私の職場闘争の総括——夕食会での私の立ち振る舞いについて

 職場の労働者仲間たちでの「夕食会」を私が呼びかけておこなった。自分が実践したこのことの総括を、教訓としてまとめたい。


 この夕食会での私の立ち振る舞いについて、組織会議で先輩の同志から批判された。
「この夕食会であなたがこの場をこわすような行動をとったことをどうとらえているか?」と。
 こう問われて、私は自分がやったことをふりかえった。
 私が呼びかけて成立した夕食会であるにもかかわらず、自分の強引な立ち振る舞いによって参加者にヒヤ~とした空隙をつくってしまった。私とともにたたかってきた職場の仲間の一人は、あとで、「ヒヤヒヤしました」と言った。
 その場は、別の労働者が、「彼〔この夕食会に参加したアクの強い労働者〕がどう言うかは彼の自由。止められない。」と私を諭し、私が「相手〔この場にはいない職場の労働者〕に悪態をつくのでなく中身の話を」と主張していることをうけて、中身の話へともっていってくれたのだった。それを、先輩の同志は「この労働者は「彼が言うのは止められない」とあなたを批判したのであり、あなたの強引な行動を止めたことを意味するのだから、えらいと思う」と言った。何を言ってもよい雰囲気の場になっている中で、私はそのアクの強い労働者にたいして立ち向かおうとしているのだが、相手の攻撃的な態度に負けじと取った私の態度は、自己防衛的であり、恫喝的なものであった、と思う。
 また、先輩の同志から、「このやり方だと参加者に自分につくのかアクの強い労働者につくのかと問うことになり、極めてまずい、信頼されなくなる」と批判された。さらに「これでは、あなたが、参加している若い人たちに親分子分の関係をもとめていくことになってしまい、アクの強い労働者のどこにどのような問題性があるのかということを若い人たちが自覚することができないようにしてしまって彼らを変革することができない」と批判された。こう批判されて、私は思いだした。春闘の際に、少し上の管理者にたいして、脅すようなことを言ったときの自分と重なった。これは、対応不能になり相手にハッタリをかけるという私の弱い面である。先輩の同志から、「相手がくせのある労働者であっても、その懐に入る必要がある、自分ができないことも訓練してやっていけばよい、自分を中身的にも人間的にも強くつくっていくと考えればよい」と言われた。自分自身「大人げなかったなぁ。失敗だよな。」と感じ「反省しなくちゃ」と思ったのだが、それ以上深めることができないままであった。組織会議での論議をつうじて、相手との関係のつくりかたやイデオロギー闘争のしかたの問題として反省を深めていかなければならない、と思った。
 また、先輩同志から「このような夕食会と、いっしょにたたかってきたメンバーたちとの論議とを重層的にやっていくのがよい」と指摘された。今回はいろいろと広がってしまったから「交流を」となしくずし的におこなったのであったが、私が呼びかける夕食会を定期的に位置づけて本音トークができる場をつくっていくことも大事だと今は思えるようになった。
 さらに指摘されたことは、今後の指針にかかわることであり、アクの強い労働者が悪態をついた相手の労働者にどうかかわっていくかである。この労働者は何かあるとすぐに現場管理者に相談に行くのであるが、現場管理者のもとに直行するのでなく、私たち現場で働く労働者に相談して考えていけるようにどうやったらできるだろうか。とても難しいことである。しかし、具体的なところでかかわりを変えていくことからはじまると思うので、一つひとつの言動を注視して、まずは私のかかわりを変えていきたいと思っている。
   (2023年11月20日  不知火幹)