労働者の階級的組織化のための一考察(その1)

1.管理者のような口をきく…?
2.ヤッパリ労働者は労働者!(以上、本日)
3.袋小路で…
4.労働者階級のど真ん中で闘おう!

 

1.管理者のような口をきく‥?

 およそ一年前、私は職場で石松さんという労働者と出会った。再雇用で働く彼は実直な労働者である。私と同じ作業チームの準リーダー的存在であり、年齢的にも、仕事のキャリアでも私の先輩にあたる。仕事ぶりはまじめで、職人気質。仕事に誇りをもっていることが窺える。
 たまたまシフトが重なり、着替えている時間に、彼は新入りの私に、勤務時間などについて教えてくれた。――始業は9:00であるが、8:45には工場に入り、作業服に着替え、〝宝船〟などと称されるキャスター付きの工具入れを各人が整え、収納場所から自分の使う地点に移動・配置したうえでタイムカードを打刻する。(決められた労働者は、機械の電源を入れておく。)このようにすれば9:00からの朝礼後に、従業員たちはすぐさま配置について作業を開始することができる、ということである。またここでの従業員の労働時間の計算は「15分単位」であり、端数は切り捨てられる。タイムカードの打刻(「出勤」)のタイミングは、8:46から8:59のあいだであること。――このようなことは工場長から既に聞いていたことではあるが、石松さんはキチンと説明してくれた。とは言っても、その内容は労働基準法にさえ抵触する、会社に都合のよいことばかりである。

 そもそも9:00始業ということなのに8:45までに出勤せよ、ということは法律的には違法なのである。いや、8:45に出勤せよ、というなら8:45から時給を支払わなければならないのである。感染症対策のための検温・私服から会社貸与の作業服への着替え・工具セットの配置等はすべて管理者の指示にもとづいて業務として行われているのだから、8:45から労働時間としてカウントされなければならない。労働時間の計算は、「1分刻み」でなければならないことは厚生労働省の役人が国会でも明言していることである。(ただし、月毎などでの累積時間の計算においては、端数の切り捨ても可とされている。)
 同様のことは終業時にも行われる。作業終了のベルが鳴ったらすぐタイムカードを打刻(「退勤」)して、その後に伝票等の整理、工具セットを収納場所への移動、そして私服への着替え。
 実にケチで細かい不条理なやり方ではあるが、この程度の小企業ではこのようなセコイやり方で〝タダ働き〟させる分がよほど貴重なのであろう。低賃金の下層労働者にとっては、実に悔しいことではある。
 とくに日本労働運動が力を失って以降、このようなことが一般化・常態化しているのである。

 本題にもどろう。石松さんは、得々と、とまではいかないが、先のような〝規則〟を淡々と説明してくれた。新入りに対する口上としては、そんなものだろうな、と思った私は、お礼までは言わないが、「そうですか、わかりました」と応えた。内心では、管理者のような口をきくなぁ、と思ったものである。

 

2.労働者はヤッパリ労働者!

 しかし、ほどなく彼の口上とは異なる心のうちを知ることとなった。
 あるとき、会社から駅までの路上、私が「9:00からしかカネを払わないのに、8:45から出ろ、というのはどうもね。実際、8:45から出ないと回らないようになってるしね。8:45からくれよな。」と言ってみたところ、彼は「汚ねぇんだよ!」と、吐き捨てるように言った。不満を言う私を諫めているわけではない。彼の言葉には怒りがこもっている。私は驚いた!彼は自分が私に説明したような内容で得心しているわけではなかったのだ。彼は「15分単位」が不当であることも知っていた。「そうでないところが増えてるけどな。」とも言った。
 彼が異議を述べることは、すべて社会常識的に見て不誠実なやり方であるとともに、既存の労働法に照らしても違法であり、不当だというかぎりのことであるとはいえ、彼の感覚は労働者的であると言える。だが、そのような即自的感覚をもちながらも、彼は私に会社のキマリを上のように説明した。どうにもならないもの、と観念しているからなのだ。そうであるかぎり、彼の説明はむしろ〝親切〟であると言える。この職場でこれから一緒に働いていこうと思えば、当然のことになる。会社のキマリに従わない以上は、この会社で働いて喰っていくことはできないことになるからだ。

 〝大丈夫だよ〟とは

 そして後日、彼の感覚・内面を推察するうえで重要な発言があった。
 私が実につまらない問題で、工場長にイチャモンをつけられた日のこと、私は彼にそのことを話した。すると彼の返答は「大丈夫だよ」というものであった。私は工場長のイチャモンの理不尽さにたいする憤懣を表現したのだった。彼にも共有してもらいたいと思ってである。ところが彼は「大丈夫だよ」と言う。そうか、彼は私が工場長に睨まれることを気にして怖れていると思ったのだ、と気がついた。上司とのもめごとがあった時に一番先に気にするのが、そういうことなのだ。彼は上司(つまるところは経営者)との関係においてそれほど精神が萎縮しているのだ!
 彼はわりとデリケートで気配りができる人である。問題があるなぁ、ということがあっても、彼は「そういうことはわれわれが言わない方がいい。○○さんに言ってもらおう。」という調子である。また彼は私にたいして、他の労働者・同僚についてボヤくことが多いのだが、こと上司や会社そのものについては異なる。私が色々と問題を提起すれば反応はするし、その反応の鋭さに驚かされることもある。しかし、私とのあいだでさえ自分から何ごとかを表明することはほとんどない。

 彼は、きわめて一般的な労働者類型に属すると言えるだろう。彼の正当な労働者的直観はなぜ向自化されず、己の労働・生活に貫かれる規範にまで高まらないのだろうか。なぜ彼の感覚・義憤は活かされないのか。そこに問題がある。

二〇二三年一二月一〇日(遠賀川 清)