革マル派の終焉

       『黒田寛一著作集』刊行の意味するもの
 
 九月九日の『黒田寛一著作集』第一巻刊行に際し、革マル派現指導部は、「解放」紙上に「黒田寛一著作集刊行にあたって」なる宣伝文を掲載した(九月五日付け 第2363号)。それは結果解釈主義に貫かれた驚くべきシロモノであった。だが、さらに驚くべきは、『著作集』第一巻に付された「プロレタリア解放のために全生涯を捧げた黒田寛一」(『著作集』第一巻 506~510頁)である〔この文章を「全生涯」と略す〕。前者がまだ、旧来の同志黒田の闘いの描写に少しばかり縛られたものとなっているのたいし、後者は驚くべき脱線ぶりを示している。こんな〝大胆〟な文章は、党の最高指導部であるメンバーにしか書けまい。明らかに、前者は後者を下敷きにして書かれたものであり、その腐敗は後者の方がより酷い。
 「全生涯」なる毒々しい文章においては、明らかに同志黒田の神格化が図られている。その意図は、この文章の隅々にまで貫徹されているのである。

 

一 「世紀の巨人」!?  ―――同志黒田の〝超人格〟化=神格化

 

 筆者は、同志黒田の偉大さを精一杯の形容でおしだしているのであるが、すべては同志黒田が超人格的な、奇跡的な存在であることを示そうとするものとなっている。それはプロレタリア的主体性とは無縁である。

 

 冒頭のパラグラフは次のごとくである。

 黒田寛一は、一九五六年十月に勃発したハンガリー事件(「非スターリン化」を要求しソビエトを結成して蜂起したハンガリーの労働者人民を、「労働者の母国」と信じられてきたソ連の軍隊が虐殺した事件)にたいして、「共産主義者の生死にかかわる問題」として対決した。そして、全世界の共産主義者や左翼的知識人がこれを擁護しあるいは黙認するなかで、彼はただ一人、一九一七年に誕生した革命ロシアはレーニンの死後スターリンによってすでに反プロレタリア的な「スターリン主義国家」へと変質させられてしまっていることを看破し、ただちに反スターリン主義の革命的共産主義運動を興す步みを開始した。黒田寛一こそは、時代のはるか先を行く偉大な先駆者であり、二〇世紀が生んだ「世紀の巨人」なのである。(『著作集』第一巻506~507頁)〔下線は、椿原〕

 

 一字一句、驚くべきものである! 以下、要点に絞って取り上げる。

 

1.「彼はただ一人……看破し、ただちに反スターリン主義の革命的共産主義運動を興す步みを開始した」、という。そして「時代のはるか先を行く偉大な先駆者であり、二〇世紀が生んだ『世紀の巨人』なのである」という。
 だが、ここでは、ハンガリー事件と対決した同志黒田のその後の步みを讃えていはすれ、彼がいかにしてそのような前進をかちとりえたのか、その主体的根拠に関する考察はまったく欠如している。
 同志黒田は、ハンガリー事件との対決において、おのれの共産主義者としての主体性を貫徹したのであった。彼はハンガリー人民の血の叫びをわがものとし、ソ連軍による弾圧を弾劾すると同時に、このおのれは、哲学上ではスターリンとその追随者たちを批判してきたけれども、政治経済学的にはスターリン主義の枠内にあったことを自覚し、このおのれの変革を決意し、思想的に格闘したのである。まさにこのゆえにハンガリー事件との対決は「共産主義者としての生死に関わる問題」として捉えられたのであった。「全生涯」の筆者は、同志黒田がハンガリー事件との対決を通じて、おのれ自身の断絶と飛躍をかちとった、という決定的な問題を不問に付しているのである。ハンガリー事件と対決した黒田がそれ以降の苦闘を通じて後にえた現代ソ連邦の対象的分析や、革命的共産主義運動の創成という結果から一九五六年十月の黒田を説明する、という結果解釈主義丸出しの把握こそがまず決定的な問題なのである。このような一九五六年の生きた黒田寛一の苦闘、その断絶と飛躍を主体的に追体験することを没却して、その後の諸成果をも出発点に封じ込め、ただただ「黒田はスゴイ! 黒田はスゴイ!」と叫んでいるのが、この文章の筆者なのである。だが問題はそれにつきない。
 ここにいう「ただ一人」とはまず、同志黒田が現代ソ連邦が「スターリン主義国家へと変質させられていることを看破した」ことを讃えるものとなっている。しかし、それは偽造の域に達している。現代ソ連邦それ自体の経済学的・国家=革命論的分析は、ハンガリー事件との対決を通じて、過去からの断絶と飛躍をかちとった同志黒田が、その後における理論的学問的苦闘を通じて、つかみとったものなのである。そして、マルクスレーニンもそうであったように、同志黒田もまた共産主義運動内部における理論闘争を通じて諸問題を解明したのであった。すなわち「ソ連=赤色帝国主義」論・「堕落した労働者国家」説(したがって戦略的には「労働者国家無条件擁護」戦略)などの誤謬と歪みを克服する闘いを通じて、ソ連の政治経済構造についての、またソ連国家そのものについての理論的解明を進めたのである。また他方で「全生涯」は、「ただ一人」という規定が妥当するようにわざわざ「反スターリン主義の革命的共産主義運動を興す歩みを開始した」と結果解釈している。仮に、「日本トロツキスト連盟」や「革命的共産主義者同盟」の結成そのものに言及すれば「ただ一人」とは言えなくなってしまうからである。
 このように、「全生涯」の筆者がどうしても「ただ一人」と力説したい所以はまさに、同志黒田をあたかも〝人類のなかの例外者〟であるかのように、押し出したいからである。あたかも黒田寛一という特別な個人ゆえに様々なことが可能となったかのように描き出し、「黒田はスゴイ、スゴイ!」と触れ回っているのが、彼なのである。
〔なお、〝例外者〟というのは、かつてのブクロ官僚(小野田襄二であったと思う)が本多延嘉にあたえた賛辞である。もっとも今日の革マル派指導部は、当時のブクロ官僚どもの「はるか先を行っている」のであるが。〕

 

2.さらに、「世紀の巨人」・「時代のはるか先を行く偉大な先駆者」とは?
 このようなキャッチフレーズを見て、唖然としない「マルクス主義者」などありえようか!
 そもそも、「世紀の巨人」なる形容は、一九五三年にかのスターリンが死去した際に、世界の「社会主義国」や左翼陣営から、また報道界から投げ与えられた尊称であった。〔その時代にはスターリンの影響力は絶大であり、彼の死去によって国際情勢が不安定化するのではないかと恐れる心理から「スターリン暴落」と言われる事態すら発生したのであった。〕当時の黒田寛一は哲学的にはスターリンの理論的マヤカシを暴き出していたとはいえ、政治経済学的にはなお、スターリニズムの枠内にあった。その黒田が、「巨星ついに墜つ」などの報道にふまえつつ、揶揄的に用いた表現が「世紀の巨人スターリンの肉体上の死…」(『日本左翼思想の転回』177頁)であった。まさかそのような歴史的意味を忘れたわけではあるまいに!「世紀の巨人」という〝尊称〟を他ならぬ同志黒田に冠するとは! 筆者が同志黒田に対して〝不遜〟だというわけではない。彼は、組織成員たちをおのれと同様の個人崇拝に、すなわち宗教的自己疎外に誘導しているのである。その俗人化した頭脳でもって同志黒田を讃えようとすればするほどに、同志黒田を貶めるほかないのである。いや、それだけではない。
 「時代のはるか先を行く偉大な先駆者」とは? ――筆者の俗人化した頭脳の自己暴露、ここに極まれり!思想的には〝サラバ、黒田〟と言っているようなものではないか!

 

3.神格化への飛躍
 これらはすべて、同志黒田を超人格的な存在として描きあげ、神格化するという「全生涯」の筆者の意図からして必然となった物語であり屁理屈であると同時に、図らずも今日の筆者ら革マル派現指導部の思想的変質を赤裸々に自己暴露するものとなっているのである。
 言葉そのものもまた上のような意図に相応しいものが選ばれていると言える。――「反スターリン主義の革命的共産主義運動を興す步みを開始した」(507頁)「世界に類を見ない反スターリン主義の革命運動を興した」(508頁)等々。このように用いられている「興す」という言葉は、国家の建国者や宗教の創始者の行為を表すためにしばしば用いられてきた用語なのである。反スターリン主義運動が存在する今日から、それを「興し」たものとして同志黒田の実践をすべて描き出すという念の入れようではある。また「黒田率いる…」とか「黒田議長率いる…」というように、反スターリン主義運動をもっぱら同志黒田という人格に率いられ、彼に依存したもの、として描きだし、組織成員たちを、同志黒田への没主体的な帰依へと誘導しているのである。反スターリン主義運動は同志黒田のおかげで今日あるのだということ、そして「世紀の巨人」に導かれた存在として、おのれを意識し、同志黒田を教祖としてあがめ奉るように、誘導しているのである。
 このような行いが、同志黒田の思想とは全く相容れないことには何の頓着もないほどにまで、彼らは変質し、また熱中しているのだ。
 かくして、同志黒田の神格化による革マル派組織の<黒田教団>への〝脱皮〟=転態作業が『黒田寛一著作集』を活用していままさにおこなわれている!

 

4.最後の「延命」策
 二〇一九年末の革マル派政治集会で突如打ち出され、しばらくはシャックリのように繰り返されていた「組織哲学」なるもの、これは明らかに現存革マル派組織を物神化し、その党への帰属意識を組織成員たちに植え付けるためにひねり出されたシンボルであった。『組織論序説』などに対象化された「組織論」では決して正当化しえない思想闘争の封殺や反対派の追放などの反組織的行為を積み重ねてきた革マル派現指導部がひねり出した苦肉の策が「組織哲学」なるもののねつ造であった。組織内思想闘争の推進という前衛党の生命線に関わる問題を没却して「組織は私、私は組織」などという形而上学的観念をすり込むためにこそ、このシンボルは活用されたのであった。しかし、その「組織哲学」も昨今は鳴りをひそめている。俗人化した官僚どもに支配された現存党組織をあがめ奉るのでは、さすがに胡散臭いというわけで、同志黒田を神格化し、組織諸成員は、彼に「率い」られ「導か」れる存在としておのれを意識し、ともにこの組織=「黒田寛一の後継者」を守っていこう、というわけである。彼らはそれを〝同志黒田の魂の宿った場所〟として、或る革マル派中央労働者組織委員会メンバーの言葉を借りれば「生きかつ死ねる場所」として意識したい、というのであろう。だがそれは「黒田寛一の後継者」ではもはやない。「革命的マルクス主義の墓場」というしかない〝場所〟となりはてているのである。

 

 同志黒田の薫陶を受け、自己研鑽に励んできた同志たちは、今こそこの腐敗し硬直化した組織の現実を打ち破るために起ち上がろう! 信じがたいほどまでに腐敗したこの組織的現実を直視し、官僚指導部を打倒し、のりこえる闘いに決起しよう!

 

二 革マル派の終焉――脱・革マル主義の完成

 

 同志黒田を「世界でただ一人」の「世紀の巨人」として神格化することによって同時に、彼らはおのれの思想的変質を自己暴露した。

 

1.「革命的マルクス主義の立場」の蒸発!

 「ただ一人」を強調することによって、同時にこの筆者は、同志黒田の「二つの戦線上での闘い」をも、したがって、「革命的マルクス主義の立場」の確立に関わる諸問題をも、完全に忘却していることをも自己暴露したのであった。そもそも、この文章には、「革命的マルクス主義」という言葉自体が、ただ一度、「革マル派」という党の名称を説明する都合で引っ張り出されているのみであって、それとしては全く出てこない。また、第一巻に付されている「第一巻 刊行委員会註記」にも、KK書房の『著作集』宣伝チラシの「刊行にあたって」にも、「革命的マルクス主義」は言葉としてさえ出てこない。このことは、現在の官僚指導部の思想的腐敗ぶりからして必然なのである。そして、それにかわるものが、「黒田思想」なのである。したがってこの言葉は、<革命的マルクス主義の党>から<黒田教団>への転換を示すシンボルとしての意味をもつものとなっている。

 同志黒田は何というであろうか!

 

2.「反スターリン主義」の放棄

 「彼はただ一人、一九一七年に誕生した革命ロシアはレーニンの死後スターリンによってすでに反プロレタリア的な「スターリン主義国家」へと変質させられてしまっているということを看破し、ただちに……」
 すべてが、同志黒田の後の成果からの遡及的結果解釈であることについては、既に見た。「スターリン主義国家」――このような規定をなしえた根拠、「堕落した労働者国家」論、「ソ連=赤色帝国主義」論や「屋根裏のネズミ」論(「労働者国家無条件擁護」論)との闘いを通じて打ち立てた黒田のスターリン主義論や<反帝・反スタ>世界革命戦略の確立の苦闘(『ソ連論の根本問題』その他に対象化されている)をすべて没却!
 「反スターリン主義」が、あたかも同志黒田の頭蓋に天啓のごとく閃いたかのような錯乱! 同志黒田を「世紀の巨人」「偉大な先駆者」として描きあげ、崇拝の対象として描きあげる、という彼らの没主体性の賜といわず何というか!
 一九五六年の同志黒田の「断絶と飛躍」を主体的・追体験的に考察し、その思想を受け継ぎ発展させていく主体的な立場を喪失し、彼の闘いの結果解釈に現を抜かしている以上、「反スターリン主義」の主体的継承などできるわけがない。
 実際、今日の彼らは「反スターリン主義」を単に現実世界に存在する外的対象の観点からしか理解することができないことを既に臆面もなくさらけだしてきたではないか!「中国ネオ・スターリン主義」に関する彼らのゴマカシと隠蔽を想起せよ!

 

3.「場所の哲学」の破壊
 「黒田寛一こそは、時代のはるか先を行く偉大な先駆者であり、……」
 黒田がこの文言を聞いたら、なんと言うであろうか。〝超進歩的哲学者〟に仕立て上げられているからである。
 そもそも同志黒田は、「場所」に深く内在し、「場所」を超克せんとして思索し、実践した。「時代のはるか先を行く」というような賛美の仕方には、同志黒田の哲学の深みと革命性を歴史的先行性(〝歴史のさきどり〟)の観点からしか説明し自慢できなくなっていること、すなわち彼らが通俗的な歴史主義的=進歩主義的発想に凝り固まっていることを自己暴露するものでなくて、何であろうか。この意味では、「反スタ」どころか、彼らはスターリン主義に〝先祖返り〟を遂げているのである。すこし前には〝主客の弁証法が黒田思想のキモである〟などと述べた御仁は、「時代のはるか先を行く偉大な先駆者」というような文言を見て、何を思うのだろうか。
 自らの歪んだ物差しで同志黒田の偉大さを示そうとすればするほど、彼らは同志黒田の教えを改竄し蹂躙するほかない。彼らが「黒田思想」を称揚すればするほどに、同志黒田の苦闘を足蹴にし、そのガイストを捻じ曲げるほかないのである。

 

4.主体性を失い創造性を喪失した「信徒集団」への転落

 同志黒田の思想と実践を、その営為そのものを受けつぐ努力をしてこなかった彼らは、同志黒田の存命中には、彼に権威主義的に追随しぶら下がってきたのであったが、同志黒田の逝去後には、その遺稿と後光にたよってしか党指導部としてのおのれを維持し、生きてゆくことが出来ない存在に必然的になりさがった。それは、自己変革のための、真の苦闘を彼らが放擲してきたからなのである。彼らはこのことをよく知っているというべきか。知っているからこそ、彼らは同志黒田を神格化し、その後光にたよって生きる道を選び、仲間たちをその〝運命共同体〟に引き入れようとしているのである。それは「ノアの方舟」ですらなく、ただのドロ船である!
 今日の彼らは同志黒田の「プロレタリア的主体性」とは無縁であるだけではない。おのれの革命的マルクス主義者としての主体性を真に貫徹し、不撓不屈の精神で創造的な営みを続けようとする者をこそ、彼らは疎んじ、憎んでいるのである。そのような同志を排撃するためなら、何でもあり、である!
 現指導部のもとでの党総体としての創造性の蒸発・思想的生命力の喪失は、同志黒田の逝去後には、二〇一一年の『ノーモア・フクシマ』を最後として、同志黒田の遺稿によらない著作は一冊も出されていないことに、また「新世紀」や「解放」にも、理論的な論文はまったく掲載されなくなっていることに、赤裸々に示されている。実体的には、かつて革マル派を理論的に牽引していた錚々たる理論家たちのすべてが筆を折っているとしか考えられないのである。彼らはまったく主体性を喪失しているか、または健筆をふるうことが出来ない場所に封じ込められているのであろうか。

 

 革マル派指導部による革命的マルクス主義の立場の喪失、「反スターリン主義」の放棄、哲学的客観主義への転落と結果解釈主義の満開、組織内思想闘争を封殺し「分派」を禁じる官僚主義的組織としての固定化……これらの帰結が、同志黒田とともにわれわれが建設し護ってきたかつての革マル派、この組織の<黒田教団>への転態であり、革マル派の終焉である。――われわれは、このような変質を打ち破ることができなかったわれわれ自身の弱さを噛みしめるとともに、反スターリン主義運動を再創造する決意を新たにしている。
 決起すべきは今をおいてないことを、われわれはすべての革マル主義者たらんとする同志たちに訴える。
 今からでも遅くはない! 逆転のための橋頭堡は、すでに構築されているのだ!
 必要なのは、勇気である。

 

 マルクスが引き、同志黒田が引いたジョルジュ・サンドの言葉を想起する。

 

 「戦いか、しからずんば死。血なまぐさい闘争か、しからずんば無。このように問題は厳として提起されている。」(こぶし書房『プロレタリア的人間の論理』172頁)

 

◇なお、この『黒田寛一著作集』(全四十巻)の刊行じたいについて、付言する。

 

 革マル派現指導部の面々は、一巻につき、税込で六〇〇〇円を超える高額な書物を、労働者が(ことに非正規雇用の労働者や、低賃金が一般的な産別・業種の労働者が)購入することがどれほど大変なことかを考えたことがあるのだろうか。そのようなことに思いを馳せるだけの志をもはや彼らはもっていないのであろう。
 そもそも現指導部は、労働者たちから拠出された多額の資金で革マル派の諸施設を建設するなど、外面的な充実を計ってきたのである。これはまさに党組織の空洞化を糊塗するものであった。それは、団塊の世代を中軸とする多くの労働者(今日と比較すれば、比較的良い労働条件で彼らは働くことが出来てきた)が退職金を入手したり、親から遺産を相続したりしていることを条件としてであった。〝必要な時には、いつでも返すから〟と称して、通帳のようなものまで用意して労働者から資金を吸い上げる、という事実上の詐欺的手法をも含めて彼らは多額の資金を手にしたのであった。しかし、それが一巡した後の、そして組織の実体的主柱をなしていた「団塊の世代」がほぼ現役を退いた後の資金集めの方策としても、彼らは『著作集』の刊行を準備したのであった。とはいえ、この高価な本は社会的にそうそう売れるわけではない。そんなことは最初から分かっていることであって、むしろ、労働者組織成員たちから、通常の拠出金とは別に資金を吸い上げる方策としても位置づけられているのである。『著作集』と言っても、既に刊行されている同志黒田の諸著作の再刊もしくは再々刊であって、労働者たちはすべて過去に購入しているものばかりである。その量は、置き場に困るほどである。それでも「同志黒田の……」と言われれば買わないわけにはいかないだろうというわけである。
 もう一つは、旧来同志黒田の著作を多く刊行してきた「こぶし書房」や「現代思潮新社」ではなく、革マル派現指導部が直轄し、ヨリ強く統制することが可能な「KK書房」(旧「あかね図書販売」)のもとに、同志黒田の諸著作を集約するということである。このことは、彼らが〝黒田教総本山〟として自らを押し出すためには〝教典〟の一手販売が必須であると観念していることをも意味する。
 だが、マルクスレーニントロツキーの諸著作と同様に、同志黒田の諸著作もまた、本来、日本の、そして世界のプロレタリアートの共有財産である。
 革マル派現指導部によるその私物化をわれわれは許さない。

 

 痛苦にも、現指導部に率いられた革マル派は、終焉した。

 

 「虎は死んで皮を残す。革マル派は死んで黒田寛一著作集を残す。」のか……

 

 わが探究派は、なお微弱ではあるが、革マル派現指導部をのりこえる革命的な分派闘争を、そして真摯な組織内思想闘争を通じて、飛躍の拠点を打ち固めてきた。それは、『コロナ危機との闘い』(プラズマ出版)にも対象化されている。
 われわれは、同志黒田の思想と営為そのものを継承して、現に今、創造的な闘いを推し進め、日々新たに思想的生産物を発信し続けている。すべての反スターリン主義者は、探究派とともに闘おう!
 革マル派現指導部の屍を踏み越え、日本反スターリン主義運動を再創造しよう!

           (二〇二〇年九月一九日 椿原清孝)

梯子をはずされた同志加治川

 探究派公式ブログに掲載した(八月一四日)「同志加治川は一からやり直さなければならない」という論文を読んだ読者より手紙がおくられてきた。そこでは次のように述べられていた。

 「加治川論文の追記を読みましたか。追記には『社会の弁証法』の英訳版が引用され、それによれば、加治川さんは黒田さんに梯子を外されています。しかし、加治川さんはそのことを自覚できないようです」と。


 加治川論文を読んだ当初には私は気づかなかったが、あらためて読み返してみたところ、その追記には次のように書かれていた。「初版Dialectics of Society(英語版『社会の弁証法』)一三一頁 §43の7行目~9行目「天然資源」の規定のところ。All those that labor merely separates from immediate connection with the land are called natural resources. この下線部分は現在完了形(has merely separated)にすべきであろう。」(加治川論文 二五九頁)


 たしかにこれは、読者の言うとおりである。引用されている英訳版『社会の弁証法』(DSと記す)の叙述を和訳すればこうなる。「労働が大地との直接の関連から、たんにきりはなすにすぎないすべてのものは、天然資源とよばれる」と。つまり、労働が主語にされ、その労働が大地との直接の関連からたんにきりはなす(merely separates)、と英訳されているわけである。これにたいして、同志加治川は、「現在完了形has merely separatedにすべきであろう」、と訴えている。しかし、黒田がおこなった英訳は、現在形だから、時制でいえば今切り離す、ということであり、主体の意志をあらわしている、ともいえる。だから、この英訳は、むしろ『資本論』の和訳にちかい。『資本論』の和訳は「労働によって大地との直接的関連からひき離されるにすぎぬ一切の物は、天然に存在する労働対象である。」という訳文なのだからである。労働を主語にすれば、〝労働がひき離すにすぎない〟となるのだからである。これに反して、同志加治川は、「has separated 」、つまり、〝労働によってきりはなされた〟という現在完了形に訳してくれ、と言っているのである。彼は、過去の黒田さんの表記にしがみついているだけなのである。


 黒田さんはDSを英訳するさいに、「た」を「る」に変えて英訳した、ともいえる。なぜなら、一般に、われわれが天然資源と規定するのは、いまだ大地からひき離されていない、採取労働過程になげこまれるところの資源をさしているのであるからだ。あるいは、マルクスが「天然に存在する労働対象」と言っているその趣旨をくむならば、いままさに人間が・労働手段として駆使する物質的なものをもってそれに働きかけるところの、だからいままさに人間のこの労働によって大地との直接的関連から引き離されようとしているところの、天然の物質的なものをさす、といえる。ようするに、マルクスは「労働によって大地との直接的関連からひき離されるにすぎぬ一切ものは、天然に存在する労働対象である」と言っており、英語圏のひとびとに理解をうながすためには、マルクス的に表現するのがふさわしい、と黒田さんは考えたからであろう、と思う。そして、この『資本論』のマルクス的な規定が、もっとも論理的に正確である、と私は思う。つまり、天然に存在する諸物は、それが労働によって大地との直接の関連からひき離されるところの、この労働過程に投げこまれることによって、それらは労働対象となる、と論じているのだからである。このような論脈で、マルクスは「となる」の論理を駆使しているわけなのだからである。同志加治川の言うところの、意識場において主観によって客観を概念的に規定すれば労働対象となる、というような観念論的な解釈ではなく、現実場において諸物が他の諸物と物質的諸関係をとりむすぶことによってそれ独自の規定性をうけとる、という存在論的な論理が駆使されているわけなのだからである。これにならって、黒田さんもまた英訳のさいにその論述を整序した、ということだろう。

 だから、同志加治川がなすべきなのは、己がただただ『社会観の探求』の表記を絶対化し、しかもその表記をおこなった黒田さんの主旨とも無関係に、いやむしろ、ねじまげるような観念的な解釈をしていたのだ、と自己を否定的にみかえすことである。
        (二〇二〇年九月一九日 桑名 正雄)

はたして、これが同志黒田の思想を受けつぐものでしょうか ?!

みなさん!

黒田寛一著作集第一巻『物質の弁証法』(九月刊行、KK書房)に掲載された、

わが同志黒田寛一を紹介する黒田寛一著作集刊行委員会の論述。

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冒頭部分の506・507頁です。

 

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508~509頁です。

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510頁です。

どうですか?

これを見て検討して、ぜひ、皆さんのご意見をお寄せください。 

      (二〇二〇年九月一八日 ブログ編集部)

なんと、破廉恥な!

 『物質の弁証法ヘーゲルマルクス)』(黒田寛一著作集第一巻)刊行にあたって

 

 「刊行委員会」名での

「プロレタリア解放のために全生涯を捧げた黒田寛一」という文章に次のような展開がある。
 「黒田において、おのれのどん底とプロレタリアのどん底とがまじりあい合一化され」た、と。


 しかし、同志黒田は、

「疎外態としての私のこの自覚は、同時に、私のどん底をつきぬけてプロレタリアートの疎外された実存につきあたり、まじりあい、合一化された」と、(『読書のしかた』「終わりの初めに」)書いている。


 この違いは、この文章の本質を鮮やかに描き出している。同志黒田の疎外態としての自覚が、「どん底がつきぬけ」たということの意味について、そして「プロレリアートの疎外された実存」について、哲学したことのない者の言葉である。すなわち、同志黒田の実存追求について、彼の思想・哲学について、何ら理解していない者の文章である。
 いや、このような恥知らずな文章を掲載して恥じない「革マル派」は、同志黒田の思想・哲学の無理解を越えている。
 同志黒田の思想・哲学そのものの破壊を公然と明らかにしたのである。

           (二〇二〇年九月一四日 黒島龍司)  

没思考、没主体

  ――太宰郷子『「対象認識と価値意識または価値判断」について』(「解放」2632‐2633号)を読んで

 

 筆者、太宰は二七年前に「対象認識と価値判断」という論文を書いたのだという。おそらく現在は、現革マル派においても理論家として指導的立場にたっていると考えられる。太宰は二七年前にはまじめな人であったのだろうと思う。反スターリン主義者=マルクス主義者として自己を変革していこうというパトスをたぎらせて、プロレタリア的人間の論理を、プロレタリア的主体性の問題を懸命に学習し、対決していたのであろうと思う。それは太宰の論文に黒田さんが加筆・補足したことからもうかがい知ることができる。
 だが残念なことに、この論文からは当時あったであろうパトス、理論的な真摯さを感じることはできない。若い反スターリン主義者=マルクス主義者を育てようと、太宰論文に加筆・補足した黒田さんの思いは、無残にも太宰においては実現されずにある。

 

  没思考

 太宰はかつての論文において、黒田さんが「対象認識と価値判断との統一」という表記から「対象認識を価値意識との統一」というように変更されているということ、その理由を考えたのだ、という。そして今日、それが『宇野経済学方法論批判』において旧版(現代思潮社版)では「対象認識と価値判断」となっている箇所が、新版(こぶし書房版)では「対象認識と価値意識または価値判断との統一」と表記されているということについて、考えようとするのである。わざわざ新旧の対照表をつくり紹介するという丁寧さである。また二七年前に黒田さんが加筆・補足した部分を別掲し紹介しているのである。太宰は「黒田さんの加筆内容をかみしめる」としながらも、みずからの思考を深めようとはしない。黒田さんの加筆部分を「⑦では、認識=思惟活動を結果的にだけではなく、過程的にも結果的にも規定して、「対象認識と価値意識または価値判断との統一」と書きあらためたのであろう」と黒田さんの加筆内容を反芻しているだけなのである。「ではなぜ⑧だけ、「プロレタリア的価値判断」を「プロレタリア的価値意識」と書きなおしたのであろうか」と問題をたてるのであるが、これもまた『唯物史観と変革の論理』を引用し「プロレタリアの認識=思惟活動の即自的前提をなすとともに、その認識=思惟活動の全過程につらぬかれる対象変革的な価値意識。この「全過程につらぬかれる価値意識」ということを明確にするために」などと手前勝手に解釈するだけなのである。
 太宰は、対象認識の主体が人間という抽象的なものからプロレタリアという規定に変えられることによって、理論のレベルが変わるのだということを、そして理論のレベルが変わることによって、なぜ過程的な論理展開だけになるのかということを考えないのである。
 太宰は「師黒田寛一の思想と哲学をわがものにする」と言う、しかしその「わがものとする」ということは太宰においては黒田さんの著作を覚え「反芻」するだけになってしまっている。
 学習会の論議が紹介されている。「B つまりわれわれの認識=思惟活動についてどういうように論じるか、論じ方の角度によって規定のしかたがかわるということだね」と。何か理論家然として述べているのであるが、単に黒田さんの叙述を読みかえしているにすぎない。
 なおいうならば、過程的に展開されていること、それを結果からとらえ返すということの論理的な意味を考えようとはしないのである。太宰も学習会のメンバーも、「価値意識」とは、「価値判断とは」、というように黒田さんの叙述をほりさげて考えようとはしないのである。
 「われわれが、われわれのおいてある現実的な場所を変革するために、この場所を対象として認識するのであるが、この認識はわれわれのおいてある場所をわれわれのものたらしめるという価値意識にもとづく判断作用として展開される」という黒田さんの加筆・補足の論述すら太宰は考えようとはしないのである。
 そもそもプロレタリア的主体性がどのように創造されるのか、おのれのうちにどのようにして創造していくのか、という問題であろう。その主体的立場にたって黒田さんの理論的追求とその結果を媒介として、おのれ自身の主体を創りだすということが抜け落ちてしまっている。だからこそこの論文には何らのパトスも感じることができないのである。
 彼らはよく「追体験的に」という言葉を使う。それ自身は間違いではない。しかし彼らは、太宰は、その言葉がどういうことなのかということを、考えたことがあるのだろうか。
 「思考する黒田さんに身をうつし入れて」ということ。それは私のようなものにとっては、不可能と言っても言い過ぎではないと思う。しかし黒田さんがその場所において、何にたいして、何を考え、どう思考しようとしていたのか、何を創造しようとしていたのかを、私が今おいてある場所において考え、おのれ自身の意志を創りだすという主体的な営みをおのれに課さないかぎり、いま生きるおのれを、この現実の場所を根底から変革しうるマルクス主義者=反スターリン主義者としておのれ自身を創りだすことはできない、と考えている。太宰はそうしたパトスを完全に喪失してしまっている。

 

  主体の創造とは

 そもそも太宰は、人間の実践的活動の一契機をなす認識=思惟活動そのものはどういうものであろうか、ということを考えない。そこから「対象認識」とは、「価値意識」とは、「価値判断」とは、ということを捉えようとはしない。黒田さんの思考を追体験ではなく、結果からとらえようとしているのである。
 物質的世界の一契機であるわれわれ人間が、自己に相対する物質的対象を、われわれの内的な欲求・衝動を発条として、われわれの物質的な働きかけによって、変革する、という実践的な立場にたったとき、対象は、われわれの認識対象として感性的な対象として措定される。この感性的対象を、人間は生命体としての人間のもつ五感といわれるものを駆使し認識するのであるが、同時に思惟活動をとおしてそれをつかみとるのである。このつかみとったものこそ概念にほかならない。この認識の底、概念の内容は、実践の目的に規定されるのであって、概念の底・内容はさらに深化させられるのである。
 「変革する」という実践的立場にたっての対象認識には、同時に「われわれにとってのものたらしめる」という価値意識が判断作用によって貫徹されているのであって、つかみとられた概念には価値意識が価値判断として内在化されているのである。この価値判断を内在化している概念が新たな価値意識、判断力の契機となるのである。他方、われわれが感性的対象を変革するということは、同時に変革主体たるおのれを変革主体たらしめるという内省的な意志のもとに自己を変革するということなのである。すでにおのれのうちに蓄積してきた諸概念、判断力、そして概念を深化させてきたところの思惟力=思弁力。これらを貫徹しようとする意志力。これらがわれわれの実践によって螺旋的に高められていくのである。また、この実践において、われわれはわれわれ自身を対象化するのであって、この実践の過程における感情的なものをも同時に内在化するのである。このように私はいま考えている。
 このような人間実践の一契機をなす認識=思惟活動をとらえようともせず、黒田さんの思考の過程を考えようともせず、「表記が変わっている」という字面を追うだけで解釈しようとする太宰は、太宰そのものの主体に問題があると思う。太宰は、いま一度、黒田さんが唯物論における人間主体の問題をいかに思考し、実践的唯物論を深化したのか、また宇野経済学の方法論の批判としてプロレタリアの主体性の問題がなぜ提起されているのか、という根本的なことを考えるべきである。

 

  同志加治川にたいする批判から

 われわれは「探究派」としてコロナ危機との闘いを組織するために、労働者に向けた情宣活動を展開していた。その情宣パンフに同志加治川から辺見庸の散文を引用したものが投稿された。だが辺見の散文は、マルクス主義反スターリン主義を背骨とするわれわれにとって、情宣活動に引用しうる内容ではなかった。小ブルジョア的なニヒリスティックな内容に、それを引用しようとした同志加治川に、多くの同志から批判があがった。しかし同志加治川はその批判に照らしておのれを省みようとはしていない。私も同志加治川にたいして、マルクス主義者=反スターリン主義者としての主体性にかかわる問題として批判したのであった。その一部に次のように書いたのである。
 「私は、加治川さんが辺見の何処かにひかれること自体不思議でもないし、それが変質とは思わない。私も永井浩の詩(一九七一年〇〇大学文集)に引き寄せられた。人間の感性や意志、理性ととらえられているものは、生命体としての肉体の活動と、資本主義的生産様式に規定された社会的人間関係のなかでの実践によって形成され育まれる。また黒田さんの言うようにマルクス主義者=反スターリン主義者を志すまえに蓄積された教育やイデオロギー、それらの様々なものが、幾重にも幾重にも重なり沈殿し融合して、自己の感性・意志・理性とよばれるものがつくりだされ、人間的資質と言われるものを形成する。マルクス主義者=反スターリン主義者はその土台の上にマルクス主義者=反スターリン主義者としての主体性をつくりだすことを志す。沈殿していたものが、何らかの要因によって引っ張り出されることは絶対にある。加治川さんが言うように、ニヒリズムを経験しないマルクス主義者=反スターリン主義者はいないだろう。既成のものにたいして、何らかの形で疎外感をもち否定感をもってそこにたどり着くわけだから。問題は、引っ張り出されたもの、あるいは、実践に、感性に、思考の傾向に現れる人間資質と言われるもの、土台となっているものを、形成しようとしているマルクス主義者=反スターリン主義者としての主体性をもって、どのように捉え、否定的にあるいは肯定的に、過去的なものを現在的なものへとつくり直していくのかであると思う。」と。
 ここではマルクス主義者=反スターリン主義者としての主体性をいかにつくりだしていくのかということを述べたのである。マルクス主義者=反スターリン主義者たらんとして決意しその主体性を形成していこうとする以前と以後の問題を同志加治川に提起したのである。
 黒田さんは「主語面と述語面とに分割される以前の「歴史的自然」を具体的に賃労働者のそれとしてとらえるならば、それはプロレタリアとしての即自的価値意識であるといえる。」と述べている。プロレタリアはプロレタリアとしての階級的自覚を、階級闘争のただなかで、マルクス主義を、そのイデオロギーを媒介としてかちとりながら、向自的なプロレタリアとして自己をたかめていくのであるが、この過程において、内在化し沈殿させていた即自的なプロレタリアとしての価値意識を、その内省力をもって場所的につくりかえていくのである。(先に述べた「螺旋」はプロレタリアという具体的規定があたえられたときにはじめて螺旋になるのであって、人間という規定においてとらえられる認識=思惟活動の形式的な構造は円環としてとらえられるのではないだろうか。であるからプロレタリアの認識=思惟活動は過渡として過程的にのみ表記されていると私は考えている。)
 変革主体たるおのれをつくること、それは決してたやすいことではない、と思う。マルクス主義者=反スターリン主義者として生きようとするおのれは、それまでに蓄積された価値判断を内在化し、おのれ自身をも対象的にとらえるとともに、感性的なものをもともに内在化しているのであって、そのうえに現代世界を根底から変革し、労働者のそして人間の解放をかちとるという新たな価値意識=「マルクス主義者=反スターリン主義者」としての価値意識を、おのれの内に貫徹するのである。そう意志するのである。だからこそわれわれは、つねに自己否定的でなければならないのである。私は、ここに反スターリン主義者としてのガイストがあると思っている。
 同志加治川よ、同志加治川よ。そうは思わないか。

 

  没主体――太宰郷子へ――

 太宰よ、あなたは「学習会のメンバーはかつての学習会のメンバーとまったく異なっている」とわざわざ( )を付けて書き添えている。私は、ふと太宰は何をアナロジーしているのだろうか、と思った。あなたを指導した人がいなくなり、いまは、あなたが指導的立場にたって、若い活動家と活気あふれる学習会を開催している、と言いたいのだろうか。そうではないだろう。そうであればこのような文章にはならない。二七年前のおのれとその論文に黒田さんが加筆・補足してくれたという喜び、そして当時のパトスあふれる学習会を、いまのおのれを省みてアナロジーしているのではないだろうか。
 ある現革マル派組織成員の老活動家が、「革マル派の組織成員は主体性を失ってしまった。指導部の指示に没主体的に唱和することが組織成員のメルクマールになるほど、それしか許されないほど、革マル派の組織は変質してしまった」、と言う。そして組織内ニヒリズムにおちいっているおのれを自覚している、と言う。あなたはその人よりも「利口」かもしれない。なぜなら指導部が気に入るように「逝去されて十四年、われわれは、日々、黒田さんに教えられ導かれて精進するのだと実感する」、とこの論文を締めくくるのだから。もはや黒田寛一をイエスキリストのごとく表現しても何らの否定感も感じなくなってしまっているのだろう。
 太宰よ、プロレタリアの主体性の問題を論じながら、なぜおのれの党の現実を直視しようとはしないのか。「解放」紙上で展開されている反米民族主義丸出しの論述、反日民族主義を掲げる文在寅を韓国プロレタリアートの味方などとし、韓国国民に向かって日本の労働者階級として自己批判するなどという被抑圧民族主義への転落、それをあるブログで批判されるや沈黙するという政治主義。あなたの論文と同じ第二六三二-二六三三号に掲載されている青島路子論文を読んでみよ。中国のプロレタリアートをあるときは「農民工・労働者」と表記し、また他の個所では「北京官僚のもとに中国勤労人民は縛りつけられ」というように、スターリン主義経済下の「勤労人民」という表記を、なんの疑問を感じることなく使っているのである。習近平のすすめる「一帯一路」政策にもとづき、アジアやアフリカに進出している中国資本のもとで過酷な労働を強いられている労働者はいったいどう規定されるのだ。『資本論』の始元をなす商品が労働力商品として意義をもつように、われわれはそこにはたらく労働者人民にわが身をうつしいれて、その根底から転覆すべき政治経済構造を分析するのである。このいわば始元となるべきもの、変革の主体となるべきものが、賃労働者であるのかそうでないのかすら規定できない、矛盾に満ちたこの論文を、あなたはどう考えるのだ。いや、あなたは考えないのだ。
 関東のある労働争議において、現革マル派指導部は、国家権力機構の一翼を担う裁判所におのれの願望を投影し「復職なき金銭和解反対」をふりかざし、労働組合員を引き回したあげく、みごとに破産した。だが現指導部はその指導について一片の自己批判をすることなく、一人の官僚を処分することで終わらせようとしたのである。そいてあろうことかこの闘争の過程で指導部を「フラクションとしての労働運動に陥没している」と批判した同志を組織的に排除したのであった。
 太宰よ、これがあなたの組織の現実である。あなたはどう思っているのだ。いや、あなた何も思わないのだ。「見ざる聞かざる言わざる」、これがあなたの現実の姿ではないのか。その現実と対決することを放棄して、あなたは何の学習をしているのだ。あなたがいま、観念的な世界で「師黒田寛一」と言う黒田寛一は、現実の世界でスターリン主義からの決別を哲学し、終生、反スターリン主義の理論と組織と闘争の創造におのれを貫いたのではないのか。この黒田寛一のガイストをおのれのものとすると意志することぬきに、そして、あなたの現実と対決し太宰郷子のなかに黒田寛一の「哲学、思想」を現実的な学として創りだすことをぬきにして、いかに黒田寛一の論述の字面を解釈しようとしても、それは黒田寛一にたいする冒瀆以外の何ものでもないのではないか。太宰だけではない。多くの革命的マルクス主義者が、あなたと同様に「見ざる聞かざる言わざる」になり、組織的ニヒリズムに陥りながらも、ただ組織成員として存在しているということをもってのみ、自己にたいする免罪を与えているのであろう。それは黒田寛一を冒瀆するだけでなく、マルクス主義者=反スターリン主義者として生きようとしてきたおのれ自身を冒瀆するものではないか。
 太宰よ、「組織哲学」なるものを振り回し、党そのものを物神化しスターリン主義と同質のものに転落しているおのれの党を見つめよ。「日々、黒田さんに教えられ導かれて」などと、あろうことか黒田寛一を神格化するようなものを書いているおのれを見つめよ。
 そこからあなたの反スターリン主義者としての再生が始まる。それは、あなたの師黒田寛一があなたの論文に加筆・補足した思いを、あなたのなかに実現することではないか。
 太宰よ、多くの革命的マルクス主義者よ、おのれのなかに深く深く、しかし、しっかりとして沈殿している反スターリン主義者=革命的マルクス主義者としての価値判断、これを内在化したおのれのあらゆる諸能力を、革命的パトスを、コロナ危機にあえぐ現代世界を根底から変革するために、全世界の労働者・人民とともにたたかうために、呼び起こそうではないか。

 参考文献 黒田寛一『宇野経済学方法論批判』(こぶし書房)
      北井信弘『決断の根底』(創造ブックス)
      北井信弘『変革の意志』(創造ブックス)

               (二〇二〇年九月五日 西知生)

 

 〔編集部注 同志西は、この論文において創意的で創造的な追求をおこなっている。同志諸君および読者の皆さんがこの追求を深く検討することを望む。〕

全世界の「賃金奴隷」よ、今こそ団結して起ち上がろう!

国家独占資本主義の延命のために

労働者階級を生け贄とする安倍政権を打倒しよう!
〔八月二八日午後二時、「安倍首相、辞任の意向を固める」との報道あり。〕

 

  〝「2類」外し〟の危険な転換

 

 八月二四日、政府の新型コロナウイルス感染症対策「分科会」の脇田隆字(前・専門家会議座長)は、同感染症の拡大が七月二七~二九日をピークとして下降局面に入ったとの認識を打ち出した。同時に、分科会では新型コロナ感染症を指定感染症の「2類」から外す方向で一致した、とされる。「2類」とは、結核やSARZとを同等で、感染者には「入院勧告・就業制限」が行われるというものであり(二月に指定)、この「指定」をはずすということは、検査で感染が判明していても、無症状や軽症の感染者の場合には、入院措置をとることなく、宿泊施設や家庭で〝療養〟させる、というものである。加えて、新規に判明した感染者数をいちいち公表するというような〝面倒な〟ことをしなくて済む、というようなことをも彼らは語っている(例えば、「分科会」会長で、前・専門家会議副座長の尾身茂)。
 そして、そのような〝見直し〟が必要な理由としては、秋からはインフルエンザの流行が予想されるため、多くの病床を確保することが必要だから、というのである。
 これは極めて危険かつ犯罪的なことである!

 

  屁理屈による正当化

 

 たしかに、八月後半には新規感染者数が若干低下傾向にあるとはいえる。(もちろん、傾向はいつ逆転するかもしれない。)また、日本で現在多く感染者が出ている「東京型」は、「武漢型」や「欧米型」と比較して弱毒化しているという可能性も指摘されている。
 だがしかし、現在日々報告されている新規感染者数は、そもそもPCR検査数の絶対的少なさからして、実際に感染しているであろう人びとのほんの一部にすぎないことは明白である。また感染が判明しても、軽症者や無症状者に治療措置・生活保護策をとらず、単なる宿泊施設や家庭での〝療養〟に委ねるならば、せっかく検査を受けて感染が判明したそれらの人びとから、さらに多くの人びとに感染が拡大することは火を見るよりも明らかではないか。「家庭内感染」が増えている、という報告からもそう言える。(またウイルスは変異によってどうにでも〝進化〟する。いつ何時、新たな変異によって強毒化するかも知れない。)
 絶対的に必要なことは、PCR検査を十全に実施し、たとえ軽症や無症状であったとしても、感染していることが判明している人びとは、重症者とは別コースの医療的保護・生活保障のもとにおき、治療・療養を促すことなのである。(感染判明者の症状の変化に応じて、コースは変えればよい。)それなくして、感染拡大を抑えることはできないではないか。
 このような自明とも言うべき対処をとることなく〝ピークアウト〟を理由として上のような転換をはかっている。しかし、これは明らかに屁理屈である。実際には、「感染第二波の真っ只中」と言われている時にさえ、〝Go to キャンペーン〟を強引に実施したことに示されているように、安倍政権は巨大独占企業をはじめとする資本主義的諸企業を救済するとともに、政権の安泰をはかること、そのためには、新型コロナウイルス感染症が拡がり続けることをも厭わない、という姿勢を鮮明にしたのである。いわゆる経済界の要望に応えるために、あえて打ち出しているのが、上の屁理屈なのである。費用のかかる医療・保健・福祉体制の充実に、これ以上カネを使いたくない、ということもまた彼らの本音であることはいうまでもなかろう。

 

  繰り返される犯罪的施策

 

 しかもこのような屁理屈は、彼らがこれまで用いてきた理屈と同じではないか。
 今春の感染急拡大の時期に、PCR検査を極力抑えてきたのが彼らであるが、その際には彼らは〝検査の拡大によって感染判明者が増えると軽症者でも無症状者でも入院などの措置が必要となり、重症者への対応に支障が出る〟というのが、その理由であったではないか。まさにその結果が、感染の拡大であった!今日、「第二波」と言われている感染拡大は、政府が大規模なPCR検査の実施を拒み(保健所その他の検査の態勢を強化することさえせず)、さらには重症者・中症者の治療にのみシフトし、軽症者や無症状者については、実際には「2類」の規定にも反して、宿泊施設や家庭での療養を促してきた結果ではないのか。(もちろん、他方で中・重症者にたいして手厚い施療がなされたことも、また献身的に治療にあたる医療従事者たちを保護するための施策が十全に施されたことも意味しない。)重症者を治療し「死者を出さない」ことを名分として、軽症者や無症状者の対策を軽んじてきたのである。――軽症を理由として「自宅療養」とされた若い感染者の容態が急速に悪化し死に至った、という例も報告されている。同様の事態で、報道されていないケースも多々あるにちがいない。
 もちろん実際には、政府がPCR検査を抑制したのは、「景気」のためであり、東京オリンピック開催のためであり、「インバウンド」の呼び込みのためであった。だから、ためにする屁理屈だというのである!
 こうして、明らかに新型コロナウイルス感染症の症状が見られる人びとでさえ、PCR検査がを受けにくい・受けることが出来ない状況をつくりだしたのは、安倍政権なのである!わざわざ「37.5℃の発熱が四日間以上」等というハードルを設けることにより、どれだけの人びとが待機させられ、その間に重症化し、さらには死去したか!死には至らなくても、不安な日々に追い込まれたり、さらに生活苦に突き落とされたのか!われわれは、具体的には知り得ない。(その後、このハードルについては、「誤解」だなどという呆れた言い訳もなされた。許しがたい弥縫=欺瞞ではないか。)
 しかし、このような抑制政策のために、PCR検査を受けたときには既に手遅れとなっていた人びとの名をほんの一部知らされた。女優の岡江久美子であり、力士の勝武士である。彼らは有名人であったり、話題性があったという事情でマスコミに取り上げられたからである。前者は、高熱を発して病院で診察を受けたにもかかわらず、自宅に追い返された。再入院したときは手遅れであった。後者は、同じく高熱を発し、所属する高田川部屋の親方他の尽力にもかかわらず、検査を受けられず、同様に手遅れとなった。糖尿の持病をもっていたとはいえ、二八才の若さで死去したのである。何と不憫なことか!
 彼の死去について、白鴎大学教授の岡田春恵は、テレビ番組の中で、次のような主旨のことを公然と言った――〝勝武士さんは、コロナウイルスではなく、医療体制の不備によって殺された〟のだと。
 勝武士、哀れ!安倍政権が、彼を殺したのだ!

 

  専門家たちの隷従

 

 今日、「分科会」に属し政府の意向を代弁しているかに見える医学者たち。その中心メンバーは、かつて「専門家会議」の中軸であった。六月二四日の記者会見で、彼らは上記の脇田(座長)を軸にして、〝専門家会議が政策を決めているかのような印象を与えてしまったが、政策に責任を負うのは政府であり、専門家との役割を明らかにすべきだ。同じであるかのように見られることがあったことを反省している〟という主旨の発言をした。ところが、専門家会議の面々(尾身、脇田、岡部信彦)が記者会見を行っているまさにそのときに、政府の担当者である西村経済再生担当大臣は「専門家会議」の廃止と、新たに「分科会」を設置することをマスコミに発表したのであった。会見中にその事について記者から質問された尾身は、意味がわからず「えっ、もう一回言って」と聞き直すという当惑ぶりを示したのであった。そのような重要な転換について、専門家会議副座長である尾身にすら知らされていなかったのである。(その尾身が「分科会」の会長となった。本当に知らなかった?ひょっとするとオトボケか?)西村の発表は、明らかに専門家会議の面々にたいする恫喝という意味をもつものであった。
 なぜなら、専門家会議の面々は、〝反省〟の名のもとに、政府の新型コロナウイルス感染症対策に関する非難を自分たちが受けることに不満を表明したといえるからである。この時期には、専門家会議の面々と政府の担当者たちとのあいだには、かなりの軋轢が生じていたと思われる。その内実については、必ずしも明言されていないが、少なくとも次の二点は、浮き彫りになった。専門家たちの側から言えば、
 その第一は、政府のやり方ではPCR検査が少なすぎること、もっと増やすべきであったこと。
 その第二は、彼らが、無症状の感染者(いわゆる〝サイレント・キャリア〟)からも他の人に感染させることがあることを周知させるべきだと主張したのに対して、〝そんなことをしたらパニックになるからダメだ〟として政権側が抑え込んだというのである。
 このことは極めて深刻である。今日、六月後半以降の感染急拡大が「第二波」と呼ばれているが、それは若者たちの感染判明が急増したことに端を発する。このことは、感染していても軽症にとどまるか無症状だった若者たちの間で、感染が広く深く進行していたことがついに表面化したことを意味する。
 専門家たちの意見をも押さえ込み、PCR検査を抑制し、感染拡大の隠蔽につとめた政府の悪行が、多くの感染者・被害者をもたらしたのである!その犠牲の象徴が、岡江久美子であり、勝武士であったのだ!
 だが、政府は鉄面皮にも、また同じ犯罪を繰り返しつつある。
 そして、専門家たちは、〝経済が回らなくなったらもっと大変だ!〟という恫喝に屈したのであろう。再び政府の犯罪に加担するのであろうか。その罪は、最初の非抵抗による犯罪より重いことを自覚すべきではないのか。

 

  沖縄の怒り

 

 沖縄では七月以降に感染判明者が激増し、人口当たりの感染者数は、東京を上回り全国一となった。感染者数の累計でも、ついに北海道を上回り、東京・大阪・神奈川・愛知・福岡・埼玉・千葉・兵庫に続く二〇一三名となっている(八月二七日)。巨大都市を含む人口密集地域と肩を並べる増加ぶりである。
 沖縄では、永く米軍基地でのクラスター発生が隠蔽され、その間は米軍関係者の基地外での行動が野放しにされ、基地外への感染の拡大がもたらされたであろうことは明かである。基地内で働く沖縄の人びともまた感染の危機にさらされた。(米軍の原子力空母二隻で新型コロナ感染症が蔓延し、感染した兵士の救援を求め、警鐘をならしたセオドア・ルーズベルトの艦長が解任された。この事態に象徴されるように、米軍が新型コロナ感染症の坩堝となっていることを米政府はひた隠しにしてきた。)
 それだけではない。県当局の発表によれば、那覇市の繁華街(いわゆる「夜の街」)では、本土とくに東京からきた若者たちからの感染が激増した。新宿をはじめいわゆる「夜の街」での店舗の休業によって仕事と日銭を失った若者たちが流入したのだという。これは、歌舞伎町などで営業する各種の店舗に、東京都が「緊急事態宣言」にもとづいて休業を求め、協力店に一定の「協力金」なるものを支給したとしても、そこで働いてきた人びとへの休業・生活保障がなされていないことの結果である。
 また最近の報道では、東京ではPCR検査を受けることができても受けることを希望しない人が増えている、という。これはPCR検査拡充の意味が薄らいでいることを何ら意味しないし、検査数が少ないことを正当化しうる事態でもない。費用負担の問題だけではなく、おそらくは重症化するケースが比較的少ない若者のあいだで、検査を受けて感染が判明するとかえって不都合=生活できなくなる、という意識に陥る人が増えているということであろう。であれば、彼らもまた感染拡大の予備軍に追い込まれることになりかねない。さらには、〝Go toキャンペーン〟に伴う感染の拡大もまた、襲うであろう。
 沖縄は、またしても日米軍事同盟の生け贄とされ、日本社会の矛盾のしわ寄せ先とされている、と言わなければならない。

この危機を突破するのは、労働者階級の力しかない!
すべての労働者は団結して、安倍・自民党政権打倒の闘いに立ち上がろう!

 これまでは、感染者や死者の実体的構成については、ふれなかった。一般には、高齢者ほど重症化したり、死亡したりする危険が高い、と言われている。それはそうであろう。この点については、データも示されている。
 だが同時に、それらにおける階級・階層的な構造もまた明らかにしなければ、社会的意味は明らかにならない。しかしそのような統計資料が公表されることはなく、われわれは知りえず、推論するほかない。多くの労働者が犠牲となっていることは疑いない。
 最近の新聞やTVでは、田舎への〝疎開〟者が増えている、という。たとえば東京に住まなくても、〝テレワーク〟が出来るから、ということが理由として紹介されている。しかし、そのようなビヘイビアが可能なのは、企業経営者であれ、労働者であれ、一定の資力がありそれなりの職業的技術・技能をもつ人にかぎられる。労働者の大多数は、たとえ感染の危険性が大きいと感じられても、その職場にしがみついて生きていかざるをえない。われわれ一般の労働者は、資本家や資本家的経営者、さらに一部の上級労働者とは異なる、悪い就労環境で働き、低レベルの居住・生活条件のもとに生きている。それは同時に、新型コロナウイルス感染症にも陥りやすい条件のもとで生活していることを意味する。
 いやそもそも、われわれ労働者は、自らの労働力を商品として売却し、それによって得た賃金によってしか命をつなぐことができない存在である。労働者は、通勤途上で、また労働現場そのもので、その他の必然的に立ち寄る様々な場所で、感染の危険が感じられても逃げることもできない。労働現場での感染回避のための諸施策なども、仮に労働組合が存在していても、十全に実施されうるわけではない。企業経営者が従業員の感染による事業の停滞・破綻を恐れて、種々の対策をとる、ということにかなりの程度依存する形でしか、実際には実現されえてはいない。(それは今日の労働組合の多くが、「連合」のもとで〝御用組合〟化していることにもとづく。)それでも自分自身の、家族の、そして仲間達の健康と命を守るために、様々な工夫を凝らして頑張っているわけである。
 また、そのような職場からすら追われている労働者も極めて多い。
 先の「夜の街」関連の従事者たちもまた、ところを変えて同じ仕事を探すほかない状況に追い込まれている、といえる。これを「自己責任」で済ませることは決して出来ないのである。
 ロンドンでは、短期間のうちに、二〇名ものバス運転手が新型コロナ感染症で死亡したことを想起せよ。
 安倍政権は、政府・日銀による実質的な資金注入によって辛くも維持されている独占資本主義「経済」の防衛のために、労働者階級を二重の意味で、犠牲に供しているのである。
 まさにこのように、コロナ危機のもとで辛苦をなめるわれわれこそが、そして元々の「経済」なるものの真っ只中で、厳しく搾取され、諸権利を奪われ、〝奴隷〟化されてきたわれわれ労働者階級こそが、この危機を真に主体的に突破しうる存在であることを自覚し、起ち上がるのでなければならない。
 労働者階級・人民をコロナ危機の生け贄とする安倍政権を打倒しよう!
 「安倍退陣」などに惑わされることなく、数々の悪行を繰り返してきた安倍・自民党政権を、今また悪行の上塗りを図っている政権を弾劾し、労働者階級・人民の力で打倒しよう!
「敵基地攻撃能力の獲得」を軸に、軍事力の飛躍的強化・日米軍事同盟の強化に奔走する自民党政権を打倒しよう!
またぞろ選挙準備にのめり込み始めた野党諸勢力、既成労働運動指導部をのりこえて闘おう!

 

  全世界の労働者階級と団結して闘おう!

 

 アメリカでは、「黒人」の感染・死亡率が「白人」に比べて極めて高いことが問題となっているが、その「黒人」の多くは賃金労働者である。彼らの祖先は文字通り「奴隷」としてアメリカに連れてこられた。彼らは奴隷制が廃止されて久しい今日においては、多くは賃金労働者として、しかも下層の労働者として働いている。彼らは劣悪な労働・生活・住環境のもとで、多くが新型コロナウイルス感染症に罹患し、多くが死に至っている。
 このような現実に深い憤りをいだく彼らは、また同時に今、「白人」警官による相次ぐ「黒人」射殺・銃撃事件を弾劾し、良心的な「白人」たちとともに、団結して立ち上がりつつある。だが二一世紀の今日においても「黒人の命も重要だ!」というスローガンが掲げられなければならないとは、何という悲劇であろうか!――これこそ、スターリン主義の破産と崩壊がもたらした現代階級闘争の姿である。
 マルクスは、近代の賃金労働者を「賃金奴隷」と呼んだ。これは、近代の賃金労働者を、その実態の分析に基づいて一般的に規定したものであり、もちろん労働者をその出自から見たものではない。しかし、アメリカで生きる生きるアフリカ系労働者たちの苦悩に思いを馳せるならば、まさにこの「賃金奴隷」というマルクスの言葉が想起される。トランプの「偉大なアメリカ」の裏面が、いや「自由と民主主義の国」アメリカそのものの裏面がこれである。アメリカの「黒人」たちは、「奴隷としての過去」になお縛りつけられているかのように感じているであろう。
 だが、この闘いは単なる人種差別反対に切り縮められてはならない。労働者階級は「白人・黒人」の人種の壁をのりこえ、階級的に団結して闘う以外に、新しい未来・新しい社会を創造することはできない。その闘いは「自由と民主主義」の地平そのものを超克することによってしか勝利しえないのである。それは反スターリン主義運動の再興を思想的組織的根拠としてのみ、かちとりうるであろう。
 アメリカの「黒人」労働者について言えることは、全世界の労働者に妥当する。在来の労働者も、移民労働者も、出稼ぎ労働者も、団結して闘おう!
ゾンビ化した国家独占資本主義のもとで苦悩する労働者階級も、官僚制国家資本主義のもとで呻吟する労働者階級も、ともに闘おう!
 コロナ危機の試練にうちかち、労働者階級の団結をさらに強く・広く・深く推し進めよう!

 

 わが探究派は、反スターリン主義の立場を堅持し、磨き上げ、全世界の労働者階級の前衛へとみずからを高めるために、闘う。
           (二〇二〇年八月二八日 椿原清孝)

おら、こんな社会変えるだ

みんなで一緒に力を合わせてつくろうよ
うち破れ! コロナ危機 「臨時政府の歌」3 

                       作:集治水風

 <「俺ら東京さいぐだ」作詞・作曲吉幾三の曲にのせて>

 

雇い止め! すえは「お嬢か C・L( チャット・レデイ」

身体はあってもこころはない!
ふえるはファクタリングばかり!!
おら、こんな世の中やだ
おら、こんな世の中やだ

 

故郷はない!帰る家もない!
お金もないけど仲間はいるだ
ふえるは仲間たちだよ
おら、こんな社会変えるだ
おら、こんな社会変えるだ

 

赤ちゃん殺すな!
家はなくても家族はあるよ
電気はいるけど原発いらない ‼
ウイルスもっといらない!
おら、こんな世界変えるだ
おら、こんな社会変えるだ

 

検査機あるのに買わない!
高額のクスリ買わせて!
太るは安倍や習(トランプ)の腹ばかり
おら、こんな資本主義やだ
おら、こんな資本主義やだ

 

意見は言わない!
支配者の言いなり
ふえるのは盲従分子ばかり
おら、こんな議会やだ
おら、こんな議会やだ


みんなこいよ、みんなが起ちあがろう
本物の[民衆革命」をやろう!
みんなで力を合わせて
世界のみんなと連帯するだ
世界のみんなも、連帯するだ