おら、こんな社会やだ

うち破れ!コロナ危機 「臨時政府の歌」2
 <『おら、東京さいくだ』(作詞作曲吉幾三)の曲にのせて> 作: 集治水風

 

仕送りない!
バイトもない!
校舎あっても授業はない!
ふえるのは学資ローンばかり‼
おら.こんな大学やだ
おら.こんな大学やだ 


仕事はない!
住家もない!
会社あっても給料はない!
ふえるのは住宅ローンばかり‼
おら.こんな会社やだ
おら.こんな会社やだ

 
ミルクはない!
食べものもない!
家はあっても家族はない!
原発あっても電気はこない‼
ふえるのは無理心中ばかり‼
おら、こんな社会やだ
おら、こんな社会やだ


検査はない!
薬もない!
病院あっても医者いない!
ふえるのは行き倒ればかり‼
おら、こんな日本やだ
おら、こんな日本やだ


論戦はない!
「議員」もいない!
国会あっても宣言しかない!
ふえるのは汚れた利権ばかり‼
おら、こんな国家やだ
おら、こんな国家やだ


学生さんこいよ、運転手もくるだ!
病院なくても医者もいるよ!
みんなでほんとの政府つくろう‼
おら、みんなと連帯するだ
おら、みんなと連帯するだ

 

 

 

 

おら、こんな世の中やだ!

みんなで 一緒に力を合わせて つくろうよ
うち破れ! コロナ危機 [臨時政府の歌」 作:集治水風

               《『俺ら東京さ行ぐだ』(作詞・作曲:吉幾三)の曲にのせて》

 

給料もない!手当もない!

会社はあっても仕事はない!
ふえるのは借用証文ばかり ‼
おら、こんな社会やだ
おら、こんな社会やだ!
 
定職はない!やどもない!
マスクはない給付金もらえない!
ふえるのは賭賭博とドロボーばかり ‼
おら、こんな世の中やだ
おら、こんな世の中やだ
 
ミルク買えず 赤ちゃん死んだ!
家はあっても電気はこない!
原発あるけど電気はこない!
来るのはコロナウイルスばかり ‼
おら、こんな田舎やだ
おら、こんな田舎やだ
 
PCR検査機あっても使わせない!
アビガンもコネないと飲ませない!
ふえるのは無縁仏ばかり ‼
おら、こんな都会やだ
おら、こんな都会やだ
 
調査しない!「議論」しない!
「ひな壇」あっても「人形」ばかり!
ふえるのはカネの亡者ばかり ‼    
おら、こんな国会やだ
おら、こんな国会やだ
 
学生さんこいよ、労働者もくるだ!
真正の「理論家」もいるよ!
みんなとほんとの政府つくろう !!

みんなで、みんなと連帯するだ
みんなも、みんなと連帯するだ

 

 

〝労働力の「価値」貫徹論〟とは何か――菊池薫「賃金論のために」(『スターリン主義の超克 5』所収)を学んで

 スターリニストの「賃金論」と対決をすることを通して、マルクスが明らかにした賃金論の理論を、すなわち「労働力の価値または価格の労賃への転化」(マルクス)の本質的論理を主体化することが私の課題である。そのために、スターリニストの「賃金論」(〝労働力の「価値」貫徹論〟)の基本構造をまずはとらえなくてはならない。 

 

  〝労働力の「価値」貫徹論〟とは何か

 ソ連邦科学院経済学研究所が著した『経済学教科書』(合同出版・改訂増補第4版、第6章「賃金」 以下、『教科書』と略す)では、次のように展開されている。
 「労働力の価格としての賃金は、他の商品の価格とちがっている。資本主義社会の他のあらゆる商品の価格は、需要と供給の影響をうけて価値を中心に上下するが、一方、労働力という商品の価格は、その価値以下にずれる傾向をもっている。資本主義のもとでは、労働力の供給は通常は、その需要を上まわる。プロレタリアは、かれがもっている唯一の商品――労働力――の販売をさきにのばして、労働市場の条件が好転するのをまっているわけにはいかない。資本家は、それにつけこんで、労働力の価値よりも低い賃金を労働者に支払う。」(「資本主義のもとでの実質賃金の低下傾向」一八四~一八五頁)
「労働力の価値からの賃金のずれには、限界がある。……資本家は、利潤をふやそうとして、賃金を肉体的な最低限以下にひきさげようとたえずつとめる。ところが一方、労働者は、賃下げに反対し、賃上げ、最低賃金制の確立、社会保障の実施、労働日の短縮のためにたたかう。この闘争では資本家階級全体とブルジョア国家が労働者階級に対立する。それぞれの具体的な時期における賃金水準は、労働力の価値を一定とすれば、プロレタリアートブルジョアジーの階級的な力関係によってきまる。」(「労働者階級の賃上げ闘争」一九〇~一九一頁)

 労働力の価値についてのスターリニストのつかみ方を図式的にしめすと、次のようになるであろう。

 

 

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 「労働力の『価値』を横線でしめし、この横線より下の方に現実に支払われている賃金を観念的に位置づける。つまり、①現実には賃金はつねにかならず労働力の価値以下に支払われている、②だから価値以下に支払われている賃金を階級闘争(賃闘)によって、上=労働力の「価値」におしあげてゆく、つまり労働力の価値どおりに支払わせるために賃闘をたたかう、とするのである。」 (菊池薫「賃金論のために」『スターリン主義の超克 5』所収、一一三~一一四頁。――以下、「賃金論のために」とする。)

 このようなスターリニストの「賃金論」=価値貫徹論なるものをひとことで言うならば、〝階級闘争をつうじて、「価値」どおりの賃金を支払わせる〟、という代物にほかならない。
 「価値法則に支配されているものが、その担い手となっている賃労働者(自己の労働力を商品として販売せざるをえなくなっている賃労働者)が、おのれを支配しているものとしての価値法則を廃棄するのだ、というようには、スターリンおよびスターリニストはその客観主義・唯物主義のゆえに問題をたてられない」(「賃金論のために」一二〇頁)、ということなのだ。現実に支払われている賃金は常に労働力の「価値」以下におさえられているから、階級闘争によって労働力の価値どおりに賃金を支払わせなければならない、というように価値貫徹論者は主張する。それは、彼らスターリニストは労働力の「価値」なるものを一定不変の固定的なものとしてとらえている、ということを意味する。

 

  スターリニストが、労働力の「価値」を一定不変の固定的なものである、ととらえるのはなぜか?

 

 先の『教科書』において、スターリニストが〝労働力の「価値」〟についてどのように論じているのかをみていこうと思う。第4章「資本と剰余価値、資本主義の基本的経済法則」のなかの「商品としての労働力。労働力という商品の価値と使用価値」(一一八~一二一頁)という節では次のように書かれている。
 「……すなわち、商品としての労働力の価値は、労働者とその家族をやしなうのに必要な生活手段の価値に等しい。『労働力の価値は、他のどの商品の価値ともおなじように、この特殊な商品の生産に必要な労働時間、したがってまた、それを再生産するのに必要な労働時間によって規定される』(マルクス資本論』)
 社会の歴史的発展がすすむにつれて、労働者のふつうの欲望水準も、またこれらの欲望をみたす手段も変化する。国がちがえば、労働者のふつうの欲望水準もおなじではない。
 その国がたどってきた歴史の道と賃金労働者階級がたどってきた条件の特殊性によって、この労働者階級の欲望の性格がだいたいきまる。気候その他の自然条件もまた、衣食住にたいする労働者の欲望にある程度の影響をおよぼす。人間の肉体力の回復に必要な消費物資の価値だけでなく、労働者が生活し教育をうける社会的条件からうまれる、労働者とその家族の一定の文化的な欲望をみたす(子供の教育、新聞や雑誌の購読、映画や演劇の鑑賞など)ための支出も、労働〔原文どおり〕の価値にふくまれる。
 資本家は、いつでもまたどこでも、労働者階級の物質的生活条件と文化的生活条件を最低の水準にひきさげようとつとめるが、労働者は、企業家たちのこういうたくらみに抵抗して、自分の生活水準をたかめるために頑強にたたかう。」

 さて、以上のスターリニストの主張は、マルクスの労働力の価値の規定(『資本論』第一巻第二編、第三節「労働力の購買と販売」)についてのスターリニスト流の理解内容をしめすものである。原典にたち帰りながら、彼らの頭のめぐらし方を再現してみよう。
 まずはじめに、彼らスターリニストは、「労働者のふつうの欲望水準」は「社会の歴史的発展がすすむにつれて」変化するし、「国がちがえば」「同じではない」、そして、「労働者階級の欲望の性格は」「その国がたどってきた歴史の道と賃金労働者階級が形成されてきた条件の特殊性によって」「だいたいきまる」——— というようにとらえている。
 彼らは、マルクスの当該部分の叙述――すなわち「…… 他方、いわゆる必然的欲望の範囲は、その充足の仕方と同じように、それじしん一つの歴史的産物であり、したがってまた大部分は一国の文化段階に依存する」、「だから、労働力の価値規定は、他の商品のばあいとは反対に、歴史的および精神的な要素を含んでいる。だが、一定の国にとっては、一定の時代には、必要生活手段の平均範囲が与えられている」(『資本論河出書房新社版 第一分冊一四五頁・下段)——— を、歴史的に具体的な現実そのものに実在化してとらえているのではないか、と私は思う。マルクスは、「労働力の価値規定は……歴史的および精神的要素を含んでいる」、「だが、一定の国にとっては、一定の時代には、必要生活手段の平均範囲が与えられている」、と述べているが、この「……必要生活手段の平均範囲」を具体的・個別的な「物質的」・「文化的」諸「条件」そのものである、とスターリニストはとらえているのではないか、と思う。なぜならば、彼らは右のマルクスの表現を「国がちがえば」とか「その国がたどってきた歴史の道……」、というようにわざわざ言い換えているからである。彼らは、マルクスのいう「必要生活手段の平均範囲」を「労働者のふつうの欲望水準」と言い換え、あるいは「与えられている」というマルクスの表現を「だいたいきまる」と言い換えている。つまり、マルクスの叙述を、現実の歴史の発展過程に倒して解釈しているように私には思えるのだ。
 マルクスの「一定の国にとっては、一定の時代には……」という表現は、「本質論的抽象にかんするマルクス的な表現」(『労働運動の前進のために』一五二頁)なのである、というようにとらえかえさなくてはならない。このマルクスの表現は、「……全商業世界を一国とみなし……」(前掲『資本論』第一巻、第二二章「剰余価値の資本への転化」、第一節、注2a 四五九頁)という表現や、「価値=価格」という把握などと同様に、理論的レベル(本質論)を確定するためのマルクス的表現なのである。
 「ところで、そのさいに、『ある歴史的および〔社会的=〕道徳的要素』というように限定されているのは、資本制商品経済をうみだした社会の伝統的文化や生活様式や慣習などによって労働力商品の価値の水準(大きさ)は一義的には決定されない、ということが念頭におかれていることをしめしている以外の何ものでもない。それゆえに『ある』という限定が付されているのである。」(『労働運動の前進のために』一五二頁)

 ここでは、マルクスは、労働力の価値は〝可変的である〟とか〝一定不変である〟とかとは、ひとことも言ってはいないのである。
 ところで第二の問題は、スターリニストが価値量に引きよせて労働力の価値の本質規定を理解してしまう、ということである。
スターリニストは、「すなわち、商品としての労働力の価値は、労働者とその家族をやしなうのに必要な生活手段の価値に等しい」と述べている。このスターリニストの展開は一見正しいかのように思えるが、しかしマルクスは「価値に等しい」という表現は使わず、「価値である」とか「帰着する」とか「規定される」という表現を使っている。ところが、彼らスターリニストは、あえて「等しい」と表現することによって、〝本当はどの位の生活諸手段が必要なのか〟というように解釈するのだ。このことは、彼らが〝搾取されている〟という事実に引きよせて、「資本家は、いつでもまたどこでも労働者階級の物質的生活条件を最低の水準に引き下げようとつとめる」、と結論づけたいがため――つまり、現実に支払われる賃金は労働力の価値以下である、ということを言いたいがため――ではないか、と私は思う。そのために、あるべき〝労働力の「価値」〟にその量的大いさを入れて説明=解釈するのではないだろうか。「価値」どおり支払われないから労働者は家族をやしなえない、というように。いいかえるならば、彼らは、価値量に引きよせるかたちで、労働力の「価値」を解釈しているのだ。
 実際スターリニストは、「交換される商品が等しいということの基礎となっているのは、それらの商品を生産するのに支出された社会的労働である。……価値は、商品に体現された、商品生産者の社会的労働である」(『教科書』「商品とその性質、商品に体現された労働の二重性」八〇~八一頁)と述べている。スターリニストは、商品の価値とは何か、ということを説明するとき、この「支出された社会的労働」に引きよせて解釈しているように思える。しかも同時に、「価値」はどのようにしてつくられるのか、というように頭をめぐらせるのではないだろうか? 「支出された労働」なるもの、これはどのように・またどれだけの社会的労働が支出されたのかというように、あたかも生きた労働を論じているかのように彼らは理解しているのだ。マルクスは、『資本論』(前掲・第一巻、第六編、第一七章「労働力の価値または価格の労賃への転形」四二三頁・下段)で、「だが、商品の価値とは何か? 商品の生産に支出される社会的労働の対象的形態である」と述べている。この「支出される社会的労働」は、生きた労働ではない。あくまでも商品体に対象化された死んだ労働なのだ。この商品体に対象化された死んだ労働が価値という規定性を――価値=交換関係を媒介として――うけとるのだ。スターリニストは、論理的には、「対象化」とか「対象的形態」の理解もアイマイなのである。
 ところでわれわれは、「労働力の価値の本質規定と労働力の価値量についての規定とを分化し、労働力の価値量を可変的なものとしてとらえ」(「賃金論のために」一一四頁)、両者を構造的に理解する。われわれは、「労働力の価値は労働力を再生産(および生産=繁殖)するために必要とされる生活手段の価値によって媒介的にしめされる」(同前、一一六頁)、と理解する。そして、このような理解の根底には、マルクスの『資本論』(第一巻、第一編、第一章)で展開されている<価値形態の論理>があるのだ。すなわち、――A商品はB商品をみずからに等置する。こうすることにより、A商品の価値はB商品の使用価値においてあらわされる。すなわち、B商品の使用価値は、A商品の価値の鏡(価値鏡)となる。これが<価値形態の論理>である。労働力商品の価値の本質規定を論じる場合にも<価値形態の論理>を適用しなければならない。すなわち、労働力商品は、商品としての生活諸手段をみずからに等置する。こうすることにより、労働力商品の価値は、商品としての生活諸手段の使用価値において表現され、後者が前者としての意義をもつ。このように、価値形態の質的関係の把握が商品としての労働力にも妥当するのだからである。(『賃金論入門』一六頁参照) 

 さて、以上のように考えると、「労働力の価値の大いさは、労働力の価値の本質規定とは直接関係ない」(「賃金論のために」一一六頁)というように理論展開されているのは、価値形態の質的関係を問題にしているときに量の問題は入ってこない、ということではないかと思う。

 

 イ)労働力の価値の本質規定と、ロ)その価値量、との構造的把握について

 

 では、われわれは、労働力の価値の本質規定と、その価値量とを、どのように構造的にとらえたらよいのであろうか。
 「労働力商品の場合には、その価値は本質的には商品としての労働力の再生産(および生産=繁殖)に必要とされる生活諸手段の価値によって媒介的に規定される。しかし、労働力の再生産(および生産)のために必要な生産諸手段の質と量は、それがおこなわれる一定の歴史的・社会的・文化的な諸条件によって異なるのであるからして、労働力の価値の大きさは具体的には歴史的・社会的・文化的に可変的であり多様多種である。」(『唯物史観と変革の論理』二五八頁)
 「賃金論のために」では、一一五頁で右の引用を載せて展開しているのであるが、ここで重要だと思うことは、イ)労働力の価値の本質規定と、ロ)労働力の価値量についての規定とを分化し、労働力の価値量を可変的なものとしてとらえている、ということだと思う。また、労働力の価値を「一定の歴史的・社会的・文化的な諸条件によって異なるのであるから」というように、「限定のもとに」論じていることが重要である、と思う。労働力の価値を一定不変的なものとして捉えるスターリニストとは、明確に異なるところである。
 さらに、右の引用個所では、労働力の価値は、「本質的には商品としての労働力の再生産(および生産=繁殖)に必要とされる生活諸手段の価値によって媒介的に規定される」、と展開されている。ここが、またまた重要な箇所である。「媒介的に規定される」、ということは、直接的には表現できない、ということである。では、どのように「媒介的に」規定されうるのか? 
 労働力の価値の価値量が、労働力そのものに対象化されている労働量によって直接的に決まるのではない、「媒介的に規定される」ということは、「労働市場におけるもろもろの労働力商品のたえざる交換をつうじて、つまり事後的にきまる」(『賃金論入門』九一頁)ということである。
 すなわち、商品=労働市場におけるたえざる交換をつうじて事後的に決定される労働力商品の価値の大いさを、宇野弘蔵の「規定するもの〔価値〕が規定される」(『「資本論」入門』八二頁)という論理を適用して、労働力商品価値の現象形態であるところの賃金の変動に逆規定されて、賃金の本質としての労働力商品の価値も変化する、としてとらえなければならない、ということではないだろうか。
 「一般商品の価格の晴雨計的変動や階級闘争をつうじて、あるいは景気循環ないし産業循環をつうじて、賃金は変動する(p1…→p2…→pn)。賃金が変動することによって、賃金という現象形態をとっている労働力の価値あるいは賃金の本質としての労働力商品の価値(W)も、自己同一を保ちながらも変化するのである。」(『賃金論入門』九二頁)
             (二〇二〇年八月六日 山里花子)

同志加治川は一からやり直さなければならない

目次
第1章 「となる」の論理の観念論的解釈
 ――加治川「「となる」のマルクス的論理」(『はばたけ わが革命的左翼 下巻』所収)にみられるもの――
・ことの発端
・俺流の「規定性の転換」
・俺のハイマート
・「る」と「た」の恣意的な解釈、その結末
・理論領域とアプローチの無視、無自覚
・なぜマルクスに学ばないのか?
・コジツケ
・まじめに読んでいるのか?
・変革的実践の立場にたとう
・ベニヤ製作の自己流解釈
・空隙をかかえたままの主体
(以上、本稿)

第2章 「となる」のマルクス的論理を己のものとするために――黒田さんの部分的な混乱をこえて
・「社会の弁証法」マド43アステリスクへの疑問
・実践の存在論、およびカテゴリーの妥当論
(第2章は、次稿)

 


第1章 「となる」の論理の観念論的解釈
 ――加治川「「となる」のマルクス的論理」(『はばたけ わが革命的左翼 下巻』所収)にみられるもの――


  ことの発端

 『コロナ危機との闘い』松代編著の松代論文において、次のように述べられている。
 加治川はある投稿原稿で辺見庸散文詩にシンパシーをいだき、次のように書いた。
「この数百年、賃労働と資本の関係がこの社会のあることを支えていた。資本家は,自分が生き延びるためにその関係を壊し始めた。続いて、あらゆる人間のつながり関係の破壊の衝動が起こる。衝動は充満し決壊するかもしれない。<自己責任>を語るものを濁流にながせ。新しい社会をつくらなくては、私たちは生きられないのではないか。どういう社会をつくるか、意見を寄せ合って話すことから始めよう。」
 松代はこの加治川に対して次のように批判した。
「ここでは、「新しい社会」の導きだし方は、資本主義の自動崩壊論、賃金労働と資本の関係の資本家によるぶち壊し論になっているのである。ここにあるのは、<自己責任>を語るものへの反抗、すなわち既成の秩序への・あるいは・新自由主義イデオロギーへのアナーキーな反抗的心情だけである。これは、労働者階級が階級的に団結して、資本制生産関係をその根底から転覆する、ということはまったく出てこないものとなっているのである。労働者階級の意識として論じられるべきものが人間の意識にあたるものとして一般化され、客観的事態に突き動かされた衝動として取り扱われているのである。
 これでは、われわれがプロレタリア的主体性を確立し、これを対象的現実を変革する自己につらぬく、ということ、われわれが自己をプロレタリア的主体として・共産主義的人間として変革し確立していく、ということは決して出てこないのである。これは黒田寛一のプロレタリア的主体性論の公然たる否定である。われわれが、われわれの組織建設と党建設論につらぬくべきプロレタリア的主体性論の破壊である。」
 ここで松代が加治川を批判している問題は、わが探究派組織建設を、現革マル派官僚主義的変質をのりこえて実現してゆくためにわれわれすべてがみずからに貫くべき思想的=組織的核心問題である、と私はかんがえる。

 

  俺流の「規定性の転換」

 だが、加治川は、次のように反発した。
「まず、投稿主体「考える人」は、辺見にシンパシーをもつ「人」という設定です。私は、「辺見シンパの人」を装ったのです。私はいつも「七変化」しながらできるだけ読む人が興味をもってくれることを望んで書いているのです。批判された原稿も工夫して書いたものです。同志松代は上記のようなわたしの規定性の転換について、考えていなかったのではないかと思います」
 加治川はこのように松代からうけた批判を拒絶し、今なお、真摯に反省しようとしないのである。松代はつぎのように批判している。
「われわれが「規定性の転換」というのは、辺見シンパの人物を装う、というようなこととはその根底から異なるものである。自分が何らかのものとして設定したものになる、ということとは、その根底から異なる論理である。それを「…設定です」などと言うのは、すなわち、その「設定」を「規定性の転換」と同一視するのは、後者を、頭のなかでのあれこれの設定をすることにゆがめるものであり、観念論への転落である。」

 

  俺のハイマート

 このように観念論への転落である、とまで批判されてもなお、加治川は自己に危機感をもたない、自己が「七変化」し、意識を「設定したもの」にふさわしく工夫することを「規定性の転換」と言っても、それを自己の思想的、哲学的な危機だと感じていないように、私には思えるのである。これはなぜなのか、と私は強く疑問に思った。そして彼が、まだ、まじめに自己研鑽をつもうとしていたはずの時期に書いた論文のその表題の内容に「オヤッ」と私は危惧をもったのである。その表題とは、「「となる」のマルクス的論理」である。彼が一九九三年に書いたものである。この表題としてあらわされているのは、マルクスが『資本論』で駆使している唯物論的論理である。現実場において、物質的諸物が、特定の物質的諸関係に投げ込まれることによって、その諸物がその諸関係の一契機としてふさわしいものとなる、すなわちそのような規定性をうけとる、という論理である。だが、私は、今日の加治川が、なにやら主観的には自信をもって「七変化」なるものを規定性の転換だ、と言いくるめる姿を見せつけられ、もしや、この理論論文の内実自身が今日の彼の主張を正当化する役割を果たしているのではないか、と危惧をもちはじめたのである。私はこのような悪い予感をもちながら、当該論文を検討した。危惧は的中してしまった。

 

  「る」と「た」の恣意的解釈、その結末

 加治川は当該論文の二五二頁で、「C 「る」と「た」」と題して、『資本論』の展開と『社会観の探求』の展開とを比較解釈している。そして、この論述が論文全体の核心をなしているのである。だが、この解釈がまったく解釈主義的で不毛な追求なのである。いや、彼はこのような解釈主義的なことをおこなうことによって、むしろ彼自身が、マルクスの明らかにした論理をまったく理解できないことを自己暴露しているのである。だから、「る」と「た」の解釈をしたのならばむしろ、このことを加治川は自己がマルクスを曲解していること、はっきり言えば、自己流哲学が観念論でしかない、ということを、否定的に自覚する契機たらしめるべきであった。
 加治川は次のように言う
  「C 「る」と「た」
以下では『資本論』と『社会観の探求』(STと表記する)との文章表現上の比較検討をする。
(Ⅰ)「労働によって大地との直接的関連から引き離されるにすぎぬ一切の物は、天然に存在する労働対象である。」(『資本論』三三一頁)
(Ⅱ)「労働によって土地との直接的のつながりからきりはなされたにすぎないような一切のものは、天然資源であ」る(『社会観の探求』七七頁)
「労働対象がそれ自身すでにいわばそれ以前の労働によって、ろ過されているならば吾々はそれを原料と名づける」。つまりマルクスは労働対象がそれ以前の労働にろ過されているか否かによって「天然に存在する労働対象」と「原料」とを区別しているからである。STの筆者は「る」を「た」に改めた。この改訂は「一切の物(もの)」の性格をまるで異なるものにしている。(Ⅰ)の方は、労働によってろ過される以前のものであり、(Ⅱ)の方はろ過されたものである。マルクスは労働の洗礼を受けているか否かを基準として労働対象の性格を区別している。区別することを眼目としたマルクスの叙述を、STの著者は区別性を変更するために「た」に改めたのであろうか。「る」を「た」に変えざるをえなかったのはなぜか。」
 このように問題をたてている。ここまでを読めば、「る」と表現しているマルクスは「天然に存在する労働対象」を表現しているのであり、「た」に改めた黒田は「原料」を表現しているのだ、と加治川はとらえている、いうことになる。加治川が「この改訂は「一切の物(もの)」の性格をまるで異なるものにしている」と大仰に言っているが、その結論は、マルクスはその労働対象の性格を「天然に存在する労働対象」という性格として表現し、黒田は「原料」という性格を表現している、ということになる。
 けれども、加治川はそのように結論を出すことをなぜかやらない。やらないでおいて、驚くべき観念論的解釈をはじめるわけである。いやむしろ、彼の観念論的な哲学を投射し、色読するがゆえに、ここで、先のようには結論を出さないでいるのだ、と言ったほうが良い。
 付言しておくならば、加治川のここでのまとめは正確ではない。というのは、マルクスは「天然資源」という言葉は使っておらず、「天然に存在する労働対象」を問題にしているのである。すなわち、或る労働過程において労働対象となるものが、天然に存在するものなのか、それともそれ以前の労働によってろ過されたものなのか、ということを、マルクスは問題にしているのである。これにたいして、黒田は、「天然資源」という概念の規定をおこなっているのであり、天然資源と規定される物質的なものが、労働対象となっているのか、それともいまだ労働過程になげこまれていないのか、ということは問題にしていないのである。ここでは、これくらいのことをおさえておけばよい。加治川の、「となる」の論理の観念論的解釈をあばきだすためには、この問題にこれ以上踏みこむ必要はない。

 

  理論領域とアプローチの無視、無自覚

 加治川はどのように論をすすめているか。
 「ところで、紙の上にペンを媒介手段として対象化=表現される以前のもの、つまりマルクスの意識の場におけるO´としての「一切の物」は「労働によって大地との直接的関連から引き離される」と意味づけされた「物」である。労働者の働きかけをうけることになっている物という意味をもたされた「物」である。マルクスの意識の場に於いて労働対象となる可能性を与えられた「物」といっていい。しかし、このときのマルクスの意識にあるO´としての「一切の物」が妥当するところの実在する物はなおソコ存在する自然物にすぎない。なぜならO´としての「一切の物」は、意識の場において「天然に存在する労働対象」であると限定する概念作用をうけることによってはじめて、人間にとって生活諸手段となる実在的可能性をもつところの労働対象として措定されるのだからである」(二五三頁。原文で傍点を付されていた部分には下線を付した)
 加治川は、(Ⅰ)のマルクスの『資本論』の表現の「一切の物」(という概念が妥当するところの実在するもの)を「ソコ存在する自然物にすぎない」と言うのである。先に述べていた論脈からするならば(Ⅰ)の方は労働によってろ過される以前の物をさすのであるからして、また同時に、マルクスは、労働対象がそれ自身それ以前の労働によって、すでにろ過されている場合には、これを「原料」と名づける、と言っていることからするならば、「O´としての「一切の物」が妥当するところの実在する物」を、「原料」と規定される物質的なものではなく「天然に存在する労働対象」と規定される物質的なものである、と結論するべきであった。ところが、加治川は、そのように結論付けると、自分が述べたい自分流の解釈からして都合が悪いと思ったのであろうか、そのようには素直に結論づけないのである。これにとって替えて、彼は(Ⅰ)の表現があらわしている物質的基礎は「ソコ存在する自然物にすぎない」モノなのだ、と言うのである。

 

  なぜ、マルクスに学ばないのか?

 加治川は次のようにパラフレーズしている。
 マルクスの『資本論』の展開は①労働対象がそれ以前の労働によってろ過されている場合、これを「原料」と規定する、②労働対象がそれ以前の労働によってろ過されていない場合、これを「天然に存在する労働対象」と規定する。
 これは正しい。
 けれども、それにつづいて、次のように加治川は論じ始めるのである。
 (Ⅰ)で表現されているところの「る」についての解釈である。加治川はまず、「る」ということからすると、マルクスの意識の場におけるO´としての「一切の物」はいまだ、実際に労働によって大地との直接的関連から引き離されておらず、「引き離される」と意味づけされた「物」なのだ。つまり労働者の働きかけをうけることになっているもの、という意味をもたされた「物」である。なぜ「意味をもたされた物」とことさらに言うのかと言えば、「マルクスの意識の場において労働対象となる可能性を与えられた「物」といっていい」けれども、これは「しかし、このときのマルクスの意識にあるO´としての「一切の物」が妥当するところの実在する物はなおソコ存在する自然物にすぎない」からだ、というわけである。
 そして、次の加治川の結論が重要である。すなわち加治川は「なぜならO´としての「一切の物」は意識の場において「天然に存在する労働対象」であると限定する概念作用をうけることによってはじめて、人間にとって生活諸手段となる実在的可能性をもつところの労働対象として措定されるのだからだ」というわけである。つまり、マルクスが意識場において「労働によって大地との直接的関連から引き離される」と規定するだけでは、このようにマルクスが意識した段階では、いまだ、マルクスの認識対象である実在的なものは「ソコ存在する自然物」であり、「マルクスの意識場において労働対象となる可能性を与えられたものにすぎず」いまだ労働対象ではない、というわけである、ではこのたんなる「ソコ存在する自然物」はどのように労働対象となるのか、というと、マルクスの「意識の場において「天然に存在する労働対象」であると限定する概念作用をうけることによってはじめて、人間とって生活諸手段となる実在的可能性をもつところの労働対象」となる、と言うのである。これはもはや、観念論である。
 マルクスの頭のなかの「一切のもの」は、概念作用によって、頭のなかの労働対象となる、というのだからである。すべては、頭のなかでの出来事なのだからである。いや、加治川が「労働対象として措定される」というばあいには、この「措定」が観念的措定であるのか、物質的措定であるのか、ということが、混然一体となっているのである。すなわち、労働対象となる、ということが、頭のなかでの出来事なのか、それとも現実の出来事なのか、ということが、加治川には、自分自身でも、わけのわからないものとなっているのである。
 もしも、この「措定」を観念的措定と理解するならば、加治川は、マルクスの「となる」の論理を意識場の論理として解釈しているのであり、論述する加治川は、最後の最後まで頭のなかのことがらの解釈から一歩も出なかった、ということになる。もしも、この「措定」を物質的措定と理解するならば、加治川は、意識場の対象面は、主観の概念作用によって、意識場から現実場に飛び出し、物質的なものとなる、と解釈していることになる。いずれにしても、加治川は観念論なのであり、ヘーゲル主義なのである。

 

  コジツケ

 観念論である、と批判すれば、それまでだが、加治川が主観的に考えていることを、解析しておくと、どうも次のように考えている、というか、コジツケているのである。自己流の観念作用論である。
 「労働によって大地との直接的関連から引き離されるにすぎない一切の物」とマルクスのように表現すると、これはいまだこの「一切の物」は「労働によって大地との直接的関連から引き離される」と存在論的に想定されているにすぎず、いまだ「引き離されていない」のだから、これは「労働対象として措定」されていない。このようにマルクスの意識の場で存在論的に意味づけ(?)されたにすぎないソコ存在する自然物、現実の労働過程のうちにあるのではなく、「外にあってマルクスにより可能的労働対象として存在論的に規定されるようなたんなる自然物」、これはマルクスの「意識の場において「天然に存在する労働対象である」と限定する概念作用をうけることによってはじめて実在的可能性をもつところの労働対象として措定される」のである、と加治川は言うのである。
 これはまったく不可解な解釈なのであるが、加治川の主観においては、どうも前者は〝存在論的で形式的可能性としての労働対象の措定〟であり、後者が〝人間にとって生活諸手段となる実在的可能性をもつところの労働対象としての措定〟である、というような区別だてがなされているようである。もはや屋上屋を重ねる観念的解釈である。しかし、加治川は、意識場において、主観が、物質的対象を労働対象である、と規定する、この規定によってその物質的対象が「労働対象となる」と考えていることははっきりしている。これを、「となる」のマルクス的論理を観念論的に曲解したものである、と私は言うのである。

 

  まじめに読んでいるのか?

 加治川はこのような混乱したコジツケをする前に、『資本論』の次の叙述を読むべきであった。
 「採取産業、すなわち採鉱・狩猟・漁撈など(農耕は、それが最初に処女地そのものを開墾する限りでのみ)のように自己の労働対象を天然に見いだす産業を除外すれば、すべての産業部門は原料たる――すなわち労働によってろ過された労働対象たる、それ自身すでに労働生産物たる――対象を取り扱う」
 加治川は、(Ⅰ)で、マルクスがここでのべているような採取労働過程に投げ込まれてある自然物ということ、この物質的基礎をなす現実場を、そのようなものとして理解することができないのである。マルクスは「労働によって大地との直接的関連から引き離されるに過ぎない一切の物」と論じている対象をなす場とは、採取労働過程という物質的労働過程の場なのである。現実場にかんする存在論的論理、これを唯物論的に論じているのである。
 労働過程論において、マルクスが、「となる」の論理として論じているのは、自然物などの実体的な物質的諸物は、労働過程という物質的過程に投げ込まれることによって、その諸実体となるのであり、労働対象や労働手段、そして労働力となる、という論理なのである。黒田は「もろもろの自然力、動物力(畜力)、機械力などの個別的生産諸力、労働力などは、それ自体としてはすべて生産力の諸要素ではないとしても、これらが労働過程に投げ込まれる限りにおいて、すべて生産力の諸実体へ転化される」(『現代唯物論の探究』一六四頁)と論じている。このような論理の理論領域とアプローチは、労働すなわち実践を存在論として展開しそのようなものとしてアプローチしているものである。マルクスが『資本論』第五章で展開しているこのような労働過程論の理論の対象領域および理論的アプローチについて無視、ないしは無自覚なままに、加治川は自己流の観念論的な〝意識場の概念作用の存在論〟によって無手勝流の解釈をしているだけなのである。
 冒頭に述べたように加治川は、松代から観念論への転落であると厳しく批判されたにもかかわらず、意識の内で「辺見シンパの考える人」と設定し、そのように装うことを、「私の規定性の転換です」と考えており、堂々と反論したうえに、いまだに反省しようともしない。私の危惧は、加治川がかつて革マル派として私もともに闘っていた時からあった。『「となる」のマルクス的論理』は黒田さんに評価されたんだ、と、彼が何か大切なものをふところであっためるかのように頂いていると私には見え、一抹の危惧を私は抱いてはいた。私は、彼にとっての精神のハイマートともいうべき、この論文の内実が、じつのところ、マルクスが『資本論』で駆使している唯物論的論理を自己流に曲解した代物ではないか、「となる」のマルクス的論理、と加治川が考え文章化した内実は、いま加治川が言う「意識内で「考えるおじさん」という設定をし」、そのようなものとなるということと、理論的に同一性にあるのではないか、と危惧をいだいたわけである。それが的中してしまった。
 加治川は松代の批判を鏡として自らを反省すべきなのである。松代は言っている。
「物質的な場において活動するわれわれは、この場から物質的に規定されるのであり、このことに規定されて、実践主体であるわれわれの規定性が転換するのである。意識的に活動する物質的主体であるわれわれは、場から規定されてあるおのれを自覚し、場において在り場によってうけとるおのれの規定性の一つを自覚的に選びとり、場の分析に立脚して自己を二重化、三重化して活動するのである。」(『コロナ危機との闘い』二四七頁)
 ここで論じられている「規定性の転換」の論理、その理論領域は、『資本論』の「となる」の論理とはもちろん同一ではない。前者の運動=組織論において主体がみずからの規定性を転換する、という場合の主体とは、わが組織(=諸成員)であり、意識的に活動する物質的主体なのだからである。けれども、それは、マルクスが労働過程論において論じた実践の存在論のレベルにおいて明らかにされていること、この論理を基礎として解明されているのである。物質的諸物が労働過程の場になげこまれ、物質的諸関係をとりむすぶことによって、その場から物質的な規定性をうけとる、という論理が基礎となるのである。だからして、加治川が、さきに私が批判したように、自然諸力が労働過程において労働対象となる、という論理を、ただ、意識場において、「労働対象であると限定する概念作用をうけることによってはじめて」自然諸力が「労働対象として措定される」というものとして、つまり概念作用論として解釈し理論化しているのをみると、やはり今日、加治川が反省的立場にさえ立たない場合に、この論文の観念論的論述が、彼が自己を理論的に正当化している屁理屈として意義をもっている、と言わざるをえないのである。

 

  変革的実践の立場にたとう
 
 深刻なのは、その結果、加治川の自己流の行動理論は、〝現実場からの被限定を無視した自己意識による振る舞い理論〟でしかなくなってしまったことである。しかも、そういう質でしかない自己意識の変化のやり方論を「規定性の転換」であると思い込み、「労働組合論的解明」だ(これも、組織実践の解明、というより、せいぜい自己の組合運動家としての行動の基準でしかない)と、考えてきたことにある。マルクスが『資本論』を、「となる」の唯物論的論理を駆使しつつ展開していることを、これを労働過程に即して加治川は解釈したのである。しかし、すでにみたように彼は、マルクスの意識場なるものを設定して・これを対象的に勝手に解釈し、意識の対象面を「労働対象となる」と規定する概念的作用によって自然諸力が労働対象となるのだ、という観念論的な解釈論を開陳した。いったい、なぜ、このような解釈をしてしまうのか。思いつきであるとか、自己流であるとか、と直接的な根拠を言うことはできる。しかし、今日の加治川の姿をみるならば、そういう直接的問題に切り縮めることはできないのではないか、と私は考える。いったい、マルクスが『資本論』の労働過程論において何をなんのためにあきらかにしたのであるか。これを加治川はどう考えようとしていたのか、という問題を私は問わないではいられないのである。
 「となる」の論理に限ってみても、なぜマルクスは、自然的諸力や労働力が労働過程になげこまれることによって、その物質的諸関係をとりむすぶことによって、その諸契機となり労働対象、労働手段、そして労働力となる、と論じたのか。マルクスは労働過程を「人間生活の永遠的な自然条件」として本質的に規定した。つまりそれは、人間社会を根源的に成り立たせている物質的生産過程としての社会史的過程の根源的な基礎課程(『社会の弁証法』)なのである。こうした労働過程がしかし、生産関係が資本制生産関係という歴史的に規定された社会的諸関係となることによって、いかなるものとなるのか。労働過程は資本の労働過程となる。この直接的生産過程になげこまれることによって、労働力(労働者だ)は資本の定有となるのであり、可変資本となるのであって、それは、人間の顔をした資本の一契機へと疎外されるのである。この過程においては、労働力はただ、外的合目的性に規定されるのであり、資本によって規制され統制されつつ、価値を創造する限りにおいてのみ社会的意味をもつにすぎないまでに疎外されるのである。これが感性的には、ただ労働が苦痛として、精神を侵されるまで精神的・肉体的諸能力をそぎ取られる、というように現れているのである。これが、直接的な労働の感性的なありようなのである。こうしたことは、加治川がじっさいに身体的に自己に刻み込んできたのではないのか。    
 こうしてただ、この資本主義社会が、労働過程が資本の生産力として現象する社会であること、ここに実存する己=賃労働者が、自己を労働力商品として自覚し、この賃金奴隷となるところの、その物質的諸関係、生産諸関係を変革し、生産手段を己が奪い取り、そうして共同体的所有にもとづく、共同体的生産を実現する、このようにおのれが労働者階級として階級的に自覚し階級闘争にたちあがる、そのようなプロレタリアのプロレタリアートとしての自覚の内容が対象化されたものとして『資本論』は意義をもつのである。そのようなものとしてうけとめて初めて、『資本論』を学ぶことになるのではないか。これが「現実的な学」としての『資本論』の真髄だ、と私はうけとめている。
 ではいったい、そのような思弁と理論的体系化をマルクスがなしえたのはなぜか。労働過程を「となる」の論理を駆使して思弁している、その裏面には、こうして労働過程が資本の現実形態として現存していることを否定=変革することによって、「人間生活の永遠的な自然条件」すなわち人間社会を成り立たせている根源的基礎過程を、ゾレンとして実現する、この本質論的解明と、それを実現するのだ、というマルクスの立場と意志があるのであり、この立場と意志が彼をその内側からつき動かしているからなのである。何のための本質論なのか。そうしたマルクスの変革的立場によって、労働過程論も「となる」の論理も初めてその解明が可能となったのだ。このことへの直観や共感を加治川は何らもっていないのである。だから、マルクスの意識場なるものの驚くべき解釈をしていられるのだ。反スタ・マルクス主義者たらんとする者としては、破綻なのである。加治川がおよそ、そのようなことに思いをはせることもないままに、マルクスの「意識の場」なるものを設定し、これを対象的に結果解釈しているのである。これは、まったくもって、マルクスの論理の改ざんもはなはだしい。観念的解釈である、と批判してすむものではないのである。

 

  ベニヤ製作の自己流解釈

 加治川は、ベニヤ製造にたずさわっていた時に己の労働を解釈し何と言っていたか。「私にとって機械に装てんされた丸太が労働対象となる。工場の資材置き場に野ざらしにされたぶつ切り丸太は私の労働対象ではない。」などと解釈して平然としていた。べニア製造労働過程に投げ込まれてあることによって、野ざらしの資材であろうと、個別的な工程にある段階製品であろうと、すべて労働対象となるのである。そしてあなたは労働力となる、いやあなただけではなく労働組織の担い手の仲間のすべてが労働力「となる」のである。これはあたりまえだろう。俺がさわっている、ただその工程にあるものが俺の労働対象となる、これがマルクスの論理だ、と言って何になる? これはおのれのブルジョア・アトミズム的立場から『資本論』を解釈しているものでしかない。これは、己の私的節穴からマルクスの意識場を覗き見るような解釈でしかない。このような解釈におちいるのは、直接には加治川が『資本論』が本質論的抽象のレベルで展開されている、ということを理解できない、ということにもとづいている。しかし、つまるところ、自己の孤立的自己の質をのりこえてプロレタリア的な自覚を獲得しつつ、労働のただなかで対質する、こうした思索とはかけ離れた質の頭のまわし方を彼がしていることに、それはもとづくのである。いったい、加治川よ、なぜあなたは労働者として過酷な労働現場に身を置き、自己の変革をめざそうとしたのか? 何が変革の課題であり、それをどう実現するために労働したのか。同志からの批判を鏡として自己をふりかえり自己脱皮するように努力したのか? この論文を検討し、今の加治川のありようを見るかぎり、そのような努力をしたようには私には思えないのである。コロナ感染拡大と資本家による危機のりきりのために労働者が解雇されている、辺見がこの労働者をみて資本家を念頭に置きながら「ざまあ見やがれ、まだまだこれからだ」などとほざいている。この辺見に共感するおのれとは何か。それを批判されるや、辺見シンパのおじさんというのは私が装っただけであって、それは「私の規定性の転換であり、松代はそれを理解しなかったのではないですか」と言う。こういう主張をすることに駆使されている加治川の理論の源泉は何か。加治川論文のエセ理論は、今日、彼が「七変化している」というヘーゲル的なのりうつり疎外を「私の規定性の転換」である、というように正当化することを理論的に許したという意義をもつのである。加治川論文はすべてが誤りである。


 
 空隙をかかえたままの主体
 
 存在として賃金労働者となり働くだけでは、けっしてわれわれは反スターリン主義者となることはできないのである。加治川はベニヤ製作の労働者となり、一体なにを自己変革の課題としてみずからに課していたのか。己は反スタ主義者たらんとするために、露呈したどのような限界を、いかに克服するべきであると、自己に課してきたのか。みずからが、なおブルジョア・アトミズム的で孤立的個という地金を未変革なままでいることを何ら省察しないままに、マルクスを学習しても何の意味もないのである。いやむしろ害毒であったのである。労働しながら、「となる」の論理を解釈したものが、これまで私がのべてきたように、マルクスの実践的立場や唯物論的理論を何ら顧みることもなく、観念論へとおとしめるようなものであったのであり、これがおのれなのである。自己の限界を見つめ他の同志を鏡として己をふりかえる、まさしく同志という組織的関係をとりむすんでいる他者を鏡として、この組織的関係に規定されてあるみずからを反省するのである。加治川が、物質的な・同志という他者を鏡とすること、すなわち、同志に規定されている、いや組織的関係をとりむすんでいる、というこの物質的でかつ意識的で能動的な・おのれの規定性を無視し、ただ、自己の意識場において、俺は俺である、と主観が概念的な作用をしていればマルクス主義者となる、というのではないのである。加治川は、こうした自己流の観念的解釈を、「がんばった」と指導者から肯定されたというように錯覚したのではないか。自己変革を投げ捨て、自己に空隙をのこしたままに、没主体的に精神のハイマートを護持することは、金輪際やめるべきである。加治川は一からやりなおさなければならない。
           (二〇二〇年八月一四日 桑名 正雄) 

<理論以前>学

             あんなに頑張り、闘ったのに…

 会社側による不当な解雇に抗して解雇撤回要求闘争を闘いぬいた青年労働者A君。
 解雇は、二度にわたった。最初は、労働組合に結集する従業員を狙い撃ちにした「整理解雇」を名目とする解雇、二度目は最初の解雇が不当とされた場合でも組合員たちをあくまでも社内から一掃することを真の目的とした「廃業」を名目とする解雇。労働法用語を使えば「究極の不当労働行為」である。
 労働組合に結集する労働者たちは、労組指導部の指導のもとで、裁判所への解雇無効の提訴、労働委員会への不当労働行為救済申し立てを軸とする闘いを数年間にわたって闘ったのであったが、最終的には高等裁判所において、当初の「整理解雇」は有効、したがって「廃業」を名目とする解雇は、当否の検討の必要なし、という反動判決を下され、闘いは終焉のやむなきにいたった。当該の労働者たちの奮闘にもかかわらず闘いに勝利しえなかったのは、本質的には今日の労働運動の衰退のゆえであり、このことの突破こそが、闘った者すべてにつきつけられたのであった。まさに、そのために、教訓を導き出すことが問われたし、今も問われている。

                                           <「大岡越前」はいたか!>

 裁判での勝利を信じていたA君は、地方裁判所で「整理解雇は無効だが、廃業解雇は有効」という半分〝勝利〟の判決をえたときには、「裁判所は大岡越前=正義の味方だと思っていたのに…」と呟いた。それでも彼は、組合・支部指導部の方針のもとで控訴審を闘い、高等裁判所の再三の和解勧告を拒否し、裁判官に「解雇不当」を徹底的に主張し、「判決をだしてください!」と訴えた。その結果が、上記の判決であった。そしてそれを覆す見通しはなくなった。今度は「地方裁判所の裁判官はダメでも、高裁にいけばもっとよい裁判官が出てくるのでは、と思っていた」と彼は述懐した。「結局は、裁判官も自己保身という自分の都合で動くのか…」と考えたという。
 これは、既成労組指導部の労使協調路線にもとづく裁判依存主義がもたらした悲劇以外のなにものでもない。
 ところが、当該労組の中に実存した既成の組合幹部に抗する自称革命的左翼の活動家たちを指導するある者は、組合幹部が裁判所や「第三者機関」と称されるものに依存して闘いをすすめることを批判すべきではない、という驚くべき指導を活動家たちに行い、裁判に「勝つ」ための諸活動を担わせ、それによって彼らを「強化」出来ると考えていたのである。みずからが裁判依存主義に転落していたのである。彼が既成幹部と異なる所以は、幹部たちが裁判の帰趨に危惧を感じて「和解」を意図するのにたいして、「正当性をガンガン主張して断固として職場復帰の判決をとる」ことを、勇ましく・強硬に主張したという点であった。さしづめ〝闘う裁判依存主義〟とでもいうべきであろうか。その顛末が高裁での完敗であり、上に示したA君の述懐である。

            <こんなこともあるんだぁ…>

 何という「革命的左翼」であろうか。この「革命的左翼」の実態を象徴的に示したのが、電話で高裁判決の一報を受け取ったときに、当時のこの組織の最高指導部の一員であり、名高い理論家であった某の「こんなこともあるんだぁ…」という茫然自失の言である。何という階級的警戒心の欠如!なんという平和ボケ!昨今の労働裁判の実態からかけ離れているだけではなく、裁判所がブルジョア国家権力の一機関であり、ブルジョア階級の階級的利害を貫徹する一機構であることすら忘れ去っていた己に何の否定感もない妄言であった。史的唯物論に精通し、国家論も得意という理論家でありながら、〝「第三者機関依存主義」を批判すべきではない〟と主張した党幹部のある者に追随して「解雇無効の判決をとることで職場復帰をかちとる」闘いの指導に齷齪した結果、当たり前のことすら忘れていたのである!ゆがんだ実践に身をやつし続けた結果、思想的にも「もぬけの殻」と化していたのが、彼である。彼は「こんなことも…」と呟いた時には、まだ〝素直〟であった。だが、その後はそう感じた己を正視することなく、指導部としての自己保身に、つまり沈黙による乗り切りとゴマカシに走ったのであった。
 そもそも、今日の労働運動の否定的現実に条件付けられて、われわれ自身もまた積極的に裁判闘争にとりくまざるをえない場合が多いことは確かである。裁判闘争に取り組むこと自体が誤りではない。だが、既成労組指導部の裁判依存主義的傾向をたえず警戒しその克服を促すような思想闘争を丁寧に繰り広げることぬきに裁判闘争にとりくむかぎり、裁判闘争に勝利しようとして頑張れば頑張るほどに、その担い手たちは裁判所に幻想をいだき、裁判の帰趨に希望を託す傾きは常にもたらされるのである。自称「革命的左翼」の理論家と称されるもの自身が、上のような茫然自失の言辞を吐くまでにいたったことは、この問題の深刻さを雄弁に物語っているではないか。
 このような「革命的左翼」が、腐敗した現指導部に指導された革マル派が――その腐敗を根本的に反省しないかぎり――「労働者階級の前衛」を名乗る資格がないことはすでに明らかである。
 ところが、問題はそこにとどまらない。その自称「革命的左翼」の、この闘いの指導に現れた腐敗を弾劾し、反スターリン主義運動の再興をはかって新たな闘いを開始したはずの仲間達のなかから、驚くべき問題が生み出されたのである。

              <痛みがない !?>

 「大岡越前」に期待していた青年労働者Aと親しく交流し、彼に大きな影響を与えてきたB、革マル派現指導部の腐敗に抗して反スターリン主義運動の再興を決意したはずの彼に対して、かの闘争における仲間達の思想闘争の限界を直観していたCが、問題を提起した。「Bは、A君が裁判依存主義に陥り、『大岡越前待望』に陥っていたことを、指導的にかかわってきた者として反省し、自己批判的総括を提起すべきではないか。」「B自身が、『革命的左翼』指導部の裁判闘争主義への陥没についての否定的自覚が足りなかったのではないか。その結果が、A君の『大岡越前待望』ではなかったのか」と指摘した。図星であり、経緯を細かく聞き、諸文書を入念に検討した結果の、実に丁寧な批判であった。Bとともに当該の闘争における指導部の指導を批判してきた他の者はCの意見を受けとめ、愕然としつつも、われわれ自身がその点について不明確だったこと反省し飛躍を期したのであったが、当のBは猛然と反発し、「そんなことができる状況ではなかったのだ!」「Cは浮き上がっている!」などと主張するに至った。
 これは、二重・三重の意味で、単に「意見の相違」を示すといえることではない。奥深い問題、理論以前の問題がそこに潜んでいる。
 少なくとも、己が永いあいだ交流し、ともに学習を繰り返し、多大な影響を与えてきたA君が、上のように裁判制度や裁判官に多大な幻想を抱いていたのである。そのことが判明した以上、反スターリン主義者としての自負と矜持があれば、己の他在としてのA君のこの姿に、現存支配秩序への否定的自覚の欠如した彼のこの主体的現実に、己の関わりそのものの否定性を直観し、心に痛みを感じるはずではないのか。また問題をこと新たにそれとして突きつけられた時には、痛みすら感じなかった過去の己に背筋の凍るような思いをいだかないのか。われわれは、遅ればせながら、驚愕した。これは単に理論的な問題であるわけではない。
 Bが、A君がそのような思想状況に陥っていることに、反スターリン主義者として何の痛みも感じなかったし、感じなかったことについて今も否定感がないとすれば、それは理論以前のモラルの問題である。根深く染みついた政治主義のゆえに、主体的なモラル感覚そのものが麻痺していると断じざるをえない。
 (そういえば、つまり今にして思えば、分析上の問題であれ、組織化上の問題であれ、彼が己の過誤を主体的に振り返ったことはなかった。常に、対象についての己の解釈を変更して辻褄をあわせるようなことしか、彼はしてこなかった。己の諸発言について、また己にたいしてなされた他の仲間からの批判などをもすっかり忘れていることさえあった。これはプラグマティックな実践に身をやつしてきた結果としてのプロレタリア的なモラルそのものの欠損を意味する事態であると、われわれはいま考える。)
 しかも、この己の態度を問われるや否や、「そんなこと(裁判依存主義の批判)が出来る状態ではなかったんだ!」などと開き直り、あまつさえあの手この手で批判を跳ね返そうとする政治主義的態度。その後にも「思想闘争」を装った権力闘争まがいの術策――あるいは「七変化」――と、われわれはもう嫌というほど付き合ってきた。ものごとには限度というものがある。また「仏の顔も……」という。しかし、

         <問題は あなた! そう、そこの君だよ!>

 上のような主体とは何ぞや。そこを問わないで何が始まるというのか。「思想闘争」などといっても単なる機能論に堕してしまう。いつまでたってもわからないとは、どういうことか!
 他者のことを「理論主義」だ、「政治主義」だなどと批判する暇があったら、己の人間音痴ぶり・思想音痴ぶり・組織音痴ぶり・お人好しぶり、思想的人間的鈍磨ぶりを振り返った方がよいのではないか。昨年秋から最近に至る真摯な思想闘争の結果、Bの暗部は場所的に暴かれたといえる。われわれが、過去においてそのような思想闘争を実現しえなかったことは痛苦ではあるが、われわれ自身、この間の思想闘争の中で学び成長したのである。そして、その前進にとって不可欠であった諸情報、思想闘争の結果として明るみに出た諸事実・諸教訓についても、そこの「君」には充分に提起し対決を促してきた。君のマルクス主義者としての知性を信頼してのことである。しかしそれは「馬の耳に念仏」だったというわけか。おのれの「主体性」がいかに貧しく、いかに非プロレタア的であるかを、いまこそ君は考えるべきではないのか。自己超克の努力を積み重ねている者と、そうではなくただ自己正当化のためにハッタリや政治技術を弄ぶ者との分別もつかないとは、思想的鈍磨とは恐ろしいものである。
 「思考エコノミー」こそ最大の怠け。わからないこと・都合の悪いことにはフタをして、自己主張のみ繰り返す。およそ自己超克の努力を、その苦闘を積み重ねてきたとは到底思えない、自己肯定的ふんぞりかえり。よくお考えいただきたい。下向分析ぬきに「構造」も「レベル」も成立しないのだよ。存在論主義・機能論的やり方論・結果解釈主義――これまでにもしばしば指摘されてきた己の弱点が、その歪みが今全面開花していることに気づくべきではないか。犯罪的行為をさらに積み重ねてから気づいて悔いても、それは遅いのだ。
 志を棒に振るなかれ。欠けているのは、「不満分子」にとどまっていた過去の己を如何にのりこえるのか、ではないか。それぬきに「闘う」ことが出来ると考えるのは、ただの機能論ではないのか。自己に否定的に迫り来るものに屈せず〝対決〟することそれ自体に〝主体性〟を見いだすのは、錯誤であり、プロレタリア的主体性とは無縁である。
 自己超克の努力――それが欠如していることこそが問題であることを、つい先頃、仲間からつきだされ教えられたばかりではなかったか!そのようなことまで忘れるほど、君は思想的に鈍磨しているのだ。一言で言えば、それこそが、政治主義者に容易く足を掬われていることの主体的根拠ではないのか。
 共産主義者としての生死に関わる根源的な問題を素通りすることなかれ。――顔を洗って出直せ!
                        (二〇二〇年八月四日 磐城健)