革マル派の終焉

       『黒田寛一著作集』刊行の意味するもの
 
 九月九日の『黒田寛一著作集』第一巻刊行に際し、革マル派現指導部は、「解放」紙上に「黒田寛一著作集刊行にあたって」なる宣伝文を掲載した(九月五日付け 第2363号)。それは結果解釈主義に貫かれた驚くべきシロモノであった。だが、さらに驚くべきは、『著作集』第一巻に付された「プロレタリア解放のために全生涯を捧げた黒田寛一」(『著作集』第一巻 506~510頁)である〔この文章を「全生涯」と略す〕。前者がまだ、旧来の同志黒田の闘いの描写に少しばかり縛られたものとなっているのたいし、後者は驚くべき脱線ぶりを示している。こんな〝大胆〟な文章は、党の最高指導部であるメンバーにしか書けまい。明らかに、前者は後者を下敷きにして書かれたものであり、その腐敗は後者の方がより酷い。
 「全生涯」なる毒々しい文章においては、明らかに同志黒田の神格化が図られている。その意図は、この文章の隅々にまで貫徹されているのである。

 

一 「世紀の巨人」!?  ―――同志黒田の〝超人格〟化=神格化

 

 筆者は、同志黒田の偉大さを精一杯の形容でおしだしているのであるが、すべては同志黒田が超人格的な、奇跡的な存在であることを示そうとするものとなっている。それはプロレタリア的主体性とは無縁である。

 

 冒頭のパラグラフは次のごとくである。

 黒田寛一は、一九五六年十月に勃発したハンガリー事件(「非スターリン化」を要求しソビエトを結成して蜂起したハンガリーの労働者人民を、「労働者の母国」と信じられてきたソ連の軍隊が虐殺した事件)にたいして、「共産主義者の生死にかかわる問題」として対決した。そして、全世界の共産主義者や左翼的知識人がこれを擁護しあるいは黙認するなかで、彼はただ一人、一九一七年に誕生した革命ロシアはレーニンの死後スターリンによってすでに反プロレタリア的な「スターリン主義国家」へと変質させられてしまっていることを看破し、ただちに反スターリン主義の革命的共産主義運動を興す步みを開始した。黒田寛一こそは、時代のはるか先を行く偉大な先駆者であり、二〇世紀が生んだ「世紀の巨人」なのである。(『著作集』第一巻506~507頁)〔下線は、椿原〕

 

 一字一句、驚くべきものである! 以下、要点に絞って取り上げる。

 

1.「彼はただ一人……看破し、ただちに反スターリン主義の革命的共産主義運動を興す步みを開始した」、という。そして「時代のはるか先を行く偉大な先駆者であり、二〇世紀が生んだ『世紀の巨人』なのである」という。
 だが、ここでは、ハンガリー事件と対決した同志黒田のその後の步みを讃えていはすれ、彼がいかにしてそのような前進をかちとりえたのか、その主体的根拠に関する考察はまったく欠如している。
 同志黒田は、ハンガリー事件との対決において、おのれの共産主義者としての主体性を貫徹したのであった。彼はハンガリー人民の血の叫びをわがものとし、ソ連軍による弾圧を弾劾すると同時に、このおのれは、哲学上ではスターリンとその追随者たちを批判してきたけれども、政治経済学的にはスターリン主義の枠内にあったことを自覚し、このおのれの変革を決意し、思想的に格闘したのである。まさにこのゆえにハンガリー事件との対決は「共産主義者としての生死に関わる問題」として捉えられたのであった。「全生涯」の筆者は、同志黒田がハンガリー事件との対決を通じて、おのれ自身の断絶と飛躍をかちとった、という決定的な問題を不問に付しているのである。ハンガリー事件と対決した黒田がそれ以降の苦闘を通じて後にえた現代ソ連邦の対象的分析や、革命的共産主義運動の創成という結果から一九五六年十月の黒田を説明する、という結果解釈主義丸出しの把握こそがまず決定的な問題なのである。このような一九五六年の生きた黒田寛一の苦闘、その断絶と飛躍を主体的に追体験することを没却して、その後の諸成果をも出発点に封じ込め、ただただ「黒田はスゴイ! 黒田はスゴイ!」と叫んでいるのが、この文章の筆者なのである。だが問題はそれにつきない。
 ここにいう「ただ一人」とはまず、同志黒田が現代ソ連邦が「スターリン主義国家へと変質させられていることを看破した」ことを讃えるものとなっている。しかし、それは偽造の域に達している。現代ソ連邦それ自体の経済学的・国家=革命論的分析は、ハンガリー事件との対決を通じて、過去からの断絶と飛躍をかちとった同志黒田が、その後における理論的学問的苦闘を通じて、つかみとったものなのである。そして、マルクスレーニンもそうであったように、同志黒田もまた共産主義運動内部における理論闘争を通じて諸問題を解明したのであった。すなわち「ソ連=赤色帝国主義」論・「堕落した労働者国家」説(したがって戦略的には「労働者国家無条件擁護」戦略)などの誤謬と歪みを克服する闘いを通じて、ソ連の政治経済構造についての、またソ連国家そのものについての理論的解明を進めたのである。また他方で「全生涯」は、「ただ一人」という規定が妥当するようにわざわざ「反スターリン主義の革命的共産主義運動を興す歩みを開始した」と結果解釈している。仮に、「日本トロツキスト連盟」や「革命的共産主義者同盟」の結成そのものに言及すれば「ただ一人」とは言えなくなってしまうからである。
 このように、「全生涯」の筆者がどうしても「ただ一人」と力説したい所以はまさに、同志黒田をあたかも〝人類のなかの例外者〟であるかのように、押し出したいからである。あたかも黒田寛一という特別な個人ゆえに様々なことが可能となったかのように描き出し、「黒田はスゴイ、スゴイ!」と触れ回っているのが、彼なのである。
〔なお、〝例外者〟というのは、かつてのブクロ官僚(小野田襄二であったと思う)が本多延嘉にあたえた賛辞である。もっとも今日の革マル派指導部は、当時のブクロ官僚どもの「はるか先を行っている」のであるが。〕

 

2.さらに、「世紀の巨人」・「時代のはるか先を行く偉大な先駆者」とは?
 このようなキャッチフレーズを見て、唖然としない「マルクス主義者」などありえようか!
 そもそも、「世紀の巨人」なる形容は、一九五三年にかのスターリンが死去した際に、世界の「社会主義国」や左翼陣営から、また報道界から投げ与えられた尊称であった。〔その時代にはスターリンの影響力は絶大であり、彼の死去によって国際情勢が不安定化するのではないかと恐れる心理から「スターリン暴落」と言われる事態すら発生したのであった。〕当時の黒田寛一は哲学的にはスターリンの理論的マヤカシを暴き出していたとはいえ、政治経済学的にはなお、スターリニズムの枠内にあった。その黒田が、「巨星ついに墜つ」などの報道にふまえつつ、揶揄的に用いた表現が「世紀の巨人スターリンの肉体上の死…」(『日本左翼思想の転回』177頁)であった。まさかそのような歴史的意味を忘れたわけではあるまいに!「世紀の巨人」という〝尊称〟を他ならぬ同志黒田に冠するとは! 筆者が同志黒田に対して〝不遜〟だというわけではない。彼は、組織成員たちをおのれと同様の個人崇拝に、すなわち宗教的自己疎外に誘導しているのである。その俗人化した頭脳でもって同志黒田を讃えようとすればするほどに、同志黒田を貶めるほかないのである。いや、それだけではない。
 「時代のはるか先を行く偉大な先駆者」とは? ――筆者の俗人化した頭脳の自己暴露、ここに極まれり!思想的には〝サラバ、黒田〟と言っているようなものではないか!

 

3.神格化への飛躍
 これらはすべて、同志黒田を超人格的な存在として描きあげ、神格化するという「全生涯」の筆者の意図からして必然となった物語であり屁理屈であると同時に、図らずも今日の筆者ら革マル派現指導部の思想的変質を赤裸々に自己暴露するものとなっているのである。
 言葉そのものもまた上のような意図に相応しいものが選ばれていると言える。――「反スターリン主義の革命的共産主義運動を興す步みを開始した」(507頁)「世界に類を見ない反スターリン主義の革命運動を興した」(508頁)等々。このように用いられている「興す」という言葉は、国家の建国者や宗教の創始者の行為を表すためにしばしば用いられてきた用語なのである。反スターリン主義運動が存在する今日から、それを「興し」たものとして同志黒田の実践をすべて描き出すという念の入れようではある。また「黒田率いる…」とか「黒田議長率いる…」というように、反スターリン主義運動をもっぱら同志黒田という人格に率いられ、彼に依存したもの、として描きだし、組織成員たちを、同志黒田への没主体的な帰依へと誘導しているのである。反スターリン主義運動は同志黒田のおかげで今日あるのだということ、そして「世紀の巨人」に導かれた存在として、おのれを意識し、同志黒田を教祖としてあがめ奉るように、誘導しているのである。
 このような行いが、同志黒田の思想とは全く相容れないことには何の頓着もないほどにまで、彼らは変質し、また熱中しているのだ。
 かくして、同志黒田の神格化による革マル派組織の<黒田教団>への〝脱皮〟=転態作業が『黒田寛一著作集』を活用していままさにおこなわれている!

 

4.最後の「延命」策
 二〇一九年末の革マル派政治集会で突如打ち出され、しばらくはシャックリのように繰り返されていた「組織哲学」なるもの、これは明らかに現存革マル派組織を物神化し、その党への帰属意識を組織成員たちに植え付けるためにひねり出されたシンボルであった。『組織論序説』などに対象化された「組織論」では決して正当化しえない思想闘争の封殺や反対派の追放などの反組織的行為を積み重ねてきた革マル派現指導部がひねり出した苦肉の策が「組織哲学」なるもののねつ造であった。組織内思想闘争の推進という前衛党の生命線に関わる問題を没却して「組織は私、私は組織」などという形而上学的観念をすり込むためにこそ、このシンボルは活用されたのであった。しかし、その「組織哲学」も昨今は鳴りをひそめている。俗人化した官僚どもに支配された現存党組織をあがめ奉るのでは、さすがに胡散臭いというわけで、同志黒田を神格化し、組織諸成員は、彼に「率い」られ「導か」れる存在としておのれを意識し、ともにこの組織=「黒田寛一の後継者」を守っていこう、というわけである。彼らはそれを〝同志黒田の魂の宿った場所〟として、或る革マル派中央労働者組織委員会メンバーの言葉を借りれば「生きかつ死ねる場所」として意識したい、というのであろう。だがそれは「黒田寛一の後継者」ではもはやない。「革命的マルクス主義の墓場」というしかない〝場所〟となりはてているのである。

 

 同志黒田の薫陶を受け、自己研鑽に励んできた同志たちは、今こそこの腐敗し硬直化した組織の現実を打ち破るために起ち上がろう! 信じがたいほどまでに腐敗したこの組織的現実を直視し、官僚指導部を打倒し、のりこえる闘いに決起しよう!

 

二 革マル派の終焉――脱・革マル主義の完成

 

 同志黒田を「世界でただ一人」の「世紀の巨人」として神格化することによって同時に、彼らはおのれの思想的変質を自己暴露した。

 

1.「革命的マルクス主義の立場」の蒸発!

 「ただ一人」を強調することによって、同時にこの筆者は、同志黒田の「二つの戦線上での闘い」をも、したがって、「革命的マルクス主義の立場」の確立に関わる諸問題をも、完全に忘却していることをも自己暴露したのであった。そもそも、この文章には、「革命的マルクス主義」という言葉自体が、ただ一度、「革マル派」という党の名称を説明する都合で引っ張り出されているのみであって、それとしては全く出てこない。また、第一巻に付されている「第一巻 刊行委員会註記」にも、KK書房の『著作集』宣伝チラシの「刊行にあたって」にも、「革命的マルクス主義」は言葉としてさえ出てこない。このことは、現在の官僚指導部の思想的腐敗ぶりからして必然なのである。そして、それにかわるものが、「黒田思想」なのである。したがってこの言葉は、<革命的マルクス主義の党>から<黒田教団>への転換を示すシンボルとしての意味をもつものとなっている。

 同志黒田は何というであろうか!

 

2.「反スターリン主義」の放棄

 「彼はただ一人、一九一七年に誕生した革命ロシアはレーニンの死後スターリンによってすでに反プロレタリア的な「スターリン主義国家」へと変質させられてしまっているということを看破し、ただちに……」
 すべてが、同志黒田の後の成果からの遡及的結果解釈であることについては、既に見た。「スターリン主義国家」――このような規定をなしえた根拠、「堕落した労働者国家」論、「ソ連=赤色帝国主義」論や「屋根裏のネズミ」論(「労働者国家無条件擁護」論)との闘いを通じて打ち立てた黒田のスターリン主義論や<反帝・反スタ>世界革命戦略の確立の苦闘(『ソ連論の根本問題』その他に対象化されている)をすべて没却!
 「反スターリン主義」が、あたかも同志黒田の頭蓋に天啓のごとく閃いたかのような錯乱! 同志黒田を「世紀の巨人」「偉大な先駆者」として描きあげ、崇拝の対象として描きあげる、という彼らの没主体性の賜といわず何というか!
 一九五六年の同志黒田の「断絶と飛躍」を主体的・追体験的に考察し、その思想を受け継ぎ発展させていく主体的な立場を喪失し、彼の闘いの結果解釈に現を抜かしている以上、「反スターリン主義」の主体的継承などできるわけがない。
 実際、今日の彼らは「反スターリン主義」を単に現実世界に存在する外的対象の観点からしか理解することができないことを既に臆面もなくさらけだしてきたではないか!「中国ネオ・スターリン主義」に関する彼らのゴマカシと隠蔽を想起せよ!

 

3.「場所の哲学」の破壊
 「黒田寛一こそは、時代のはるか先を行く偉大な先駆者であり、……」
 黒田がこの文言を聞いたら、なんと言うであろうか。〝超進歩的哲学者〟に仕立て上げられているからである。
 そもそも同志黒田は、「場所」に深く内在し、「場所」を超克せんとして思索し、実践した。「時代のはるか先を行く」というような賛美の仕方には、同志黒田の哲学の深みと革命性を歴史的先行性(〝歴史のさきどり〟)の観点からしか説明し自慢できなくなっていること、すなわち彼らが通俗的な歴史主義的=進歩主義的発想に凝り固まっていることを自己暴露するものでなくて、何であろうか。この意味では、「反スタ」どころか、彼らはスターリン主義に〝先祖返り〟を遂げているのである。すこし前には〝主客の弁証法が黒田思想のキモである〟などと述べた御仁は、「時代のはるか先を行く偉大な先駆者」というような文言を見て、何を思うのだろうか。
 自らの歪んだ物差しで同志黒田の偉大さを示そうとすればするほど、彼らは同志黒田の教えを改竄し蹂躙するほかない。彼らが「黒田思想」を称揚すればするほどに、同志黒田の苦闘を足蹴にし、そのガイストを捻じ曲げるほかないのである。

 

4.主体性を失い創造性を喪失した「信徒集団」への転落

 同志黒田の思想と実践を、その営為そのものを受けつぐ努力をしてこなかった彼らは、同志黒田の存命中には、彼に権威主義的に追随しぶら下がってきたのであったが、同志黒田の逝去後には、その遺稿と後光にたよってしか党指導部としてのおのれを維持し、生きてゆくことが出来ない存在に必然的になりさがった。それは、自己変革のための、真の苦闘を彼らが放擲してきたからなのである。彼らはこのことをよく知っているというべきか。知っているからこそ、彼らは同志黒田を神格化し、その後光にたよって生きる道を選び、仲間たちをその〝運命共同体〟に引き入れようとしているのである。それは「ノアの方舟」ですらなく、ただのドロ船である!
 今日の彼らは同志黒田の「プロレタリア的主体性」とは無縁であるだけではない。おのれの革命的マルクス主義者としての主体性を真に貫徹し、不撓不屈の精神で創造的な営みを続けようとする者をこそ、彼らは疎んじ、憎んでいるのである。そのような同志を排撃するためなら、何でもあり、である!
 現指導部のもとでの党総体としての創造性の蒸発・思想的生命力の喪失は、同志黒田の逝去後には、二〇一一年の『ノーモア・フクシマ』を最後として、同志黒田の遺稿によらない著作は一冊も出されていないことに、また「新世紀」や「解放」にも、理論的な論文はまったく掲載されなくなっていることに、赤裸々に示されている。実体的には、かつて革マル派を理論的に牽引していた錚々たる理論家たちのすべてが筆を折っているとしか考えられないのである。彼らはまったく主体性を喪失しているか、または健筆をふるうことが出来ない場所に封じ込められているのであろうか。

 

 革マル派指導部による革命的マルクス主義の立場の喪失、「反スターリン主義」の放棄、哲学的客観主義への転落と結果解釈主義の満開、組織内思想闘争を封殺し「分派」を禁じる官僚主義的組織としての固定化……これらの帰結が、同志黒田とともにわれわれが建設し護ってきたかつての革マル派、この組織の<黒田教団>への転態であり、革マル派の終焉である。――われわれは、このような変質を打ち破ることができなかったわれわれ自身の弱さを噛みしめるとともに、反スターリン主義運動を再創造する決意を新たにしている。
 決起すべきは今をおいてないことを、われわれはすべての革マル主義者たらんとする同志たちに訴える。
 今からでも遅くはない! 逆転のための橋頭堡は、すでに構築されているのだ!
 必要なのは、勇気である。

 

 マルクスが引き、同志黒田が引いたジョルジュ・サンドの言葉を想起する。

 

 「戦いか、しからずんば死。血なまぐさい闘争か、しからずんば無。このように問題は厳として提起されている。」(こぶし書房『プロレタリア的人間の論理』172頁)

 

◇なお、この『黒田寛一著作集』(全四十巻)の刊行じたいについて、付言する。

 

 革マル派現指導部の面々は、一巻につき、税込で六〇〇〇円を超える高額な書物を、労働者が(ことに非正規雇用の労働者や、低賃金が一般的な産別・業種の労働者が)購入することがどれほど大変なことかを考えたことがあるのだろうか。そのようなことに思いを馳せるだけの志をもはや彼らはもっていないのであろう。
 そもそも現指導部は、労働者たちから拠出された多額の資金で革マル派の諸施設を建設するなど、外面的な充実を計ってきたのである。これはまさに党組織の空洞化を糊塗するものであった。それは、団塊の世代を中軸とする多くの労働者(今日と比較すれば、比較的良い労働条件で彼らは働くことが出来てきた)が退職金を入手したり、親から遺産を相続したりしていることを条件としてであった。〝必要な時には、いつでも返すから〟と称して、通帳のようなものまで用意して労働者から資金を吸い上げる、という事実上の詐欺的手法をも含めて彼らは多額の資金を手にしたのであった。しかし、それが一巡した後の、そして組織の実体的主柱をなしていた「団塊の世代」がほぼ現役を退いた後の資金集めの方策としても、彼らは『著作集』の刊行を準備したのであった。とはいえ、この高価な本は社会的にそうそう売れるわけではない。そんなことは最初から分かっていることであって、むしろ、労働者組織成員たちから、通常の拠出金とは別に資金を吸い上げる方策としても位置づけられているのである。『著作集』と言っても、既に刊行されている同志黒田の諸著作の再刊もしくは再々刊であって、労働者たちはすべて過去に購入しているものばかりである。その量は、置き場に困るほどである。それでも「同志黒田の……」と言われれば買わないわけにはいかないだろうというわけである。
 もう一つは、旧来同志黒田の著作を多く刊行してきた「こぶし書房」や「現代思潮新社」ではなく、革マル派現指導部が直轄し、ヨリ強く統制することが可能な「KK書房」(旧「あかね図書販売」)のもとに、同志黒田の諸著作を集約するということである。このことは、彼らが〝黒田教総本山〟として自らを押し出すためには〝教典〟の一手販売が必須であると観念していることをも意味する。
 だが、マルクスレーニントロツキーの諸著作と同様に、同志黒田の諸著作もまた、本来、日本の、そして世界のプロレタリアートの共有財産である。
 革マル派現指導部によるその私物化をわれわれは許さない。

 

 痛苦にも、現指導部に率いられた革マル派は、終焉した。

 

 「虎は死んで皮を残す。革マル派は死んで黒田寛一著作集を残す。」のか……

 

 わが探究派は、なお微弱ではあるが、革マル派現指導部をのりこえる革命的な分派闘争を、そして真摯な組織内思想闘争を通じて、飛躍の拠点を打ち固めてきた。それは、『コロナ危機との闘い』(プラズマ出版)にも対象化されている。
 われわれは、同志黒田の思想と営為そのものを継承して、現に今、創造的な闘いを推し進め、日々新たに思想的生産物を発信し続けている。すべての反スターリン主義者は、探究派とともに闘おう!
 革マル派現指導部の屍を踏み越え、日本反スターリン主義運動を再創造しよう!

           (二〇二〇年九月一九日 椿原清孝)