同志黒田の「無謬」神話にすがる「革マル派」官僚たち
(1)護持されたルビ:「メタモルフォーゼ」の誤り
二〇二一年一月、KK書房より『黒田寛一著作集』の第二巻が刊行された。それは、一九九四年に『社会観の探求』(現代思潮社)の増補・改訂版として出版された『社会の弁証法』(こぶし書房)を再録したものであり、いわばその「決定版」である。
ここに取りあげる問題は、その一一三頁の叙述である。「8 労働過程」の「四〇」(マドの四〇と読む。)は、次のようになっている。
技術的実践の過程的な表現が、「人間生活の永遠的な自然条件」としての労働過程にほかなりません。労働過程は、人間が自分のさまざまな欲望をみたすために自然的なものを取得する過程であり、「人間と自然との質料転換の一般的な条件」なのです。それは、物質的生産過程としての社会史的過程の根源的な基礎過程です。
ここでの問題は「質料転換」に記されたルビ――「メタモルフォーゼ」である。残念なことに、これは執筆者である同志黒田の記憶違いにもとづく誤りなのである。
「メタモルフォーゼ」は「質料転換」の読みを示すものではなく、「質料転換」にあたるドイツ語の読みとして付されているものであるが、そもそも「質料転換」と訳されているマルクスの語は、 Stoffwechsel なのである(ディーツ版 DAS KAPITALの頁一八五)からして、「質料転換」にドイツ語の読みをつけるとすれば、当然、その日本語読みの「ストッフヴェクセル」でなければならない。(この語は、脈絡に応じて「質料転換」ないし「物質代謝」、または「新陳代謝」と訳される。「質料転換」・「物質代謝」と「新陳代謝」との区別は、ドイツ語では日本語におけるほど明確にされていないようである。)ましてや、「マド四〇」の最初の「労働過程」には、「以下の展開は、マルクス『資本論』第一巻第三篇第五章の叙述を参考にしました。」との筆者の註(*)があるのであるから。
他方、Metamorphose は辞書によれば、「変形」や「変態」を意味するものとされている。実際、マルクス的用語法でも、この語は、たとえば「商品の姿態変換」(『資本論』第一巻第一篇第三章の第二節のb 新日本出版の新版『資本論』では、頁一八四)の原語は、Metamorphose der Waren である、というように(原語は、ディーツ版の頁一〇九)。
マルクスは、「こうして商品の交換過程は、相対立し、かつ互いに補い合う二つの変態――商品の貨幣への転化と貨幣から商品への商品の再転化――において行われる。」というように、或るものがその姿・形態を変える(転化する)ことをMetamorphose(メタモルフォーゼ)という語で表現しているのである。〔ちなみに、英語版(ペリカンブックス)では、「質料転換」については、metabolism という語が用いられている。〕
この誤りは、恐らくは同志黒田のちょっとした記憶違い(思い込み)に由来するのであろう些細なものである。そして、今このようなことがらが明るみに出たということならば、さしたる問題ではない。読者たるわれわれの語学力が拙いために、筆者の何らかの勘違いにようやく気づいた、という以上のことではないのである。元来は、『社会の弁証法』に対象化された同志黒田の理論を受けつぎさらに発展させるために奮闘することこそがわれわれの課題なのであるから。
ところが、そう簡単ではなかった、のだ!
(2)一九九四年には既に誤りが指摘されていた!
『著作集』第二巻にいたっても誤りが確認されず、ルビがそのまま護持されたことの意味は深刻なのである!
既に述べたように、「質料転換」へのルビは、『社会観の探求』にはなく、一九九四年に刊行された『社会の弁証法』ではじめて付されたのであった。実はその当時に、私自身がその間違いに気づき、同志黒田への手紙でそのことを伝えたのであった。
当時、私はドイツ語の辞書・『資本論』の原書・英語版『資本論』(ペリカンブックス)などに当たって可能な限り調べてみた結果、上記のような結論に達したのであった。
私は、このことを同志黒田に伝えるために、ワープロ文書を作成し、当時の中央労働者組織委員会の常任を務めるメンバーに同志黒田への手紙として託した。残念ながら同志黒田からは返答をいただけなかった。ご本人に渡ったのかどうかも不明であったが、問題は些細なことであるし、いずれはどこかで確認され解決されるであろうと、楽観視していたが、その後も何ら是正措置は執られなかった。その事情は私には、知り得ない。(こういうことが発生すること自体が、当時においても党組織の硬直化がかなり進展していたことを示すのであるが。)
だが、私の意見が同志黒田に届いていること、そして留意されていることを示唆することがあった。英語版『社会の弁証法』( Dialectics of Society )が二〇〇三年に刊行されたのであるが、その当該箇所では、metabolic interaction という語が用いられていたのである。上記の英語版『資本論』では metabolism という語が用いられていたのであるが、ドイツ語の wechsel が交互作用を表す語であることから、英語表記では interaction が選ばれたものと推察できた。ドイツ語も英語も決して堪能ではない私でも、これは適切であると判断できた。(私自身、手紙で後者を推奨してもいた。)
英語でも、metamorphose という語は用いられる。辞書によれば、ドイツ語の場合と同様に「変態・変形・変成」というような意味で用いられているようである。この語ではなく、Stoff-wechsel に対応すると思われる metabolic-interaction が用いられていることからして、少なくとも、「メタモルフォーゼ」というルビが適切ではないことについては組織的に理解されているものと私は考えたのである。
だが、日本語の『社会の弁証法』は、その後も直されることはなかった。そして、『著作集』第二巻の刊行をもって、「革マル派」におけるこの問題は完結したといわざるをえない。
問題は次のページへと引き継がれたのである!
(3)「こんな仕事がなぜオレに…」
『著作集』第二巻でも「メタモルフォーゼ」のルビがそのまま護持されたことの思想的・組織的意味を明らかにするために、以下、私の〝私事〟とでもいうべき事柄を含めて、少しお付き合いを願いたい。
私は、元来、外国語などは出来ない。高校生としてなら英語が出来る方であったとは言えるとしても、大学ではほとんどまったく講義を受けなかったのである。その私がドイツ語を囓ることとなったのは、ひとえにマルクスの息づかいを聞きたいと思ったからであった。
一九八〇年代末から一九九〇年代はじめにかけて、私は再起をかけて努力した。賃金労働者として働きながら自己を見つめると同時に、マルクスと同志黒田の諸著作にしがみつき、とっくみあいを続ける日々であった。その過程で、辞書があればドイツ語でマルクスを読める程度の語学力が欲しい、と思うようになり、独習を続けた。一九九二年三月一日をもってその独習を停止したため、私の夢は叶わなかったとはいえ、やがて僅かな知識と古本屋で探し集めた諸文献が役に立つこととなったのである。
実は、その当時にも「メタモルフォーゼ」の問題にぶつかっていた。六〇年代の同志黒田の講演記録(タイトルは定かでない)を起こしたガリ版文書だったと思うが、同志黒田が「メタモルフォーゼというのはドイツ語で新陳代謝ということだ」と述べているくだりに疑問を感じて調べた結果、どうも勘違いしているようだ、と思ったのである。だから、一九九四年に『社会の弁証法』の当該箇所を見て、瞬時に「アーッ」と思うことが出来た。
翻って、私が「メタモルフォーゼ」の誤りに気づいたのは、今のような主体的諸条件にもとづくのであって、組織的にはまことに〝偶然〟的な事情だとも言える。なぜなら、反スターリン主義運動の担い手のなかには、理論的力には優れていても外国語は苦手という同志もいれば、私よりも理論的にも優れ・かつ遙に高い語学力をもつ同志も多数いたはずであるからだ。後者のような同志たちが、なぜ私でもすぐ気づくようなことに何らの疑問ももたなかったのか。本当に気づかなかったのか。このこと自体がすでに〝怪〟ではある。(また同志黒田の諸著作は、社会的にもそれなりに広く読まれていたのであって、組織外の人たちから何らかの助言や忠告があってもよさそうなものであった。しかしそれもなかったのであろう。悲しむべきことである。)
だが根本的には、私ごときが問題を指摘しえたのは、反スターリン主義運動が当時すでに直面していたアポリアを意識していたからである。私は当時、革マル派組織に充満するエートスのようなもの、端的に言えば、同志黒田にたいする権威主義的追随傾向、あるいは同志黒田の言説をドグマ化したり、同志黒田その人を神格化するような傾向に深刻な危機感をいだき、同志黒田の思想にも反するこのような組織的現実を打ち破ることに、使命感のようなものを抱いていた。こんな組織をつくるために、闘ってきたのではないはずだ、というような強い想いをもっていたからこそ、根本的にはおのれ自身の共産主義者としての主体性の確立を決定的な問題として意識していたからこそ、この時に問題を指摘することが可能となったのであり、それに先立つ一九九二年三月一日にも、かの「賃プロ魂注入主義」と後に規定される報告の誤謬を直観し何の忖度もなく突き出すことができたのだと言える。――いずれの時にも、〝なんでこんな厄介な仕事がいつもオレに回ってくるんだ〟というような愚痴を溢しつつ、私は取り組んだ。
今日から振り返れば、先ほど〝怪〟としたことは何ら〝怪〟ではなかったのである。解けてみれば、今日の「革マル派」の変質・腐敗の兆候がすでに露呈していた、と言わなければならない。
かえりみて、私の、そしてわれわれの自覚は浅く、闘いは余りにも非力であったことを、噛みしめざるをえない。だが、この痛みをバネに闘いの決意を打ち固めたわれわれは今、飛躍の時を迎えているのである!
(4)神官たちの醜怪――〈黒田教団〉化を打ち破れ!
「革マル派」官僚たちは、「メタモルフォーゼ」のルビをそのまま護持し、その誤りを固定化し、そのことによってまた同時に同志黒田の顔に永遠に泥を塗ることを選んだ。われわれはそれを許さない。
著書の刊行後に、その著書の限界などが自覚された場合には、別途に注釈をつけることによって、読者に注意を促すということは、マルクスやエンゲルスによっても行われてきたことである。たとえば、『共産党宣言』の「一 ブルジョワとプロレタリア」の一文について、エンゲルスが注意を促す註をつけたことがその代表的例としてあげられる。
「これまでのすべての社会の歴史は階級闘争の歴史である。」という句について、エンゲルスが一八八八年の英語版に付した註では、人類社会史の端緒には原始的な共同体が遍く存在した、という当時の考古学上の新たな成果に踏まえて注意を促しているのである。そのことによって『共産党宣言』の一句の、「階級闘争の歴史」に終止符をうつというマルクス・エンゲルスの実践的立場を吐露したものという革命的な意義は決して揺るがないばかりか、むしろ歴史学の進展によってその革命性はより鮮明となったのである。
同志黒田が既に死去されている以上、彼らが勝手にその著作に手を加えることは許されないかも知れない。だが、「『著作集』刊行委員会」の責任において註を付し、読者に注意を促すことは出来たのである。それが同志黒田の学問的誠実さを継承せんとするものの当然の責務だったはずである。だが今日の「革マル派」指導部にはそのような誠実さを求めても詮無いことが事実をもって示されたのである。
彼らは同志黒田を神格化し、〈黒田教団〉とでもいうべきものに組織を変質させた。組織内において、何らかの意見の対立が発生し、下部組織成員たちから批判を受けた場合の彼ら官僚たちの常套句は、「KKの○○を読み直せ!」となっている。同志黒田の諸著作を彼らは〈教典〉化し、拝み奉ることをもって、そして彼らが同志黒田の思想をあたかも体現しているかのように装うことによって、自らの官僚的地位の安泰をはかるほどまでに腐敗しているのである。組織成員たちが主体的には何も考えず、自分たち指導部に順うことを希うほどにまで、彼らは腐敗した。
そうでない、というのであれば、わが探究派との論争の場に出てきたまえ!
彼らは、組織内からも組織外からも、「メタモルフォーゼ」についての疑問が提起されないことをむしろ恰好の条件として、ルビを護持することを選んだのである。
またこの問題を指摘したのが、二〇一九年一月三〇日に彼らによって「腐敗分子」の烙印を押されて革マル派組織から追放され、彼らと決別して同志たちとともに探究派を結成した私(一九九〇年代の機関紙上での名前が「佐久間置太」であった)であることもまた、彼らが絶対に誤りを認められない根拠となっているのであろう、と言うのは美化であろうか。それほどまでに〈黒田寛一崇拝〉による自己救済の願望は強いのである!そういう連中が、「プロレタリアートの前衛」を詐称することを、われわれは許すことは出来ない。
彼らは「神官」たちと呼称されるにふさわしい存在と成り果てている。われわれは、『コロナ危機の超克』(プラズマ出版)においてそのことを暴き出してきたのであった。
今日の彼ら「革マル派」官僚どもは、わが探究派の思想的・組織的闘いについて反論はおろか、一切の言及を回避し、引きこもり=〈鎖国〉政策によって組織の瓦解を防ぐという願望にとりつかれている。
理論上の問題としては、「メタモルフォーゼ」問題など極々些細な問題である。にもかかわらず、この問題は、今日の彼ら「革マル派」官僚の腐敗ぶりを雄弁に物語っているのである。
われわれは、ドグマティズムとは無縁である。同志黒田の営為そのものを革命的に継承し、革命的マルクス主義者として、さらに前進するのでなければならない。
反スターリン主義運動の前進のために献身的に闘い続け、己を真の反スターリン主義者として鍛え上げるために今もなお苦闘する仲間たちよ!「革マル派」官僚どもの、様々な陰険姑息な策動を許さず、彼らと訣別し、わが探究派とともに決起しようではないか!
ともに闘おう!
(佐久間置太 二〇二一年一月二〇日)