全世界の「賃金奴隷」よ、今こそ団結して起ち上がろう!

国家独占資本主義の延命のために

労働者階級を生け贄とする安倍政権を打倒しよう!
〔八月二八日午後二時、「安倍首相、辞任の意向を固める」との報道あり。〕

 

  〝「2類」外し〟の危険な転換

 

 八月二四日、政府の新型コロナウイルス感染症対策「分科会」の脇田隆字(前・専門家会議座長)は、同感染症の拡大が七月二七~二九日をピークとして下降局面に入ったとの認識を打ち出した。同時に、分科会では新型コロナ感染症を指定感染症の「2類」から外す方向で一致した、とされる。「2類」とは、結核やSARZとを同等で、感染者には「入院勧告・就業制限」が行われるというものであり(二月に指定)、この「指定」をはずすということは、検査で感染が判明していても、無症状や軽症の感染者の場合には、入院措置をとることなく、宿泊施設や家庭で〝療養〟させる、というものである。加えて、新規に判明した感染者数をいちいち公表するというような〝面倒な〟ことをしなくて済む、というようなことをも彼らは語っている(例えば、「分科会」会長で、前・専門家会議副座長の尾身茂)。
 そして、そのような〝見直し〟が必要な理由としては、秋からはインフルエンザの流行が予想されるため、多くの病床を確保することが必要だから、というのである。
 これは極めて危険かつ犯罪的なことである!

 

  屁理屈による正当化

 

 たしかに、八月後半には新規感染者数が若干低下傾向にあるとはいえる。(もちろん、傾向はいつ逆転するかもしれない。)また、日本で現在多く感染者が出ている「東京型」は、「武漢型」や「欧米型」と比較して弱毒化しているという可能性も指摘されている。
 だがしかし、現在日々報告されている新規感染者数は、そもそもPCR検査数の絶対的少なさからして、実際に感染しているであろう人びとのほんの一部にすぎないことは明白である。また感染が判明しても、軽症者や無症状者に治療措置・生活保護策をとらず、単なる宿泊施設や家庭での〝療養〟に委ねるならば、せっかく検査を受けて感染が判明したそれらの人びとから、さらに多くの人びとに感染が拡大することは火を見るよりも明らかではないか。「家庭内感染」が増えている、という報告からもそう言える。(またウイルスは変異によってどうにでも〝進化〟する。いつ何時、新たな変異によって強毒化するかも知れない。)
 絶対的に必要なことは、PCR検査を十全に実施し、たとえ軽症や無症状であったとしても、感染していることが判明している人びとは、重症者とは別コースの医療的保護・生活保障のもとにおき、治療・療養を促すことなのである。(感染判明者の症状の変化に応じて、コースは変えればよい。)それなくして、感染拡大を抑えることはできないではないか。
 このような自明とも言うべき対処をとることなく〝ピークアウト〟を理由として上のような転換をはかっている。しかし、これは明らかに屁理屈である。実際には、「感染第二波の真っ只中」と言われている時にさえ、〝Go to キャンペーン〟を強引に実施したことに示されているように、安倍政権は巨大独占企業をはじめとする資本主義的諸企業を救済するとともに、政権の安泰をはかること、そのためには、新型コロナウイルス感染症が拡がり続けることをも厭わない、という姿勢を鮮明にしたのである。いわゆる経済界の要望に応えるために、あえて打ち出しているのが、上の屁理屈なのである。費用のかかる医療・保健・福祉体制の充実に、これ以上カネを使いたくない、ということもまた彼らの本音であることはいうまでもなかろう。

 

  繰り返される犯罪的施策

 

 しかもこのような屁理屈は、彼らがこれまで用いてきた理屈と同じではないか。
 今春の感染急拡大の時期に、PCR検査を極力抑えてきたのが彼らであるが、その際には彼らは〝検査の拡大によって感染判明者が増えると軽症者でも無症状者でも入院などの措置が必要となり、重症者への対応に支障が出る〟というのが、その理由であったではないか。まさにその結果が、感染の拡大であった!今日、「第二波」と言われている感染拡大は、政府が大規模なPCR検査の実施を拒み(保健所その他の検査の態勢を強化することさえせず)、さらには重症者・中症者の治療にのみシフトし、軽症者や無症状者については、実際には「2類」の規定にも反して、宿泊施設や家庭での療養を促してきた結果ではないのか。(もちろん、他方で中・重症者にたいして手厚い施療がなされたことも、また献身的に治療にあたる医療従事者たちを保護するための施策が十全に施されたことも意味しない。)重症者を治療し「死者を出さない」ことを名分として、軽症者や無症状者の対策を軽んじてきたのである。――軽症を理由として「自宅療養」とされた若い感染者の容態が急速に悪化し死に至った、という例も報告されている。同様の事態で、報道されていないケースも多々あるにちがいない。
 もちろん実際には、政府がPCR検査を抑制したのは、「景気」のためであり、東京オリンピック開催のためであり、「インバウンド」の呼び込みのためであった。だから、ためにする屁理屈だというのである!
 こうして、明らかに新型コロナウイルス感染症の症状が見られる人びとでさえ、PCR検査がを受けにくい・受けることが出来ない状況をつくりだしたのは、安倍政権なのである!わざわざ「37.5℃の発熱が四日間以上」等というハードルを設けることにより、どれだけの人びとが待機させられ、その間に重症化し、さらには死去したか!死には至らなくても、不安な日々に追い込まれたり、さらに生活苦に突き落とされたのか!われわれは、具体的には知り得ない。(その後、このハードルについては、「誤解」だなどという呆れた言い訳もなされた。許しがたい弥縫=欺瞞ではないか。)
 しかし、このような抑制政策のために、PCR検査を受けたときには既に手遅れとなっていた人びとの名をほんの一部知らされた。女優の岡江久美子であり、力士の勝武士である。彼らは有名人であったり、話題性があったという事情でマスコミに取り上げられたからである。前者は、高熱を発して病院で診察を受けたにもかかわらず、自宅に追い返された。再入院したときは手遅れであった。後者は、同じく高熱を発し、所属する高田川部屋の親方他の尽力にもかかわらず、検査を受けられず、同様に手遅れとなった。糖尿の持病をもっていたとはいえ、二八才の若さで死去したのである。何と不憫なことか!
 彼の死去について、白鴎大学教授の岡田春恵は、テレビ番組の中で、次のような主旨のことを公然と言った――〝勝武士さんは、コロナウイルスではなく、医療体制の不備によって殺された〟のだと。
 勝武士、哀れ!安倍政権が、彼を殺したのだ!

 

  専門家たちの隷従

 

 今日、「分科会」に属し政府の意向を代弁しているかに見える医学者たち。その中心メンバーは、かつて「専門家会議」の中軸であった。六月二四日の記者会見で、彼らは上記の脇田(座長)を軸にして、〝専門家会議が政策を決めているかのような印象を与えてしまったが、政策に責任を負うのは政府であり、専門家との役割を明らかにすべきだ。同じであるかのように見られることがあったことを反省している〟という主旨の発言をした。ところが、専門家会議の面々(尾身、脇田、岡部信彦)が記者会見を行っているまさにそのときに、政府の担当者である西村経済再生担当大臣は「専門家会議」の廃止と、新たに「分科会」を設置することをマスコミに発表したのであった。会見中にその事について記者から質問された尾身は、意味がわからず「えっ、もう一回言って」と聞き直すという当惑ぶりを示したのであった。そのような重要な転換について、専門家会議副座長である尾身にすら知らされていなかったのである。(その尾身が「分科会」の会長となった。本当に知らなかった?ひょっとするとオトボケか?)西村の発表は、明らかに専門家会議の面々にたいする恫喝という意味をもつものであった。
 なぜなら、専門家会議の面々は、〝反省〟の名のもとに、政府の新型コロナウイルス感染症対策に関する非難を自分たちが受けることに不満を表明したといえるからである。この時期には、専門家会議の面々と政府の担当者たちとのあいだには、かなりの軋轢が生じていたと思われる。その内実については、必ずしも明言されていないが、少なくとも次の二点は、浮き彫りになった。専門家たちの側から言えば、
 その第一は、政府のやり方ではPCR検査が少なすぎること、もっと増やすべきであったこと。
 その第二は、彼らが、無症状の感染者(いわゆる〝サイレント・キャリア〟)からも他の人に感染させることがあることを周知させるべきだと主張したのに対して、〝そんなことをしたらパニックになるからダメだ〟として政権側が抑え込んだというのである。
 このことは極めて深刻である。今日、六月後半以降の感染急拡大が「第二波」と呼ばれているが、それは若者たちの感染判明が急増したことに端を発する。このことは、感染していても軽症にとどまるか無症状だった若者たちの間で、感染が広く深く進行していたことがついに表面化したことを意味する。
 専門家たちの意見をも押さえ込み、PCR検査を抑制し、感染拡大の隠蔽につとめた政府の悪行が、多くの感染者・被害者をもたらしたのである!その犠牲の象徴が、岡江久美子であり、勝武士であったのだ!
 だが、政府は鉄面皮にも、また同じ犯罪を繰り返しつつある。
 そして、専門家たちは、〝経済が回らなくなったらもっと大変だ!〟という恫喝に屈したのであろう。再び政府の犯罪に加担するのであろうか。その罪は、最初の非抵抗による犯罪より重いことを自覚すべきではないのか。

 

  沖縄の怒り

 

 沖縄では七月以降に感染判明者が激増し、人口当たりの感染者数は、東京を上回り全国一となった。感染者数の累計でも、ついに北海道を上回り、東京・大阪・神奈川・愛知・福岡・埼玉・千葉・兵庫に続く二〇一三名となっている(八月二七日)。巨大都市を含む人口密集地域と肩を並べる増加ぶりである。
 沖縄では、永く米軍基地でのクラスター発生が隠蔽され、その間は米軍関係者の基地外での行動が野放しにされ、基地外への感染の拡大がもたらされたであろうことは明かである。基地内で働く沖縄の人びともまた感染の危機にさらされた。(米軍の原子力空母二隻で新型コロナ感染症が蔓延し、感染した兵士の救援を求め、警鐘をならしたセオドア・ルーズベルトの艦長が解任された。この事態に象徴されるように、米軍が新型コロナ感染症の坩堝となっていることを米政府はひた隠しにしてきた。)
 それだけではない。県当局の発表によれば、那覇市の繁華街(いわゆる「夜の街」)では、本土とくに東京からきた若者たちからの感染が激増した。新宿をはじめいわゆる「夜の街」での店舗の休業によって仕事と日銭を失った若者たちが流入したのだという。これは、歌舞伎町などで営業する各種の店舗に、東京都が「緊急事態宣言」にもとづいて休業を求め、協力店に一定の「協力金」なるものを支給したとしても、そこで働いてきた人びとへの休業・生活保障がなされていないことの結果である。
 また最近の報道では、東京ではPCR検査を受けることができても受けることを希望しない人が増えている、という。これはPCR検査拡充の意味が薄らいでいることを何ら意味しないし、検査数が少ないことを正当化しうる事態でもない。費用負担の問題だけではなく、おそらくは重症化するケースが比較的少ない若者のあいだで、検査を受けて感染が判明するとかえって不都合=生活できなくなる、という意識に陥る人が増えているということであろう。であれば、彼らもまた感染拡大の予備軍に追い込まれることになりかねない。さらには、〝Go toキャンペーン〟に伴う感染の拡大もまた、襲うであろう。
 沖縄は、またしても日米軍事同盟の生け贄とされ、日本社会の矛盾のしわ寄せ先とされている、と言わなければならない。

この危機を突破するのは、労働者階級の力しかない!
すべての労働者は団結して、安倍・自民党政権打倒の闘いに立ち上がろう!

 これまでは、感染者や死者の実体的構成については、ふれなかった。一般には、高齢者ほど重症化したり、死亡したりする危険が高い、と言われている。それはそうであろう。この点については、データも示されている。
 だが同時に、それらにおける階級・階層的な構造もまた明らかにしなければ、社会的意味は明らかにならない。しかしそのような統計資料が公表されることはなく、われわれは知りえず、推論するほかない。多くの労働者が犠牲となっていることは疑いない。
 最近の新聞やTVでは、田舎への〝疎開〟者が増えている、という。たとえば東京に住まなくても、〝テレワーク〟が出来るから、ということが理由として紹介されている。しかし、そのようなビヘイビアが可能なのは、企業経営者であれ、労働者であれ、一定の資力がありそれなりの職業的技術・技能をもつ人にかぎられる。労働者の大多数は、たとえ感染の危険性が大きいと感じられても、その職場にしがみついて生きていかざるをえない。われわれ一般の労働者は、資本家や資本家的経営者、さらに一部の上級労働者とは異なる、悪い就労環境で働き、低レベルの居住・生活条件のもとに生きている。それは同時に、新型コロナウイルス感染症にも陥りやすい条件のもとで生活していることを意味する。
 いやそもそも、われわれ労働者は、自らの労働力を商品として売却し、それによって得た賃金によってしか命をつなぐことができない存在である。労働者は、通勤途上で、また労働現場そのもので、その他の必然的に立ち寄る様々な場所で、感染の危険が感じられても逃げることもできない。労働現場での感染回避のための諸施策なども、仮に労働組合が存在していても、十全に実施されうるわけではない。企業経営者が従業員の感染による事業の停滞・破綻を恐れて、種々の対策をとる、ということにかなりの程度依存する形でしか、実際には実現されえてはいない。(それは今日の労働組合の多くが、「連合」のもとで〝御用組合〟化していることにもとづく。)それでも自分自身の、家族の、そして仲間達の健康と命を守るために、様々な工夫を凝らして頑張っているわけである。
 また、そのような職場からすら追われている労働者も極めて多い。
 先の「夜の街」関連の従事者たちもまた、ところを変えて同じ仕事を探すほかない状況に追い込まれている、といえる。これを「自己責任」で済ませることは決して出来ないのである。
 ロンドンでは、短期間のうちに、二〇名ものバス運転手が新型コロナ感染症で死亡したことを想起せよ。
 安倍政権は、政府・日銀による実質的な資金注入によって辛くも維持されている独占資本主義「経済」の防衛のために、労働者階級を二重の意味で、犠牲に供しているのである。
 まさにこのように、コロナ危機のもとで辛苦をなめるわれわれこそが、そして元々の「経済」なるものの真っ只中で、厳しく搾取され、諸権利を奪われ、〝奴隷〟化されてきたわれわれ労働者階級こそが、この危機を真に主体的に突破しうる存在であることを自覚し、起ち上がるのでなければならない。
 労働者階級・人民をコロナ危機の生け贄とする安倍政権を打倒しよう!
 「安倍退陣」などに惑わされることなく、数々の悪行を繰り返してきた安倍・自民党政権を、今また悪行の上塗りを図っている政権を弾劾し、労働者階級・人民の力で打倒しよう!
「敵基地攻撃能力の獲得」を軸に、軍事力の飛躍的強化・日米軍事同盟の強化に奔走する自民党政権を打倒しよう!
またぞろ選挙準備にのめり込み始めた野党諸勢力、既成労働運動指導部をのりこえて闘おう!

 

  全世界の労働者階級と団結して闘おう!

 

 アメリカでは、「黒人」の感染・死亡率が「白人」に比べて極めて高いことが問題となっているが、その「黒人」の多くは賃金労働者である。彼らの祖先は文字通り「奴隷」としてアメリカに連れてこられた。彼らは奴隷制が廃止されて久しい今日においては、多くは賃金労働者として、しかも下層の労働者として働いている。彼らは劣悪な労働・生活・住環境のもとで、多くが新型コロナウイルス感染症に罹患し、多くが死に至っている。
 このような現実に深い憤りをいだく彼らは、また同時に今、「白人」警官による相次ぐ「黒人」射殺・銃撃事件を弾劾し、良心的な「白人」たちとともに、団結して立ち上がりつつある。だが二一世紀の今日においても「黒人の命も重要だ!」というスローガンが掲げられなければならないとは、何という悲劇であろうか!――これこそ、スターリン主義の破産と崩壊がもたらした現代階級闘争の姿である。
 マルクスは、近代の賃金労働者を「賃金奴隷」と呼んだ。これは、近代の賃金労働者を、その実態の分析に基づいて一般的に規定したものであり、もちろん労働者をその出自から見たものではない。しかし、アメリカで生きる生きるアフリカ系労働者たちの苦悩に思いを馳せるならば、まさにこの「賃金奴隷」というマルクスの言葉が想起される。トランプの「偉大なアメリカ」の裏面が、いや「自由と民主主義の国」アメリカそのものの裏面がこれである。アメリカの「黒人」たちは、「奴隷としての過去」になお縛りつけられているかのように感じているであろう。
 だが、この闘いは単なる人種差別反対に切り縮められてはならない。労働者階級は「白人・黒人」の人種の壁をのりこえ、階級的に団結して闘う以外に、新しい未来・新しい社会を創造することはできない。その闘いは「自由と民主主義」の地平そのものを超克することによってしか勝利しえないのである。それは反スターリン主義運動の再興を思想的組織的根拠としてのみ、かちとりうるであろう。
 アメリカの「黒人」労働者について言えることは、全世界の労働者に妥当する。在来の労働者も、移民労働者も、出稼ぎ労働者も、団結して闘おう!
ゾンビ化した国家独占資本主義のもとで苦悩する労働者階級も、官僚制国家資本主義のもとで呻吟する労働者階級も、ともに闘おう!
 コロナ危機の試練にうちかち、労働者階級の団結をさらに強く・広く・深く推し進めよう!

 

 わが探究派は、反スターリン主義の立場を堅持し、磨き上げ、全世界の労働者階級の前衛へとみずからを高めるために、闘う。
           (二〇二〇年八月二八日 椿原清孝)