同志加治川は一からやり直さなければならない

目次
第1章 「となる」の論理の観念論的解釈
 ――加治川「「となる」のマルクス的論理」(『はばたけ わが革命的左翼 下巻』所収)にみられるもの――
・ことの発端
・俺流の「規定性の転換」
・俺のハイマート
・「る」と「た」の恣意的な解釈、その結末
・理論領域とアプローチの無視、無自覚
・なぜマルクスに学ばないのか?
・コジツケ
・まじめに読んでいるのか?
・変革的実践の立場にたとう
・ベニヤ製作の自己流解釈
・空隙をかかえたままの主体
(以上、本稿)

第2章 「となる」のマルクス的論理を己のものとするために――黒田さんの部分的な混乱をこえて
・「社会の弁証法」マド43アステリスクへの疑問
・実践の存在論、およびカテゴリーの妥当論
(第2章は、次稿)

 


第1章 「となる」の論理の観念論的解釈
 ――加治川「「となる」のマルクス的論理」(『はばたけ わが革命的左翼 下巻』所収)にみられるもの――


  ことの発端

 『コロナ危機との闘い』松代編著の松代論文において、次のように述べられている。
 加治川はある投稿原稿で辺見庸散文詩にシンパシーをいだき、次のように書いた。
「この数百年、賃労働と資本の関係がこの社会のあることを支えていた。資本家は,自分が生き延びるためにその関係を壊し始めた。続いて、あらゆる人間のつながり関係の破壊の衝動が起こる。衝動は充満し決壊するかもしれない。<自己責任>を語るものを濁流にながせ。新しい社会をつくらなくては、私たちは生きられないのではないか。どういう社会をつくるか、意見を寄せ合って話すことから始めよう。」
 松代はこの加治川に対して次のように批判した。
「ここでは、「新しい社会」の導きだし方は、資本主義の自動崩壊論、賃金労働と資本の関係の資本家によるぶち壊し論になっているのである。ここにあるのは、<自己責任>を語るものへの反抗、すなわち既成の秩序への・あるいは・新自由主義イデオロギーへのアナーキーな反抗的心情だけである。これは、労働者階級が階級的に団結して、資本制生産関係をその根底から転覆する、ということはまったく出てこないものとなっているのである。労働者階級の意識として論じられるべきものが人間の意識にあたるものとして一般化され、客観的事態に突き動かされた衝動として取り扱われているのである。
 これでは、われわれがプロレタリア的主体性を確立し、これを対象的現実を変革する自己につらぬく、ということ、われわれが自己をプロレタリア的主体として・共産主義的人間として変革し確立していく、ということは決して出てこないのである。これは黒田寛一のプロレタリア的主体性論の公然たる否定である。われわれが、われわれの組織建設と党建設論につらぬくべきプロレタリア的主体性論の破壊である。」
 ここで松代が加治川を批判している問題は、わが探究派組織建設を、現革マル派官僚主義的変質をのりこえて実現してゆくためにわれわれすべてがみずからに貫くべき思想的=組織的核心問題である、と私はかんがえる。

 

  俺流の「規定性の転換」

 だが、加治川は、次のように反発した。
「まず、投稿主体「考える人」は、辺見にシンパシーをもつ「人」という設定です。私は、「辺見シンパの人」を装ったのです。私はいつも「七変化」しながらできるだけ読む人が興味をもってくれることを望んで書いているのです。批判された原稿も工夫して書いたものです。同志松代は上記のようなわたしの規定性の転換について、考えていなかったのではないかと思います」
 加治川はこのように松代からうけた批判を拒絶し、今なお、真摯に反省しようとしないのである。松代はつぎのように批判している。
「われわれが「規定性の転換」というのは、辺見シンパの人物を装う、というようなこととはその根底から異なるものである。自分が何らかのものとして設定したものになる、ということとは、その根底から異なる論理である。それを「…設定です」などと言うのは、すなわち、その「設定」を「規定性の転換」と同一視するのは、後者を、頭のなかでのあれこれの設定をすることにゆがめるものであり、観念論への転落である。」

 

  俺のハイマート

 このように観念論への転落である、とまで批判されてもなお、加治川は自己に危機感をもたない、自己が「七変化」し、意識を「設定したもの」にふさわしく工夫することを「規定性の転換」と言っても、それを自己の思想的、哲学的な危機だと感じていないように、私には思えるのである。これはなぜなのか、と私は強く疑問に思った。そして彼が、まだ、まじめに自己研鑽をつもうとしていたはずの時期に書いた論文のその表題の内容に「オヤッ」と私は危惧をもったのである。その表題とは、「「となる」のマルクス的論理」である。彼が一九九三年に書いたものである。この表題としてあらわされているのは、マルクスが『資本論』で駆使している唯物論的論理である。現実場において、物質的諸物が、特定の物質的諸関係に投げ込まれることによって、その諸物がその諸関係の一契機としてふさわしいものとなる、すなわちそのような規定性をうけとる、という論理である。だが、私は、今日の加治川が、なにやら主観的には自信をもって「七変化」なるものを規定性の転換だ、と言いくるめる姿を見せつけられ、もしや、この理論論文の内実自身が今日の彼の主張を正当化する役割を果たしているのではないか、と危惧をもちはじめたのである。私はこのような悪い予感をもちながら、当該論文を検討した。危惧は的中してしまった。

 

  「る」と「た」の恣意的解釈、その結末

 加治川は当該論文の二五二頁で、「C 「る」と「た」」と題して、『資本論』の展開と『社会観の探求』の展開とを比較解釈している。そして、この論述が論文全体の核心をなしているのである。だが、この解釈がまったく解釈主義的で不毛な追求なのである。いや、彼はこのような解釈主義的なことをおこなうことによって、むしろ彼自身が、マルクスの明らかにした論理をまったく理解できないことを自己暴露しているのである。だから、「る」と「た」の解釈をしたのならばむしろ、このことを加治川は自己がマルクスを曲解していること、はっきり言えば、自己流哲学が観念論でしかない、ということを、否定的に自覚する契機たらしめるべきであった。
 加治川は次のように言う
  「C 「る」と「た」
以下では『資本論』と『社会観の探求』(STと表記する)との文章表現上の比較検討をする。
(Ⅰ)「労働によって大地との直接的関連から引き離されるにすぎぬ一切の物は、天然に存在する労働対象である。」(『資本論』三三一頁)
(Ⅱ)「労働によって土地との直接的のつながりからきりはなされたにすぎないような一切のものは、天然資源であ」る(『社会観の探求』七七頁)
「労働対象がそれ自身すでにいわばそれ以前の労働によって、ろ過されているならば吾々はそれを原料と名づける」。つまりマルクスは労働対象がそれ以前の労働にろ過されているか否かによって「天然に存在する労働対象」と「原料」とを区別しているからである。STの筆者は「る」を「た」に改めた。この改訂は「一切の物(もの)」の性格をまるで異なるものにしている。(Ⅰ)の方は、労働によってろ過される以前のものであり、(Ⅱ)の方はろ過されたものである。マルクスは労働の洗礼を受けているか否かを基準として労働対象の性格を区別している。区別することを眼目としたマルクスの叙述を、STの著者は区別性を変更するために「た」に改めたのであろうか。「る」を「た」に変えざるをえなかったのはなぜか。」
 このように問題をたてている。ここまでを読めば、「る」と表現しているマルクスは「天然に存在する労働対象」を表現しているのであり、「た」に改めた黒田は「原料」を表現しているのだ、と加治川はとらえている、いうことになる。加治川が「この改訂は「一切の物(もの)」の性格をまるで異なるものにしている」と大仰に言っているが、その結論は、マルクスはその労働対象の性格を「天然に存在する労働対象」という性格として表現し、黒田は「原料」という性格を表現している、ということになる。
 けれども、加治川はそのように結論を出すことをなぜかやらない。やらないでおいて、驚くべき観念論的解釈をはじめるわけである。いやむしろ、彼の観念論的な哲学を投射し、色読するがゆえに、ここで、先のようには結論を出さないでいるのだ、と言ったほうが良い。
 付言しておくならば、加治川のここでのまとめは正確ではない。というのは、マルクスは「天然資源」という言葉は使っておらず、「天然に存在する労働対象」を問題にしているのである。すなわち、或る労働過程において労働対象となるものが、天然に存在するものなのか、それともそれ以前の労働によってろ過されたものなのか、ということを、マルクスは問題にしているのである。これにたいして、黒田は、「天然資源」という概念の規定をおこなっているのであり、天然資源と規定される物質的なものが、労働対象となっているのか、それともいまだ労働過程になげこまれていないのか、ということは問題にしていないのである。ここでは、これくらいのことをおさえておけばよい。加治川の、「となる」の論理の観念論的解釈をあばきだすためには、この問題にこれ以上踏みこむ必要はない。

 

  理論領域とアプローチの無視、無自覚

 加治川はどのように論をすすめているか。
 「ところで、紙の上にペンを媒介手段として対象化=表現される以前のもの、つまりマルクスの意識の場におけるO´としての「一切の物」は「労働によって大地との直接的関連から引き離される」と意味づけされた「物」である。労働者の働きかけをうけることになっている物という意味をもたされた「物」である。マルクスの意識の場に於いて労働対象となる可能性を与えられた「物」といっていい。しかし、このときのマルクスの意識にあるO´としての「一切の物」が妥当するところの実在する物はなおソコ存在する自然物にすぎない。なぜならO´としての「一切の物」は、意識の場において「天然に存在する労働対象」であると限定する概念作用をうけることによってはじめて、人間にとって生活諸手段となる実在的可能性をもつところの労働対象として措定されるのだからである」(二五三頁。原文で傍点を付されていた部分には下線を付した)
 加治川は、(Ⅰ)のマルクスの『資本論』の表現の「一切の物」(という概念が妥当するところの実在するもの)を「ソコ存在する自然物にすぎない」と言うのである。先に述べていた論脈からするならば(Ⅰ)の方は労働によってろ過される以前の物をさすのであるからして、また同時に、マルクスは、労働対象がそれ自身それ以前の労働によって、すでにろ過されている場合には、これを「原料」と名づける、と言っていることからするならば、「O´としての「一切の物」が妥当するところの実在する物」を、「原料」と規定される物質的なものではなく「天然に存在する労働対象」と規定される物質的なものである、と結論するべきであった。ところが、加治川は、そのように結論付けると、自分が述べたい自分流の解釈からして都合が悪いと思ったのであろうか、そのようには素直に結論づけないのである。これにとって替えて、彼は(Ⅰ)の表現があらわしている物質的基礎は「ソコ存在する自然物にすぎない」モノなのだ、と言うのである。

 

  なぜ、マルクスに学ばないのか?

 加治川は次のようにパラフレーズしている。
 マルクスの『資本論』の展開は①労働対象がそれ以前の労働によってろ過されている場合、これを「原料」と規定する、②労働対象がそれ以前の労働によってろ過されていない場合、これを「天然に存在する労働対象」と規定する。
 これは正しい。
 けれども、それにつづいて、次のように加治川は論じ始めるのである。
 (Ⅰ)で表現されているところの「る」についての解釈である。加治川はまず、「る」ということからすると、マルクスの意識の場におけるO´としての「一切の物」はいまだ、実際に労働によって大地との直接的関連から引き離されておらず、「引き離される」と意味づけされた「物」なのだ。つまり労働者の働きかけをうけることになっているもの、という意味をもたされた「物」である。なぜ「意味をもたされた物」とことさらに言うのかと言えば、「マルクスの意識の場において労働対象となる可能性を与えられた「物」といっていい」けれども、これは「しかし、このときのマルクスの意識にあるO´としての「一切の物」が妥当するところの実在する物はなおソコ存在する自然物にすぎない」からだ、というわけである。
 そして、次の加治川の結論が重要である。すなわち加治川は「なぜならO´としての「一切の物」は意識の場において「天然に存在する労働対象」であると限定する概念作用をうけることによってはじめて、人間にとって生活諸手段となる実在的可能性をもつところの労働対象として措定されるのだからだ」というわけである。つまり、マルクスが意識場において「労働によって大地との直接的関連から引き離される」と規定するだけでは、このようにマルクスが意識した段階では、いまだ、マルクスの認識対象である実在的なものは「ソコ存在する自然物」であり、「マルクスの意識場において労働対象となる可能性を与えられたものにすぎず」いまだ労働対象ではない、というわけである、ではこのたんなる「ソコ存在する自然物」はどのように労働対象となるのか、というと、マルクスの「意識の場において「天然に存在する労働対象」であると限定する概念作用をうけることによってはじめて、人間とって生活諸手段となる実在的可能性をもつところの労働対象」となる、と言うのである。これはもはや、観念論である。
 マルクスの頭のなかの「一切のもの」は、概念作用によって、頭のなかの労働対象となる、というのだからである。すべては、頭のなかでの出来事なのだからである。いや、加治川が「労働対象として措定される」というばあいには、この「措定」が観念的措定であるのか、物質的措定であるのか、ということが、混然一体となっているのである。すなわち、労働対象となる、ということが、頭のなかでの出来事なのか、それとも現実の出来事なのか、ということが、加治川には、自分自身でも、わけのわからないものとなっているのである。
 もしも、この「措定」を観念的措定と理解するならば、加治川は、マルクスの「となる」の論理を意識場の論理として解釈しているのであり、論述する加治川は、最後の最後まで頭のなかのことがらの解釈から一歩も出なかった、ということになる。もしも、この「措定」を物質的措定と理解するならば、加治川は、意識場の対象面は、主観の概念作用によって、意識場から現実場に飛び出し、物質的なものとなる、と解釈していることになる。いずれにしても、加治川は観念論なのであり、ヘーゲル主義なのである。

 

  コジツケ

 観念論である、と批判すれば、それまでだが、加治川が主観的に考えていることを、解析しておくと、どうも次のように考えている、というか、コジツケているのである。自己流の観念作用論である。
 「労働によって大地との直接的関連から引き離されるにすぎない一切の物」とマルクスのように表現すると、これはいまだこの「一切の物」は「労働によって大地との直接的関連から引き離される」と存在論的に想定されているにすぎず、いまだ「引き離されていない」のだから、これは「労働対象として措定」されていない。このようにマルクスの意識の場で存在論的に意味づけ(?)されたにすぎないソコ存在する自然物、現実の労働過程のうちにあるのではなく、「外にあってマルクスにより可能的労働対象として存在論的に規定されるようなたんなる自然物」、これはマルクスの「意識の場において「天然に存在する労働対象である」と限定する概念作用をうけることによってはじめて実在的可能性をもつところの労働対象として措定される」のである、と加治川は言うのである。
 これはまったく不可解な解釈なのであるが、加治川の主観においては、どうも前者は〝存在論的で形式的可能性としての労働対象の措定〟であり、後者が〝人間にとって生活諸手段となる実在的可能性をもつところの労働対象としての措定〟である、というような区別だてがなされているようである。もはや屋上屋を重ねる観念的解釈である。しかし、加治川は、意識場において、主観が、物質的対象を労働対象である、と規定する、この規定によってその物質的対象が「労働対象となる」と考えていることははっきりしている。これを、「となる」のマルクス的論理を観念論的に曲解したものである、と私は言うのである。

 

  まじめに読んでいるのか?

 加治川はこのような混乱したコジツケをする前に、『資本論』の次の叙述を読むべきであった。
 「採取産業、すなわち採鉱・狩猟・漁撈など(農耕は、それが最初に処女地そのものを開墾する限りでのみ)のように自己の労働対象を天然に見いだす産業を除外すれば、すべての産業部門は原料たる――すなわち労働によってろ過された労働対象たる、それ自身すでに労働生産物たる――対象を取り扱う」
 加治川は、(Ⅰ)で、マルクスがここでのべているような採取労働過程に投げ込まれてある自然物ということ、この物質的基礎をなす現実場を、そのようなものとして理解することができないのである。マルクスは「労働によって大地との直接的関連から引き離されるに過ぎない一切の物」と論じている対象をなす場とは、採取労働過程という物質的労働過程の場なのである。現実場にかんする存在論的論理、これを唯物論的に論じているのである。
 労働過程論において、マルクスが、「となる」の論理として論じているのは、自然物などの実体的な物質的諸物は、労働過程という物質的過程に投げ込まれることによって、その諸実体となるのであり、労働対象や労働手段、そして労働力となる、という論理なのである。黒田は「もろもろの自然力、動物力(畜力)、機械力などの個別的生産諸力、労働力などは、それ自体としてはすべて生産力の諸要素ではないとしても、これらが労働過程に投げ込まれる限りにおいて、すべて生産力の諸実体へ転化される」(『現代唯物論の探究』一六四頁)と論じている。このような論理の理論領域とアプローチは、労働すなわち実践を存在論として展開しそのようなものとしてアプローチしているものである。マルクスが『資本論』第五章で展開しているこのような労働過程論の理論の対象領域および理論的アプローチについて無視、ないしは無自覚なままに、加治川は自己流の観念論的な〝意識場の概念作用の存在論〟によって無手勝流の解釈をしているだけなのである。
 冒頭に述べたように加治川は、松代から観念論への転落であると厳しく批判されたにもかかわらず、意識の内で「辺見シンパの考える人」と設定し、そのように装うことを、「私の規定性の転換です」と考えており、堂々と反論したうえに、いまだに反省しようともしない。私の危惧は、加治川がかつて革マル派として私もともに闘っていた時からあった。『「となる」のマルクス的論理』は黒田さんに評価されたんだ、と、彼が何か大切なものをふところであっためるかのように頂いていると私には見え、一抹の危惧を私は抱いてはいた。私は、彼にとっての精神のハイマートともいうべき、この論文の内実が、じつのところ、マルクスが『資本論』で駆使している唯物論的論理を自己流に曲解した代物ではないか、「となる」のマルクス的論理、と加治川が考え文章化した内実は、いま加治川が言う「意識内で「考えるおじさん」という設定をし」、そのようなものとなるということと、理論的に同一性にあるのではないか、と危惧をいだいたわけである。それが的中してしまった。
 加治川は松代の批判を鏡として自らを反省すべきなのである。松代は言っている。
「物質的な場において活動するわれわれは、この場から物質的に規定されるのであり、このことに規定されて、実践主体であるわれわれの規定性が転換するのである。意識的に活動する物質的主体であるわれわれは、場から規定されてあるおのれを自覚し、場において在り場によってうけとるおのれの規定性の一つを自覚的に選びとり、場の分析に立脚して自己を二重化、三重化して活動するのである。」(『コロナ危機との闘い』二四七頁)
 ここで論じられている「規定性の転換」の論理、その理論領域は、『資本論』の「となる」の論理とはもちろん同一ではない。前者の運動=組織論において主体がみずからの規定性を転換する、という場合の主体とは、わが組織(=諸成員)であり、意識的に活動する物質的主体なのだからである。けれども、それは、マルクスが労働過程論において論じた実践の存在論のレベルにおいて明らかにされていること、この論理を基礎として解明されているのである。物質的諸物が労働過程の場になげこまれ、物質的諸関係をとりむすぶことによって、その場から物質的な規定性をうけとる、という論理が基礎となるのである。だからして、加治川が、さきに私が批判したように、自然諸力が労働過程において労働対象となる、という論理を、ただ、意識場において、「労働対象であると限定する概念作用をうけることによってはじめて」自然諸力が「労働対象として措定される」というものとして、つまり概念作用論として解釈し理論化しているのをみると、やはり今日、加治川が反省的立場にさえ立たない場合に、この論文の観念論的論述が、彼が自己を理論的に正当化している屁理屈として意義をもっている、と言わざるをえないのである。

 

  変革的実践の立場にたとう
 
 深刻なのは、その結果、加治川の自己流の行動理論は、〝現実場からの被限定を無視した自己意識による振る舞い理論〟でしかなくなってしまったことである。しかも、そういう質でしかない自己意識の変化のやり方論を「規定性の転換」であると思い込み、「労働組合論的解明」だ(これも、組織実践の解明、というより、せいぜい自己の組合運動家としての行動の基準でしかない)と、考えてきたことにある。マルクスが『資本論』を、「となる」の唯物論的論理を駆使しつつ展開していることを、これを労働過程に即して加治川は解釈したのである。しかし、すでにみたように彼は、マルクスの意識場なるものを設定して・これを対象的に勝手に解釈し、意識の対象面を「労働対象となる」と規定する概念的作用によって自然諸力が労働対象となるのだ、という観念論的な解釈論を開陳した。いったい、なぜ、このような解釈をしてしまうのか。思いつきであるとか、自己流であるとか、と直接的な根拠を言うことはできる。しかし、今日の加治川の姿をみるならば、そういう直接的問題に切り縮めることはできないのではないか、と私は考える。いったい、マルクスが『資本論』の労働過程論において何をなんのためにあきらかにしたのであるか。これを加治川はどう考えようとしていたのか、という問題を私は問わないではいられないのである。
 「となる」の論理に限ってみても、なぜマルクスは、自然的諸力や労働力が労働過程になげこまれることによって、その物質的諸関係をとりむすぶことによって、その諸契機となり労働対象、労働手段、そして労働力となる、と論じたのか。マルクスは労働過程を「人間生活の永遠的な自然条件」として本質的に規定した。つまりそれは、人間社会を根源的に成り立たせている物質的生産過程としての社会史的過程の根源的な基礎課程(『社会の弁証法』)なのである。こうした労働過程がしかし、生産関係が資本制生産関係という歴史的に規定された社会的諸関係となることによって、いかなるものとなるのか。労働過程は資本の労働過程となる。この直接的生産過程になげこまれることによって、労働力(労働者だ)は資本の定有となるのであり、可変資本となるのであって、それは、人間の顔をした資本の一契機へと疎外されるのである。この過程においては、労働力はただ、外的合目的性に規定されるのであり、資本によって規制され統制されつつ、価値を創造する限りにおいてのみ社会的意味をもつにすぎないまでに疎外されるのである。これが感性的には、ただ労働が苦痛として、精神を侵されるまで精神的・肉体的諸能力をそぎ取られる、というように現れているのである。これが、直接的な労働の感性的なありようなのである。こうしたことは、加治川がじっさいに身体的に自己に刻み込んできたのではないのか。    
 こうしてただ、この資本主義社会が、労働過程が資本の生産力として現象する社会であること、ここに実存する己=賃労働者が、自己を労働力商品として自覚し、この賃金奴隷となるところの、その物質的諸関係、生産諸関係を変革し、生産手段を己が奪い取り、そうして共同体的所有にもとづく、共同体的生産を実現する、このようにおのれが労働者階級として階級的に自覚し階級闘争にたちあがる、そのようなプロレタリアのプロレタリアートとしての自覚の内容が対象化されたものとして『資本論』は意義をもつのである。そのようなものとしてうけとめて初めて、『資本論』を学ぶことになるのではないか。これが「現実的な学」としての『資本論』の真髄だ、と私はうけとめている。
 ではいったい、そのような思弁と理論的体系化をマルクスがなしえたのはなぜか。労働過程を「となる」の論理を駆使して思弁している、その裏面には、こうして労働過程が資本の現実形態として現存していることを否定=変革することによって、「人間生活の永遠的な自然条件」すなわち人間社会を成り立たせている根源的基礎過程を、ゾレンとして実現する、この本質論的解明と、それを実現するのだ、というマルクスの立場と意志があるのであり、この立場と意志が彼をその内側からつき動かしているからなのである。何のための本質論なのか。そうしたマルクスの変革的立場によって、労働過程論も「となる」の論理も初めてその解明が可能となったのだ。このことへの直観や共感を加治川は何らもっていないのである。だから、マルクスの意識場なるものの驚くべき解釈をしていられるのだ。反スタ・マルクス主義者たらんとする者としては、破綻なのである。加治川がおよそ、そのようなことに思いをはせることもないままに、マルクスの「意識の場」なるものを設定し、これを対象的に結果解釈しているのである。これは、まったくもって、マルクスの論理の改ざんもはなはだしい。観念的解釈である、と批判してすむものではないのである。

 

  ベニヤ製作の自己流解釈

 加治川は、ベニヤ製造にたずさわっていた時に己の労働を解釈し何と言っていたか。「私にとって機械に装てんされた丸太が労働対象となる。工場の資材置き場に野ざらしにされたぶつ切り丸太は私の労働対象ではない。」などと解釈して平然としていた。べニア製造労働過程に投げ込まれてあることによって、野ざらしの資材であろうと、個別的な工程にある段階製品であろうと、すべて労働対象となるのである。そしてあなたは労働力となる、いやあなただけではなく労働組織の担い手の仲間のすべてが労働力「となる」のである。これはあたりまえだろう。俺がさわっている、ただその工程にあるものが俺の労働対象となる、これがマルクスの論理だ、と言って何になる? これはおのれのブルジョア・アトミズム的立場から『資本論』を解釈しているものでしかない。これは、己の私的節穴からマルクスの意識場を覗き見るような解釈でしかない。このような解釈におちいるのは、直接には加治川が『資本論』が本質論的抽象のレベルで展開されている、ということを理解できない、ということにもとづいている。しかし、つまるところ、自己の孤立的自己の質をのりこえてプロレタリア的な自覚を獲得しつつ、労働のただなかで対質する、こうした思索とはかけ離れた質の頭のまわし方を彼がしていることに、それはもとづくのである。いったい、加治川よ、なぜあなたは労働者として過酷な労働現場に身を置き、自己の変革をめざそうとしたのか? 何が変革の課題であり、それをどう実現するために労働したのか。同志からの批判を鏡として自己をふりかえり自己脱皮するように努力したのか? この論文を検討し、今の加治川のありようを見るかぎり、そのような努力をしたようには私には思えないのである。コロナ感染拡大と資本家による危機のりきりのために労働者が解雇されている、辺見がこの労働者をみて資本家を念頭に置きながら「ざまあ見やがれ、まだまだこれからだ」などとほざいている。この辺見に共感するおのれとは何か。それを批判されるや、辺見シンパのおじさんというのは私が装っただけであって、それは「私の規定性の転換であり、松代はそれを理解しなかったのではないですか」と言う。こういう主張をすることに駆使されている加治川の理論の源泉は何か。加治川論文のエセ理論は、今日、彼が「七変化している」というヘーゲル的なのりうつり疎外を「私の規定性の転換」である、というように正当化することを理論的に許したという意義をもつのである。加治川論文はすべてが誤りである。


 
 空隙をかかえたままの主体
 
 存在として賃金労働者となり働くだけでは、けっしてわれわれは反スターリン主義者となることはできないのである。加治川はベニヤ製作の労働者となり、一体なにを自己変革の課題としてみずからに課していたのか。己は反スタ主義者たらんとするために、露呈したどのような限界を、いかに克服するべきであると、自己に課してきたのか。みずからが、なおブルジョア・アトミズム的で孤立的個という地金を未変革なままでいることを何ら省察しないままに、マルクスを学習しても何の意味もないのである。いやむしろ害毒であったのである。労働しながら、「となる」の論理を解釈したものが、これまで私がのべてきたように、マルクスの実践的立場や唯物論的理論を何ら顧みることもなく、観念論へとおとしめるようなものであったのであり、これがおのれなのである。自己の限界を見つめ他の同志を鏡として己をふりかえる、まさしく同志という組織的関係をとりむすんでいる他者を鏡として、この組織的関係に規定されてあるみずからを反省するのである。加治川が、物質的な・同志という他者を鏡とすること、すなわち、同志に規定されている、いや組織的関係をとりむすんでいる、というこの物質的でかつ意識的で能動的な・おのれの規定性を無視し、ただ、自己の意識場において、俺は俺である、と主観が概念的な作用をしていればマルクス主義者となる、というのではないのである。加治川は、こうした自己流の観念的解釈を、「がんばった」と指導者から肯定されたというように錯覚したのではないか。自己変革を投げ捨て、自己に空隙をのこしたままに、没主体的に精神のハイマートを護持することは、金輪際やめるべきである。加治川は一からやりなおさなければならない。
           (二〇二〇年八月一四日 桑名 正雄)