内部思想闘争の現実を打開するための論議について

 私は、二人の同志のあいだでの思想闘争がうまくいっていない、と思い、これを打開するための文章を書いた。この文章をめぐって先輩同志から指摘をうけて論議した。この論議をとおして私がつかみとったものを、ここにまとめたい、と思う。

 私が最初に書いた文章は次のものであった。


 「二人の同志のあいだでおこなわれた思想闘争は、内部思想闘争としてうまく成立していない、と私は思う。
 私がそれぞれの文章を読んで思ったことは、議論がかみ合っていないということだ。双方が、相手が何を言おうとしているのか、相手が自分の何について言っているのか、そもそも自分は何を言ったのか、ということの分析や把握がうまくできてないと感じた。分析や把握がうまくできていないままのやりとりだからか、双方が、自分の言いたいことを相手にぶつけるような、つまり言い合いのようになっていた。これは思想闘争とは言えないと思う。
 私は、なぜこうなってしまうのか、こうなってしまったのか、という問題をわれわれの内部でどう論議したらよいのか、よくわからなかった。わからないけれども、この問題を全メンバーで論議し克服しなければならないと強く感じていた。これは、私を含め各メンバーが少なからず、革マル派組織にいたときに培ってしまった、頭の回し方や他者への接し方、自己を守ろうとする考え方などが影響しているのではないか、と私は感じていたからである。この問題については、われわれ全員で考え、自己を変革しなければならない、と考える。
 二人の同志の相互批判が言い合いのようなやりとりになったのは、相手の分析・把握がうまくできていないからだ、と私は思うのだが、それは己自身のことを分析・把握できていない、つまり自分が何を考えて何を言ったのかという己の実践をふりかえり分析・把握することができていないからだろう、と私は考えていた。己の実践を分析するために、己の実践を含む現実そのものを否定的に肯定して把握することができていないのではないか、と思う。己の実践を含む現実そのものの確定ができないために、つまり、主体と客体のあいだでくりひろげてきた己のどういう実践によってつくりだした現実なのか、ということをこの己が具体的に再生産することがうまくできていないのではないか、と感じる。
 己自身の実践の具体的な中身、何を言ったのか、何を考えたのか、何をしたのか、それによって現実をどうつくりかえてきたのか、というこの現実をこの己がふりかえって把握できなければ、相手を分析し把握することはできない、と思う。相手の発言や行動などは、この己が実践したことによってつくりだしてきたものなのであるからして、この己の実践をふりかえらなければ相手を掴むことはできない。この意味で言うと、相手を分析し把握するということは、己が己の実践を分析し把握することである、と思う。主体と客体の弁証法やわれわれの実践論を適用して実践するわれわれは、相手の発言や行動を、己の実践と切り離したところで、それだけをとりだして分析し把握することをしないのである。
 「革マル派」中央官僚派組織を革命的に解体し、新たな労働者党を建設するというわれわれの目的を実現するための実践として、このような党組織建設のための内部思想闘争の問題を積極的に組織的に克服していくために私自身も全力で実践していく決意である。」


 上記の私の書いた文章をめぐって組織的に論議した。その論議で先輩同志からいくつか指摘を受けた。それについて次に書いていく。


 「己の実践を分析するために、己の実践を含む現実そのものを否定的に肯定して把握することができていないのではと思う」という文について先輩同志と論議をして、「否定するために肯定的に把握する」という表現が適切であることがはっきりした。私はこのあたりの表現について、昔の論議を紹介してもらったことを聞いてなんとなく覚えていたことを文章にしたため、間違った表現をしていた。先輩同志と論議して、私が言いたかったことは「己の実践を分析するときに、己の実践を含む現実そのものを否定するために肯定的に把握することができていないのではと思う」ということであることがはっきりした。
 しかし、この一文の展開自体がそもそもあまりよくない、ということが論議の中で指摘された。この一文を変えて、次のような文にしたほうがよい、と先輩同志が提起した。「われわれは、己の実践を含む現実そのものを、これを否定する=変革するという実践的立場にたって把握するのだ、ということを掴みとっていないのではないかと思う」、と。先輩同志は、私が当初書いた文章にあるように、「肯定的に」と表現すると「あるがままに」というニュアンスが出てくる、と指摘した。これは、加藤正の、分析主体の立場をあいまいにした「あるがままに」のようになってしまう、とのことであった。今日的には「肯定的に把握する」という表現は使わない、と先輩同志は指摘した。こういう表現をしていたのは1960年代までのようだ。それは、情勢分析と方針の関係の把握を深めてきたことによって、「肯定的に把握する」という表現を使わなくなったのではないか、という先輩同志の指摘であった。このように情勢分析と方針についても話になったのだが、先輩同志は私に、わかりやすく次のことも話した。「方針」は、現実を否定するために出すもの(現実を否定するためのわれわれの実践の指針)であり、「分析」は、否定するための方針を出すために現実そのものを分析するということである、ということだ。私はこの話を聞いて、恥ずかしながらいまさら「方針」「分析」についてはっきりさせることができた。このことをふまえてさらに先輩同志が次のことも話した。「否定するために肯定的に把握する」という表現の「否定するため」は変革するため、ということであり、「変革するために肯定的に把握する」ということは、つまり実践的立場にたって、ということである、と先輩同志は明らかにした。
 先輩同志によるこれらの指摘を聞いて私は、私が当初言いたかった「現実そのものを否定するために肯定的に把握する」という表現では、たしかに「あるがままに」というニュアンスが出てしまい、変革するというわれわれの意志がぼやけてしまうと思った。また、私が言いたかったことを先輩同志が提起したように「われわれは、己の実践を含む現実そのものを、これを否定する=変革するという実践的立場にたって把握するのだ」と表現したほうが、よりわれわれが己自身も含む現実を変革するのだ、という意志も明確になり、そもそもなぜわれわれがこの現実を分析するのか、という目的も明確になると感じた。
 先輩同志は次の私の一文についても指摘した。「主体と客体のあいだでくりひろげてきた己のどういう実践によってつくりだした現実なのか、ということをこの己が具体的に再生産することがうまくできていないのではないか、と感じる」という文章だ。この私の文章について先輩同志は、「主体と客体のあいだでくりひろげてきた、というように書いているがこれだと自分の目の前で主体と客体がやっている実践を眺めているような印象を受ける。対象的=存在論的な把握になっている」と指摘した。この先輩同志の指摘にたいして私は「この文章を書いているときに私もそう感じながら書いた。しかしなぜこう書いたかというと、この言い方のほうが自分のイメージしていることを言い表せていると思ったから。組合運動場面でも、同僚の組合役員などは、私に報告をしゃべってくれる時に、過去の己の言ったことといましゃべりながら己が思ったことをごちゃまぜにして話をする。私はそれを聞きながら過去に言ったことはどれで、いま彼が思ったことはどれなのかを区別しながら聞いている。ということから、表現はよくないが、テープレコーダーやビデオのように過去に自分が何を言ったのか、何を実践したのか、という過去の実践そのものを把握すること、つまり再生産できないことが問題なのではないか、と感じている。内部思想闘争がうまく成立していないこともこういうことがあるのではないか、と感じている。だから対象的な表現になるがそう書いた」、と話した。
 先輩同志は、私の意図を把握して、そのうえで次のことを指摘した。われわれの実践は、相手を変革するための実践であり、その実践でどうなったのか、それとの関係で己の実践を把握・分析するのだ、ということだ、と。先輩同志の指摘を受けて、私が当初考えていたような、主体が己の過去の実践・現実そのものを、(悪いイメージだが)ビデオのようにふりかえって把握することができないことが問題なのではないか、という問題ではなく、相手や現実を変革するために己がやった実践を、己の目の前にいる相手が己の実践によってどうなったのか、これとの関係で己をふりかえり分析・把握することが問題なのだ、ということが明確になった。だからこの論議をするまでは、内部思想闘争がうまく成立していない現実を目の当たりにした私は、上記のような私の当初の問題意識から、これらの解決方法として、双方の間に入って紙と鉛筆を使って、○○さん、あなたはこう言いました、□□さん、あなたはこう言いました、と対象化しながら自分の言ったこと・実践を把握してもらうようなやり方をしたほうがいいのではないか、とも考えていた。まさに、このような解決方法も、この問題を対象的な把握の問題として感じていた私の考えがにじみ出ている、と思う。


 私が当初考えていた問題やその解決法では、内部思想闘争がうまく成立していないという問題を止揚することはできなかっただろうし、私自身がこの二人の仲間それぞれの立場に我が身をうつしいれて、己のみぞおちから相手に矢印を出して考える、というようにせず、論議の対象的=存在論的な把握が問題であるとする、自分自身が実践的立場にたっていない・問題の受けとめをしたままであった、と思う。
 今回の論議では以上のような、私自身の内部思想闘争の問題へのアプローチの問題やそれにはらまれている私の問題点をつかみとることができた。私は、これを教訓とし糧としたい、と思う。
  (2024年1月2日 真弓海斗)

労働者の階級的組織化のための一考察 (その2)

3.袋小路で……

 とはいえ、条件の面から見ればそれは自明ですらある。なんとなれば、彼のような労働者としての当然の感覚を活かすべき方途が、彼にとっては存在してこなかったからこそ、なのだ。
 彼のこれまでの労働者としての経験のなかでは、同様の、いやそれ以上の理不尽な処遇を受けることが多々あったに違いない。彼はどのようにそのような状況をくぐりぬけてきたのだろうか。彼自身が、あるいは彼と同じ条件におかれた他の労働者が会社=資本にたいして異議を唱えたこともしばしばあったに違いない。だがその異議は、よほどの好条件にささえられないかぎり、実現されることはない。現存する労働法規によって保障されている権利の実現でさえそうである。
 今日の日本の労働者階級と資本家階級との力関係のもとで、一般に、企業に雇用されている従業員の一人として、労働者が管理者にたいして会社・資本のやり方についての不満ないし異議を公然と唱えるならば、彼はたちどころに強い風圧にさらされることになる。おそらく石松さんもこれまでの労働者としての人生のなかで、会社にたいして不満を噴出させ攻撃にさらされたメンバーをしばしば見てきたであろうし、追いつめられて辞めていく労働者の姿をも多々見てきたはずである。このような体験は彼に、異議を唱えることが〝危険〟なことであり、労働者としての生活の破綻につながりかねない、という個人としての処世訓のようなものを残すことになる。このような処世の術を身につけてない労働者のふるまいに、彼はむしろ警戒心をもつことになる。そのような労働者は、彼の目には世間知らずの未熟ものにさえ見えてくる。
 資本にたいする労働者の個別的な反抗をささえる社会的=法的仕組みとしては、労働基準法があり労働基準監督署がある。しかし、たとえ労働者が労基署に相談ないし申告しても、賃金未払いのようなよほどのことでないかぎり、そして明白な証拠がないかぎり、監督官は動かない。身分を曝して相談・申告するというリスクをおかしても、効果を得られないことも多いのである。(会社経営者に、「労基署に行くぞ!」などと啖呵を切る猛者も中にはいるが。しかし、そのようなメンバーには、実は何らかの特別な条件があることが普通である。)一般に、労基署に提出された企業の就業規則のなかに明白な労働基準法違反となるようなことが含まれていても、現実に大きな問題が生起しないかぎり滅多なことでは労基署は動かないのである。このような労基署の対応は、労働者階級と資本家階級との今日的な力関係を反映しているのである。労基署への相談・申告であれ、労働審判の申立であれ、労働者にとっては相手方企業から報復されることへの覚悟、だから場合によっては自ら退社する覚悟がないとほとんど出来ないことなのだ。
 もちろん当該企業に労働組合が存在し、組合執行部が組合員たる労働者たちの不満等を集約し、労働法に依拠してであれ、労働者的権利意識にもとづいてであれ、会社=資本にたいして要求を打ち出す、というような条件がある場合には、不満をもつ労働者も孤立することはない。不満をどのように解決するのか、という問いは活きたものとなる。しかし、労働組合の組織率は低下を続け、2023年の調査では16%台、しかも労働組合の大部分は、大企業の御用組合である。そのような労働組合すら存在しないという条件のもとで働く圧倒的多数の労働者が外部の地域的な労働組合に個別に加入して会社と闘うこともある。そのような例が、この会社にも複数回あったようだ。だが、その結果は惨めなものとなったと言われる。労働者にはそういう行為が危険なことであるという経験知と諦めが残っていく。思想的に反労組的な考えをもってはいなくても、労働組合に近づくことじたいが、危険なこととして観念されるということにさえなってしまうのである。
 若い労働者の多くは、労働運動の匂いすら嗅いだことがない。それはそれで労働運動とは縁遠いものである。しかし、かつてそれなりに労働運動に加わった経験のある年配の労働者の多くは、労働運動の敗北と衰退を何らかのかたちで体験しているし、挫折を味わっているだろう。その場合には、労働運動への失望感はより深くなってしまう。

 

4. 労働者階級のど真ん中で闘おう!

 正当な労働者的直観・義憤をもちながらも、それが活かされることなく、経験的に獲得した労働者個人としての処世訓のようなものが、労働者としての労働・生活を営むことそのものを通じて固定化され、規範的に内面化されてしまうのである。それは労働者自身が、資本家が労働者を搾取するためにつくりだした規範を――あくどい抑圧と弾圧を通じて――内面化させられ、それをモラルとして受けいれさせられる、ということにほかならない。それは「資本の創世記」、いわゆる「根源的蓄積過程」において、資本が「血と火」によって労働者を過酷な賃金労働に馴化させたことの場所的=現在的再生産を意味する。
 このようにして労働者は、資本家に思想的にからめとられ、己の階級的規範を形成することができなくなってしまうのである。長期にわたり資本の軛のもとで呻吟してきた労働者の固定化した規範意識をうち破ることは至難の業ではある。
 だがまさにこのような疎外をうち破り、労働者の思想的=階級的自覚を深め、団結を強化することそのものがわれわれ共産主義者に問われている。労働者の多くが資本家的モラルに囚われているとしても、それは思想的にブルジョア化しているということを意味しない。外的強制によってはめ込まれた〝ギプス〟のようなものであって、労働者が労働者であるかぎり、石松さんについて見たように、労働現場で、また労働者としての社会生活の場面で、理不尽な思いを味わい続けることは避けられない。賃金労働者が働く場に〝無風地帯〟などありはしない。そこには、いわば〝純粋無垢〟な労働者もいないし、ブルジョアイデオロギーに完全に汚染された労働者もそうはいない。ほとんどの労働者は、ブルジョア的規範に縛られながらも、その内面にはたえず歪んだ規範意識に亀裂をもたらす義憤が湧き起こり、階級的現実への叛逆の萌芽が宿ることは必然なのである。われわれ=共産主義者の働きかけを通じて、彼らの階級的意識が高まり、労働者としての精神的背骨が形成されるにつれ、〝ギプス〟は〝見えない鎖〟として自覚され廃棄される。それに代わって、仲間たちと団結して労働者階級としての利害を守り、貫徹しようとする労働者的規範意識が形成されうるのである。

 いま述べてきたことは、労働者の階級的団結の創造に関して、その可能根拠を私のわずかな体験をふりかえり、考察したものにすぎない。

 プロレタリアの革命的前衛たらんとするわれわれ共産主義者は、おのれ自身の内面の省察とたえざる自己研鑽を主体的根拠として、ともに働く労働者として、仲間たちと叛逆の萌芽を共有するとともに、彼らの階級的団結の中心とならなければならない。同志たちのなかには様々な闘いをつうじて既に一定の組織的基盤を構築しえたうえにさらなる前進をはかる同志もいれば、労働運動の影すら見当たらない職場で、それこそ一人〝ポツン〟と実存し、苦闘を続け、闘いを一つ一つ教訓化して前進している同志もいる。私もその一人として、仲間たちの闘いに学び、教訓を組織的に共有して前進したい。

 われわれは、労働者階級の階級的組織化のために、その時々の諸問題をめぐって彼らに成長を促す思想闘争の指針を解明するとともに、組織活動の指針を組織論的にも解明するのでなければならない。このかんの階級闘争論の深化のための、組織的討議に踏まえつつ。

 そして、仲間たちへの思想的成長を促すかかわりの端緒は、理論の注入や、説教のごときものではなく、やはり〝苦難の共有〟そのものだろうと思う。

 (二〇二三年一二月一〇日  遠賀川 清)

 

労働者の階級的組織化のための一考察(その1)

1.管理者のような口をきく…?
2.ヤッパリ労働者は労働者!(以上、本日)
3.袋小路で…
4.労働者階級のど真ん中で闘おう!

 

1.管理者のような口をきく‥?

 およそ一年前、私は職場で石松さんという労働者と出会った。再雇用で働く彼は実直な労働者である。私と同じ作業チームの準リーダー的存在であり、年齢的にも、仕事のキャリアでも私の先輩にあたる。仕事ぶりはまじめで、職人気質。仕事に誇りをもっていることが窺える。
 たまたまシフトが重なり、着替えている時間に、彼は新入りの私に、勤務時間などについて教えてくれた。――始業は9:00であるが、8:45には工場に入り、作業服に着替え、〝宝船〟などと称されるキャスター付きの工具入れを各人が整え、収納場所から自分の使う地点に移動・配置したうえでタイムカードを打刻する。(決められた労働者は、機械の電源を入れておく。)このようにすれば9:00からの朝礼後に、従業員たちはすぐさま配置について作業を開始することができる、ということである。またここでの従業員の労働時間の計算は「15分単位」であり、端数は切り捨てられる。タイムカードの打刻(「出勤」)のタイミングは、8:46から8:59のあいだであること。――このようなことは工場長から既に聞いていたことではあるが、石松さんはキチンと説明してくれた。とは言っても、その内容は労働基準法にさえ抵触する、会社に都合のよいことばかりである。

 そもそも9:00始業ということなのに8:45までに出勤せよ、ということは法律的には違法なのである。いや、8:45に出勤せよ、というなら8:45から時給を支払わなければならないのである。感染症対策のための検温・私服から会社貸与の作業服への着替え・工具セットの配置等はすべて管理者の指示にもとづいて業務として行われているのだから、8:45から労働時間としてカウントされなければならない。労働時間の計算は、「1分刻み」でなければならないことは厚生労働省の役人が国会でも明言していることである。(ただし、月毎などでの累積時間の計算においては、端数の切り捨ても可とされている。)
 同様のことは終業時にも行われる。作業終了のベルが鳴ったらすぐタイムカードを打刻(「退勤」)して、その後に伝票等の整理、工具セットを収納場所への移動、そして私服への着替え。
 実にケチで細かい不条理なやり方ではあるが、この程度の小企業ではこのようなセコイやり方で〝タダ働き〟させる分がよほど貴重なのであろう。低賃金の下層労働者にとっては、実に悔しいことではある。
 とくに日本労働運動が力を失って以降、このようなことが一般化・常態化しているのである。

 本題にもどろう。石松さんは、得々と、とまではいかないが、先のような〝規則〟を淡々と説明してくれた。新入りに対する口上としては、そんなものだろうな、と思った私は、お礼までは言わないが、「そうですか、わかりました」と応えた。内心では、管理者のような口をきくなぁ、と思ったものである。

 

2.労働者はヤッパリ労働者!

 しかし、ほどなく彼の口上とは異なる心のうちを知ることとなった。
 あるとき、会社から駅までの路上、私が「9:00からしかカネを払わないのに、8:45から出ろ、というのはどうもね。実際、8:45から出ないと回らないようになってるしね。8:45からくれよな。」と言ってみたところ、彼は「汚ねぇんだよ!」と、吐き捨てるように言った。不満を言う私を諫めているわけではない。彼の言葉には怒りがこもっている。私は驚いた!彼は自分が私に説明したような内容で得心しているわけではなかったのだ。彼は「15分単位」が不当であることも知っていた。「そうでないところが増えてるけどな。」とも言った。
 彼が異議を述べることは、すべて社会常識的に見て不誠実なやり方であるとともに、既存の労働法に照らしても違法であり、不当だというかぎりのことであるとはいえ、彼の感覚は労働者的であると言える。だが、そのような即自的感覚をもちながらも、彼は私に会社のキマリを上のように説明した。どうにもならないもの、と観念しているからなのだ。そうであるかぎり、彼の説明はむしろ〝親切〟であると言える。この職場でこれから一緒に働いていこうと思えば、当然のことになる。会社のキマリに従わない以上は、この会社で働いて喰っていくことはできないことになるからだ。

 〝大丈夫だよ〟とは

 そして後日、彼の感覚・内面を推察するうえで重要な発言があった。
 私が実につまらない問題で、工場長にイチャモンをつけられた日のこと、私は彼にそのことを話した。すると彼の返答は「大丈夫だよ」というものであった。私は工場長のイチャモンの理不尽さにたいする憤懣を表現したのだった。彼にも共有してもらいたいと思ってである。ところが彼は「大丈夫だよ」と言う。そうか、彼は私が工場長に睨まれることを気にして怖れていると思ったのだ、と気がついた。上司とのもめごとがあった時に一番先に気にするのが、そういうことなのだ。彼は上司(つまるところは経営者)との関係においてそれほど精神が萎縮しているのだ!
 彼はわりとデリケートで気配りができる人である。問題があるなぁ、ということがあっても、彼は「そういうことはわれわれが言わない方がいい。○○さんに言ってもらおう。」という調子である。また彼は私にたいして、他の労働者・同僚についてボヤくことが多いのだが、こと上司や会社そのものについては異なる。私が色々と問題を提起すれば反応はするし、その反応の鋭さに驚かされることもある。しかし、私とのあいだでさえ自分から何ごとかを表明することはほとんどない。

 彼は、きわめて一般的な労働者類型に属すると言えるだろう。彼の正当な労働者的直観はなぜ向自化されず、己の労働・生活に貫かれる規範にまで高まらないのだろうか。なぜ彼の感覚・義憤は活かされないのか。そこに問題がある。

二〇二三年一二月一〇日(遠賀川 清)

ミラノ国際会議報告集、そして「革マル派」の虚言について一言

 先日の投稿でお知らせしたように、イタリアの同志たちによって編集・発行された小冊子が、われわれのもとに届いた。これは、今年七月にイタリア・ミラノ市内で開催された国際会議「帝国主義的世界秩序の危機とプロレタリアートの対応」の報告集である。この中には、世界各地の26団体が討論のために事前提出した論文と、会場で提案された集会アピール文が収録されている。これに関して「革マル派」中央官僚が『解放』2793号の中で嘘八百を並べ立てている。会議に出席した者として、ここで一言述べておきたい。

 その前に、前置きをひとつ。「革マル派」官僚は、ロッタ・コムニスタが第61回「国際反戦集会」に寄せたメッセージの掲載を可能な限り遅らせた。すなわち8月の集会に届けられたものを、11月になってようやく紙面に上げたのである。われわれがいち早く紹介したように、そこでイタリアの同志たちは「革マル派」が民族主義に転落していることを暴き出し、それでもなお同志的に、懇切丁寧にそのことを批判した。一見もっともらしく「共産主義者は常に必ず、虐げられた労働者・人民とともに在りともにたたかわなければならない」などと言って、実はウクライナブルジョア国家と西側の帝国主義陣営を応援しているのが、「革マル派」である。これに対してロッタ・コムニスタは、「労働者が守らなければならないのはただ自身の階級のみであり、労働者が国家の境界線を守ってはならない」のだと喝破した。「革マル派」官僚にとってこの批判はどうにも都合が悪い。だから彼らは昨年、ロッタ・コムニスタからのメッセージを「(中略)」の格好で切り刻んで文意を変えることによって対処した。だがこの隠蔽策をわれわれによって暴露されたからには、今年は同じ手口を使えない。そこで今年は、指導部内部で長いこと鳩首凝議した末、『解放』編集局の注記をそえる形でロッタ・コムニスタの文章をしぶしぶ載せることにした、というわけである。そこで書かれていることが、嘘ばかりなのだ。


 その虚言は、次の箇所につめこまれている。

 「…〈プーチンの戦争〉にかんするロッタ・コムニスタの主張のひどさは際だっている。実際、彼らは七月の十五・十六日にミラノで国際主義者の会議なるものを開催し、この会議の報告集を後日世界に配布するとしていたのであるが、彼らの主張は多くの参加者からの囂々たる批判にさらされた。彼らが起草した集会アピール案には参加者二十六団体中十団体が反対を投じ、報告集の発行もまた「こんなものを世界に配るのは恥ずかしい」との声が湧き上がったためオジャンになったという」(『解放』2793号、4面)。

「解放」2793号(2023年11月6日付)4面より

 お前たちはミラノに来てもいないくせに、よくも見たようなことを言えるな!
 官僚たちは一度も公表していないが、彼らもまたこのミラノでの会議のために論文を寄せていた。「革マル派」の文章もまた、わが探究派の論文とともに、この会議の報告集にしっかりと掲載されているのだ(われわれが執筆した英文の日本語版は、松代秀樹・春木良編『国際主義の貫徹』(プラズマ出版)に所収)。彼らは本来、国際部の誰かをミラノに送り込んで、“左翼はウクライナ国家の防衛戦争を支持せよ”とでも演説するつもりだったのではなかろうか。しかし今年六月中旬、会議報告集の初校が出た時点で、彼らはすくみ上がったにちがいない。なぜならこの報告集を見れば、ゼレンスキーの戦争を応援しているのは「革マル派」のみであること、そしてこの「革マル派」の祖国防衛主義を真正面から批判するわが探究派が参加することもまた、すぐにわかるからだ。会議の実行委員会の中心にいるロッタ・コムニスタが日本の党派間関係をよく調べた上で、「革マル派」とわが探究派との両方をあえて招待した、ということも容易に推察できただろう。われわれは、かの御用学者が来るのか、それとももうひとりの男が来るのか、イデオロギー闘争を楽しみにミラノで待ち構えていたのだが、残念なことに「革マル派」は引きこもって出てこなかった。外では論争する勇気もないくせに、彼らは日本語の『解放』となれば、ロッタ・コムニスタを「プーチンの擁護者」だとでっち上げて罵倒する(2796号)。今や公然と「労働者には祖国がある」と主張し始めた笹山登美子=ささやまとみこ=笹ヤマト巫女こと民族主義のシャーマンよ!

君ら「革マル派」のような連中のことを世間では内弁慶、いやコタツ弁慶と言うのだ。


 嘘のひとつひとつについても点検しておこう。
 ロッタ・コムニスタの主張が「多くの参加者からの囂々たる非難にさらされた」、などということはない。第四インター・マンデル派系が、「ウクライナ人民の民族自決権」を否定することはできない、と述べたものの、各組織の代表者として会場に来ていた者の全員が、ゼレンスキー政権をブルジョアジーの政府として認識し、西側帝国主義による軍事支援に反対していた。国際主義者が民族自決権の要求を掲げるべきではないというロッタ・コムニスタの主張は、真剣に検討されていたのであり、誰も「非難」などしなかった。
 「彼らが起草した集会アピール案には参加者二十六団体中十団体が反対を投じ」た、などということはない。論文集に寄稿したのは26団体で、アピール案に署名した団体は16、だから10団体が「反対」したなどと子供じみた計算をするのがそもそもおかしい。『解放』編集局のメンバーは、論文だけを寄せてミラノ現地には来場しなかった自分たちをも図々しく「26」の中に入れているようだ。しかも彼らは、このアピールが会場で挙手あるいは投票によって採択されたのだと思い描いているらしい。しかし実際には、アピール案が壇上で読み上げられた後、賛同する団体代表者はそれぞれ個別に実行委員会担当者のもとに行って、所定の用紙に署名したのである。署名しなかった組織は、アピール案に「反対」したから署名しなかったのではない。その理由は様々であり、例えば代表者だけの判断でこのようなアピール文に組織として名を連ねることはできないだとかの形式的な理由もあれば、そもそも今回の会議では意見の食い違いが大きすぎて統一見解を作り上げることに反対だ、などの意見もあった。いずれにせよ、ロッタ・コムニスタの主張に賛成できないから「反対」したという人間はいない。
 最後に、「報告集の発行もまた「こんなものを世界に配るのは恥ずかしい」との声が湧き上がったためオジャンになった」などということはない。おそらくは早稲田鶴巻町にも配達されたであろうこの報告集の存在それ自体が、「革マル派」の虚言に対する反証である。まさか笹ヤマト巫女とて、この本が「仮象実在(シャイン)」だなどと強弁する心臓は持ち合わせていまい。


 以上、全く下らない嘘八百に対して私が逐一対応してきたのは、「革マル派」のくびきの下にある下部組織成員諸君に、その指導部の実態を知ってもらうためである。読者諸兄姉におかれては、わが探究派の論文、「革マル派」の駄文、ロッタ・コムニスタおよび他の左翼諸潮流の言説を比較し検討していただきたい。報告集のPDFファイルは、実行委員会の開設したホームページ(https://www.internationalistbulletin.com)にて自分のメールアドレスを入力しダウンロードのボタンを押せば、誰でも入手できる。

(2023年12月3日 春木良)

私の職場闘争の総括——夕食会での私の立ち振る舞いについて

 職場の労働者仲間たちでの「夕食会」を私が呼びかけておこなった。自分が実践したこのことの総括を、教訓としてまとめたい。


 この夕食会での私の立ち振る舞いについて、組織会議で先輩の同志から批判された。
「この夕食会であなたがこの場をこわすような行動をとったことをどうとらえているか?」と。
 こう問われて、私は自分がやったことをふりかえった。
 私が呼びかけて成立した夕食会であるにもかかわらず、自分の強引な立ち振る舞いによって参加者にヒヤ~とした空隙をつくってしまった。私とともにたたかってきた職場の仲間の一人は、あとで、「ヒヤヒヤしました」と言った。
 その場は、別の労働者が、「彼〔この夕食会に参加したアクの強い労働者〕がどう言うかは彼の自由。止められない。」と私を諭し、私が「相手〔この場にはいない職場の労働者〕に悪態をつくのでなく中身の話を」と主張していることをうけて、中身の話へともっていってくれたのだった。それを、先輩の同志は「この労働者は「彼が言うのは止められない」とあなたを批判したのであり、あなたの強引な行動を止めたことを意味するのだから、えらいと思う」と言った。何を言ってもよい雰囲気の場になっている中で、私はそのアクの強い労働者にたいして立ち向かおうとしているのだが、相手の攻撃的な態度に負けじと取った私の態度は、自己防衛的であり、恫喝的なものであった、と思う。
 また、先輩の同志から、「このやり方だと参加者に自分につくのかアクの強い労働者につくのかと問うことになり、極めてまずい、信頼されなくなる」と批判された。さらに「これでは、あなたが、参加している若い人たちに親分子分の関係をもとめていくことになってしまい、アクの強い労働者のどこにどのような問題性があるのかということを若い人たちが自覚することができないようにしてしまって彼らを変革することができない」と批判された。こう批判されて、私は思いだした。春闘の際に、少し上の管理者にたいして、脅すようなことを言ったときの自分と重なった。これは、対応不能になり相手にハッタリをかけるという私の弱い面である。先輩の同志から、「相手がくせのある労働者であっても、その懐に入る必要がある、自分ができないことも訓練してやっていけばよい、自分を中身的にも人間的にも強くつくっていくと考えればよい」と言われた。自分自身「大人げなかったなぁ。失敗だよな。」と感じ「反省しなくちゃ」と思ったのだが、それ以上深めることができないままであった。組織会議での論議をつうじて、相手との関係のつくりかたやイデオロギー闘争のしかたの問題として反省を深めていかなければならない、と思った。
 また、先輩同志から「このような夕食会と、いっしょにたたかってきたメンバーたちとの論議とを重層的にやっていくのがよい」と指摘された。今回はいろいろと広がってしまったから「交流を」となしくずし的におこなったのであったが、私が呼びかける夕食会を定期的に位置づけて本音トークができる場をつくっていくことも大事だと今は思えるようになった。
 さらに指摘されたことは、今後の指針にかかわることであり、アクの強い労働者が悪態をついた相手の労働者にどうかかわっていくかである。この労働者は何かあるとすぐに現場管理者に相談に行くのであるが、現場管理者のもとに直行するのでなく、私たち現場で働く労働者に相談して考えていけるようにどうやったらできるだろうか。とても難しいことである。しかし、具体的なところでかかわりを変えていくことからはじまると思うので、一つひとつの言動を注視して、まずは私のかかわりを変えていきたいと思っている。
   (2023年11月20日  不知火幹)

国際会議「帝国主義的世界秩序の危機とプロレタリアートの対応」の報告集など――ミラノから届きました。

Appeal from the meeting of the internationalist forces

   15-16 July,2023

 

  今年の7月15~16日、イタリアのミラノで開催された国際会議の報告集が、124頁にわたる冊子におさめられて、探究派に送られてきました。

 他に

Inter Nationalism No,57

Lotta comunista 638

の最新号が同封されています。

 詳しくは、今後紹介していきます。

 

 

 

          

イスラエル・ネタニヤフ政権による軍事攻撃反対! パレスチナ人民虐殺を許すな!

全ての労働者・人民は一切の民族主義的・宗派的分断を越え、同じ被支配階級としての国際的団結を創造しよう!パレスチナイスラエル全域でのプロレタリア的解放のために共に闘おう!

 

(1)
 ガザ地区に侵攻しているイスラエル国防軍(IDF)は、11月15日未明、ハマス軍事拠点が隠されていると見立てたアル・シファ病院の内部へと突入した。
 ここで勤務する医療スタッフはその一週間前から、凄惨きわまる現実を伝えていた——「ここは病院の4階ですが、スナイパーがいます。4人の患者が院内で撃たれました」、「病院を出た人の中には、南部を目指す人もいます。そのような家族が爆撃に遭っています」、「シファ病院では今日の朝から、電気も水も食べ物もありません。私たちは限界です」。これは「国境なき医師団」所属の外科医、ムハンマド・オベイド氏の証言である。数千人が避難してきたこの病院には、少なくとも約600人の入院患者がいて、40の早産児が保育器の中にいたとされる。イスラエルが電力供給を遮断したために、保育器も人工呼吸器も機能停止した。その結果、すでに13日時点で新生児6人が死亡、15日には集中治療室(ICU)で治療を受けていた63人の患者のうち43人が酸素欠乏で死亡した(17日、病院側は「大半が死亡した」と発表)。イスラエル軍による制圧後、たった1時間に限って現地視察を許可されたWHOのチームは、80人以上が病院敷地内に埋葬されたことを確認している(11月18日)。現時点で、イスラエルの地上軍侵攻により殺された人々の数は1万4千人をはるかに超える。
 病院に対する攻撃は、ブルジョア国際法の次元でも認められていない戦争犯罪である。世界各地で多くの労働者・市民が非難の声を上げているのは当然のこと、アメリカ帝国主義の政府当局者でさえ、病院が標的になっていること自体には懸念を示した。そこでイスラエル軍は保身のために、病院内部で発見したというハマスの武器やバイク、「戦闘指揮所」なるものを動画で公開した。だが、そこに映されているのは、MRI検査機器の裏に隠されたカラシニコフ小銃だとか、「防弾ベスト数着、手投げ弾3個、CD数枚、拳銃1丁、ノートパソコン1台、リュックサック1個、ナイフ数本」でしかない(BBCの報道による)。イスラエル国内のメディアでさえ、「18時間以上捜索したのに、ハマスがいたことを示す証拠としては期待をはるかに下回る」と嘆くほどなのだ(『エルサレム・ポスト』紙)。イスラエル軍は19日になってようやく、ハマスの「地下トンネル」「司令部」なるものの映像を公開したが、その非人道的攻撃は如何なる理由によっても正当化されるものではない。
 とはいえ、ネタニヤフ政権にとって攻撃のための口実は何でも良かったのだ。彼らの狙いは、ハマスを殲滅してイスラエル南部の安全を確保することだけではない。ともかくも地上軍の重火器でもってガザ全体を廃墟にして、この場所でパレスチナの人々がそもそも生活できないようにすることが、彼らの目指すところなのである。まさしくナチスばりのこの野望を露呈させたのが、ガザ住民全員をエジプト領のシナイ半島に移送させるというイスラエル諜報省の文書「政策文書:ガザの民間人口の政治的方針の選択肢」であった(イスラエルのウェブサイト『シチャ・メコミット』(Sicha Mekomit)が入手して10月30日に公表)。
 イスラエル政府は近年、対パレスチナ政策として、ヨルダン河西岸地区とガザ地区とを切り離すことに重点を置いてきたと言われている。すなわち、エルサレムベツレヘム死海のような宗教的聖地が多くあり、ユダヤ人入植地も広範囲に確立された前者については、幾重にもわたる分離壁で住民の移動を妨げて徹底的な管理下に置く一方、小規模農業以外には目立った産業もないガザ地区については、これを専ら「天井のない監獄」にするというやり方である。こうしておけば、ハマスガザ地区の中に封じ込めておくことができるばかりでなく、両地区のパレスチナ人を日常的に難民状態へと陥れておき、必要な時には彼らを出稼ぎ労働者として搾取することができた——これまでは。しかし今回、ハマスによる10月7日の大規模攻撃が、状況を一変させた。慢心してきたイスラエル政府は事ここに至って、ハマスのみならずパレスチナ人全体をガザ地区から根こそぎ一掃することを企てている。シナイ半島への強制連行計画は頓挫したものの、パレスチナ人を難民にして他の土地へと——あたかも、古代のユダヤ人のように——離散させることが、ネタニヤフ政権の狙いなのだ。そのためにこそ彼らは、アメリカ製最新兵器の力をもって民家も農地もインフラも灰燼に帰せしめ、ガザを「生存不可能unviable」な状態(サラ・ロイ『ホロコーストからガザへ:パレスチナの政治経済学』)にしようとしている。「我々は人間の顔をした動物と戦っている」(イスラエル国防大臣・ガラント)などと述べて恥じないファシストどもの蛮行を、われわれは絶対に許してはならない。

 

(2)
 イスラエル政府がパレスチナ人民に対して今まさに行使している暴力は、アパルトヘイトだとかエスニック・クレンジングだとかの既存の言葉では収まりきらないほどのものである。これに多くの人々が心を痛め、街頭に足を運んでイスラエル政府に対する憤怒の声をあげている。われわれがここで明確にしておかねばならないのは、今回の戦争が、一つのブルジョア国家とそれに占領された地域の武装勢力との間での局地紛争にとどまるものではない、という点である。そうではなく、このガザでの「非対称」戦争はウクライナ戦争と並んで、東側の帝国主義陣営と西側の帝国主義陣営とがぶつかり合う、その軍事的な発火点たるの意味をもつ。
 このことを問わず語りに明かした人こそ、ウクライナ大統領・ゼレンスキーだった。10月7日のハマスによる奇襲攻撃の報に接して、彼はすぐに「イスラエル自衛権支持」の立場から次のように述べた。「イスラエルを攻撃しているのはテロ組織で、ウクライナに攻撃を加えているのはテロ国家だが、本質は同じだ」、「ロシアが何らかの方法でハマスの軍事行動を支援していると確信している」、「今回の危機は、ロシアが世界中で不安定化工作を試みている証拠だ」、云々。〈侵略しているものは誰であり・蹂躙されているものは誰であるのか〉——ゼレンスキーの応援団・「革マル派」中央官僚は、ウクライナ国家防衛の正当性を主張するときに常日頃こう言っているのだが——を完全に取り違えたこの発言は、しかし実のところ、西側帝国主義陣営に支えられたウクライナ国家の権力者ならではの利害関心をあからさまに表白したものである。米・欧が東側の帝国主義陣営との対決においてウクライナ以外の地域でも対処を迫られるならば、遅かれ早かれウクライナ問題は後景に退き、軍事支援予算は縮小される可能性がある。現に、11月2日にアメリカ下院で共和党の賛成多数により可決された「つなぎ予算」案は、軍事支援の対象をイスラエルに限定したものであった。ゼレンスキーが危機感を抱くのも至極当然である。
 かくして「パレスチナ問題」は今や、これまでとは違う意味を帯びてきた。それ故にわれわれはこの紛争の一般的構造を知るだけではなく、今回ハマスによって敢行されたイスラエル南部への10・7攻撃、その歴史的特質を把握する必要がある。この点で注目すべきは、今回の一連の事態を通じてイスラエルサウジアラビアとの間の国交正常化交渉が完全に頓挫したこと、そしてアメリカに代わって新たな帝国主義国たる中国が、中東諸国の外交関係を仲介する大役を担い始めたことである。
 まだトランプ前政権の時代の2020年、アメリカ帝国主義は、アラブ首長国連邦およびバハレーンとイスラエルとの間を仲介して「アブラハム合意」を成立させた。この仲介自体、ペルシャ湾岸の産油諸国とイスラエルとの双方に対して影響力を増しつつあった中国に対抗するという意味を含んでいたのだが、これに猛反発したのがガザの地域権力・ハマスであり、イランであった。アブラハム合意の拡大により中東諸国が次々と対イスラエル関係を正常化するならば、これはハマスにとって、パレスチナ国家独立のための後ろ盾を失うことになり、またイランにとっては、ペルシャ湾を挟んだ目と鼻の先にアメリカ帝国主義の軍事的・経済的秩序が打ち立てられることになる。サウジアラビアイスラエルとの間で国交を正常化させ、関税を課す輸出入品目を大幅に削減する——このような合意がアメリカの仲介により実現目前にまできた段階で、それを打ち砕いたのがハマスによる10月7日の攻撃だったのだ。同じムスリム同胞を公然と裏切るわけにはいかないアラブ諸国としては、イスラエルによるガザへの地上軍侵攻に対して抗議する以外にない。ハマスは、イスラエルが凄惨な報復=ジェノサイドを繰り広げるであろうことをあらかじめ考慮に入れ、それを政治的に利用するつもりで、かのテロ攻撃・人質作戦を敢行したのは間違いない。実際、サウジアラビアは今回の事態を受けてイスラエルとの国交正常化交渉を「凍結」させた(10月15日)。
 ともかく、米国の中東政策はイラクでの大失敗に引き続いて、またもや破産を突きつけられた。この空隙をぬって登場してきたのが、中国である。11月20日、サウジアラビア、ヨルダン、エジプト、インドネシア、そしてパレスチナ自治政府の各外務大臣イスラム協力機構(OIC)のタハ事務局長をはじめとする面々が、パレスチナ問題について協議するために北京を訪問した。この場で中国の王毅外相は、アラブ・イスラム諸国の合同代表団が「中国を国際調停のための最初の訪問地としたことは、中国に対する高い信頼を示すものであり、双方の相互理解と支持の素晴らしい伝統を反映するものだ」と誇らしく述べたのである。これは、アメリカ主導の「アブラハム合意」が破産したのを尻目に、今後は中国が主導して中東地域の新秩序を築いていくという意志の宣言にほかならない。
 付け加えておくと、中国はイスラエルに対しても影響力を行使できる立場にある。かつてイスラエルは、中国にとってはロシアに次ぐ武器供給国であったし(アメリカの警告により現在は表向き輸出を停止)、中国は、ハイファ港の25年間にわたる運営権を獲得してイスラエルのインフラ事業に相当程度食い込んでいる。今回、バイデン政権がガザへの全面戦争を再三制止したにもかかわらず、そのコントロールが十分に機能しなかったことの背景には、ネタニヤフ政権がこれまでの対米依存から脱却して中国をもう一つの戦略的パートナーとして位置づけ始めていたことがある。悪評の高い司法制度改革案と度重なる汚職の故にイスラエル国内での支持を失っていたネタニヤフに手を差し伸べていたのは、習近平政権であった。こうしてアメリカの没落を尻目に、中国は新しい帝国主義陣営として台頭しつつあるのだ。
 このようなパワー・ゲームの中で「パレスチナ問題」は、東西の帝国主義ブロックが互いに駆け引きのために利用する材料のひとつであるにすぎない。このことを承知の上でハマスは、イスラエルが報復攻撃の中でつくり出した「人道危機」を十分に利用して、アラブ・イスラム諸国とアメリカ帝国主義との間に楔を打ち込むことに成功したのである。

 

(3)
 ネタニヤフ政権によるジェノサイドに抗議する運動は今や全世界に広がっている。イスラエル国内での反戦の声は、人質解放のために停戦を求めるデモにとどまっている一方、アメリカでは在米ユダヤ人が「われわれの名で戦争をするな(Not in our name)」と声を上げ、ワシントンの連邦議会ビルに突入する闘いを繰り広げて300人余の逮捕者を出した(11月18日)。パレスチナへの連帯を口にすればすぐに「反ユダヤ主義」だと悪罵が飛んでくるヨーロッパにおいても、ジェノサイド反対の運動は粘り強く続けられている。こうした各地での闘いと連帯し、われわれはプロレタリア国際主義に立脚して、パレスチナ人民虐殺に反対する闘いをそれぞれの職場・学園・地域からつくりだそう!
 言うまでもなく、イスラエル人民とパレスチナ人民とが同じ労働者階級として連帯をかち取り、ネタニヤフ政権打倒のために闘うことこそが、「パレスチナ問題」を解決する唯一の道である。そのためにわれわれは、イスラエルの労働者階級に対してはシオニズムイデオロギーからの決別を呼びかけ、パレスチナの労働者階級に対してはアラブ民族主義ならびにイスラーム復興主義との対決を呼びかける必要がある。
 たしかにハマスによる10・7攻撃は、イスラエルの軍事的支配の下で絶望的な状況に置かれていた人々から喝采を集めた。これまで二次にわたる大規模な「インティファーダ」はその都度圧倒的な軍事力で鎮圧されてきたし、またイスラエル領内での自爆攻撃——2002年、ジェニン大虐殺に抗議して「眠れるアラブの戦士よ、目を覚ませ」との遺書を残して殉教した女子学生、アヤト・アフラスの名前を記憶している人も多いはずだ——は、分離壁の建設と厳しい検問体制によりきわめて困難となった。ガザが完全封鎖されてからすでに16年、十分な上下水道も電力も医薬品もなく、若者の失業率は7割にも上って自殺者があとを断たない絶望状況の中で、抵抗の術を次々と剥奪されてきたのがパレスチナの人々である。今回イスラエルの間隙をついてハマスが敢行した越境攻撃、その報に接した人々の胸のすくような思いはいかばかりであったか、と思う。
 しかしながら、イスラーム復興主義に基づきテロを主要な闘争手段とするハマスの下では、パレスチナ解放の達成はいつまでも不可能である。すでに長年、「イスラエル人」と「パレスチナ人」とが民族的・宗派的に対立させられている中で、イスラエルの支配階級と非支配階級とを区別することなく一様に「ジハード」の対象とするようなハマスの戦闘は、双方の間の憎悪を一層かき立てることにしかならないからである。この分断を、東・西の帝国主義ブロックそれぞれが政治的に利用していることを忘れてはならない。そして10・7のテロ攻撃では、ユダヤ人ばかりでなく東南アジアからの移民労働者もまた多く殺害されたことも、ここに銘記しておくべきだろう。
 今や世界は、米・欧・日を中心とする西側の帝国主義陣営と、ロシアおよび中国を中心とする東側の帝国主義陣営とが対峙しあい、いわゆる「グローバル・サウス」諸国がその間に第三極として振る舞う、三つ巴の構図を呈している。ここにおいてハマスは、権力政治の論理の中へと自ら入り込み、自らの政治的利害のためにパレスチナ人民の生命をも利用している。この意味で彼らは、今はどれほど多くの民衆から信頼されていようとも、すでに一個の地域権力としてパレスチナ人民を上から支配する存在なのである。
 したがって、われわれプロレタリア国際主義の立場に立脚する革命的左翼は、イスラエルプロレタリアートに対してネタニヤフ政権を打倒するべきことを呼びかけると共に、パレスチナプロレタリアートに対してはハマスからの決別を呼びかけていくのでなければならない。その際、欧米左翼の一部諸君のように、ハマスをはじめとするイスラーム復興主義勢力を「反動的テロリズム」だとかのレッテル貼りをもって批判するのは、誤謬である。それは外在的批判でしかなく、何故にハマスパレスチナの民衆から今なお支持されているのかをつかみ取ることができないまま、イスラーム復興主義勢力を専ら「中東ブルジョアジー」やイランの「律法学者のレジーム」によってテコ入れされた存在だと見る以外にない。ハマステロリズムにプロレタリア国際主義を対置して後者こそが“正しい”立場であると原則的に主張するにとどまっている限り、絶望の中でテロリズムという術にしか訴えることのできないパレスチナ人民の内面に迫ることも、いわんや彼ら・彼女らがハマスから決別し革命的階級として自らを組織するよう促すことも、不可能である。
 欧米左翼の諸君がそうした限界を突破できていない根本的な理由は、スターリン主義の破産を〈いま・ここ〉で超克していくという実践的立場を欠いているからだ。「前近代的」とも言われるイスラーム復興主義勢力がこの21世紀に伸長しているのは、20世紀にソ連・スターリニスト官僚がパレスチナ解放機構(PLO)のゲリラ戦を支援する形で主導した「民族解放闘争」が挫折したことに基づく。すなわちそれは、ユダヤ人とパレスチナ人とが共存する「民主的・非宗教的パレスチナの建設」を名目上では掲げながらも、事実上は1947年国連決議に基づき、歴史的パレスチナの地における「アラブ人国家」「ユダヤ人国家」「特別都市エルサレム」の併存を肯定する以上のものではなかった。スターリニストの利害関心は、将来において独立するべきパレスチナ国家を周辺のアラブ諸国と共にソ連の勢力圏内へと取り込むことにあったのだ。しかし、親ソ連的な「汎アラブ主義」諸国における「非資本主義的発展」が行き詰まりを見せ、その後のスースロフ的な「革命の輸出」方式もまた破産した。イスラーム復興主義勢力は、まさしく「一国社会主義」の地理的拡大をもって「民族解放」の達成を目指すスターリニスト方式が破産したが故に、ムスリムの心をとらえたのである。われわれは、この破産したスターリン主義を根底から否定することによってイスラーム復興主義をのりこえ、プロレタリア国際主義を貫徹するのでなければならない。その拠点こそ、世界革命の立場にほかならない。

 全ての労働者・学生・知識人諸君!ネタニヤフ政権とハマスは、11月24日からの一時休戦に一応は合意し、人質交換を進めている。しかしながら、危機が過ぎ去ったのでは何らない。イスラエル国防相ガラントは傲然にも、「戦闘は二ヶ月つづく」「ガザ市で行ったことは、ガザ全域で起きる」と明言した。彼らはガザ地区北部の住民に南部への退避を勧告しておきながら、次にはこの南部を標的にしようと企てているのだ。そしてまたネタニヤフは、諜報機関モサドに対しカタールやシリアに亡命しているハマス指導部メンバーを殺害するよう指令を下したことを公に述べた(11月22日)。このようにして、戦争放火者どもは中東の「火薬庫」で次々と火を投じているのであり、それは東・西の帝国主義ブロック相互の衝突のもとで、遠くない将来に世界中へ飛び火していくだろう。だがわれわれは、数多の人々の血が流されていくのをただ座視するわけにはいかない。全ての皆さん!国際主義に立脚し、労働者階級の階級としての組織化を推進することを基礎にして、パレスチナイスラエル全域でのプロレタリア的解放のために共に闘おう!

(2023年11月26日 春木良)

「歴史的パレスチナ」における領土の変遷