけを取り出して「もめん」とルビを振る人がいたら「ン!?」とびっくりされますよね。「浜木綿子と書いて、はまゆうこ と読むことを知りませんか?」と。
 前振りはこれぐらいでいいでしょう。閑話休題。では。これはどうでしょうか。
 KK  の『資本論入門』(こぶし書房 1989/6)のP190に、こうあります。
 「姿態(ゲシュタルト)転換」 と。
 「ン!?」となりましたか。
 そりゃたしかに「姿態」だけなら独語原語は Gestalt だが、「姿態転換」全体の独語原語は Metamorphose なのであって、これでは「浜木綿子」さんを「はまもめんこ」さんと読むようなもの。
 拍子抜けするようなドッチラケの真相は、KK  は「姿態変換(転換」)の独語での原語がMetamorphose であることを単にご存じないだけの話。だって DK 原本を「見た」ことはないのだから。べつに「深いお考えがあって」なんていうことではないのです。健常者には視覚障碍者の世界はよほど想像力をはせないと理解できない。ただぶら下がっているだけの「思考エコノミー」の不肖の弟子でいてはアカンということなのでしょう。
 ともあれ、ここを読んで私は「KK  のマチガイ」を確信し、即座にこぶし書房経由での「黒田さんへのお尋ね」と題した手紙を徹夜で書きました。『変革の哲学』英訳版たる『Praxiology』の6月刊行を目前にした1997年5月15日のことです。その顛末はまた別に。
 で、不肖の弟子どもの陥井についてもう少し。

 

心のきれいな人たち

 自分の頭で考え調べさえすればこんな私あたりにでもわかるような程度の間違いが『変革の哲学』1975年初版以来22年間も気づかれずに来たことを発見して私は「どうなっとるんだ」と愕然としたことは言うまでもありません。「KK  の言うことは誰も疑わん」というのはどういうオソロシイ組織だ、と。そういえばその少し前にも KK  の勅使たる男の言に組織のほぼ全体が集団催眠にかかって暴走したことがあったし、と。KK の権威の前にすがり頼り切って自分の頭で考えることを忘れ、目明きが開き目くらになってしまう「宗教的自己疎外」だ、と。
 以来その問題について亀の歩みながら考えてきました。私自身が、オカシイ、オカシイとは思いつつもなかなか「KK  のマチガイ」だとは断を下せなかった経験を先述しましたがやはり「KK  にはなにか深いお考えがあってのことでは」などと余計なことを考えてしまうのが大きいのかも知れませんね。心のきれいな人にしか見えないという高貴な衣が見えないのは自分の心が汚れているからではないか、いやそう思われてしまう、うかうかしたことを口走ったらみんなから指弾されてしまうかもしれない、和を以て貴しとなす、かしこまって大勢順応しているのが無難だ、と。カリスマにひれ伏して読者が「信者」になってしまうとき、鏡を失った著者は「教祖」に羽化登仙してしまいます。信者と教祖との弁証法、などといっている場合ではありません。実に情けないことではないでしょうか。これぞまさに赤恥そのもの。
 でも、言いたいことは、KK  にとっては青恥でも、弟子には赤恥、という単純な振り分けではありません。こういう不肖の弟子を生み出し、囲まれて、それで安住している KK  とは何者なのか。1998年に英語版で訂正して以来のその後の23年間がどういうものであったのか、そのことが今顕わになりつつあることをこそ直視しなければならないということです。そこを次に見て見ましょう。
       (2021年1月22日    唯圓)