加治川の「桑名論文批判」の質の悪さ

 加治川の『認識論探究ノート』に「Ⅳ 黒田寛一『社会の弁証法』天然資源の規定について(探究派論文批判)」が掲載された。この論文の「はじめに」はつぎのように始まる。
 「桑名正雄は同志加治川は一からやり直さなければならないというタイトルの文章を2020年8月16日の探究派ブログに載せた。そして、黒田さんの一論述への疑問をつけ加えて「マルクスとなるの論理をわがものとするためにコロナ危機の超克所収——以下超克と略す)と改題しておおやけにした。この論文で桑名は1993年に加治川が書いた「『となるマルクス的論理黒田寛一社会の弁証法を論難することを通して社会の弁証法につらぬかれているとなるマルクス的論理を破壊した。」
 つまり加治川はこの論文で桑名論文を批判するというのである。では、この論文で加治川はどのように批判を展開しているのか、と私は期待した。すると、まず最初は「労働するなかで考えた」という記述からはじまるのである。「1990年当時、加治川は合板製造工場で働いていた。」とはじまり、ながながとその経験談が語られている。だが、加治川は、桑名論文を批判するというのであれば、次のことを批判しなければならないのである。桑名論文で、私は、加治川をこう批判した。「となる」のマルクス的論理を観念論的に解釈している、それが加治川の根本的な理論的・思想的な錯誤である、と。だから、このことを加治川はどう受けとめるのかを論じなければならない。桑名論文を批判するというのならば、この核心問題を批判しなければならないのである。この一点でよいのである。しかし、加治川は、それをしないし、できないのである。このことが、この論文の特徴である。


 桑名論文の核心は『超克』134頁の展開である。
 「マルクスの頭の中の一切のものは、概念作用によって、頭の中の労働対象となる、というのだからである。すべては、頭の中での出来事なのだからである。いや、加治川が労働対象として措定されるというばあいには、この措定が観念的措定であるのか、物質的措定であるのか、ということが、混然一体となっているのである。すなわち、労働対象となる、ということが、頭の中での出来事なのか、それとも現実の出来事なのか、ということが、加治川には自分自身でも、わけのわからないものとなっているのである。
 もしも、この措定を観念的措定と理解するならば、加治川は、マルクスとなるの論理を意識場の論理として解釈しているのであり、論述する加治川は、最後の最後まで、頭のなかのことがらの解釈から一歩も出なかった、ということになる。もしも、この措定を物質的措定と理解するならば、加治川は意識場の対象面は、主観の概念作用によって、意識場から現実場に飛び出し、物質的なものとなる、と解釈していることになる。いずれにしても、加治川は観念論なのであり、ヘーゲル主義なのである。」
 私は、このように批判したのである。桑名論文で加治川を批判した核心はうえのことなのである。


 加治川は2019年3月に辺見庸に思想的に感化され、おかしくなった。同志から批判されて、加治川は、反省するのではなく、「規定性の転換なのだ、俺はただ、辺見を装っただけなのだ」と自己弁明した。これは、弁明のようでもあり、じっさいに加治川がそのように思考しているというものでもあった。だから加治川が「規定性の転換」と考えていることそれ自体の観念性を批判するとともに、そういうように彼が基礎づけていることの根底にある、理論的で、思想的な根拠を、私は剔出したのである。その批判の俎上に載せたのが、加治川の「となるマルクス的論理」(はばたけ 革命的左翼!下巻所収 以降はばたけと略す)という論文である。その中の核心部分を批判したのが『コロナ危機の超克』の134頁の展開なのである。
 だから加治川は、この桑名論文への反批判をするのであれば、この134頁の展開で批判されていることにたいして反論しなければならない。その一点でよいのである。だが、加治川は桑名論文批判で、冒頭から、論点をそこにすえることなくズラしている。桑名論文の「三 黒田さんの一論述への疑問」にたいする反発と反論に、論文のほぼすべてを費やしている。これは、あいもかわらぬ加治川の政治主義的手法ともいえる。

  そのようにしたうえで、最後から4頁前になって、ほんのわずか、次のようにふれているのである。142頁に〔補注〕をもうけてつぎのように言っている。

 〔補注〕(認識論探究ノート142頁)において、加治川はどうごまかしているのか、これを暴く。

  加治川は、「桑名論文の第一章の誤りについて簡単に触れておく」、と語りながら次のように言う。
 「桑名の加治川批判にかんしては、加治川がマルクスの労働対象の叙述を認識論的にとらえかえしたものと加治川の「『となるマルクス的論理の展開とを二重うつしにしている、といっておけばここでは十分であるが、ひとこという。」…a
 「マルクス労働によって大地との直接的関連から引き離されるにすぎぬ一切の物は天然に存在する労働対象であると規定した。客観的実在Oとして意義をもつマルクスの意識においてあるO´としての一切の物はいわば……引き離されるにすぎぬという形容句で外的に意味を与えられているところの無規定のである。この無規定のO´としての一切の物に、天然に存在する労働対象であると限定する概念規定があたえられているのである。O´の物質的基礎としての一切の物は労働過程の場におかれているということが明確ではないからなのだ。」…b
 加治川が「ひとこという」などとして、自己の『はばたけ』の補足をするかのような物言いをしているわけだが、これが姑息なごまかしの手口である。は、『はばたけ』の論述を微妙に改変しているからである。
 『はばたけ』では、つぎのように加治川は論じていた。
 「このとき【引き離されるにすぎぬ一切の物マルクスが叙述したとき】のマルクスの意識にあるO´としての一切の物が妥当するところの実在する物はなおソコ存在する自然物にすぎない」、と。つまり、「る」と展開するのでは「一切の物」の物質的基礎は「ソコ存在する自然物」なのだ、と加治川は断定していた。加治川は、なぜそう断定するのかの根拠を論じるために、マルクスの意識場なるものを設定し、その意識場なるものの解釈を、こねくり回していたのである。「一切の物は意識の場において、天然に存在する労働対象であると限定する概念作用をうけることによってはじめて」「労働対象として、措定されるのだからである」というようにである。これは、「一切の物」の物質的基礎を、労働対象となっているものではなく、「ソコ存在する自然物」であると断定しうる根拠を論じるためであった。そこで、加治川は次のように論じているのだからだ。マルクスの意識場の「一切の物」が労働対象として措定されるのは、マルクスが意識場において、それは「天然に存在する労働対象である」と概念で規定することによってはじめて、そうなる。だからして、そのマルクスの意識場の「一切の物」の妥当する物質的基礎そのものは、「労働対象として措定され」ておらず、労働過程の場におかれていないのだ。このように加治川は、『資本論』の叙述の物質的基礎を、なんとしても「ソコ存在する自然物」だ、とみなさなければならなかったわけなのである。それは、「る」を「た」に黒田さんが変えた理由を加治川が自己流に解釈したものを、とにもかくにも正当化する、ただ、そのためだけにである。
 ところが、加治川はつぎのように〔補注〕で、こっそり改変している。マルクスの意識場の「一切の物」は「無規定の」であり、この「一切の物」の物質的基礎は「労働過程の場におかれているということが明確ではない」、と。『はばたけ』で加治川はこの『一切の物』の物質的基礎は「ソコ存在する自然物」だ、と断定していたのではなかったか。だが、加治川は「ひとこと」言うと称して、このような改変をほどこし、そうすることによって、「一切の物」の物質的基礎が、労働過程の場になげこまれている、とも、投げこまれていない、すなわち「ソコ存在する自然物である」とも、判断しなくてよいようにしというわけである。『はばたけ』の論述をこっそりとひっこめた、のである。
 なぜ、加治川はそうしたのか。そもそも、加治川は、マルクスの言う『一切の物』は労働過程の場にはない、というようにマルクスに難癖をつけたので、では、現実場において労働過程におかれていない、ソコ存在する自然物を、どのようにマルクスは「労働対象として、措定」するのか、そのことを根拠づける必要があったわけである。その必要に迫られてその根拠づけをやったら、桑名に、それはヘーゲル主義だ、観念論だ、とコテンパンにやっつけられてしまったのである。そこで、加治川は、その根拠を論じることをやらないでもすむようにしたかった、ということなのである。つまり、そういう根拠を論じる必要がうみだされる前提それ自体を、こっそりとひっこめた、というわけなのである。こうして、加治川は、aをみればわかるとおり、桑名論文にたいしては、あれはマルクスの叙述を認識論的にとらえたものであり、それを私(=加治川)の主張と二重写しにして批判しているのは的外れだ、と、あたかも、『はばたけ』の展開は問題ない、と護持しているようにみせかけ、ただ、「ひとこと」補足するというような形をとる。ところが、その「ひとこと」の内実は、桑名論文で批判された核心の部分を、改変するものなのである。こうしたなしくずし的なやり口が、このような小さく〔補注〕を設けたことのからくりなのである。

   ところで、加治川は『ノート』130頁で、桑名論文で批判されたことを念頭において、すこしばかり、弁明的なことを書いている。引用する。
 「なぜなら、O´としての一切の物は、意識の場において天然に存在する労働対象であると限定する概念作用をうけることによってはじめて、人間にとって生活諸手段となる実在的可能性をもつところの労働対象として措定されるのだからであるここはマルクスの意識場にかんして論じているのである」。(下線は引用者による)
 そうすると、桑名論文で批判したように、加治川は、この「措定」は、マルクスが意識場で観念的に措定した、ということになる。すなわち、加治川は、マルクスの「となる」の論理を、意識場の論理として解釈しているのであり、論述する加治川は、最後の最後まで、頭のなかのことからの解釈から一歩もでなかった、ということなのである。どうやら、加治川は、マルクスの意識場においてその対象面が主観による概念作用によって、観念的に労働対象として措定される、と解釈する限り、何も問題はない、と考えているらしい。意識場で対象が「労働対象として措定される」というように解釈していられるのは、なぜか。加治川は、マルクスの叙述が「る」となっているのはおかしい、と、難癖をつけたいがために、現実場と無関係に意識場でその対象面が労働対象として措定される、と解釈してしまった、ということなのである。だが、そもそも、物質的な対象である何かが労働対象となる、という論理は、現実場において物質的な対象が労働過程に投げこまれることによって、それ独自の規定性をうけとる、という論理であり、実践の存在論なのである。どうやら加治川は、実践主体が認識主体として何かを労働対象として概念規定する論理であるかのように考えているフシがある。だが、それは、「となる」の論理とは、理論の対象領域もアプローチも異なるのである。だが、たとえ、このように加治川が理解しているのだとしても、この加治川の解釈は対象を概念的に規定する、とさえなってはいない。対象となるものは、たんなる自然物であり、それを概念的に規定したものが「労働対象である」となってしまうのだから。そもそも加治川は物質的対象(一切の物)は、労働対象となっていない、たんなる自然物だ、と『資本論』の当該箇所を言うのであるから。だから、もはや、加治川がマルクスに難癖をつけることによって、思わず自分の観念論的な本性を露呈してしまった、という以外にないのである。

   加治川がこうなるのは、マルクスが物質的対象を分析したのだ、というこの出発点を彼が欠落させているからである。同時に実践主体であるところの認識主体たるわれわれと、われわれが分析する対象たる物質的現実という、主客の物質的=認識論的な関係をぬきにして、意識場なるものをアプリオリに設定し、これを解釈していることが、加治川がヘーゲル主義=観念論におちいる最深の根拠なのである。
 マルクスが物質的対象を分析して、「それは天然に存在する労働対象である」と規定したのだから、その物質的対象は、労働主体がそれに働きかけ、いままさに大地から引き離そうとしている物質的なものであることは明らかなのである。それは、いままさに餌に食いつこうとしている魚なのであり、いままさにつるはしがうちおろされる石炭層なのである。マルクスは、この臨場感を「労働によって大地との直接的関連から引離される」(『資本論』第一巻、青木書店版、長谷部文雄訳、331頁——下線は引用者)と表現したのだ、と私は考えるのである。

   加治川は、ただ、「る」と「た」の違いなるものを、マルクスの展開の脈絡とも黒田さんの論述の脈絡とも無関係に自己流に解釈し、その解釈論が『はばたけ』に掲載されたということをもって、理論的に認められた、と思いこみハイマートとしているだけの俗物となった。桑名論文によって、この自己流解釈が、ただ、マルクスに難癖をつけようとして、自らのヘーゲル主義的、観念論的な錯誤を露呈させたものである、ということを批判されたのであった。にもかかわらず、加治川は、真面目に反省しない。すでにあきらかにしたように、加治川は、自己の論述をこっそりと改変し、なしくずし的にごまかすことにうつつを抜かしている。反省しない者はこうなるのである。
          (二〇二二年七月七日 桑名正雄)